第319話 唯一無二の武器
『第七階層・腐蝕の沼』は、とにかく粘菌達の楽園だった。
多種多様な粘菌が無数に飛び掛かってくるのを、全員で打ち払い、焼き払い、吹き飛ばしながら、あるいは凍り付かせて踏みつけながら、足を止めずに走り抜ける。
(……第五階層の『アシナガ』といい、この階層といい、追い立てられてばかりだな……くっ――)
走れば呼吸は荒くなり、刺激された気管が激しく咳を吐き出させる。
ふらついた俺に向かって小さな粘菌が飛び掛かってきた。それを横から伸びてきた水晶棍が掬い上げるようにして遠くへ殴り飛ばす。
「悪いな……今のは助かった……」
「喋らないでいいから! それよりクレス、これどうにかならない!?」
戦いながらレリィが水晶棍を掲げて見せる。よく見れば打撃部である六角水晶がグズグズに溶けて細くなっていた。
「水晶を腐食させるような粘菌まで混ざっているのかよ……少し待て。走りながらだが、なんとかもう一本、武器を作る」
「お願い!」
レリィはこの場を支える貴重な戦力だ。武器が壊れて実力が発揮できないようでは困る。
はぁはぁ、と荒い息をどうにか飲み込むようにして鎮め、意識を集中する。
(――組み成せ――)
『六方水晶棍!!』
意識制御を加えて水晶棍をやや太めに造形してやる。水晶が腐食されるといっても一瞬で溶かし尽くされるわけではない。ならば腐れしろを余分に多く盛っておけば、幾分か長持ちするはずだ。
「レリィ、こいつを使え! 少し重いが、いけるな?」
「大丈夫、ありがと! 大事に使うから!」
「構わないから、使い潰せ。俺がまともに戦えない今、武器はいくらでも作ってやる」
翠色の闘気に包まれた水晶棍が大きく横薙ぎに振るわれ、迫り来ていた粘菌の群れを一気に吹き飛ばす。これでしばらくレリィも問題なく戦えるだろう。
「いや~ん! ちょっともう、なにこの粘菌は~!?」
間延びした声が耳に入り、そちらを振り向くと上半身素っ裸のままで走るメルヴィの姿があった。
べったりとメルヴィの胸元に貼りついた粘菌が、じわじわと彼女の衣服を腐食させている。
「『
「えぇ~!! 気持ち悪い~! クレスお兄さんが取ってー!」
「こんなときにふざけている場合かっ……げほっ!」
思いきり怒鳴ってしまってから、たまらずに咳き込む。
そうこうしているうちに慌てた様子でヨモサが、メルヴィの胸元から腐蝕粘菌を引っぺがしてその辺に放り捨てた。ヨモサの籠手は赤毛狼の毛皮で覆われているので、植物繊維を溶かす腐蝕粘菌に対しては耐食性がある。
「あら……、参ったわね。ちょっと、ヨモサ。私の方もこの粘菌、引き剥がしてくれないかしら」
あまり困った様子には聞こえない落ち着いた声で、ミラがヨモサに手助けを求めていた。こちらも腐蝕粘菌にやられたのか、衣服を失って魔導人形の素体が露わになっていた。人形の体なので恥じらいも何も一切ないが。
「植物繊維を溶かすだけの腐蝕粘菌だからいいものの……。時々、
これほどまでに多くの粘菌に群がられては、完全に身を守り切ることは難しい。全員が徐々に満身創痍の様相に変わりつつある。
そんな状況で、目の前を先導するように進んでいた巨群粘菌が突如として動きを止めた。
「なにっ!? なぜ止まる!? 動けっ!!」
魔蔵結晶を通じて俺の命令を強く飛ばしても、巨群粘菌は岩にでもなったかのように固まってしまった。
「どうしたのっ!? 何で止まっちゃったの!」
「わからん……突然、俺の言うことを聞かなくなった」
「クレストフお兄様! あれ! たぶん、あれです! 大きな粘菌さんの中で、別の粘菌が菌糸を伸ばしているのです!」
メグの指摘があった通り、巨群粘菌の中で何か別の粘菌らしき影が蠢いていた。本来なら巨群粘菌に取り込まれた段階で消化されてしまうはずなのだが、その粘菌はむしろ巨群粘菌の体内で増殖しているようだった。
「畜生め……『
これまで道を切り開いていた巨群粘菌が使えなくなったばかりか、道を逆走して俺達に向かって襲いかかってくる。
「あれ、もうダメだよね? 倒すよ?」
「すまん、後始末を頼む」
「わかった! こぉのぉおおおっ!!」
力の限りを振り絞った水晶棍の一撃が巨群粘菌の体に叩き込まれる。巨群粘菌の体が一部吹き飛んでなくなるが、ここに至るまで他の粘菌達を吸収して巨大化した巨群粘菌の体にとっては一割程度の損耗でしかない。
「一発でダメならぁっ!!」
振りぬいた勢いを殺すことなく地を蹴り回転しながら、下段より掬い上げ、上段から叩き付け、また横薙ぎに振りぬく。止まることない連撃を繰り出して瞬く間に巨群粘菌の体を削っていく。そして、巨群粘菌の体内に潜んでいた寄生性粘菌も一緒くたに、闘気を込めた水晶棍の一撃で吹き散らした。
「どうよっ!!」
軽く息が上がってはいるが、レリィは見事に巨群粘菌を倒しきった。
ただし、一匹だけだ。
巨群粘菌は複数匹、俺が最初に召喚している。さらには他の粘菌を取り込みながら、大きくなりすぎて動きが鈍くなったものは分裂して数を増やしており、寄生性粘菌に体を乗っ取られた巨群粘菌はまだまだ健在だった。一方で、レリィの持つ水晶棍は今の攻撃で腐蝕し、やせ細り折れかかっていた。
しかも、レリィが巨群粘菌一匹を相手にしている間に、四方八方から粘菌魔獣達が押し寄せてきている。
(……巨群粘菌一匹に時間を取られ過ぎたか。水晶棍も一匹倒すごとに消耗していては効率が悪い……)
他の皆も押し寄せる粘菌をどうにか退けてはいるが、レリィが十分に動けていないと押し返すのは難しい。
――何か、何か打開策はないか?
熱で朦朧とする意識を必死で保ちながら、俺は考え続けた。
体調が最悪で、意識のはっきりしない俺が大規模な術式を行使するのは危険だ。どうにもならなければ暴走も覚悟でやるしかないが、それでなければやはり、レリィの力を最大限に活用してこの場を乗り切りたい。
「クレス!! もう、武器がっ!!」
レリィが握る水晶棍は半ばから折れていた。武器を用意してやらなければならない。すぐに腐蝕してしまう水晶棍では、レリィが武器の状態に気を使って力を抑えてしまう。別の武器の方がいいか、と考えながら、武器の交換のため傍まで近づいてきたレリィを見たところで、俺は一つの可能性を見出した。
レリィの装備する超高純度鉄の鎧。粘菌達との戦いでレリィが着る白い胴着はあちこち穴が開いていたが、鎧だけは一切の曇りなく輝きを保っていた。この特別製の鎧に使われている超高純度鉄は、
俺は
(――組み成せ――)
『
飾り気のない銀色の武骨な棒が一本、生み出される。隕鉄の魔蔵結晶は武器の一部となって溶け消えた。『
「こいつを使え! 武器に気を使う必要はないぞ。思う存分に戦え!」
思いきり声を張り上げて、俺は激しく咳き込む。ただ、伝えたいことは伝えられた。これで――。
銀色の杖棒を翠の闘気が包み込み、ただの一振りで巨群粘菌の一匹を消し飛ばした。
その光景に誰もが目を見張り、粘菌に囲まれた危機的状況すら忘れて息を呑んだ。レリィに武器を渡した俺も予想外の威力に思考が停止する。
「手に……馴染む! 闘気が通りやすい!!」
元よりレリィの闘気は強力だ。それで拳を包み、思いきり殴りつければ巨群粘菌の一部を抉り飛ばす威力はある。その威力をさらに上げる手段として、水晶棍には闘気の威力を増幅して破壊力を増す特性が備わっていた。この場にて即興で創った『真鉄杖』にもそうした特性は持たせている。しかし、これは水晶棍のそれとは違う。明らかに水晶棍のときよりも高密度の闘気が杖棒にまとわりついていた。尋常でない精密さで闘気が制御されている。
――これは、当たりだ。
騎士と相性のいい武器というのはあるものだが、極まれに形状のみならず素材や特性が奇跡的な相性の一致を見せて、他の武器とは桁違いの威力を発揮することがあるという。
『真鉄杖』こそが、レリィにとって唯一無二の相性武器だったのだ。
「これなら、やれる!!」
翡翠色の光が、軌跡を残して縦横無尽に暴れ狂う。一つ、二つと巨群粘菌の巨体が弾け飛び、押し寄せる粘菌の波が引いていく。
「ふわぁああ……。レリィお姉さま凄いのです……」
「やぁ~、爽快だねー」
レリィの快進撃に手を止める余裕すらできてしまったメグとムンディが、思わず気の抜けた声を漏らした。
「こら、手を止めないの。すぐ近くの地面から湧いて出てくる粘菌もいるのだから」
魔導人形を複数体操りながら、ミラはレリィが雑に処理して残った粘菌や新たに湧いた粘菌を潰して回っていた。メグとヨモサもモグラ叩きのように散発的に湧き出る粘菌を潰しながら歩いていく。ムンディ教授はあまりこうした地道な戦闘が得意ではないので手を出さないでいるようだ。
余裕ができたところでメルヴィが氷結系の術式で氷壁を作り、進むべき道を囲ってくれたのでもはや走り抜ける必要もなくなっていた。
「術式行使の負担は平気か、メルヴィ?」
「んん~? 心配してくれるの? クレスお兄さん、優しいのねぇ~。でも大丈夫よ。メルヴィの体は魔導回路の負荷が小さくなるように、素体から手を加えているからぁ。普通の術士よりはよっぽど術式使用に対する耐久性が高いの」
「まるで自分の体が魔導人形かのように話をするんだな。
「ちょぉ~っと? クレスお兄さん、女の子の体の秘密を暴こうとするなんて、えっちよぉ? どうしても聞きたいっていうなら、夜に一緒のベッドで……」
「ごほっ! ごほっ……!! あぁ~、もういい。答えなくていいぞ。興味が失せた」
「えぇ~っ!? 自分から聞いておいてそれはないわぁ~」
不満を垂らしながらも、きっちりと術式の行使を継続しているメルヴィ。この様子ならまだ平気だろう。
少し心配なのは先ほどからずっと闘気を保って戦い続けているレリィの方だったが、よく観察すれば彼女も全力で動いているわけではなかった。つい先ほどまでは全力の闘気で戦っていたようだが、戦線が優勢となってからは力を抑えている。八つ結いの髪の毛に貯めた魔導因子は、今はその封印のうち二つだけ解かれていて、持久戦を見越した闘気の出力になっていた。それにも関わらず、精密制御ができるようになったことで無駄に拡散する闘気が減り、攻撃力は封印四つ分のときと大差ない。
(……単純に闘気での戦闘効率が倍加したわけだ。レリィが二人に増えたようなものだから、形勢が逆転するのも当然か……)
あまりに急激な能力向上に怖くなるくらいだ。
「やっぱりねぇ……騎士にしても規格外だわね、あの娘は……」
独り言のように呟いたミラの言葉は、どうしてか俺の心をざわつかせた。相棒の騎士が強いことは悪いことではない。ましてや契約を交わした専属騎士だ。裏切られる心配もない。
(……俺は、恐れているのか……?)
体が弱っているせいで、気も小さくなっているのかもしれない。
ごほっ、と小さな咳が一つ出た。
風邪で俺の体調がすぐれない状態にありながらも、一行は守りを固めつつ歩を進めた。
途中、思い出したかのように粘菌の波が襲ってきたが、ことごとくをレリィが吹き散らしながら第七階層を攻略していく。
やがて蠢く粘菌が姿を消し、木々の植生が変化してきたところで、俺達は大量の蔓植物に半ば呑まれた人工物の痕跡を目の当たりにした。丁寧に継ぎ目を塞がれた白亜の石壁で囲われる洞窟。新たな魔窟の入口に俺達は辿り着いのだった。
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