第311話 決して逃がさない

 もう十本は樹洞の大通路を通過しただろうか。第五階層がどれほどの広さなのか全容はわからないが、確実に次の階層へと近づいている実感はあった。

 横穴で待機している間に、隣にいたヨモサが不安そうな表情をしながら俺の腕を軽く引いた。

「あの……気のせいでしょうか? 先ほどから、アシナガの『脚』が樹洞を乱暴に通り抜けてくる感じが……」


 ミラの魔導人形が囮として大通路を軽く駆け回りアシナガを挑発すると、大通路の奥から地響きのような音を鳴らして、太く長い蜘蛛の脚が樹洞の壁を豪快に削りながら迫ってくる。心なしか苛ついたように脚をくねらせて樹洞の壁を殴りつけるものだから、もしも窪みの浅い横穴に隠れていたなら叩き潰されていただろう。

「確かに動きが荒くなっているな。苛ついているのか……?」

 魔獣は総じて普通の獣よりも知能が高く、個体によっては強い感情を持ち合わせることもある。違和感を感じ取ったのだろうか。こちらの作戦に翻弄されていることに気が付いて、怒りを持ち始めたのかもしれない。


「よし、『脚』が通り過ぎたな。行くぞ」

 アシナガの『脚』をやり過ごして、次の大通路を通り抜けようとしたとき異変は唐突にやってきた。大通路の進行方向から、重々しい振動と破壊音が伝わってくる。

「――!! クレス引き返して!! 『脚』が戻ってきてる!!」

「気付かれたのか!? だが、どうやって……」

 過ぎ去ったはずの激震が、間髪入れずに樹洞の奥から再び迫ってきたのだ。慌てて横穴へと戻ると、すぐ背後を暴走する『脚』が通り抜けていく。狭い通路をわざと蛇行するように通過していき、窪みの浅い横穴は全て叩き潰していっている。


「ちっ……何が原因だ? ここまでは順調だったのに」

「あのあのっ! クレストフお兄様! おかしいのですー! ここだけじゃなくて、隣の大通路から振動が伝わってきますです!!」

 樹洞の壁に耳を当てていたメグが大慌てで異常を伝えてくる。

「隣だけじゃないわね。どうも他の大通路、全ての樹洞でアシナガの『脚』が動いているみたいよ。これまで通ってきた道に仕掛けてきた探査術式が、ほぼ同時に検知したから間違いないわ」

 索敵に集中したミラの分析では、目の前にある一本の大通路だけでなくあちこちの大通路で『脚』が蠢いているらしい。つまるところそれは、アシナガが無差別に脚を伸ばしているということだ。


「こちらを捕捉できないことに痺れを切らして、力押しで来たってことか。厄介だな……」

「鎮まるまで待つかい?」

「ムンディ教授……魔獣の感情を理解できると? 無尽蔵の体力を持つ怪物の怒りが、どれくらいの時間で収まるのか」

「はっはっはっ! わからないねぇ、それは!」

 いつ収まるとも知れない魔獣の怒り。鎮まるのを待っていたら何日足止めされるかもわからない。

「対決は避けられないってことかしらぁ? ねえ、お兄さん。どうするの?」

「クレスがやるって言うならやるよ、あたしは。まだ戦えるだけの闘気も残してる」

 こんな状況でも面白がっているメルヴィと、くそ真面目に正面戦闘の覚悟を決めているレリィ。どっちも極端に過ぎる。


「煽るな、この戦闘狂ども。要はアシナガの怒りが収まるにはどうするか考えれば答えは自然と出てくる。むしろここまで試してこなかったのは、無用の犠牲を避けるためだ。犠牲を厭わなければ解決の策はある」

「……ぎ、犠牲って、まさかクレスさん誰かを囮に――」

「物は試しだ。俺の考えが正しければ、これで道は開ける」

 俺は小粒な苦土橄欖石ペリドットの魔蔵結晶を二、三粒握りしめると、意識を集中して召喚術を発動する。


(――世界座標、『黒い森』に指定完了――)

 明るく透き通った光の反射を見せる、薄緑色の苦土橄欖石ペリドットが輝きを増して光を放つ。

『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ……。屍食狼ダイアウルフ!』

 黄色い光の粒が舞い踊り、十数匹の屍食狼が樹洞のあちこちに召喚される。

「さあ、行け! 逃げ回れ! 全速力で樹洞を駆け抜けろ!!」

 いきなり樹洞に召喚された屍食狼達は、戸惑いながらも召喚主の命令に従って樹洞の大通路を走り抜ける。

 だが、当然のことながら恐ろしい速度で迫るアシナガの『脚』に狼達は捕まり、貫かれ、叩き潰された。それでも何匹かはしばらくの間、アシナガの『脚』から逃げ続けていたのだが、あっという間に全滅してしまう。 


「ちょっとクレストフの坊や。いくら何でも考えが浅いのじゃない? あれではまさに犬死によ」

「ふわわぁ~……。狼さん達、無念無残なのですー……」

「どうだかな。もう少し大物の方がよかったか」

 ミラとメグから非難を受けるが、俺は意に介さずに続けて召喚を行う。


(――世界座標、『ヒベルニア実験島』に指定完了――)

『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ……混沌の獣達!』

 今度は屍食狼などよりも体が大きく頑丈な、多種類の合成獣キメラが召喚される。


 黒毛巨牛ガウルの体に剛槍鹿ごうそうじかの頭を生やした獣や、毛長象マンモスの素体から無数の大王毒蛇キングコブラをぶら下げた生き物など、奇怪生物が何匹も樹洞の大通路に放たれた。いずれも与えられた命令は『全力で逃げ回れ』である。

 召喚された合成獣達は一斉に散開して逃げ出すが、アシナガの暴走する『脚』は隙間なく大通路を伸び進み、容赦なく合成獣達を足先の爪で捕らえると急速に脚を引き戻して樹洞の奥へと引きずり込んでいった。

 合成獣達の断末魔の悲鳴が次々に樹洞へと響き渡る。


「クレスっ!! なんなのこれっ!? 何してるの!? やめてよ!!」

「そうですー! 神にも見放された奇怪生物とはいえ、命を粗末にするこのような所業は地獄に落とされても文句は言えませんですよぉー!」

 レリィが耳を塞いで目を背け、メグがとうとう猛抗議を始めた。ミラは何かを悟ったのか、悲惨な光景にも沈黙を保った。ヨモサは恐怖で声も出ないようだった。メルヴィとムンディの二人は最初から完全に理解していたのか、何とも言えない苦笑を浮かべて成り行きを見守っている。


「これでいいはずだ」

 間もなくして、騒がしかった樹洞が嘘のように静まり返る。アシナガの『脚』が全て引っ込み、暴走は沈静化したのだ。

「……どういうこと? アシナガが静かになった?」

「悪趣味な解決方法だわね。でも、これがたぶん最適解ということかしら?」

「ああ、おそらくな」


 そもそもアシナガほどの大魔獣を相手に、ギルドの調査員はどのようにしてこの大通路を通り抜けることができたのか。そこには必ずうまいやり方があるのだ。馬鹿正直に挑んで攻略できるはずもない。

 ギルドの魔窟講習で教えられたアシナガの『脚』の回避方法は面倒くさくなるほどに手順の多い対策であった。


 曰く、第三階層で角兎の魔獣を角の数が一から十までを捕獲してきて、大通路を通るたびに角の数の順番で解き放ち、角兎がアシナガに捕らえられたところで大通路を通過するのだという。臭いを消すために樹洞の木々から絞り出した樹液を全身に被り、足音を殺すために靴には綿を仕込んで極力忍び足で進めとか。しかもそれらの行動は一度、樹洞に火を放った後に大量の水で押し流してから実行されるべし、などとギルドの情報では伝えられている。


 こうした対策の全てを実行して切り抜けるようにというものだったが、はっきり言ってものすごく準備に手間のかかる作業で、俺はそこまでやる気になれなかった。結局俺は独自の方法を編み出して攻略を進めようとしたわけだが、その結果がアシナガの暴走を招くことになった。

 しかし、アシナガの動きを観察しているうちに、ギルドの提案する対策のうち何が効果的で、何が無意味であったのか大体は把握できた。そうなれば手間を惜しむこともない。無駄を省いて、効果的と思われる案だけ実行すればいい。


 すなわち、その答えが――生け贄である。

 アシナガの感知を掻い潜るために試行錯誤するよりも、最も効果的なのがアシナガの捕食欲を満足させる生きた餌を与えることだったのだ。

 角兎の魔獣を角の数ごと順番に放つのは、後に行くほどアシナガが狩りに手馴れてくるため、角が多くてより強い角兎を後半に残しておかないとアシナガに他の獲物を狙うだけの余裕ができてしまうからだ。だが、それも問題にならない数だけ生け贄を用意してやれば、アシナガは狩りの成果に満足して俺達にまで気を配らなくなる。


 結局はそれだけのことなのだ。

 アシナガは臭いも音も感知しない。火を放った後に水を撒くのが効果的とされるのも、見えない糸を焼き切ってから樹洞を水で濡らすことによって新たな糸が付着しにくくしているに過ぎない。

 それもアシナガが狩りの成果に満足するだけの生け贄を用意してしまえば、それだけで事は足りてしまって、他の手段はやる必要もないことなのである。


 その後、俺達は大通路を悠々と通過していき、第五階層『糸網の樹洞』を無事に踏破したのだった。

 階層主であるアシナガは、今も第五階層で網にかかる獲物を待ち伏せているが……。

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