第308話 巻き込まれた女

「ヨモサ。あまり木々の奥に深入りするなよ。毒の粉もまだ残っている。魔石を拾うときはこの手袋を使え。使った後はすぐに捨てていいからな」

「クレスさん、随分と準備がいいんですね。ギルドの事前情報を受けて用意していたんですか?」

「呪詛と毒の対策は日常的にやっているからな。この二つは下手な暗殺者を送り込まれるより厄介だ」

 鋼蜘蛛と呪毒蜘蛛を倒したあと、道すがら『糸網の樹洞』に散乱した魔石を回収しながら俺達は奥へ奥へと進んでいた。


 道中ほぼ全ての魔獣が死滅しており、黄色い小魔石ばかりが転がっていて、それが鋼蜘蛛のものか呪毒蜘蛛のものか、あるいは別の魔獣の魔石かもわからないありさまだった。ただ、ところどころに鋼蜘蛛の糸や、呪毒蜘蛛の毒腺が転がっていて、魔石の元となった魔獣の正体がわかるものも少数あった。

「この鋼蜘蛛の糸、貰ってもいいですか? 装備の補修に使えそうなので」

「ああ、構わない。これだけの量だとギルドでも安く買い叩かれるだろうし、俺も捌き切れないからな。ヨモサなら有効活用できるだろう」

「ここ最近、良質な素材がたくさん手に入って、夢のようですよ……! 故郷のお父さんにも、いいお土産ができました」


 ほくほく顔で素材を籠に入れていくヨモサ。集めた素材はどこか落ち着いた場所を見つけたら、俺が召喚術で保管倉庫に送る手筈になっていた。長時間の魔窟攻略が続くようになって、ヨモサの籠もすぐに一杯になってしまうからだ。

「毒腺は……研究用に少量残して売るか」

 あまり大量に持っていても使い道がないばかりか、あらぬ誤解を招きかねない。対魔獣用に魔窟で消費してしまってもよかったが、特性のあまりわかっていない毒を扱うのは危険だ。


「ちょっと待って。クレス、あそこに何かいる」

 先頭を警戒しながら進んでいたレリィが、前方の茂みの中に何かを発見した。

 木々の影を見れば、草木の生い茂る藪の中に半ば埋まるようにして裸の女が倒れている。艶やかな黒髪を地に垂らし、若く美しい女が生白い裸体も露わに仰向けでひっくり返っているのだ。先行していた冒険者を巻き込んでしまったのだろうか? 配慮が足りなかったと訴えられれば俺の落ち度だ。


「人間の女……に見えるが、なぜ裸なんだ?」

「あら~ん? クレスお兄さん、そんなに熱い視線を注いでダメよ~。私やレリィお姉さんもいるのに他の女に目移りなんて~」

「なんであたしを含めるの……!?」

「馬鹿言うな。そんなんじゃない。何かおかしいだろ、あれ」

「あぁ……。穢れし情欲に溺れるクレストフお兄様。それでも、メグは人並みのお給料をくれるお兄様を見捨てたりしないのですよ。当然なのです。女の人の裸を見て興奮を覚えてしまうのは男としての必然……。でも、時と場所を考えて自重してほしいのです」

「クレストフ君も若いねぇ~」

「そ、そそ、そんなふざけたこと言っている場合ですか!? あれたぶん冒険者の方ですよ! 毒の粉で巻き込んじゃったんじゃないですか!?」

「魔石にはなっていないし、人間の死体……なのかしらねぇ?」


 ミラもおかしいと思ったのか首を傾げている。不用心に裸の女に近寄ろうとするヨモサの首根っこを捕まえながら様子を窺っていた。

 この場に俺達以外の冒険者がいることに、俺もまた強い違和感を覚えていた。ここまでの道のりで他の冒険者が魔獣と戦ったような痕跡は一切なかったからだ。魔窟の復元力があるにしても一日以上は経過しないと破壊された地形は元に戻らない。

 俺達が歩いて追いつける距離に他の冒険者がいたというのは不自然な気がする。

(……なにより裸。そう、それが一番、意味不明だ……)


 あれが人間でないと仮定する。

 そうしたら、自動的に考えられることがある。

 裸の女の正体に想像がつく。今、あれがどういう状態かも。


 俺は水晶の魔蔵結晶を構えると、人が死なない程度の威力に絞って攻勢術式を発動した。

(――撃て――)

『焦圧石火!!』

 水晶の先端から細く青白い稲光が走り、仰向けに倒れる女の腹部に着弾する。途端に、耳が潰れそうなほどの大音声で女が金切り声を上げた。


 ――キィァアアアアッ――!!


 人の叫び声とは思えないほどの悍ましい怨嗟に満ちた悲鳴が、樹洞の木々を震わせる。

 雷撃に打たれた裸の女は、憤怒の形相で藪からがさりと立ち上がった。

 その身の丈は優に大人の背丈を超えて見下ろすほど。痩せて肋骨の浮き上がった華奢な上半身と比べて、裸の女の下半身は醜悪に膨れ上がった大蜘蛛のそれであった。


「うわわわっ!? なにあれ!? ねえクレス! あれなんなの!?」

「見ればわかるだろ! 魔獣だ!」

「禍々しいにもほどがあるのですー! あれは聖霊たる主を冒涜する悪魔ですよぉ!」

 異形の姿に慌てふためくレリィ。メグなどはあの魔獣の存在そのものを否定している。

 一方でヨモサやメルヴィなどは冷静に魔獣の姿を注視している。ミラとムンディにも動揺はない。

「あら~……クレスお兄さんたら、一瞬でもあれに魅惑されて今どんな気持ちぃ~?」

「亜人種の妖女蜘蛛アラクネでしょうか? 魔窟に生息するだけあって、魔獣化しているみたいですが……」

「そうみたいね。下半身からは隠しようのない魔獣の気配がしているわ」

「もしかして死んだふりでもしていたのかね? だとしたらあの魔獣、相当な知能の持ち主だが」


 各々があれを魔獣として認識し始めるのをよそに、俺だけは目の前の存在に明確な回答を見出せないでいた。ギルドの情報では第五階層の魔獣として妖女蜘蛛アラクネが出現するという話はなかった。

 ただの情報漏れか。それとも最近の魔窟における異常から現れた新種である可能性も捨てきれない。

 妖女蜘蛛? が、するりと細腕を前へと伸ばす。そして、その白い肌に刻まれた魔導回路がぼんやりと淡く光り出した。

「魔導回路だと!?」

 見ただけでわかる。魔眼やら何やら天然の魔導回路とは全く異なる、人工的な魔導回路が妖女蜘蛛の腕に細かく刻み込まれているのだ。


『……導く鉄杭……』

 妖女蜘蛛がぼそりと呟くと、突如として召喚術独特の光の粒が立ち昇り、細長い鉄の杭が七本も空中に出現した。出現とほぼ同時、鉄の杭は急激な加速を持って撃ち出され、こちらに向かってくる。

 反射的に水晶の魔蔵結晶を地面へ叩きつけ、『白の群晶』の術式を発動する。意識制御も何もしないで発動させたため無秩序に水晶が生え散らかるが、鉄の杭を防ぐ壁としては間に合った。

 飛来した鉄の杭は水晶の壁に阻まれて、澄んだ音を立てながら弾かれる。


「……今、普通に術式を使ったわね。あの魔獣……」

「あぁ……妙だな。あれは人間の術士が使う普通の術式だ」

 ミラが訝しげな表情で首を捻る。

 知能の高い魔獣は時として人間が扱うような術式を行使することがある。人間との大きな違いは、魔獣は魔導回路なしに術式を使うことができる一方であまり複雑な術式は使えないところだろうか。

 これが魔人になると複雑かつ高度な術式を容易に扱うようになるから手に負えなくなる。しかも持ち前の魔導回路を使って呪詛の威力を増幅させることもできるから厄介だ。


 そして、この妖女蜘蛛もまた魔導回路を介して術式を行使した。そのことから、もしや魔人なのではないかと疑ったのだが……。

「魔人……ではないな。そこまでの知能があるようには見えないし、呪詛の威力も低すぎる。おそらく人間の術士と大蜘蛛の合成獣キメラ、その魔獣化したものか?」

「あるいは人間の死体に幻想種が宿って魔獣化したものかもしれないわね」

 どちらにせよ哀れなことだ。魔窟の中で半端な生き物として存在させられている。


「奇妙な魔獣だが、さほど強くはない。さっさと片づけてしまおう」

 気分が悪かった。

 あれがどんな理由で生まれた魔獣かは俺にも知る由がなかったが、見ているとやけに胸糞が悪くなる。

『――結晶弾クリスタル・グランデ――』

 どぅんっ、と撃ち出された結晶弾が妖女蜘蛛の脚を一本吹き飛ばす。脆い。

 続けて二発、三発と撃ち出せば容易に命中して、脚を飛ばし、体を穿った。


 妖女蜘蛛が奇声を上げながら、またも術式を放ってくる。

『……吹けよ旋風……』

 強烈な突風が襲い掛かってきて目を開けるのも難しくなるが、俺は構わず妖女蜘蛛に結晶弾を撃ち込み続けた。

 いかに強力な風でも結晶弾を押し返すほどの風圧はない。風を切り裂き飛来する結晶弾をまともに被弾して、妖女蜘蛛は大きく体勢を崩した。そこへすかさずメグが駆け寄り、戦棍メイスで妖女蜘蛛の頭を殴り飛ばす。

 ぼっ!! と鈍い音がして、妖女蜘蛛の首から上が綺麗に吹き飛んでなくなった。重撃の呪詛を込めて殴ったのだろう。妖女蜘蛛の上半身は見た目通りに耐久性がなかったのか、あっさりと頭を失って地に倒れ伏した。


「うわぁ……メグってば、よく女の人の顔を殴れたね? あたしちょっと躊躇しちゃったよ」

「あれは悪魔の化身ですー。見た目なんていくらでも擬態するのですからぁ、気にしてなんていられないのですよ」

 妖女蜘蛛はそれきり動かなくなり、死体はどろりとした黒い液体に変じて溶け消えた。魔石は残らなかった。


「これはまた不思議だね? 魔窟で生まれた魔獣ならば魔核結晶を落とすと思うのだけど?」

「例外はあるでしょ。外から魔窟に迷い込んだ魔獣だとか、魔窟ができたときに巻き込まれた生き物に幻想種が憑依した場合とかも、魔核結晶にらない外の魔獣と似たようなのが生まれることはあるわ。そんな基本的なことも知らないのかしら、異界研究者のくせに。それとも爺になり過ぎてボケたの?」

「ん、ん、んっ! 僕はあくまで皆が理解しやすいように一般論を言ったまでだからね。魔獣の例外くらい想像はついていたさ。まあ、気の回らない婆さんは求められてもいない小難しい話を勝手に始めたみたいだけどね」

「はいはぁ~い! お爺ちゃまもお婆ちゃまも喧嘩はしないのぉ~」

 突然、ミラとムンディが陰湿な悪口の言い合いを始め、その間にメルヴィが割って入り喧嘩が激化するのを止めた。

(……この二人、本当に仲が悪いんだな……)


 あまりにも手応えのなさ過ぎた妖女蜘蛛の滅びた痕跡を眺めながら、俺は不可解な印象を拭えずにいた。

「もしかするとクレスさんの毒で弱っていたのかもしれませんよ。深く考えることもないんじゃないですか?」

 魔導や魔窟について素人のヨモサは、それなりに自分で納得のいく答えに落ち着いているようだ。言われてみればそういう可能性もあるかもしれないと思わせるほどには説得力もあった。

 人間の術士が使うそのままの魔導回路を体に刻んでいたのは気になったが、ミラの言う通り過去に『底なしの洞窟』で死んだ人間に幻想種が憑依しただけかもしれない。

「まあなんにせよ……安らかに眠れよ」

 俺は地面の黒い滲みとなった妖女蜘蛛に一言残して、第五階層の最深部へと向かうのだった。

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