第295話 死腐れた人狼
ノーラの食糧事情を改善した後、俺達は本格的に魔窟・第二階層『爪牙の迷宮』の攻略を進めていた。
「この道は以前、銀狼に誘導された道だな」
「あー……あのおっきなワンちゃん?」
そんな可愛らしいものではなかったと思うが、レリィにはあれが愛玩家畜にでも見えていたのだろうか。
以前はこの辺りでノーラ達の冒険者小隊が赤毛狼に襲われていて、それを助けたこともあって引き返していた。今回はさらに先へと足を踏み入れる。
「今日はまた妙だな。赤毛狼の姿がない」
「本当に一匹も見当たりませんね」
ヨモサがきょろきょろと辺りを見回し、ノーラも耳を澄ませて索敵を行う。
「んのー……。静か。赤毛の狼、臭いもしない」
「少し待て、この先は俺が調べる」
魔窟は闇に閉ざされていて、明かりは自前で用意しなければならなかった。ギルドの話では、主要坑道にはこれまでに深層へと潜った調査隊が、据え付けの魔導ランプを要所に設置しているということだったが、この坑道は主要な道筋から外れているらしい。
(……それでも、あの銀狼が導いたのなら……何かがあるということだろう。無視できない、何かが――)
『煉獄蛍』の光を先行させながら、『光路誘導』の術式で魔窟の先の様子を窺う。
すると仄かな橙の光に照らされて、蠢く黒い影が炙り出された。
「――この先に何かいるぞ」
「の!? ……そう言われると赤毛狼と違う臭いする」
俺の発言に警戒を強める一同。
煉獄蛍の光を二つ、三つと送り込み、『光路誘導』の術式を蠢く黒い影に集中させた。
次第に明らかになる影の正体を見て俺は眉をひそめた。確信は持てないが、魔獣の特殊個体かもしれないという予感があった。この階層で通常現れる他の魔獣が姿を見せないのも、こいつが原因かもしれない。魔獣が、特殊個体の魔獣を恐れているのか。確信は持てないが無関係ではないと思われた。
「ゆっくり近づくぞ。警戒は怠るな。向こうが襲いかかってこない限り手は出すなよ。銀狼の例もある」
無言のまま頷くレリィとヨモサ、ノーラは不思議そうな顔をして俺を見返してくる。こいつは大丈夫なのだろうか、と一抹の不安がよぎったが覚悟を決めて歩みを進める。
少しずつ、距離を詰めていく。目標の影に動きはない。
『光路誘導』の術式を解いて肉眼で目視する。
橙の光に照らし出されたそいつは人型をしていた。
その顔はくすんだ銀色の毛で覆われており、鼻と顎は異様に突き出し、口は大きく横に裂けていた。理性の窺えない虚ろな黒い瞳は、薄っすらと赤い光を帯びている。体の所々が傷んでいるようで、どす黒く変色した皮膚や肉の抉れた部分が目立つ。
そいつは、はぁふぅと深く静かに呼吸を繰り返し、何をするでもなくその場に佇んでいた。
「
「違う。こいつは
「…………。それって、何が違うの?」
「
狼人と人狼の見分け方は、そいつに理性があるかどうか。見た目ではわからない。だが、振る舞いを見ていればわかる。狼人は人としての理性で動き、人狼は獣としての本能で動く。
こいつは俺の放った煉獄蛍に反応していない。全くの無視である。本能的に動く人狼なら、何か動きを見せるはずだがその様子はなく、さりとて煉獄蛍に興味を示すでもなく理性的な行動も見られない。
無反応というのはおかしい。こちらを油断させる演技にも見えない。
(……不自然だ。ここまで不気味なほど静かなのは何が理由だ?)
人狼は凶暴な化け物だ。魔獣化したなら、その性質が色濃く出てもおかしくない。知性が増す分、より残虐性も強まるのだ。人間が放った術式に気が付けば、嬉々として襲いにくることだろう。しかし、そんな動きもない。
(……こいつはそれとも、狼人なのか……?)
結論は出ない。だがどちらにせよ、目の前の敵への対応は変わらないだろう。
「……ギルドの情報では、こいつが第二階層の
「えっ!? 嘘でしょ?」
「らしい、というのはどういうことなんですか?」
「小鬼君侯のようにわかりやすく魔狼どもの親玉ってわけでもなく、いつも一匹でうろついているからギルドも確証が持てないそうだ」
――『
見た目は人狼だが、その体は腐れ果てている。懸賞金をかけられた人狼で、第二階層を徘徊しては運悪く遭遇した冒険者を狩り殺していた。第二階層の様相が変わる前からずっと、第二階層の
「それがここ最近になって、急に行動の仕方が変化したらしい」
「行動に変化が?」
ヨモサが俺の背中に隠れながら、気味悪そうに人狼を眺めつつ疑問を口に出す。
「ああ。あの人狼、積極的には人を襲わなくなったらしい。これはギルドに無理言って聞き出した情報だが、複数組の冒険者が同じ情報をもたらしている。さすがにこちらから攻撃を仕掛けると反撃はしてくるらしいが」
「そうなの? じゃあ、どうする? 戦わないで済むなら素通りしていくの?」
「さて、正直どうするのが正解なのか……」
ただ通り抜ければいいのか。討伐するべきか。それとも何か特別なことをするべきなのか。
(……難しく考えすぎるな。この魔窟は通過点に過ぎない。とにかく深層へ、そして『異界の狭間』へまず辿り着くこと。それだけだ……)
戦わずに済むのなら無視して行けばいい。俺は警戒を解かないまま人狼から距離を取って、坑道の端を通過しようとする。
すると、俺達が進もうとした方向を塞ぐように、人狼がふらふらと移動した。
「どういうつもりだ。こいつは……」
「邪魔……する気なのかな?」
いまいちやる気の見えない動きだが、このまま進めば正面からぶつかることになる。こちらから攻撃を仕掛けなければ襲い掛かってこないという話だったが、どこまでが攻撃として認識されるかはわからない。無理に押しのけて進もうとすれば戦闘になるのかもしれない。
「ちっ。徘徊型の階層主か……。小鬼君侯もそうだったが、ここの魔窟はだいぶ縛りが緩い感じだな。そして意味不明なところも多い。何が正解か。あるいは全て無視して進むべきなのか……」
第一階層の小鬼達が沈静化した機会を良しとして、ノーラ達のように早々と第二階層へ挑戦した冒険者達は幾らかいたそうだ。赤毛狼を退ける実力を有したCランク以上の冒険者だ。だが、その冒険者達はすぐに戻ってきた。第二階層で死腐れた銀狼に遭遇して、襲われこそしなかったものの、あまりの不気味さに恐れをなして退き返したのだ。攻撃を仕掛けた者達もいたそうだが、手酷い反撃を受けて撤退せざるをえなかったらしい。
小鬼君侯が倒されてからこの人狼の行動は様変わりしたという。どういうわけか好戦的だった性格が、大人しいものに変化した。だが、こうして意味不明な行動を取るようになった。
俺は間近でこの人狼をじっくりと観察した。
右腕に禍々しい曲線を描く金属製の三本の鉤爪が光る。曇り一つない鏡の如く磨き上げられた鉤爪の刃には、絡み合うつむじ模様の意匠が彫りこまれている。
(……あの武器、見たことがあるな。まさか……)
見間違えるはずもない。録場機による記録も残っている。
やはり関係があるのか。だとすれば、目の前の『死腐れた人狼』に対して為すべき行動とは何か。
「……試してみるか」
立方体に切り出された水晶の魔蔵結晶に、意識を集中して召喚術を発動する。
(――世界座標、『ベルヌウェレ結晶工房』、『黒猫の陣』に指定完了――)
『彼方より此方へ、来たれ、目録番号二九!』
黄色い光の粒が空間から溢れ出し、収束して一つの木箱を出現させる。
「ここでそれですか……?」
召喚術と木箱の中身について覚えていたらしいヨモサが首を傾げる。何も言わなかったがレリィも不思議そうな顔で木箱を眺めている。ノーラは匂いで中身がわかったのか、唾をごくりと飲み込んでいた。
木箱の中から干し肉を取り出して、人狼の方に放り投げてやる。すると、今まで道を塞ぐ以外に無反応だった人狼が投げられた干し肉に素早く食いついた。空中で肉に噛みつくと、しゃがみこんで一心不乱に肉を貪り始める。勢いよく食べてしまうので、次々に干し肉を放り投げないと間が開いてしまう。面倒くさくなった俺は木箱ごと人狼の前に置くと、人狼はとうとう木箱に顔を突っ込んで肉を漁り始めた。
「どういうこと? この人狼、お腹が空いていたの?」
「これで戦わずに素通りできるということでしょうか。でも、よくわかりましたね。こんな方法が有効だと」
「の~……ノーラも干し肉、食べたい……」
この光景は覚えがある。しかし、野生の狼や本能の強い狼人が肉にかぶりつくことならあっても、魔獣が干し肉にかぶりつくことは通常ありえない。
魔獣も全く肉などの食料を食べないわけではないが、活動エネルギーの大半を異界から引き出した魔力で賄ってしまうので、基本的に食欲というものはないとされている。精々が欠損した体を補うために肉などを取り込むといった程度であろう。
だから、飢えた獣のように肉に飛びつくことはまずないはずだ。それにも関わらず、この人狼は肉に飛びついた。他のものが目に入らないかの如く、それに執着して貪り食っている。
「ありえないことが起きている。だとしたら、これにはやはり意味があるのか……?」
しかし、この後はどうする? 無視して先へ進めばいいのか。
「あの……今なら簡単に倒せるんじゃないですか? 第二階層の
「やれそうな気はするけど……」
ヨモサの意見に、レリィが俺の方へ視線を送ってくる。確かにそれも一つの道だ。階層主を倒してしまえば、第二階層にいる他の魔獣もしばらく姿を消す。今はどういうわけか隠れている赤毛狼も、いつまた活動を再開するかわからない。
先に階層主を討伐しておけば、これから合流する予定の仲間が集まったときに魔窟の攻略が進めやすくなる。集合をかけている仲間達もそろそろ集まるはずだった。
「一撃で仕留められそうか?」
「闘気全解放ならいけるかも」
水晶棍をぐっと握り込みながら、レリィが応える。
「倒せるならやる価値はある。第二階層から一定期間、階層主と他の魔獣が完全にいなくなればこの先の攻略がやりやすい」
「……よし。じゃあ、一発殴ってみようか」
「やるなら思いきりいけ。全力でな」
レリィは八つ結いにされた髪留めを一つ、二つと外していく。深緑色だったレリィの艶やかな髪が、封印を解かれて翡翠色の光を強く発しながら揺らめき立つ。騎士が身に宿す力、闘気の光だ。
「レリィさんの髪が……!?」
「のぉーっ!? 光ってる!」
ヨモサとノーラは初めて見るのだったろうか。ヨモサは小鬼君侯の討伐戦で見る機会があったと思うのだが、魔石拾いに夢中で目に入っていなかったのかもしれない。どちらにせよ完全解放を見るのは初めてだろう。騎士の闘気でも珍しいのに、レリィの闘気の出し方はまた特殊だ。驚くのも無理はない。
「ふすぅー…………」
深く息を吐き、また胸一杯に息を吸い込むレリィ。深呼吸を終えると揺らめく闘気の光がさらに強さを増した。
肩に水晶棍を担ぐように構え、腰を深く落として踵を少し上げる。
前触れなく、殺気もなく、気負いもなく、レリィが飛び出した。
ただ最大の一撃を打ち込むことだけに集中して、元から僅かしかなかった距離を一瞬で詰める。
(――これ以上ない、最高の一撃――!!)
確信があった。この一撃で人狼の頭蓋は粉々に圧壊する。
俺が確信した通りに、レリィの振るった水晶棍は青い稲妻と翡翠の波動を迸らせて、人狼の後頭部を叩き潰し干し肉の入った木箱ごと粉砕した。
「やった!!」
「のーっ!! すごい一撃!!」
ヨモサとノーラが快哉を叫ぶ。
人狼の頭は完全に吹き飛んでなくなっていた。その様子を見て俺も一息ついた。
レリィは闘気を発したまま水晶棍を構えて、油断なく人狼の最期を見届けている。
「…………?」
人狼は頭を失ったままの状態で地面に突っ伏している。そして、そのまま黒い霧にはならずに死体が残っていた。
「なんで……?」
レリィが疑念を口にして一歩下がる。その時、人狼の体が頭部を失ったまま動いた。
上体を起こして、右腕に装着した鉤爪を無造作に振るう。撫でるような動作一つで突風が吹き荒れ、レリィが目を細めた。
どぅっ!! と鈍い衝突音が響いて、レリィが坑道の端まで弾き飛ばされる。
目で捉えるのがやっとの凄まじい速さで、人狼の体が蹴りを放ったのだ。
全身を全力解放の闘気で覆っていたレリィを、蹴り飛ばした。その事実に俺の背筋が凍り付く。闘気を全解放した状態のレリィは、俺が術式を撃ち込んでも少しよろけるかどうかというほどの極めて強固な防御力を有する。
(そんな状態のレリィを――吹き飛ばしただと!? 頭部をなくした人狼が!)
即座に、俺は手元に水晶棍を創り出した。
「ヨモサ下がれ! ノーラ、人狼の攻撃を絶対に受けるな! 全力回避だ!」
「あ、あわわっ!?」
「のののっ!? アレ動き、速い! 逃げられるかわからない!!」
「逃げられなければ死ぬだけだぞ」
人狼の首から、ずるりと黒い骨が生えてきて、狼の頭骨を自動的に組み上げ始める。
さらに触手のようなもの、筋繊維だろうか、幾本もの紐が生えてきて骨にまとわりつき、繊維が巻き付いたところからは続けて銀色の毛が生え始めていた。魔獣にしても異常なほどの再生速度。
「くそがっ!!
頭を潰しても消滅しないわけである。いわゆる弱点部位が存在せず、存在そのものを滅ぼし尽くさないと倒せないのがアンデッドという存在である。純粋な幻想種の類もアンデッドに含まれることがあるが、そもそもアンデッドと呼ばれるもののほとんどが幻想種に憑依された獣のことである。
通常の魔獣と大きく異なるのは、素体の身体構造に依存しない点だ。多くの魔獣は素体の獣が弱点とする部位、心臓や脳を破壊されれば滅び去る。だが、アンデッドは憑依した幻想種の存在力全てを消し去らない限り、異常なまでの再生力で素体の体を復元してしまう。
そこに身体機能の回復という細やかな配慮はなく、ただ形さえあればそれでいいといった復元方法である。それでも、魔力さえその形代に通してしまえば自在に動き回れる。それがアンデッドである。
面倒な相手ではある。だがアンデッドとは実質、幻想種を相手にしているに過ぎない。しかも死体を操っているようなものだから、素体を獣とした魔獣のように獣自身の身体能力に頼ることがなく、大抵の場合は動きが遅い。物質的な攻撃力も低くなりがちで、ただ死ににくい魔獣というのが一般的なアンデッドだ。
(――だがこいつはどうだ? 闘気を全力解放したレリィを吹き飛ばせる力を持っている。おまけに妙な武器まで……)
あらゆる常識から外れたアンデッドだ。だからこそ、階層主にふさわしい魔獣であるともいえるが。
フォォオオオオオオッ――!!
高らかに雄叫びを上げて、『死腐れた人狼』が完全に復活した。しかも何故か興奮状態にあるのか、激しくいきり立っている。
まさかとは思うが食事の邪魔をされて怒ったのだろうか。
赤い光を湛えた人狼の瞳が俺を捉えた。そう感じた瞬間、目前に鉤爪を振るう人狼の姿があった。
とっさに前方へ構えた水晶棍で鉤爪は弾き返したが、同時に襲い掛かってきた突風に煽られて、体が仰け反った状態のまま足が地面から離れてしまう。どうにか敵の動きは見えるのだが、速すぎて体がとても付いてこない。
すかさず人狼が追撃に迫るが、人狼の速度にも劣らない動きで闘気全解放のレリィが正面より体当たりをぶちかました。手痛い一撃を食らうことは覚悟していた俺だったが、レリィのおかげで助かった。
「ごめん。油断はしてなかったんだけど。あの人狼、予想以上だった」
「気にするな。今回ばかりは俺も見誤った」
「どうする? このまま戦闘継続?」
「そうだな……」
『死腐れた人狼』はレリィのぶちかましで少し後退すると、その場で怒りに任せたように暴れまわり、あちこちに謎の突風を巻き起こしている。おそらくはあの三本の鉤爪が、何らかの呪詛を込められた特別な武器であるに違いない。
唐突な戦闘突入で整理しきれていないことが多い。そしてこのまま戦えばレリィ以外の人間は、俺も含めて確実に足手まといになる。それならば決断は早い方がいい。
「撤退だ。
「了解だよ!」
警戒しながら撤退をしたが無秩序に暴れまわる人狼は結局、それ以上は俺達のことを追ってこなかった。
人狼に干し肉を与えたことで生まれた隙。
そこを狙った迂闊な手出しが、今回は仇となった形だ。
人狼は暴風が吹き荒れるかの如く跳ね回り、手が付けられない暴走を始めた。ごり押しで勝てたかもしれないが、博打などやるものではない。
とりあえず今回は『人狼が肉を食べている時に攻撃すると凄まじい反撃をくらうことになる』という情報だけ得られたことを成果として引き上げた。
再戦は充分に対策を練ってから戦うことに決めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます