第298話 兎に角

 魔窟・第三階層『虎の穴』。

 そこは洞窟の中に広がる青い空と一面の花畑が特徴的な長閑のどかな階層だった。

「はーっ……。どうなってるのこれ? 天井に大穴が開いちゃったのかな」

 天井が崩落しているのかとレリィは疑うが少し違う。

「魔窟という異界現出の影響で、自然法則の歪んだ特殊空間が構築されるんだ。実際にどこか遠くの空に繋がっている場合もあれば、空に見えるだけで壁ということもある」

「別の場所に飛ばされた可能性もあるかしらね。『送還の門』と同じ原理で。魔窟ではあちこちの空間が歪んでいるから、唐突に異界の狭間へ落とされて行方不明になる探検家も多いのよ。ある程度の期間、安定して存在する魔窟ではそういった『落とし穴』は滅多にないけど。たまに運の悪い奴がはまるのだわ」

 俺の説明にレリィが首を傾げ、ミラの説明にヨモサが恐れ戦き足元を見る。

「あらーん、ヨモサってば怖いのかしらぁ? メルヴィお姉さんが守ってあげましょーか?」

「むぎゅぎゅっ!?」

 言いながらヨモサを自身の豊満な胸の狭間に沈めるメルヴィ。ヨモサの背丈が、胸に顔を埋めさせるのにちょうどいい位置にあるためか、メルヴィは頻繁にヨモサをからかって遊んでいた。


「メ、メルヴィさん! 私、あなたより年上なのですよ! こんな子供扱いはやめてください!」

「あはーん! そうやってムキになっちゃうところがまた可愛い~!」

「むぎゅぎゅ~っ!?」

 いつまでやっているんだ、この二人は。

 二人の漫才にあきれ果てているのは俺だけではなく、ミラもまたどうでもよくなってしまったのかメルヴィを止める素振りを見せない。何度も繰り返されるうちにレリィも慣れてしまったのか、あるいは自分に矛先が向かないようにか、積極的に関わることはなかった。

「……むぐぎゅぅ~……」

 ヨモサの受難はしばらく続きそうだった。



「虎の穴っていうより、兎の巣だねこりゃ」

「あぁ。あちこちが巣穴だらけだ」

 レリィの率直な感想には俺も同意した。今も手近にある小さい穴から、魔獣化していない洞窟兎がひょこひょこと這い出してきていた。警戒心もないので簡単に捕まえられそうだ。

「魔獣化していないわね、あの兎」

 ミラも気が付いたようだ。この階層の不思議な特徴に。

「魔窟の影響が弱い階層なのかもしれないな。元から『底なしの洞窟』に生息していた洞窟兎が、この半端に異界化した場所で適応したんだろう」

 だからといって全部が全部、普通の動物ということはないだろう。

 魔窟を奥に進むにつれて、先ほどから散見される明らかにデカい巣穴など、第三階層の名前通りに虎が出てきてもおかしくない。


「段々と穴が大きくなってきたね……」

 先ほどまで呑気に空を見上げていたレリィが、水晶棍を持ち直して地面へと警戒を向け始める。

 メルヴィもヨモサを解放して、可愛らしい装飾の施された紫檀の杖を両手に持って構える。見た目は玩具のように見えてしまうが、杖に刻まれている魔導回路と嵌め込まれた宝石は本物だ。しかもかなり緻密な細工で質が高い。宝石は魔導因子をたっぷり内包した天然の物だろう。

 もしかすると宝石の丘ジュエルズヒルズの座標から召喚した宝石かもしれない。メルヴィオーサが生前に、メルヴィへ向けて宝石の丘の座標を伝達していた可能性は高い。

 普段は自身の脳から発生する魔導因子で術式を行使して、いざというときには宝石から魔導因子を取り出して瞬時に術式を発動する、といった使い方をするのだと思われる。


 ヨモサもまた運搬人ポーターでありながら、普通の冒険者と遜色ない装備で身を固めている。赤毛狼の籠手を装着して、超硬合金製のツルハシを握りしめている。背中には魔石収集用の丈夫な大籠を背負っているが、あれはあれで背面からの不意討ちを防ぐのに効果が高い。


 ミラは短杖一本だけ持って軽装に見えるが、そもそも体が戦闘用魔導人形のものなので素の防御力が高い。第三階層へ入ってからはずっと簡易的な探査術式で周囲を警戒していて、油断も全くなかった。魔導人形を遠隔操作で操ったりするのが得意なのもあって、広範囲に意識を向けるのが常態化しているのかもしれない。頼もしい限りである。


 俺は改めてレリィの様子を見て、彼女の装備する軽装鎧が随分と傷んでいることに気が付いた。体の動きを阻害しない程度に要所の防御を固めた軽銀製の胸当てと、籠手、脛当て。どれも購入当時の金属光沢は失われ、表面には無数の細かい傷が入っている。少しばかり変形している部分もある。レリィ本人はまだまだ使えると思っているようだが、そろそろ新しい防具に変えた方がよさそうだ。

 もっと軽くて性能の高い防具が世の中にはいくらでもある。騎士の闘気に頼ってしまって防具の重要性を忘れがちだが、闘気の消費を節約するのにも高性能の防具というのは役に立つ。敵からの攻撃を防具の性能で防げるなら、闘気を無駄に使わなくて済むので継戦能力も増すだろう。


「クレス! 足元!」

 考え事をし過ぎていたせいか、迂闊にも俺は足元の大きな巣穴を見逃していた。

(――ちっ。注意散漫になるとは俺らしくもない。筋力強化したことで慢心したか――)

 自身の警戒の甘さを反省しながらも、体は反射的に巣穴から距離を取っていた。俺が飛びのいてから数秒後に、のそりと巣穴から巨大な兎が這い出てくる。

 燃え盛るように真っ赤な瞳と、黒い靄が体表付近を漂う漆黒の毛並みをした獣。頭部に三本の角が生えた三角大兎さんかくおおうさぎ、その魔獣化した姿である。


(――撃て――)

 瞬時に水晶の魔蔵結晶を三角大兎に向け、雷撃系の術式を放つ。

焦圧石火しょうあつせっか!!』

 ばんっ、と空気を裂き、三角大兎の角の先端へ青白い稲妻が走ると、太く立派な角は粉々に砕け散った。魔獣ならばこれくらいで死ぬことはないだろうと追撃の構えを取るが、角を粉々に砕かれた三角大兎はあっさりと黒い煙となって蒸発した。後には小豆ほどの大きさをした赤い極小魔石と、角の破片が残されている。

 角が本体だったのか、それとも角を伝わって魔獣の素体へ深刻な損傷がもたらされたのか。いずれにせよ第三階層にしては手応えのない魔獣だった。


「随分と脆い魔獣だったな」

「階層の入口付近だから弱い魔獣だったんじゃない? 第一階層でも奥に行くほど敵が強かったし」

「それだけでもないと思いますよ。角兎つのうさぎの魔獣は、まさにあの角が硬くて、普通の武器ではそれを破壊するのが難しくて冒険者は苦戦するんです。クレスさんの術式が相性良かったんだと思います」

 レリィの言うこともその通りだろうし、ヨモサの意見も一理ある。

 残された角の破片を拾い、適当な石に擦り付けてみると石の方が削れてしまった。一方で、角の破断面は貝殻状に割れており、衝撃に対してはそこまで強いわけでもなさそうだった。そういえばギルドで得た事前情報でも、角兎の魔獣には打撃系の武器が効果的という話だった気がする。雷撃系の術式も角の先端に着弾しやすく、衝撃で角を破壊しつつ、角の根元にある頭蓋へと激しい損傷を与えたものとみられる。


「だったらここで使う武器は決まりだな」

 レリィに持たせているものと同じ、六角水晶棍を俺も武器として持つ。

「クレスお兄さんとレリィお姉さん、お揃いね~。うふふん」

「今更、言うことか」

「あんた達、仲がいいわね」

「ミラ、お前もか」

 生暖かい視線を送ってくるメルヴィに便乗してミラまで、俺とレリィのお揃い武器をからかってくる。


「これが一番効果的なんだ、よ!!」

 草むらから飛び出してきた四本の角を持つ角兎の魔獣を、横に振るった水晶棍で殴り飛ばす。大きな角が一本へし折れた。

 殴打の瞬間に水晶棍から青白い電気火花が散って、四角大兎しかくおおうさぎの角を伝わっていく。びくんっ、と体を仰け反らせた四角大兎だったが、角が一本折れても即座には死なず、再び突進してくる。

 馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んでくるだけの四角大兎の脳天に水晶棍を打ち込み、今度こそ頭を潰して四角大兎の息の根を止めた。

「なんか角が一本増えたら、少しだけ強くなってませんか?」

 俺には先ほどの三本角との差がわからなかったが、ヨモサの目にはそう映ったようだ。俺が感じ取れたのは、雷撃系の術式で倒すのと水晶棍で殴って倒すので、どちらが楽かといった違い程度だ。ちなみに水晶棍で殴る方が精神的には疲れない。


 がさり、がさり、と周囲の藪から角兎の魔獣が続々と現れた。いつの間にか森のような地形に迷い込んでいたのだ。木の根っこの下や背丈の高い草に隠れて、あちこちに大きな巣穴がある。それで四方八方から角兎の魔獣が湧いて出てくるというわけだ。

 目前に二匹、後方に一匹、角兎の魔獣が姿を見せる。

「……ねえ、クレス。気のせいか兎の角が増えていない?」

「気のせいなわけあるか。どう見ても増えているだろうが」

「五、六……七本……。あれは何て言うんですかね。五角大兎ごかくおおうさぎ六角大兎ろっかくおおうさぎ……七角大兎ななかくおおうさぎ?」

「いや~ん。太くてたくましい角がいっぱーい!」

「さすがに七本も角が生えていると別の生き物みたいね……」

 六角大兎までは全て頭に角が生えていたのだが、七角大兎からは角の生える位置が全身にばらけていた。

 三角大兎ぐらいまではまだ可愛げもあったのに、七角までなると攻撃性あふれる姿がまさに魔獣の風貌といった雰囲気だ。


 五角大兎が後ろ脚で強く地面を蹴り、角を生やした砲弾の如く飛び掛かってくる。

「きゃー! こわーい!」

「あわわわっ……!」

「下級の魔獣とはいえ、あの突進を受けたら服が破れてしまうわね」

 わざとらしい悲鳴を上げながらヨモサの後ろに隠れるメルヴィ、そして身軽に跳躍して五角大兎の突進をひらりと避けるミラ。この二人はまだ本気を出して戦う気はないみたいだ。

(……雑魚相手に過剰な火力を投入しても効率が悪い。ここは俺とレリィの二人で十分だと考えたか……)

 別にメルヴィとミラの手抜きだとは思わない。この角兎の魔獣の特性からして、俺とレリィが殴り倒すのが最も効率がいいだろうというのは、俺自身も思っていたことだからだ。


「えいっ!!」

 冷静に五角大兎の突進を見切ったレリィが、飛び掛かってきたところを水晶棍で地面へ叩き落とした。角が二本砕けて、地面に叩きつけられた勢いで五角大兎は大きく空中へと飛び跳ねる。宙に浮いた五角大兎を追撃しようとしたところへ、六角大兎が地を滑るようにしてレリィに襲い掛かる。

結晶弾クリスタル・グランデ!!』

 横合いから、両手に持った水晶の魔蔵結晶で放った結晶弾が、宙に浮いた五角大兎に止めを刺し、レリィに接近していた六角大兎の横っ腹を強かに撃ち抜く。それでも突進をやめない六角大兎だったが、勢いは削がれた。わずかな減速がレリィに十分な対応時間を与えて、力を込めた一撃が六角大兎の脳天に炸裂する。一撃で頭部の角三本が折れ飛び、六角大兎は絶命した。

 そんな一瞬の攻防の合間に、七角大兎が俺とレリィに挟まれるちょうど中間地点へ躍り出てきていた。七角大兎の全身から濃密な魔力が黒い霧となって立ち昇る。


「呪詛が来るわよ!」

 ミラの鋭い声が響く。メルヴィは既に杖を前に構えて、氷の障壁を前面に展開していた。いつの間にかヨモサがメルヴィに庇われる位置に動いている。

「レリィ、闘気!」

「ん!」

 素早く封印の髪留めを一つ解き、全身を闘気で包み込む。

 俺は俺で、小さな水晶群晶クラスターの魔蔵結晶を地面に押し付け、即座に防衛術式を発動する。


(――壁となれ――)

『白の群晶!!』

 魔蔵結晶を起点として巨大な水晶柱が幾本も地面から伸び上がり、七角大兎との間に壁を作る。

 その直後、七角大兎の体が風船のように膨れ上がり、爆発四散する。

(――また、この手の自爆攻撃かよ!?)

 赤毛狼といい、角兎といい、ここの魔窟の魔獣は自爆攻撃が得意技だったりするのだろうか。


 爆発的な推進力を得た七角大兎の角が、黒い炎をまとって吹き飛んでくる。三本が水晶の壁に弾かれ、二本がメルヴィの氷の障壁を半ばまで貫き、残り二本は――。

(――上に飛んだ!?)

 吹っ飛んだ角のうち二本が空に向かって飛んだのは見えていた。狙いを外しただけとも思えたが、悪い予感がした俺は上空に警戒を向ける。

 案の定、黒い炎に包まれた二本の角が頭上から俺とレリィをそれぞれ狙うように落ちてきていた。

「上だっ!!」

 俺の声に瞬時に反応したレリィが、俺のすぐ傍に跳躍して空から降ってくる角への迎撃態勢を取る。それまでレリィの方へ落ちてきていた角が空中で軌道を変えて、二本とも俺達の方へと向かってきた。

(……『追尾の呪詛』が込められているのか……!?)

 角は自由落下の速度だけに頼らず、黒い炎を後方に噴出して更なる推進力を得ていた。術者である七角大兎の命と引き換えに、追尾する上に加速するという凶悪な呪詛を込めた角の矢が射出されていたのだ。


「はぁああっ!!」

 闘気を込めたレリィの水晶棍が襲い掛かる角の矢を打ち返し、粉砕する。水晶棍と角の矢が接触した瞬間、翡翠色の光と黒い炎が無数の粒となって弾け飛んだ。

「うわぁああっ……。腕が痺れるぅ~……」

 角の矢を粉砕したときの衝撃が強かったのか、レリィが腕を抱きかかえるようにしゃがみこんでしまった。

「腕は無事なのか?」

「あーうん、たぶん大丈夫。本当にちょっと痺れただけだから」

 そう言ってレリィは何事もなかったかのように立ち上がってみせる。どうやら痩せ我慢しているわけでもなく、本当に問題ないようだ。


 そうして、安堵の息を吐いたのも束の間――。

「……周囲を、囲まれました!!」

 ヨモサの焦った声が響く。新たな魔獣の群れが俺達を取り囲んでいた。

 そいつらはいずれも角を生やした大兎の魔獣だったが……。


「あれ……兎、ですか?」

「なに、これ……。まさか、全部が角なの?」

「角だな。角が数えきれないほど生えている」

 もはや八角、九角を超えて、十、十一、十二……それくらいで打ち止めかと思いきや、一回り体が大きく角の数も多い角兎の魔獣が次々と姿を現す。

 数えるのも馬鹿らしいが、おそらく百本近く角が生えているだろう百角兎ひゃっかくうさぎとでもいうべき怪物に至っては、兎と言うのもはばかられる。別種の生き物のような、全身角だけの魔獣まで森の奥から転がり出てきたのだった。

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