第307話 呪毒蜘蛛

 糸で垂れ下がり頭上から襲いかかってきたのは、葡萄の房のような外見をした大蜘蛛だった。熟れた紫色の体が毒々しい『呪毒蜘蛛』である。

「ふわわわっ!? 気色悪いのが来たのですー! とても主が創りたもうた造形とは思えない魔獣ですよー! すぐに叩き潰して――」

「メグ待て!! 接近戦禁止だ!! 全員、迂闊に仕掛けるなよ!!」


 いつになく強い俺の命令口調に、メグはつんのめりながら前へ飛び出そうとしていた体の動きを止める。隣でレリィも突っ込みたそうにしながらも、疑問の浮かんだ表情で俺の真意を読み取ろうとする。

 そうこうしているうちに呪毒蜘蛛はある程度の高度まで下りてくると、こちらの攻撃が直接には届きにくい間合いまで詰めて空中に静止した。糸からぶら下がった呪毒蜘蛛は丸々とした体をぎゅっと絞ると、口から紫色の液体を一斉に吐きかけてくる。


 呪毒蜘蛛の特性をギルドの情報で既に知っていた俺は、白雲母しろうんもの魔蔵結晶を取り出し、対策用の防衛術式を発動させる。

(――壁となれ――)

 半透明で光沢を持った薄膜の集合結晶が淡い白光はっこうを放つ。

断膜雲母だんまくきらら!!』

 呪毒蜘蛛と俺達の間に薄膜状の大きな壁が展開され、呪毒蜘蛛が放った紫色の液体を表面で受け止める。すると、雲母の壁にべったりと広がった液体は黒い煙を吐き出しながら、ブクブクと泡立って半透明の雲母の壁を黒く侵蝕した。


「あの液体、呪詛ね……」

 ミラが端正な人形の顔を、器用にも苦々しい表情に変えて唸る。

 呪毒蜘蛛は名前の通り呪詛のこもった毒液を吐く。呪毒蜘蛛の毒液は強酸性で、麻痺毒と壊死毒の効果を持ち、これに解毒を妨げる『貼りつきの呪詛』が込められている。

 単純な解毒系の治癒術式では回復不可能で、解呪から試みないと毒を取り除くことができない厄介な特性を持っているのである。そして、大抵は解呪に手間取っている間に毒が回って死ぬという落ちだ。


 呪毒蜘蛛は毒液を何度も吐きかけてくるが、ことごとくが雲母の薄い壁に遮られて俺達には届かない。

「ふっふぅーん! ざまあないのです、魔獣ども。お前達の攻撃なんて届かないのですよー!」

 雲母の薄い壁一枚隔てて魔獣を煽るメグ。それに反応したのか、あるいは毒液が効かないことに業を煮やしたか一匹の呪毒蜘蛛が糸を伸ばして雲母の壁に降り立つ。


「言い忘れていたが――」

「ほらほらぁ~! どうしたのです~? 自慢の毒液を吐いてみろです!」

 ちょうどメグの頭上にいた呪毒蜘蛛が、雲母の壁を軽々と突き破って地面へと降りてくる。

「その壁、衝撃には弱いからな」

「あだばばばだばーっ!?」

 呪毒蜘蛛が間近に降り立つなり撒き散らした毒液から、慌てて回避しようとしてメグは地面を転げまわる。

 『断膜雲母だんまくきらら』の防衛術式は、毒ガスや熱風といった衝撃力以外の脅威から、広範囲に壁を築いて防衛する類の術式だ。半透明で壁の向こうの様子も見えるので視界を遮ることなく、瞬時に広い範囲へ障壁を展開できる便利な術式だが、壁の強度は見ての通りに弱い。


「なんて脆弱な防壁なのですかー!? 役立たずですー!」

「ああんっ!? どこが役立たずだ! 敵の初撃を完璧に防いだろうが! これでいいんだよ! メルヴィ! 奴らを凍らせろ! 貫くんじゃないぞ、包むようにだ!」

「もう~、クレスお兄さんたら女の子の扱いが荒いんだからぁ~。仕方ないわねぇ……」

 メルヴィが紫檀の杖でとんとんと地面を突きながら、自らの腿に刻まれた魔導回路と杖の魔導回路を擦り合わせ、魔導因子を循環させると魔力を徐々に高めていく。


(――世界座標『銀原野しろがねげんや』より召喚――)

 メルヴィの魔導回路がより強い輝きを発し、黄色い光の粒を無数に立ち昇らせながら召喚術が発動する。

『吹けよ、地吹雪!!』

 楔の名キーネームを唱えると同時に光の粒が横殴りに飛翔し、突如としてそれらは氷雪の入り混じった猛吹雪へと変貌して呪毒蜘蛛へと襲い掛かる。瞬く間に樹洞の気温が急低下して、呪毒蜘蛛の体に霜をまとわせ氷漬けにする。

「これでいいのかしらぁ? お兄さん!」

「完璧だ! いいか、呪毒蜘蛛は潰すなよ! 体内の毒液が飛ぶからな!」

 大声で全員に注意を呼び掛ける。接近しての打撃が主な攻撃手段であるレリィとメグが、ぐっと身を固くするのがわかる。ここは脳筋戦士には我慢してもらわねばならない。そうでなければ飛び散った毒液でこちらの被害が増大しかねないからだ。


「確かに潰すのはまずいようだけど。それも障壁の向こう側でなら問題ないわよね」

 不穏な声のした方へ視線を向けると、さささっと何か複雑な動作をしたミラが、全身に刻まれた魔導回路を稼働させて固有呪術を発動させていた。

(――世界座標、『傀儡の人形館』より召喚――)

『急襲の指人形ギニョール!! 私にあだなす敵を滅ぼしなさい!』

 斧や鎌など多種多様な武器を持った魔導人形が十体、雲母障壁の外に召喚される。

 いまだ樹上で様子を窺っていた呪毒蜘蛛に向かい、魔導人形達は木々を駆け上がって肉薄する。呪毒蜘蛛が吐き出す毒液をひらりひらりとかわしながら、武装した魔導人形は呪毒蜘蛛の膨れ上がった丸い体に刃を食い込ませた。


 あっけなく呪毒蜘蛛の体は引き裂かれ、紫色をした体液が大量に周囲へ撒き散らされる。それは単に刃傷から漏れ出ただけでなく、むしろ自ら破裂するようにして辺りへと呪詛のこもった毒の体液を振りまいたのだ。

 近くにいた魔導人形がまともに毒液を浴びて紫色の毒液に染まる。だが、魔導人形にはさほどの効果がないのか、黒い煙を漂わせながらも呪毒蜘蛛への攻撃を継続した。

 びしゃびしゃと雲母の障壁にも大量の体液が降りかかってくる。

「うわぁ……。なんかあたし、見ているだけで気持ち悪くなってきた……」

「私もです……あの蜘蛛には近づきたくないです……」

「殴らなくてよかったのです……」

 レリィとヨモサは露骨に顔をしかめて、メグに至っては青い顔をして震えている。


「まだかなりの数が潜んでいるな……一掃するか」

 俺はもう一度、『断膜雲母だんまくきらら』の防衛術式を使って半球状の障壁を構築すると、続けて蜘蛛型魔獣に対して絶大な効果を発揮するであろう術式の準備をする。

 赤色の角ばった形状をした鶏冠石の魔蔵結晶を握り、己が求める召喚物のイメージを送り込む。

(――世界座標『結晶工房』、『鉱毒のはこ』に指定完了――)

むしばめ、鶏冠毒晶粉けいかんどくしょうふん!!』


 雲母障壁の外で光の粒が舞い上がり、真白い毒の粉が大量に召喚される。

 毒の粉は樹洞に吹く風に巻き上げられて、辺り一帯を靄のように覆いつくす。自分も巻き込まれたり環境を酷く汚染したりする危険性があるため、普段ならこれだけ多くの毒粉を召喚することはない。

 だが、ここは魔窟だ。人為的な汚染程度は少し時間が経てば、魔窟の復元力で打ち消されてしまう。環境への配慮は必要なし。第五階層『糸網の樹洞』における風の動きはわかりやすく一方向で、多少の逆流があっても『断膜雲母』の壁が毒の粉の侵入を許さない。


 既に頭上の呪毒蜘蛛は片づけてあったので毒を受けた魔獣はいなかったが、少し離れた樹上に潜んでいたと思われる呪毒蜘蛛や鋼蜘蛛がぼとぼとと木の上から落下してくる。

 毒を吐く魔獣だからといって、毒に耐性があるとは限らない。

 毒には数多くの種類があり、それらの解毒方法はそれぞれに異なるし、全ての毒への耐性など持ちようがない。異物そのものを体内へ絶対に侵入させないか、侵入を許しても確実に排出できる体質でもあれば別だが、まず普通の生物ではありえないだろう。

 そして、魔窟の魔獣にも毒が有効であるのは第一階層でも確認済みである。例え魔獣といえども元の素体が生き物である限り、毒への絶対耐性は持てないのだ。


「うわわわっ……。毒蜘蛛を毒で殺すとか、クレストフお兄様はえげつないのです……」

 先ほどまで呪毒蜘蛛に恐れをなしていたメグが、今は俺に対してやや引いている。もっとも他の面子は俺のやり口をよく知っているためか、反応は淡白なものだった。

「まあ、第一階層でも似たようなことしていましたし、今更驚きもしませんが……えげつないのは確かですね……」

「あー……こういう障害物多い中では便利だよねー。術士の呪詛って」

「あの障壁、敵の毒液を防ぐためだとばかり思っていたけれど、こういう使い方ができるわけね。やるわねクレストフの坊や……」

「ほぉ……毒で魔獣を倒せるのかい? 完全に滅び去るまで時間はかかるようだけど、即死級の毒を広範囲に撒く術式とは興味深いね」

「んん~っ。この容赦のなさがクレスお兄さんって感じで、濡れるわ~」

 割と肯定的な意見が多く出てメグがさらに恐れ戦いていたが、彼女もそのうち慣れるだろう。


 死の蔓延はびこる魔窟において、敵を倒す手段など選んではいられないのだから。

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