第313話 白銀巨人

 轟音が過ぎ去ったあと、魔窟の森に不気味なほどの静けさが訪れた。

 誰もがまともな反応をできないでいるなか、ゆっくりと白銀巨人が大金鎚を持ち上げ、べったりと血糊のついたそれを頭上高くに掲げる。

 明確な知性があるのか、白銀巨人は空いた手で自らの胸を叩き、勝利を誇示するかのように『トォ……ロォ……ロォォオオオー――ン!!』と、名乗りのごとく咆哮を上げた。


「あ、ああっ……! ムンディさん!?」

 自分を庇って血肉の池と化したムンディを間近に見たヨモサは、思わずそちらへ駆け寄ってしまった。

 迂闊に近づいてきたヨモサに対して、白銀巨人は素早く腕を伸ばしてその小柄な体を掴み上げる。

「うっ……! は、放して!」

 捕まったヨモサは至近距離でツルハシを振るい白銀巨人を殴りつける。超硬軽銀製の鎧には少し傷がついたものの、当の巨人にはあまり効いていないのか、首を傾げて暴れるヨモサをまじまじと観察している。


 すると何かを探るように、太い指先でヨモサの黄金熊の外套をめくりあげて上から下からと覗き込む。

「な……な、なんですかこれ~!!」

 ひとしきり眺めまわした後、白銀巨人は満足したのかヨモサをしっかりと両手で抱きかかえると、森の奥へと走り出す。

 ヨモサがさらわれた。

「あららー……まずいんじゃないのぉ? ヨモサちゃん、連れていかれちゃったわー」

「すぐに追いかけよう!!」

「待て! メグとムンディ教授を放置してはいけないぞ! 奴は俺とミラで追う。レリィはこの場でメグとメルヴィを死守! ムンディ教授の復活を待て!」

「仕方ないわね……」

 察しのいいミラは状況を理解してすぐに俺の隣へと移動してくる。


「ま、待って、どういうこと!? ムンディ教授、死んじゃったよね!? 復活って何!?」

「忘れたのか!? あれだけ衝撃的な事件を! ムンディ教授は死んでも『復活』する! 時間逆行の呪術だ!」

「あっ……!? もしかして……アリエルが教授を死んだと思い込んだ、例のアレ……?」

 そこまで説明してようやくレリィの顔にも理解の色が浮かぶ。

「ああそうだ。だが、ムンディ教授は一日分の記憶も逆行して失っている。その状態で復活しては、この第六階層の森で迷ってしまうだろう。それに戦力の分散を考えろ。俺とお前が揃っていなくなっては、この場が心もとない」

「クレストフの坊や。そろそろ追いかけないと、私の索敵範囲にも限界があるんだけど?」

 ミラが森の奥を睨みながら追跡の開始を促す。今はまだ魔導人形を遠隔操作して白銀巨人を追尾できているが、どこまでも遠くまでとはいかないのだろう。


「じゃあ、頼んだぞレリィ。メルヴィもな」

「任せて。クレスこそ、ヨモサを取り戻してきてよね!」

「残念だけどメルヴィは足が遅いからぁ、お任せするわ~」

「もう限界よ。追跡を開始するわ!」

 索敵の限界範囲になったのか、ミラは言うが早いか白銀巨人の去った方角へと飛び出していった。そちらには黒鉄巨人がまだ何匹もうろついていたが――。


(――惑わせ――)

視界封呪しかいふうじゅ!!』

 煙水晶の魔蔵結晶を素早く黒鉄巨人に向けて投げ放ち、黒い煙によって視界を奪う呪詛を一斉にかけてやった。

 視界が塞がれて混乱に陥る黒鉄巨人達の間を俺とミラはすり抜けていく。こいつらとまともにやり合っていたら白銀巨人の方を見失ってしまう。ここの後始末はレリィに任せて、俺達はヨモサの救出を最優先とするのだった。



 森の中を逃走する白銀巨人の動きに迷いはなく、どこかを一直線に目指しているようだった。

「いったいどこまで行くつもりかしらね?」

 移動速度を加速させる術式を重ね掛けして、どうにか白銀巨人の背中に追いついた俺とミラは、付かず離れずの距離を保ちながら追跡を続けていた。白銀巨人はとても素早く、距離を詰めながら攻撃を仕掛けるのは至難の業だ。奴が立ち止まってから仕掛けようと考えていたのだが、当の白銀巨人は俺の思惑を知ってか知らずか動きを止める気配はない。


「ひょっとしたら奴の拠点でもあるのかもしれないな」

「心当たりがあるわけ? 以前の『底なしの洞窟』で使役していたトロールにそういう習性があったとか?」

「確か洞窟の決まった一室を寝床としていた気がする」

「じゃあ、そこに到着するまではこうして追いかけっこかしら……」

 憂鬱そうな表情でミラが溜息を吐いた。作りものの魔導人形の体にしては細やかな表情を出すものである。ただ、憂鬱なのは俺も同じだ。


「いつまで続くかわからない追いかけっこは御免だな。レリィ達とあまり離れすぎるのもよくない。ここは魔窟だからな。探査術式が阻まれるような異界に迷い込んだら、番号座標の探知で互いの場所を探るのも難しくなる」

「なら、どうするの?」

「奴が止まろうとしないなら、こちらから仕掛けて足を止めるしかない。なかなか難しいが……」

 水晶の魔蔵結晶を懐から取り出し、白銀巨人の背に向けて狙いを定める。


結晶弾クリスタル・グランデ!!』

 拳大の水晶の礫が木々の合間を縫って白銀巨人の背中へと当たる。惜しくも鎧に当たって弾かれてしまうが、狙いは悪くない。続けて、一発、一発、断続的に結晶弾を撃ち出していく。

 次弾は木の幹を抉って軌道がずれて外れ、三発目はまたしても鎧に弾かれる。

「全然、うまいところに当たらないじゃないの」

「走りながら撃っているんだ。そうそう狙いが付けられるものじゃない」

 言いながら撃った四発目が白銀巨人の尻の辺りに着弾した。白銀巨人は「グオッホッ!?」と小さく叫びながら軽く飛び跳ねたが、走る速度は変わらずに逃走を続けている。


「一発程度では振り向きもしないか。ならどこまで我慢できるか、追跡しながら撃ち続けるまでだ」

 五発目の結晶弾が左腿に着弾。貫通した様子はない。どこまで弾が潜り込んだか知れないが、白銀巨人はまた小さな叫びを上げただけで速度を落とさず走り続ける。

「効いているのかしら……? どうなのかしら?」

「わからないが、痛みを感じて反応しているようではある。無視できないほどの数だけ攻撃が当たれば、立ち止まらずにはいられなくなるだろ」

 気のせいか白銀巨人の動きが左右に振れるようになり、大きな的となっている巨躯を木々の陰に隠すような動きをし始めたように見える。

 六発、七発、八発と今度は連続で結晶弾を撃ち出した。二発は樹木に阻まれたが一発は白銀巨人の後頭部に当たった。ガンッ、と奇妙な造形をした白銀の兜に結晶弾がめり込んでいる。ちらり、と白銀巨人がこちらを見返した。

 その振り返った眼球に狙いを定めて、ここぞとばかりに結晶弾を五発、散弾式に撃ち出す。一斉に飛んでいった五発の結晶弾が白銀巨人の顔面を襲い、そのうちの一つが見事に眼球へ直撃した。


 ――ホオォォオオオオオオッ!!


 耳をつんざく咆哮を上げ、ついに白銀巨人が逆走を始めて怒りの突撃を仕掛けてくる。

「うまくやったものね。これでようやくまともに戦えるわ」

「ああ、だが……ここからが問題だな」

 白銀巨人は片手にヨモサを握っている。これでは人質を取られながら戦うようなもの――と、思った瞬間に白銀巨人はヨモサを遠くへと放り投げた。

「へきゃあぁあああっ!?」

 馬鹿な。これまで後生大事に抱えていたヨモサをあっさり放り捨てるとは。

 予想外の動きに俺がヨモサの飛んでいった方向に目を奪われていると、ミラから鋭い叱責が飛ぶ。

「よそ見しないの! すぐに来るわよ」

「わかっている! だが――」

 白銀巨人へと視線を戻したとき、視界の隅でヨモサが木々の陰から伸び出た大きな腕に捕まるのが映った。

(――あれは!? 仲間がいたのか!!)


 ヨモサは別の巨人に投げ渡されて、俺達は身軽になった白銀巨人と正面対決することになっていた。このままではヨモサを見失ってしまう。

「ミラ!! ヨモサを追え!! あのままだと逃げられる!!」

「はぁ? ……あぁ、なんてことなの。わかったわ。この場は坊やがどうにかしなさい」

 大金鎚で殴りかかってきた白銀巨人をひらりとかわして、ミラはヨモサを捕まえて運ぶ別の巨人を追った。そして俺はただ一人、第六階層の階層主『白銀巨人』と相対するのだった。



 連続で撃ち出された結晶弾を振り回した大金鎚で弾く白銀巨人。真正面からでは容易に見切られてしまう。

(――妙に戦闘技能の高いトロールだ。こいつはどこかで『学んで』やがるな……)

 トロールがいったいどこで身に着けた武術だというのか。その答えに多少なりと思い当たる節はあったのだが、俺はあえて考えないようにしながら、戦闘を継続していた。こちらが気を使ったところで、相手方が同じように手加減をするとは思えなかったからだ。

 相手は魔窟に巣くう魔獣だ。手心を加えることなどないはずである。

 冷静に、敵を倒すためのあらゆる手管を考えながら術式を展開していく。


(――共有呪術シャレ・マギカ――)

筋力増強ムスクル・ストレンジ!! 加速アッチェレラティオ!!』

 術式を封じた水晶の魔蔵結晶を最大出力で発動させると、全身の筋繊維の一本一本にまで魔力が浸透していく。

 『加速』の術式も一緒に最大出力で発動したところで魔蔵結晶が負荷に耐え切れず砕け散った。それでも構わない。魔蔵結晶は後で複製できる。今、この一時だけ効果が続けば十分だ。

 縦に横にとぶん回される大金鎚を避けながら、続けて白銀巨人に対抗する武器を生み出す。


(――組み成せ――)

褐石断頭斧かっせきだんとうふ!!』

 透き通った褐色の斧石アキシナイト、その魔蔵結晶を起動して瞬時に巨大な石斧を生成する。

 白銀巨人が振るった大金鎚と俺の褐石断頭斧がかち合い、褐色の火花が盛大に散ってお互いに大きく弾かれ後退した。

 魔力によって絶大な打撃力を発揮する褐石断頭斧に、『筋力増強』と『加速』の術式を併用すればその破壊力は騎士の一撃にも匹敵する。たとえ相手がトロールの魔獣であろうと押し負ける道理はない。


 打ち合いで間合いが離れたところに、すかさず結晶弾を撃ち込んでいく。白銀巨人は避けきれないと判断したのか、急所を守るように大金鎚を盾代わりにして結晶弾の幾つかを防いだ。弾き切れなかった二つの結晶弾が白銀巨人の体にめり込む。

 あまり効果を上げているようには見えなかったが、ここぞとばかりに俺は連続で結晶弾を撃ち込み続けた。しかし、すぐに体勢を立て直した白銀巨人は結晶弾を身軽にかわしてしまう。周囲の木々にめり込んだ結晶を見て白銀巨人が首を傾げた。自分の体にめり込んだ結晶弾も改めてじっと見つめて、また逆に首を傾げる。


(……何の動きだ? 俺の結晶弾を観察している……?)

 妙な動きを警戒した俺は結晶弾での攻撃を止めて、再び接近戦へと切り替える。

「ふぅっ!!」

 肩に担いだ褐石断頭斧を背筋から腹筋へと力を込めて振り下ろす。白銀巨人が下からカチ上げた大金鎚と衝突して魔力の衝撃波が迸った。大斧が大金鎚を殴り弾き、一歩引いた白銀巨人に対して、半歩踏み込んだ俺は腰と腕の引きに力を込めて褐石断頭斧を横薙ぎに振るう。

 一合、二合、と褐色の火花を盛大に散らしながら、着実に白銀巨人を追い込んでいく。俺との近接戦闘が続くなか、度々、手を止めたように力を抜いて首を傾げる白銀巨人。

(――またかっ!? 何を考えている? こちらの攻撃のリズムを乱しにきているのか?)

 不可解な行動にこちらの攻撃の手も慎重になる。


 こちらが攻撃を止めると、白銀巨人もまた攻撃の手を止めた。

 しばしの間、睨み合いが続くが白銀巨人から動き出す気配がない。だが、隙があるかといえばそうでもなく、こちらから仕掛ければ反撃はしてくるだろう。

(……こいつは、やはり何かあるのか? かつての底なしの洞窟に関係する魔獣、あの小鬼君侯のように……)

 馬鹿げた選択だが、意味があるのだとしたら試すべきことを試してみるか。

 賭けになるかもしれない。何の意味もなかったのなら無駄に危機を招くだけだ。しかし、もし意味があるのなら、第六階層における正解の攻略法はそれに尽きるのかもしれない。

「試してみるか……」

 懐を探り、目の前の巨大な魔獣に効果のある術式を封じた魔蔵結晶を取り出す。もう片方の手には虹色水晶オーラクリスタルを握り、首から下げる鬼蔦の葉を模した銀の首飾りに添えた。


(――あざなえる縄の如く、縛り上げろ――)

『銀鎖の長縄!』

 銀の首飾りに刻まれた魔導回路が一瞬で活性化し、白銀巨人の立つ地面から無数の銀の縄が伸び上がり絡みついた。通常よりも回路へ流す魔導因子の量を増やしたことで、銀の縄は幾重にも紡ぎ合い、より太い大縄と化して白銀巨人の体を締め上げる。


 ――ホッ? ホォッ!? ホォオオオッ!?

 これまで己の剛力を押し止めるような力に相対することなどなかったのか、自由を失った体に白銀巨人は困惑している。

 俺はゆっくりと歩いて近づき、動きを封じられた白銀巨人の背後へと回った。その背中には不自然な二つの窪みが存在している。


(――我が呪詛を受け入れ、服従し、命に従え――汝が身の力全てを絞り――)

 隷属を強いる呪いの念を、両手に一つずつ握られた緑柱石エメラルドの魔蔵結晶にたっぷりと注ぎ込む。ただでさえ潤沢な魔導因子を内包する緑柱石の結晶が、俺の注いだ魔導因子を取り込んで術式を構成する回路を光で満たしていく。

 握りこんだ指の隙間からは濃緑色の光が溢れ、物理的な圧力を生むほどの魔力の波動が断続的に放射され続ける。強力な魔獣を力でもって従えるならば、生半可な呪詛では足りない。対象に破滅をもたらしかねないほどの悪意を乗せた呪詛が必要だ。


眷顧隷属けんこれいぞく!!』

 力による支配の実行。魔蔵結晶の一つが白銀巨人の背中の窪みに一つ収まると、巨人は身動きの取れない体を無理やりに捩って激しく抵抗した。自傷を厭わない暴威である。

 もう一つ、隷属の呪詛を湛える緑柱石の魔蔵結晶を背中の窪みに埋め込んだ。すると途端に白銀巨人の体から力が抜けて、巨人の暴威は鎮まるのだった。

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