第303話 白銀魔熊

 第四階層『魔熊林道』の攻略は順調に進んだ。

 あまりにも順調すぎて、一匹の魔獣とも遭遇せず半刻が過ぎていた。

「静かすぎるな。魔獣と全く遭遇しないなんて」

「さっきのが階層主ってわけじゃないよね?」

「ありえない。あの程度が階層主なわけがない」

「ふむふむ。ギルドの事前情報では、この階層には赤銅魔熊が数多く徘徊しているということだったけど……」

「大型個体が出現してそれきり、というのはおかしな話ですよね? 冒険者さん達の噂だと、この階層は人の身の丈の二倍くらいある赤銅魔熊が多数いて、討伐すると上質な毛皮を必ず落とすことからBランク冒険者あたりには稼ぎどころだという話でした。たまにCランク冒険者が中隊規模で出向いて狩りをすることもあるそうです」

「人の身の丈の二倍くらい……か」

 ムンディの話すギルドの情報、それにヨモサの語る冒険者の噂を総合して考えると、この階層に出現する赤銅魔熊は俺達が遭遇したほどの大きさではなく、もっと小さいやつが複数、階層内で徘徊しているということだ。現状とは全く異なる話である。


「何か問題があるのですー? 先へ進むには楽ちんでいいのです」

「そうねぇ……あんまり暇すぎて、私は眠くなってきちゃったわぁ」

 気の抜けた奴らが二人。油断はしてほしくないのだが、こうも魔獣の姿がないとなれば警戒も緩む。

「これはまた、あなたの存在が関係しているのかしら? 何か心当たりはないわけ?」

「赤銅熊もかつて召喚術で呼び出して使役していたが……。あいつらは割と縛りを緩くして好き勝手にさせていたからな。さっき倒したやつも俺と関係性があったかどうかは正直わからん」

「ふーん……。これまでは何かしら向こうからの意思疎通があったから、わかりやすかったのだけど。こういうこともあるのかしら」

 ぶつぶつと独り言を始めてしまったミラをよそに、俺は先へ進むことを優先した。本来の俺達の目的は魔窟の謎を解き明かすことではない。速やかに異界の狭間へ到達して、さまよっているであろうビーチェを探し出すことだ。

 些事にこだわり過ぎて手遅れになってしまっては本末転倒である。ビーチェに残された時間が少ないかもしれないというのに。


「そういえばずっと気になっていたのですが、他の冒険者さん達の姿が見えませんね? 第一階層から第三階層までは魔獣の出現頻度が少なくなりましたから、この機会に深く潜る冒険者がいてもおかしくないと思うんですけど」

 現状とは特に関係のない疑問をヨモサが口にする。ただ言われてみれば確かに、俺達以外の冒険者には遭遇していない。

「あたし達が一番先頭だからじゃない?」

「でも魔窟へ入り直したときも、第一階層とか途中の道でさえ見かけませんでしたよ?」

「……冒険者達が求めているのは手頃な獲物であって、深く入り込んだ先にいる強力な魔獣は標的としていないのかもな。Dランクぐらいの冒険者にとっては本来、影小鬼シャドウゴブリン影狼シャドウウルフといった狩りやすい雑魚が稼ぎの対象で、それより強い魔獣相手はリスクが高いんだろう」

「Cランク以上だったら、どうなのかしらぁ?」

「Cランク以上の冒険者なら第三階層より下層が稼ぎどころだったろうな。ただ、今は魔窟全体が不安定な状態にある。ノーラ達の冒険者小隊を例にしても、第二階層で新種の魔獣・赤毛狼に遭遇して全滅の危機に陥ったり、俺達のように角魔獣の群れに囲まれたり、危険が多すぎる。利口な冒険者は落ち着くまで待っているはずだ」

「そうすると僕らは無謀な冒険者ってことかな? はははっ、面白いねぇ。冒険者が冒険せずに、研究者の方が積極的に冒険している」

「……現状で深い階層を目指すのは俺達のように目的がある場合だけだな。Bランク以上の冒険者なら一攫千金、未知の素材、魔窟踏破の名誉を求めて潜る。ギルドお抱えの調査隊は第十階層まで踏破しているというし、魔窟を調査する任務であれば彼らは今も深層を目指しているかもしれない」

「ギルドの調査隊……今はどの辺りにいるのでしょうか」

「さてな。第五階層以降は地上に戻るのが難しくなると聞く。魔窟の異変が本格的に表れ始めたのはつい最近だ。それ以前に下層へ潜っていたとしたら、上層の異変に気が付かずに調査を続行していたりしてな」


 いずれにせよ現在の不安定で危険な魔窟の中では、まともに動いている冒険者は数少ないだろう。魔窟に活気が戻るのは第一階層、第二階層の階層主が復活してからだ。

(……復活する階層主が俺達と戦った個体のように意思を持って接触してくるのかは気になるところだが……それを確認していたらビーチェの救出が手遅れになる気がする。むしろ、復活する前にこの魔窟を通り抜けて、異界の狭間に到達しないとだめだろうな)

 慎重に一つ一つ確認して進みたい気持ちもある。だが、それではあまりにも時間がかかり過ぎてしまう。どうせ再確認したところで新しい情報も手に入らないだろう。


「あ! あのー……クレストフお兄様? メグ、なんかヤバいのを見つけてしまったのです……」

 ちょいちょいと俺の腕を引くメグ。彼女が指し示す方向へ視線をやると、俺達のいる場所からかなり離れた林道のずっと先で大勢の人間が倒れていた。

 それを倒れている、といっていいのかは迷うところだった。なにしろ首と胴体と手足がバラバラになって散らばっていたり、そもそも下半身だけしかなかったり、そういった死体が転がっているだけなのだ。

「冒険者、いたねー……。でもあたし、こういうのはちょっと見たくなかったな……」

 誰だってそうだろう。あの冒険者達の末路が、自分達にも同じように起こらないという保証はないのだ。


「あの林道の脇、何か潜んでいるわよ」

 ミラの指摘に従って、林の中を『鷹の千里眼』の術式で観察してみると、銀色の大岩のようなものが鎮座しているのを発見できた。その表面を見て一瞬、髭状の結晶を伸ばした自然銀のようだと思ったが、あれは銀色の金属光沢があるだけで鉱物ではなく獣の体毛であろう。

 赤銅熊が銅成分を多量に含んだ体毛を有していたように、もしかするとあれは――。

「動いたよっ!! 気を付けて!」

 距離はかなり離れていたが、こちらが向こうの存在に気が付いたように、向こうもまたこちらに気が付いたようで銀色の塊がゆっくりと動き始めた。


 ギラギラと光沢を放つ銀の毛並みが一斉にざわつくと、林道脇にうずくまっていた塊が大きく立ち上がった。

「ふわぁああ~。大きいですー」

 立ち上がった銀色の塊は優に林の木々の高さを超えて頭を出した。熊だった。赤銅魔熊よりさらに大きい、銀色の熊の魔獣――。

「――白銀魔熊しろがねまぐまか。ギルドの情報では身の丈は大人の三倍くらいという話だったな。しかしこれは……」

 余裕で十倍くらいはありそうだ。こいつも赤銅魔熊と同じく規模感が盛大に狂っていた。

 道端に散らかされた冒険者はこいつにやられたとみて間違いない。もし、ここで死んでいる冒険者達が赤銅魔熊を倒すなり避けるなりしてここまで来たのだとしたら、それでも白銀魔熊を相手にしては倒すことも逃げることもできなかったということだろう。


「ここはまたメグに任せてもらうですー! 鼻面に一撃叩き込んで終わりですよぅ」

 やる気になっているメグには悪いが彼女一人では危険だ。

「レリィ、メグの補助に回ってくれ。俺も連係攻撃の準備をしておく。ムンディ教授、最悪の事態に備えて待機を。ミラは仮に撤退が必要になったとき、足の遅い奴を運んでくれ」

「うん、わかった。なんかヤバそうな相手だから、少し闘気を出すね」

「えー……メグ一人でもできるですよ~」

 メグは不満そうだったが、レリィは白銀魔熊の危険性を敏感に感じ取っているのだろう。八つ結いの髪留めのうち、二つの封印を解いて翡翠色の闘気を身にまとった。

(……レリィの判断では二つか。その程度で済めばいいが……)


「さあ、行きますぅー!」

 勢いよくメグが飛び出した。赤銅魔熊のときと同じく正面からの突撃だ。白銀魔熊は動かない。

『……主の御心を知らず、力に溺れし悪しき獣よ……』

 白銀魔熊の背丈は高い。メグは近くの木を蹴りながら跳び上がって魔獣の頭上を取る。

『……あがなえぬ罪の重さに打ちひしがれよ……!』

 空中で最も高い位置まで自身の体が上がったとき、メグの祈祷が効果を発揮する。

 武器に重みのかかる呪詛を乗せて、白銀魔熊の脳天めがけて戦棍を打ち下ろした。


 ずしんっ!! と、メグの小さな体躯からは想像もつかないほどに重い一撃が放たれて、脳天に打撃を受けた白銀魔熊の体がわずかに地面へ沈み込む。脳天から足先にまで至る衝撃。その一撃を受けて、白銀魔熊はまだ立っていた。


 ――フゴォオオアアアッ!!


 白銀魔熊の口から迸る凄まじい咆哮が中空に浮いていたメグへと襲い掛かる。

「はぅうっ!?」

 びりびりと震える空気にメグは堪らず耳を塞いだ。その一瞬の硬直を狙ったように、白銀魔熊の大木の如き腕が横薙ぎに振るわれた。

 直撃と思われた白銀魔熊の剛腕は、闘気をまとって瞬間的に地上から跳ね上がったレリィによって下からぶっ叩かれ、ぎりぎりでメグの頭の上をかすめ通り過ぎる。

「ふきゃんっ!!」

 直撃こそしなかったものの風圧で吹き飛ばされたメグは地面へと落とされる。地面に叩きつけられるかと思えば寸前でふわりと浮き上がり、わたわたと体勢を崩しながらもふんわりと地面に着地を成功させる。あらかじめ風系統の防衛術式でも使っていたのだろう。直情的な突進攻撃をしたかと思えば、先を見据えた防衛術式を使っている辺りメグもなかなか抜け目がない。


 メグの一撃をまともに受けた白銀魔熊は、額から真っ黒い靄を噴き出していた。あちらも反撃狙いで攻撃を受けたつもりなのだろうが、思った以上の傷を負ったようだ。白銀魔熊の膝裏辺りで翡翠色の光が閃く。白銀魔熊の腕をかちあげた後、すかさず足元に回って水晶棍に闘気を込めた打撃を叩き込んだのだ。

 レリィの攻撃を脚に受けて、白銀魔熊は大きく後ろに倒れこむ。止めを刺すならここだ。

「レリィ! メグ! 離れていろ!!」


 俺は黄鉄鉱の立方体結晶を基板に作った魔蔵結晶で瞬時に召喚術を発動する。

(――世界座標、『欲深き坑道』に指定完了――)

彼方かなたより此方こなたへ、愚者の金塊!』

 大量の光の粒と共に、白銀魔熊と同等の大きさがある巨大な金属塊が空中に出現して、仰向けにひっくり返った白銀魔熊の上半身を押し潰した。

 ぶしゃぁっと血肉が潰れる音と、ばきんばきんと骨の折れる音が連鎖して響きながら、金属塊はただその重量だけで白銀魔熊の強靭な肉体を破壊したのだった。



「うへぇ~。グログロです~」

 半身が潰れて血肉をぶちまけた白銀魔熊の死骸を見てメグが顔をしかめていた。しかし、そんな感想も束の間、魔獣としての肉体が保てなくなった白銀魔熊の死骸は黒い靄を吐き出しながら灰となって崩れ落ちた。

 後には橙色に透き通った拳大の大魔石と、半身分の白銀魔熊の毛皮が残された。魔石の大きさは小鬼君侯を倒したときのものと同じぐらいだ。魔石の質もいいので、より高値が付くだろう。毛皮も大きくて立派なものだ。敷物とするには最高級品かもしれない。

「随分大きい魔石が出たね?」

 レリィが白銀魔熊の大魔石を覗き込んできた。

「魔獣としての格は小鬼君侯より上なんだろうな」

「そういう割には一発で倒しちゃったけど」

「的がデカくて俺にとっては倒しやすかっただけだ」

 不純物のない橙色の結晶を透かして見ていると、反対側にムンディ教授の顔が映りこむ。

小鬼君侯ゴブリンロードあたりなら並の冒険者でもやり方次第で戦う術はあるが、白銀魔熊の強靭な巨躯はそれだけで脅威になるからね。一撃必殺の攻撃手段がないと、何人でかかっていってもあの白銀魔熊は倒せなかっただろうね」

「……ムンディ教授、随分とお詳しいんですね。やっぱり教授だからそういう知識豊富なんでしょうか?」

 つらつらと魔獣の戦闘能力について解説するムンディを見て、ヨモサが感心したような納得したような微妙な表情になっている。やはり、だぶだぶ白衣の少年という容姿が、中身の老成さと釣り合って見えないのだろうか。


「ふん。この異界ボケ爺は昔から、好奇心で魔窟に突っ込むような異界馬鹿なのよ。身の程も知らずに高難度の魔窟に挑戦して死にかけたことも何度あったことかしら」

 こんな奴を褒める必要はないと言い聞かせるように、ミラは辛らつな毒を吐きだした。言われた当の本人は全くその通りであったのか、にこにこと笑っていて否定する様子もない。

「はー……。今回はメグ、あんまりいいところなかったのです……」

 先ほどは赤銅魔熊を倒して調子に乗っていたのに、今度はどんよりと沈んでいる。感情の浮き沈みが激しい娘である。

「元より一人で倒す必要はないんだ。連係で倒したと思えば、初手の一撃は確かに効いていただろう。まあ、あれだ。金貨一枚くらいの活躍はしたと思うぞ」

「本当ですか!? メグ、金貨一枚の活躍してましたかー!?」

 突然、元気を取り戻すメグ。扱いやすい性格だ。

「おうとも。特別報酬枠として金貨一枚、記録しておいてやる」

「やりましたー! さっきのと合わせて、早くもこんな大金を稼いでしまいましたー!」

 喜び飛び跳ねるメグを見て和む一同。そんな中でメルヴィだけは意味深にいやらしい笑みを浮かべて俺の方に視線を送っていた。

「あらまあ、素直に喜んじゃってぇ。んふふ……クレスお兄さんってば、悪い人なんだぁ……ふふふー」

 たぶんメルヴィはわかっているのだろう。白銀魔熊が落とした魔石の価値について。


 おおよそだがこの橙色の大魔石、金貨五〇枚ぐらいの価値がある。白銀魔熊の毛皮も魔石と同等か、それ以上の値打ちがある。白銀魔熊に率先して初手一撃、効果のある打撃を加えた功績は果たして金貨一枚で釣り合っているのか。俺はあえて口にすることはないし、喜ぶメグを前にして無粋なことを吹き込む輩もこの場にはいない。

 正当な仕事には正当な対価を。しかし、本人が満足しているならそれでいいではないか。と、俺は考えている。

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