第315話 疑惑のまなざし

 第六階層『巨人の寝所』を後にした俺達は、続く第七階層を目指して樹海の中を進んでいた。

 ギルドの情報では、先行した調査隊によって森の各所に『番号座標』の魔導刻印を施された楔が打ち込んであるらしい。ギルドから情報を買っていれば、その番号座標に干渉して第七階層へ向かう道を迷わず見出すことできる。当然、既に情報を得ている俺は番号座標の固有波動を探査しながら、迷わず森を進みつつあった。


「あ! 見てくださいー! 泉がありますぅ。綺麗な湧き水ですよぉ。少し休憩していきませんかー?」

 隣を歩いていたメグが、進行方向からやや外れた場所に綺麗な水が湧き出ている泉を見つけた。ここまで湿った枝葉の生い茂る鬱蒼とした森を歩き続けてきたので、全員が汗と湿気で体を濡らしていた。

 ここまで体が濡れているのならいっそ、休憩がてら泉で水浴びするのも悪くない。

「『巨人の寝所』では巨人に囲まれていて気が休まらなかったし、ここらで少し体を休めていくか……」

「はーっ……!! やったー! 休憩ですぅ~! 森歩きもいいかげん、うんざりでしたからねー。足が棒ですぅ」

「賛成~。体の疲れが溜まってしょうがないよ、もうー」

「珍しいな。体力が取り柄のお前がそんなに疲れ果てるなんて」

「いや、どれだけ戦わされていると思っているわけ? 騎士だろうとなんだろうと、そりゃ疲れるよー」

 レリィが年をくったおっさんのような台詞を吐きながら、近くの木陰に座り込んだ。すぐ隣にメグも座り込み、そのまま仰向けに四肢を投げ出して寝転がる。


「気を抜きすぎではないの? ここは魔窟の中なのでしょう?」

「もちろん、休む前に警戒は念入りにしておく。周辺の索敵と防衛術式の設置まで済ませるぞ」

「しばらくの時間ここで休むのなら、防衛術式の構築は僕も手伝うよ」

「仕方ないわね。ムンディのボケ爺に任せるのも心配だから、私も二、三体、魔導人形を警戒に出すわ」

「君は一言、余計だね……」

「ん~……そういうことならお任せして、メルヴィちゃんは一足先に泉で水浴びさせてもらおうかしら?」

「待て待て。泉の中にも何がいるかわからないぞ。せめて索敵が終わってからにしろ」

 今にも服を脱いで泉に飛び込みそうなメルヴィを捕まえて引き戻す。

「や~ん! クレスお兄さんに捕まっちゃった~!」

「いいから、静かにしてろ……」

 木陰で休んでいたレリィが疑わしい視線でこちらを見ている。何か妙な誤解をしていそうな目だ。


 俺は周りの人間に振り回されまいと、意識を集中して透視の術式を発動する。左耳につけた天眼石アイズアゲートの耳飾りが、魔導回路に仄かな光を灯して輝く。

(――見透かせ――)

『天の慧眼!!』

 視界が急速に明暗を主とした光景に切り替わり、風景の一部を透過して見通す。相変わらず魔窟の地面や断崖などは透視できないが、森の木々や泉の水ははっきりと透過することができるようになった。揺らいでいた水面も影響なく底まで見通せている。

 『天の慧眼』の術式は魔導因子を媒介として物体を透視する術だ。魔獣でも潜んでいれば、漏れ出る魔導因子の軌跡と痕跡から一発で存在を看破できる。

 俺はぐるりと辺りを見回して、異常がないことを確認した。

「見たところ、この辺りに妙な魔獣が潜んでいたりすることはなさそうだな」

 遠くから魔獣が近寄ってこないとも言えないが、今すぐに魔獣と遭遇して戦闘になるといった恐れはないだろう。


 むしろ、異常があるとすればどうしても視界に入ってくるレリィの姿だ。彼女の体内には無数の魔導回路が細かく精緻に刻み込まれている。それはとても人の手で施されたとは思えないほど複雑難解で、かつ完成度の高い魔導回路だった。

 レリィと組んでからだいぶ経つが、俺は彼女の体に刻まれたこの魔導回路がずっと気になっていた。事あるごとにその魔導回路を盗み見てはいたが、術式の構成をまるで理解することができなかった。おそらくは古代魔導技術の応用だろうとは思うが、だとすれば誰がどうやってレリィにそんな魔導回路を刻んだのか、わからないことが多すぎる。レリィ本人に聞いても自分の体がどういう状態にあるのか全く理解しておらず、有益な情報はほとんど得られなかった。


 レリィは人並み外れた闘気を発するが、それは魔導因子を体内に刻み込まれている魔導回路へ流すことで生成される特殊な闘気だ。本来なら術士が操る魔導因子を自身の髪の毛に貯蔵し、一気に解放することで爆発的に闘気を放つことができる。また、髪の毛の魔導因子が枯渇すると、周囲の空間から魔導因子を吸収し始めるというデタラメな能力まで有している。

 通常の騎士は、始めから体内で闘気を練り上げて発生させるが、このとき当然の如く魔導因子を媒介することはなく、人が体から熱を放出するようにごく自然と闘気を発生させている。

 騎士としてはレリィ一人だけ、全く違う闘気の発現方法を行っていることになる。そんな例は他に見たことも聞いたこともなかった。そして、魔導回路を使って闘気を発生させるというのなら、それは厳密に言えばレリィは術士ということになってしまうのだ。しかも、一級術士の俺でも真似できない超高度な古代魔導技術を体に宿しているのだから、レリィの出自も疑おうというものだ。

 こいつは本当に、あんな僻地の村で生まれたのだろうか、と。


 おかしな話であった。

 人体に魔導回路を埋め込むのはそれほど珍しいことではない。しかし、全身に回路を張り巡らせ、魔導因子を闘気へと変換する機構は他に類を見ない。そんな変換機能を持った魔導回路は、これまでに発見されたことがないのである。

 可能性としては彼女の母親が術士だったそうだから、娘の体に魔導回路を刻みこんだのではないかと一番疑わしいのだが、当のレリィにはそのような施術を受けた心当たりがないらしい。そもそも、闘気を生み出す魔導回路など発明していたら、無条件で一級術士に昇格間違いなしだ。それほどの術士が無名で、田舎の村に隠遁していたとは考えにくい。

(……何か裏があるのだろうな。真っ当ではない理由が……)

 考えられるのはレリィが住んでいた村の近くにあった古代遺跡。守護者ガーディアンが稼働していたあの遺跡で、レリィの両親は亡くなっていた。

 あの時に調べた限りでは、遺跡の機能はわからないことだらけだった。それは何の手掛かりもないところから、遺跡の機能を推察しようとしていたからだ。もし答えがわかっていて、もう一度調べたならどうだろうか? その答えが、レリィの特異体質にあるとしたら……?


 レリィの特異体質、その背後にあるものを想像しながら俺は無自覚にレリィの体を眺めていた。

「あ……えっと……。クレス? なんであたしをそんなに……見てるのかな?」

「あら~ん? クレスお兄さんてば、目つきがいやらしいわぁ。透視の術式、使っているでしょ~? レリィお姉さんの体を透かし見て、何を想像しているのかしらぁ?」

「えっ……!? ちょっ……!! ク……! クレスのへんたいーっ!」

 恐ろしく早い手さばきでレリィの平手が迫り、俺の頬を強かに叩く――寸前で防衛術式が発動し、レリィが弾き飛ばされてひっくり返る。何をやっているんだ、こいつは。というか防衛術式が発動するほどの威力で殴ろうとしたのはおかしいだろう。

 何段階か仕込んでおいた防衛術式のうち、発動したのは軽い打撃を退けるだけの安い術式だ。とはいえ、攻撃を仕掛けた相手を軽く弾き返すぐらいの力はある。レリィもたぶん、本気で腰を入れて殴ろうとしたわけではなかったのだろう。それで体勢を崩して、大きく尻もちをついてしまった。


「お前、いきなり手を上げるとかおかしいだろう?」

 透視をしていたのは事実なので、なんとなく悪い気がして手を差し伸べるも、レリィは顔を真っ赤にして縮こまり手を取ろうとはしない。

「わっ、わーっ! 見ないでよ、この、覗き魔! 痴漢!! たまーに、クレスから変な視線を感じると思っていたけど、まさか透視の術式で堂々と人の体を覗いているとは思わなかったから!!」

「いや、別にそういうつもりはなかったんだが……。ただ、お前の体の構造が気になって……」

「うわーん、なにそれ! やっぱりー!!」

「今更、騒ぐことか? 普段から薄着で俺の前をうろついているお前が」

「普段じゃないし! 宿でくつろいでいる時だけで、服も身に着けているでしょ!? でもここは野外で、服を透かしてみているとか、全っ然! 状況違うから!!」

 なるほど、確かに状況が違う。それゆえの恥じらいか。

「あ~ん! 私もクレスお兄さんに見つめられているかと思うとぉ、体が疼くわぁ~」

 俺とレリィのやり取りを囃し立てるように、メルヴィはわざとらしく体を捩りながら、紫檀の杖を股に挟んでいる。口から荒い息を吐き出し、頬を上気させていた。こいつはやはり変態だった。


「あの……クレスさん。本当に、透視の術式で服を透かして……?」

「クレストフお兄様……そんな獣欲を秘めた眼差しでメグ達のことを……」

 ヨモサとメグが身を寄せ合って、不安そうな表情で俺を見ている。いや、これはもう不安とかそういうのを超えて、不快、嫌悪、侮蔑といった感情が全て入り混じったような感じか。下手な言い訳は通用しそうにない。

「……そうだな。この術式を使っていると確かに透けて見える。お前たちの体も骨や内臓まで、見事に透けて見えているぞ」

「あ……透視って、そういうふうに見えているんですね」

「あとは魔導回路とか、魔力の流れが濃淡で『視える』んだ。特にレリィの体は特殊で、体内に複雑な魔導回路のようなものが視えるから、もう少し詳しく観察をだな……」

「だめーっ! そういうのだめっ!! 早くその術式、解いて! こっち見ないでーっ!」

 結局、レリィには激しく拒絶されてしまった。



「……くそ。あと少しで何か考えがまとまりそうだったのに。レリィの体内にある魔導回路の特徴がわかれば……」

「ダメだからねっ!!」

 レリィの体の謎は、騎士の闘気の力を解明する手掛かりになるかもしれない。しかし、こうも頑なに拒まれては仕方がない

「レリィの体を調べるのは『今回は』諦めるとして……。お前の住んでいた村の近くに遺跡があっただろう? あの遺跡について、子供の頃はどんな様子だったか、何か覚えてないか?」

「うぅ~……全然、懲りてないよね?」

「教えろ。あの遺跡がもしかしたら関係しているかもしれない」

「話を逸らそうとしてないかな? 油断させてまた、あたしの体を調べようとしてない?」

 レリィはすっかり警戒していてまともに話にならない。

 その代わりというべきか、これまで黙って事の顛末を見守っていたミラとムンディが会話に加わってくる。研究者魂が疼いたのだろうか。


「騎士であるその子が体内に魔導回路を有しているっていうだけで驚きなのだけれど、それが彼女の騎士としての力になっているというのかしら?」

「うんうん。興味深い話だね。騎士の体に魔導回路を刻むこと自体は、別に珍しくもないけど。それが彼女を騎士たらしめているのなら、話はとんでもないことになるね」

「魔導回路によって闘気を生み出す……。古代魔導技術の遺産絡みかしらね。古代の戦士は人工的に体を調整されて、堕ちた神々を滅ぼすための闘気を身に宿したとされているわ。現代の騎士は彼らの末裔だと言われていて、それが先天的に騎士になれるものとなれないものをわけるっていう仮説だわね。根拠の薄い伝承だと思っていたけど」

「随分と核心に迫った発言をさらっと言ってくれるな。俺も騎士の闘気についてはかなり調べたが、そんな伝承は聞いたことがないぞ」

「それはそうでしょうよ。この話はどちらかというと神話に近いお話。クレストフの坊やが大真面目に調べるような資料じゃないもの。まあ、私もこの手の研究は、自分の体をいじりながらよくやったものだわ。全くものにはならなかったけれどね。その成功例がこうして目の前にあるだなんて……」

 ミラも信じてはいなかったようだ。今この時、レリィという例外の騎士を知るまでは。


「ねえ、私も興味が出てきたわ。レリィあなた、子供の頃にその古代遺跡とやらに関わった記憶はない? ひょっとしたらそれが、あなたの体に魔導回路を刻んだ古代の施設かもしれないわ」

「んー……。遺跡に行ったことはないよ。そもそもあたしが遺跡の場所を知ったのは、クレスが村に来たときだからね」

「本当にそうかしら? 子供の頃、それもまだ記憶が曖昧な小さい時に、親に連れられて行ったことは?」

「えー……? そこまではわかんないかなぁ~……。でも、両親から遺跡の話は一度も聞いたことがないし」

「一度も?」

「うん。一度もないね。知っていたら二人が行方不明になった後、真っ先にそこを探していたよ」

「あらまあ。あなたの両親、行方不明なの?」

「ついこの前、クレスが村に来て遺跡を発見したときに見つかったけどね」

「死体でな」

 ミラがおかしな誤解をしたまま根掘り葉掘り聞きだしそうだったので、俺は一言補足を加えた。しかし、気まずい話を聞かされてもミラにとっては些細なことなのか、気にしたそぶりも見せず質問を続けた。


「あなたの両親は考古学士だったりするのかしら? 遺跡調査をしていたとか?」

「どうだろう? 母さんは術士だったらしいけど遺跡調査が専門なのかはわからないかな。でも、二人を遺跡で発見できたってことは、昔から調査はしていたのかもしれないなぁ……。度々、二人で森に入ることもあったし。父さんは猟師だったから当然として、術士の母さんまで揃って森に出かけるのは狩り以外の理由があったのかも」

「そう……。そうなのね。術士だったと」

 ミラは意味ありげに何度か頷くと、レリィの髪留めに縫い込まれた魔導回路に手を添えて、間近で細かく観察を始めた。


「よくできた魔導回路だわ。これだけの仕事ができる術士なら、古代魔導技術の眠る遺跡の存在を知って手を出さない理由もないわね……」

 じっと髪留めに縫い込まれた魔導回路を見ていたミラだが、その視線がある一点でぴたりと止まる。

「この紋様……見覚えがあるわ。銀糸を使った縫い込みの魔導回路、終端部分の組み方に癖がある。ねえ、もしかしてあなたの母親って……二級術士のデニッサではないかしら?」

「え? なんでミラさんがあたしの母さんの名前知っているの? クレスにも教えてないのに」

「おいおい……。ミラ、あんたレリィの母親を知っているのか……?」

 半ば傍観者的に話を聞いていた俺も、まさかの展開に身を乗り出す。ミラはレリィの髪留めから手を離すと、確信したように頷いて答えた。


「私の弟子よ。独立してからは目立った活動もなかったから、疎遠になっていたけれども。優秀な子だったわ。でも、魔導技術連盟の権力闘争や同業の術士達とのいさかいに嫌気がさして、田舎へ引っ込んでしまったの」

「その行きついた先が、レリィの育った村だと……?」

「そういうことなのかしらね。引っ込んだ田舎に偶然、古代遺跡があったのか。あるいは初めから古代遺跡の研究が目当てでその村を選んだのか。どちらにせよ、デニッサがその古代遺跡と関わっていたことは間違いなさそうだわ」

 興味深い話だ。俺が調査したときは遺跡の機能がどういったものか、大まかなところさえ把握できなかったのだが、人工騎士を生み出す施設であると初めからわかっていれば調べ方も変わってくる。それに、もしかしたらあの村にレリィの母親デニッサが遺した研究資料などが隠されているかもしれない。


「今が魔窟攻略の最中でなければ、レリィの故郷へ行って再度、遺跡を調べてみたいところだな……」

「うんうん……聞くだけでも心躍る研究対象だね。僕も一度、見てみたいな」

「ムンディ、あんたは異界研究の専門でしょうに。人体に関わる古代魔導技術なら、これはむしろ私の専門分野かしら。横やりを入れるんじゃないわよ」

「おやおや、これだから視野の狭くなった耄碌婆さんは嫌だね。分野になんて囚われているから発想が貧困になるんだよ」

「ボケてんのはあんたでしょうが、この異界ボケ爺! 興味の赴くまま手を出すから、研究が中途半端に終わるのだわ。もう一度、実験の失敗で縮んだ自分の体を見直してみたらどうなのかしら?」

 些細なことから言い争いへと発展していくムンディとミラの二人は放っておいて、俺はレリィの意見を聞いてみる。


「レリィ、お前自身はどうだ? お前は、自分の正体について知りたくはないか?」

「え、あたし? う~ん……それわからなくても生きるのに困らないからな~……」

 まあ、それはそうか。興味があるのは研究者ばかり。レリィ本人は生きるのに不都合があるわけでもない。むしろ、弱点に繋がる何かを発見される危険性もあるのだから、積極的になる理由もないか。

「あ……でも……。母さんが何をやっていたか、どんなお仕事をしていたのかは……ちょっとだけ興味あるかな。猟師の父さんと違って、よくわからない人だったから……」

 そういう考え方もあるか。レリィにとっては、古代遺跡の価値も俺達術士とは全く違うものになる。


「ビーチェの探索が終わったら、お前の故郷へ行ってみるのもいいかもな。静かな場所でのんびりと遺跡調査も悪くない」

「……そうだね。それは、いいかもしれないね。あの村にも、そんなにいい思い出があったわけじゃないけど、自立した今なら居心地も変わってくるのかな……」

 レリィにとっても悪い案ではないと俺は考えていた。騎士として立派に大成したのだ。卑屈にならず、胸を張って故郷に凱旋し、両親の墓参りくらいすればいいと思う。

「ま、それもこれも、この魔窟を攻略してからの話だがな……」

 広大な森に囲まれた泉の前で、次の第七階層へ向かう心の準備を固める。


 そんな風に思考の海へ没入しようとする俺の外套をぐいっ、と後ろから引っ張る者がいた。

「ちょっとぉ~、お兄さーん? それで結局、ここの泉で水浴びはしてもいいのかしらぁ?」

 泉での水浴びを止められたまま、ずっと待たされていたメルヴィが我慢の限界とばかり、俺とレリィの間へ強引に割り込んでくるのであった。

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