第312話 第六階層『巨人の寝所』

 第五階層『糸網の樹洞』を抜けた俺達は、明るい陽射しの降り注ぐ美しい森が広がった第六階層『巨人の寝所』へと踏み入っていた。

「クレスさん、このまま魔窟の下層を目指すんですか?」

 黄金魔熊の外套を被ったヨモサがひょこひょこと俺の隣へ来て、今後の魔窟攻略の方針について尋ねてくる。

「アシナガの攻略法もわかったし、一度戻ることもできるが……。正直なところ、この辺りで遅れは取り戻しておきたい。魔窟攻略の面子は揃っているし、可能ならこのまま最下層を目指すことも考えている」

「う~ん、そうなるとぉ。ここから先はずっと野宿が続くってことねぇ。どこか安全な場所で休憩できるのかしらぁ~、お兄さん。第五階層でかなり走り回ったから、汗だくで気持ち悪いわぁ。体も拭きたいし、服も着替えたいわぁ~」

「まだ新しい階層に入ったばかりだからな。ここの特性がよくわかるまでは、迂闊に気を抜くことはできないぞ」

 元から大きく開いている服の胸元を、これ見よがしにぱたぱたと開け閉めしながらわがままを言い出すメルヴィを適当にあしらいながら、俺は第六階層の情報収集に意識を割いていた。

 『光路誘導』の術式で光を集め、樹木が生い茂る森の奥を先行して探索しているのだ。


「うふふ~ん……ちらっ。ちらっ」

「ちょっ……!? メルヴィってば、何やってるの!? クレスも視線くらい逸らしなって!」

「はわぁっ!? みだらですぅ! ふしだらですぅ!」

 近くでメルヴィ達が何か騒ぐ声が聞こえてくるのだが、『光路誘導』で遠くの景色を見ている俺には三人が何をしているかはよく見えていない。

「おい、お前達。遊んでいないで索敵の手伝いをしろ。ミラは既に魔導人形を森に放って斥候役をしてくれているし、ムンディ教授も魔導因子の波動計測をやってくれているんだ。メルヴィは探査術式で全方位観測、メグは急な接敵への対応ができるように警戒、レリィは俺の補助をしろ。俺も術式発動中は周囲への注意が散漫になるんだ」

「あ……なんだ、クレスもしかして近く見えてないの? それでよく森の中を歩くよね……。うん、それなら仕方ない。あたしが手を引くから、安心して進んでくれていいよ」

「う~ん、メルヴィもお兄さんの同伴がしたいわぁ~」

 両脇から、レリィとメルヴィだろう、二人から急に腕を取られた俺は体勢を崩して転びかける。

「お前らいい加減にしろよ!?」

「緊張感のないことだわ……」

 少し離れた場所から、ミラの呆れる声が聞こえてきた。



「クレスさん、この階層に出現する魔獣ってなんでしたっけ?」

「第六階層は『巨人の寝所』と言われるだけあって、大きな人型の魔獣が出てくるらしい。魔獣の通称は黒鉄巨人こくてつきょじん。おそらく……森の巨人トロールの魔獣だろう」

「らしい、とか、だろう、というのは君らしくもない曖昧な表現だね。ギルドの情報かい?」

 首を傾げるムンディ教授に、俺は率直に情報そのものが曖昧であることを告げた。

「第六階層以降はギルドの情報も断片的になっているんだ。巨人の魔獣が出現するというのがギルドの情報だが、かつて底なしの洞窟にいた巨人といえば森の巨人トロールが代表格だった。特に森林環境であれば森の巨人トロールが生息するには悪くない環境のはずだ」

森の巨人トロールかぁ……。確かそのままでもかなり強かったと思うけど、魔獣化しているとなると厄介かもね」

「んん~、ギルドの通称では黒鉄巨人っていうのねぇ? 驚異的な体力に、魔獣化による知能の向上が加わるとぉ……あんまり相手にしたくない感じになるわねぇ」

 両側からレリィとメルヴィの心配そうな声が聞こえてくる。二人はまだ俺の腕を抱えながら隣を歩いていた。そして、森の中に視界を飛ばして探っていた俺の目に、とうとう何者かの影が映りこんだ。大きな人影だが、人にしては大きすぎる。


「敵影を確認した。全員、警戒しろ」

 俺が低い声で指示を出すと、さすがにもうふざけている雰囲気ではないと理解したのか、レリィもメルヴィも俺から腕を離して辺りの警戒を始める。

 周囲は大樹の立ち並ぶ緑深き森。俺達が進もうとしている前方から、木々の枝をへし折りながら進んでくる何者かの濃厚な気配が近づいてくる。十中八九、魔獣に違いない。

「来るぞ……!!」

 大樹の太い枝を折りながら、ぬぅっと姿を現したのは純人の三倍以上はある体高の巨影。ぶっとい手足に胴回り、全身を真っ黒な剛毛が覆いつくしている魔獣化した森の巨人トロールと思しきものであった。だが、その姿は――。


「なんだこいつら……!?」

「これ……!? 本当に森の巨人トロールなの!?」

 思わず俺とレリィが呻いたのは、姿を現した魔獣トロールの異様に対してだった。

 重武装の黒鉄鎧に身を包み、大金鎚で武装した巨大な毛むくじゃらの魔獣トロール。それが十数体、大樹の間から次々と姿を現した。その全てが鎧と金鎚で武装しているという徹底ぶりだ。


「トロールって、武装するんですか……?」

「ほへぇー……。すごい立派な鎧ですぅ……」

 呆然と黒い巨人を見上げながら呟くヨモサとメグ。

「魔獣化して武装する知恵を付けたということ? それにしたって鎧と金鎚はどこから調達したのかしら」

「これも魔窟の異常性というやつかな。どこから調達したか、ではなくて。初めから魔獣と共に用意された武装かもしれないよ、魔窟によってね」

「さすがにこれはちょっと、まずいんじゃないかと思うんだけどぉ~?」

 冷静に分析するミラとムンディの見解を聞き流しながら、珍しくメルヴィも余裕がない様子だ。


『ボォ……ォォオオボォオオオオーッ!!』

 十数体の魔獣トロールが一斉に呼応して、金鎚を振りかざしながら突撃してきた。

 一歩を踏み出すごとに周囲の地面が振動し、恐ろしく大きな歩幅で距離を詰めてくる。巨体と歩幅に惑わされて距離感を見誤れば、気付かぬうちに大金鎚の攻撃範囲に踏み込まれてしまうだろう。

 先頭を走っていた魔獣トロールが大金鎚を振りかぶる。明らかに間合いの外、誰を狙って大金鎚を振り上げたのかと一瞬考えるが、すぐに狙われているのが俺だと気が付いて背筋に悪寒が走った。


『六方水晶棍!!』

 六角水晶の魔蔵結晶で咄嗟に水晶棍を形成して、勘だけで頭上に向かって振り上げる。

 ごぅんっ!! と暴風を伴って振り下ろされた大金鎚が、俺の振り上げた水晶棍と激突して真っ赤な火花を撒き散らした。

(――この間合いで届くのか――!?)

 水晶棍を伝わって、骨に響くような衝撃が俺の腕を走り抜けていく。筋力の強化をしていなかったら、とてもではないが水晶棍を取り落としていただろう。あるいはトロールの大金鎚を弾き切れずに一撃をくらっていたか。


「いきなり、なんてことするのっ!!」

 俺と打ち合って一瞬だけ動きの止まった魔獣トロールを、横合いから飛び込んできたレリィが闘気を込めた水晶棍で殴り飛ばす。トロールの黒鉄鎧の横っ腹に水晶棍が炸裂し、鎧を大きく凹ませながらトロールの巨体が吹っ飛んで近くの大樹の幹に激突した。

 ふん、と鼻息荒く翠の闘気を迸らせるレリィに向かって、即座に二体のトロールが襲い掛かる。走り寄った勢いのままに大金鎚を振り切り、一体がレリィの水晶棍を押さえるように叩き付けると、もう一体がほぼ同時にレリィの脇から大金鎚でこめかみを狙い殴りつけた。

「――っぁ!?」

 がぁんっ!! と翠の闘気が舞い散り、レリィは先ほど自分が殴り飛ばした黒鉄巨人と同様に大樹へと叩きつけられてしまう。さらにそこへ間髪入れずに数体の黒鉄巨人が殺到していく。


(――世界座標『トルクメニスの地獄門』より召喚――)

『逆巻け、炎熱気流!!』

 森を焼き払うかの如く火勢でもってレリィと黒鉄巨人達との間に高熱の陽炎が立ち昇り、勢い余って飛び込んだ黒鉄巨人が一体、鎧から骨まで赤熱するほど炙り尽くされた。黄緑色に透き通った中魔石が一つ、黒い灰に包まれながら焼けた地面に落ちる。

 炎の壁を前にして黒鉄巨人が足を止めた一瞬のうちに、レリィは体勢を立て直して素早く跳び退き大きく距離を取った。

「森林火災とかぁ……ちょっと考えなしにやっちゃったけど怒らないでねぇ」

「いや、よくやったメルヴィ! あれくらいでいい」

 おそらく生半可な威力の術式では無駄だった。突っ込んでくれば問答無用で焼き尽くすくらいの火力でなければ、黒鉄巨人の足を止めることはできない。


「全員、十分な距離を取れ!! 奴らただのトロールじゃない! 踏み込みが早いうえに、腕も長いぞ!!」

 森の巨人トロールあらため、魔獣・黒鉄巨人と命名したギルドの判断は正しい。あれはもう、森の巨人トロールという種の戦闘能力を遥かに凌駕している。下手な先入観は判断を狂わす害悪でしかない。あれは、まさしく黒鉄巨人という新種の魔獣と考えるべきだ。

「あたたたぁ……。すごい腕力だよ、あの巨人達……」

 やや体をふらつかせながら戦線に復帰するレリィの姿を上から下まで見たが、超高純度鉄の鎧には凹みもなく、多少の土汚れがあちこちに付着しているだけだった。

「大丈夫そうだな。休んでいる暇はないぞ。炎の壁が収まれば、すぐに次の攻撃がくる」

「はぁ~……まあ大丈夫なんだけど。少しは労わってよね」

 レリィはぶつくさと言いながらも燃え盛る炎の壁の向こう側にいるであろう黒鉄巨人へと警戒の意識を向けた。

 まだ炎の勢いは強く、視界を歪めるほどの陽炎が立ち昇っている。


 ゆらり、と陽炎が大きく歪んだ。

 目の錯覚ではない。炎の壁の向こうから、大きな黒い影が一つ迫ってきていた。

 いまだ燃え盛る炎の壁を突き破って――。

「――嘘っ!? 一匹、突っ込んでくる!!」

「迎撃態勢を取れ!!」

 最前にいて敵の突撃に気が付いた俺とレリィが声を張り上げた瞬間、炎の壁を突き破って煙をなびかせながら、俺達二人の間を銀色に光る巨体が走り抜けた。


「あっ!! 何がっ!?」

「抜けられただと!?」

 銀色に光り輝いて見えたのは、白銀の全身鎧と銀色に輝く毛皮の外套。それらを身にまとうのは黒鉄巨人の倍以上もの体高がある白毛の巨人。

「――あれはギルドの情報にあった、白銀巨人か!?」

 どこか見覚えのある巨躯。あれは、かつて底なしの洞窟の守護を任せていた森の巨人王トロールキングではないだろうか。

 いや、今はもう違うのだろう。あれは既に別のもの、ギルドで命名された白銀巨人という魔獣だ。


 ――ホォッ、ホォッ、ホォオオオッ!!


 森全体へ高らかに響き渡る雄叫びを上げながら、俺達の懐深く飛び込んできた白銀巨人は鈍い銀色の金属塊が先端についた巨大な大金鎚を振り回し、手近にいたメグを横殴りにする。

「殴り合いならメグは負けないのですから!!」

 ひらりと鳥の羽毛のように白銀巨人の大金鎚を避けると、メグは跳び上がって呪詛を込めた自身の戦棍で殴りかかる。

『……あがなえぬ罪の重さに打ちひしがれよ……!』

 重撃の呪詛が込められた戦棍が白銀巨人へと打ち下ろされ、それを白銀巨人はメグの腕ごと素早く片手で掴んで地面に放り捨てた。

「はぎゃぁぅっ!?」

 べちっ、と潰れた蛙のように地面に伸びるメグ。


 ――この強さ。間違いない。白銀巨人、こいつは第六階層の階層主だ。

「今この状況で階層主まで参戦してくるのかよ……!!」

 多数の黒鉄巨人から一斉に囲まれたのは偶然ではなかったのだろう。こいつが指揮を執って、第六階層の全戦力で仕掛けてきたのかもしれない。

 地面に投げつけられたメグを助けるために俺は白銀巨人の背を追った。


「クレス!! 後ろからも来てる!!」

「なんだとっ!?」

 レリィの声に振り返れば、メルヴィが放った炎の壁は鎮火して、攻めあぐねていた黒鉄巨人達が再び動き出していた。間近に迫っている数だけでも五、六匹はいるか。

 俺は白銀巨人への追撃を諦めて、黒鉄巨人達の迎撃にあたるしかなかった。

「くそっ!! 全員、どうにかして、この場をしのげ!!」

 作戦指示も何もあったものではない。ただそう叫ぶしかできなかった。自分の身を守ることが最優先である。

 場は混乱し、勢いは敵方にある。まずは流れをこちらに傾けないとならないが、相手はその余裕を与えてはくれない。


 俺とレリィが黒鉄巨人の迎撃にあたっている最中に、白銀巨人はその暴威を振るっていた。

「ちょっと! これはまずいわね!」

「あーん、ミラおばさま頑張ってぇ~。メルヴィじゃ、あれ一撃でも受けたら死んじゃうわー」

 巨大な見た目に似合わぬ俊敏さで、大金鎚を振り回す白銀巨人。

 ミラが三体の魔導人形を駆使して攻撃を仕掛けているが、あるものは大金鎚に武器を弾かれ、またあるものは白銀の鎧に攻撃を防がれる。

 その素早い動きと防御性能を実現しているのは、素体である白銀巨人の体力のみならず、武装にも秘密があるのだろう。

 おそらくは超硬軽銀製と思われる全身鎧に、白銀魔熊しろがねまぐまの毛皮が器用にも鋼蜘蛛のものらしき糸で縫い付けられている。鎧の軽量化の為か、所々から巨人の白い体毛が覗いている。ちらりと見える背中には二つの不自然な窪みがあった。


 ――ホォオオオオオッ!!

 ひときわ大きな雄叫びを上げて白銀巨人が大金鎚を縦横無尽に振り回した。ミラの魔導人形がばらばらに粉砕されて飛び散り、包囲網を破った白銀巨人がミラよりもさらに後衛に位置していたヨモサとムンディ教授に向かって突撃していった。

「うわわわっ!! な、なんでこっちに来るんでしょうか!?」

「いけない! ヨモサ君、下がりたまえ!」

 恐ろしい速さで迫ってくる白銀巨人に対応できていないヨモサを庇うように、ムンディ教授が前へと出て迎撃術式を行使する。

『異界法則、因果捻転――』

 どずぅんっ!! と、地を揺らす振動と共に、ムンディ教授がいたはずの場所に真っ赤な血の華が咲く。

 ムンディの迎撃術式が発動するより一瞬早く、白銀巨人の大金鎚がムンディの小柄な肉体を原形もとどめぬほどに圧し潰していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る