第320話 第八階層『迷い猫の散歩道』
樹海に半ば呑まれた人工物の痕跡。丁寧に継ぎ目を塞がれた白亜の石壁で囲われる洞窟。
見覚えのある石壁だった。
魔窟になる前、かつての『底なしの洞窟』で、俺が『粒界再結晶』の術式で整備した洞窟の壁に似ている。
「ここが次の階層に繋がる入口、と考えていいのかしら?」
「……どうだろうな。探索してみないことにはわからないが」
ミラの質問に煮え切らない答えを返す。俺にも正直なところ、よくわからない。魔窟の正しい順路などというものは規則性も何もないのだ。下手したら入り直すと構造が大きく変わっている魔窟なんていうのもある。先入観はもたずに、愚直に探索を続けるしかない。
「……ムンディ、あんたも少しは意見を言ったらどうなの? 異界の専門家としてここにいるんでしょう?」
俺の答えがお気に召さなかったのか、ミラは少し苛ついたようにムンディに話を振る。
「僕は異界の専門家であって、魔窟の専門家というわけではないのだけどね。まあ強いて言うなら、この魔窟はクレストフ君の存在と密接に関わっているのだろうから、彼がここだと感じる要素があるならここしかないと思うよ」
ムンディ教授はこちらを窺うような視線を向けてくる。そう言われれば心当たりがないわけでもない。
「昔、俺が整備していた鉱山の坑道によく似た光景ではある。そういう意味では無関係とは思えない」
「だとしたら、決まりだね。正しいか否かは問題でないよ。ここを探索しない選択肢はない」
「ふん。まあ、いいわ。それで、すぐにこの洞窟へ入るのかしら? それともここで少し休憩する?」
俺とムンディ教授の会話で少しは納得できるところがあったのか、ミラもこの白亜の洞窟を探索することに異論はないようだった。
ただ、俺達はここまで休みなく第七階層を戦い続けてきていた。レリィは不気味なほどに平気な顔をしているが、体調の悪い俺はさすがに限界だった。
「休めそうなら休もう。とてもじゃないが、今の状態で未知の領域へ踏み入るのは厳しい」
「そう、それじゃあまた天幕の準備をしましょうか。粘菌共が追ってきていないか、警戒は厳重にしながら休むのだわ」
「あぁ~……! やっと、休めるんですね……」
「メグ、へとへとですー」
「う~ん! 戦いながら歩き続けて疲れちゃったわ。体を洗ってぐっすり眠りたいわ~」
皆、それぞれに限界だった。休めるときには休まなければ。急ぐ旅路とはいえ途中で力尽きては元も子もない。
「あたしは結構、平気なんだけどな……。見張りしてよっか?」
軽く言い放ったレリィの言葉に、全員が戦慄した。
「いやいやいや、レリィ君。休んでいたまえ。見張りなら僕がやろう。第七階層では大して働いていなかったからね。この辺りは断崖を背にできる地形だし、気を付けるのは森の方面と洞窟の入り口だけ。それくらいの周辺警戒なら僕一人の探知術式で十分に対応できるよ」
「そうですよ、レリィさん。先ほどまで一番、動き回っていたじゃないですか。この先も何があるかわかりませんし、一番の戦力なんですから休んで体力万全にしておいてくださいよ」
ムンディが慌てて見張りを志願し、ヨモサが手を引っ張って、周辺の哨戒に出ようとしたレリィを引き留める。
「レリィお姉さま、半端ねーです……。メグはもうダメです……」
メグに至っては自分の体力と比較して理解の範疇を超えてしまったのか、白目を剥いて立ち尽くしている。
「えぇ~……そこまで言われたら、仕方ないか……」
どうしてそこで残念そうにするのか。俺も引くわ、この体力お化けには。
丸一日の休息を取ったことで俺を除く全員の体調は万全な態勢となっていた。
俺自身もメグからもらった薬剤を服用して、身体能力を補助する術式を重ねがけしたことで平常時と変わらない程度には体調を整えることができた。しかし、それは薬と術式を使ってようやくその程度ということで、これ以上の体力向上は望めない状態でもあった。何か不測の事態があれば、対応するのは難しいかもしれない。
(……まあその分、絶好調のレリィが埋め合わせてくれそうだから心配はないか……)
超高純度鉄の装備と相性がいいとわかったレリィは、今まで意識していなかった同素材の鎧にも闘気の巡りをよくすることで、攻守ともに無駄のない闘気の運用ができるようになっていた。
これまでのレリィは闘気の出力こそ一流騎士といえたが、持続力に難があった。どういう仕組みかわからないが、レリィは髪の毛に魔導因子を蓄積し、必要なときに封印の髪留めを外すことで闘気へと変換できる魔導回路を体内に宿していた。八つに結い分けられた髪留めを全て外せば一流の騎士に匹敵する戦闘能力を発揮したが、髪の毛に蓄積した魔導因子は短時間で枯渇して闘気を発することはできなくなってしまう。
その代わり闘気を使い切れば『魔導因子収奪能力』が働いて、レリィ本人はそこそこ戦い続けることもできた。しかし、それをやられると周りにいる味方の術士が無力化されてしまうので扱いに困る面があったのだ。
だが超高純度鉄の装備によって闘気の効率的な制御ができるようになったことで、その持続力という弱点もほぼ
(……それでもこの先さらに険しくなるだろう魔窟の難度を考えたら、そろそろ『あいつ』の協力も必要になってくるな……)
予定ではとっくに合流しているはずだった同行者のことを思い浮かべながら、俺は仕方なく催促の手紙を送還術で直接送りつけることにした。
「……魔窟の情報をやるから、とっとと追いついてこい。と……」
「あれ? クレス、手紙なんか送るの? 誰?」
「お前もよく知っている奴だ。遅刻の常習犯だからな。しつこいくらいに連絡をしないと返事もしない。向こうに届くと同時に火薬が炸裂する仕掛けを施したから、今度はさすがに気が付くだろう」
「そんなことして大丈夫なんですか……? クレスさんの常識を疑ってしまうのですが……」
心配そうに俺の手元の手紙を覗き込むヨモサをよそに、俺は迷わず手紙を送還してしまう。手の中から黄色い光の粒が舞い上がり、手紙は一瞬で消失し目的地へ向けて送られた。
「……さて。万全の体調とは言い難いが、ひとまずの準備は整った。これ以上の遅れを出すわけにはいかない。先へ進むぞ」
「先へ、先へって……。もう少し体を休めてからにしてほしかったけど、仕方ないなぁ。クレスはなるべく体調回復に努めてよ?」
「今回もお前に頼ることになるな。戦闘は任せたぞ」
「……っ!? ま、任せなさいっ!!」
どん、と胸を叩いて「うっ!?」と咳き込むレリィ。下手に気負い過ぎて空回りしなければいいのだが。
少々の不安を覚えながらも、俺達は次の階層への入口と思われる洞窟へ足を踏み入れた。
「ところでクレスさん。次の階層ってどんな場所なんですか?」
おっかなびっくりの様子で後を付いてくるヨモサが魔窟の情報について尋ねてくる。第十階層まではギルドの調査隊による情報があって、ギルド支部の講義で俺とレリィはその内容を聞いていた。レリィは半分以上寝ていたので覚えていないだろうが、俺は次の第八階層の情報もしっかり頭に入っている。もっとも、十階層に近づくと得られる情報は断片的なものに限られ、どこまで信用できるかは怪しい。
「次は、第八階層『迷い猫の散歩道』だな。白亜の石壁が続く迷宮、ということだから、やはりこの洞窟のことで間違いなさそうだ。ただ、これまでの階層とは決定的に『質』が違う、という話は聞いている」
「なんだか可愛らしい名前の階層なのねぇ~。猫ちゃんの魔獣が出てくるのかしら?」
「ちゃかすな、メルヴィ。そう可愛らしいものであるはずがないだろ。ギルドの情報によると、この階層は複雑な地形になっているそうだ」
「なるほど? それで迷い猫、というわけかい? だけどそれだけで質が違うとまでは言わないだろうね。何かありそうだなぁ、この階層には」
ムンディ教授が実に楽しそうに、浮き浮きとした足取りで洞窟を進んでいた。メルヴィも緊張感が足りないが、この人も危機感がなくて不安である。さすがに複雑な洞窟の中で迷いでもされたら、探し出すのは一苦労になる。
「ムンディ教授の言う通り、この第八階層は特別だ。ここには雑魚の魔獣が一切出てこない、徘徊する階層主だけが存在する特殊な階層だとか」
「確かに魔獣の姿は見かけないわね。いまのところ階層主の姿もないのが不気味だけれど」
洞窟に足を踏み入れてからというものミラは普段よりも警戒を強めていた。それというのも、この白亜の迷宮は入り組んでいて探査術式が遠くまで届かないからだ。かなり魔力濃度の高い石壁に幾重も阻まれているためだろう。
先頭を行くレリィの首にかけた
「でも他の階層と比べて楽ちんですー」
「階層主と遭遇しないで通り過ぎられるといいんですが……」
楽観的なメグは早くも気を抜いていた。ヨモサは希望的観測にすがるも、根っからの心配性なのかこのまますんなり進めるとは思っていないようだ。おそらく今回はヨモサの不安が当たるはず。
「ここ第八階層が他の階層と決定的に違うというのは──」
「ちょっと待ちなさい。斥候に出していた魔導人形の反応が消えたわ」
俺の説明を遮ってミラが注意を促す。全員が立ち止まり、警戒態勢を取る。
全員に理解させるため、俺は先ほどの説明をあえて繰り返し伝えた。
「まあ、すんなり進めるわけもない。なにしろこの階層の特徴は……」
──にゃぁ~ん……。
どこからともなく奇妙な猫の声が聞こえてきた。
それと同時に
第八階層『迷い猫の散歩道』。その決定的な質の違いとは──。
「階層主との戦闘を『絶対』に避けられない」
ギルド調査隊の伝えた重要情報の一つ。それは階層主と確実に遭遇して戦闘になる、という今までの階層にはない特徴だった。
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