第294話 肉だましの呪詛

 第二階層でノーラの実力を確かめたあと、召喚術で呼び寄せた干し肉を食べて満腹のノーラが動かなくなってしまったので、第二階層からは一旦引き返してきた。

 第二階層の探索はまだ途中だが、主要な坑道の配置はおおよそ掴めてきた。

 相変わらず第二階層には赤毛狼しかおらず、今回はあの巨大な銀狼とも遭遇しなかったが、あれは魔窟の階層主ではないのだろうか。それとも、もっと別の何かが潜んでいるのか。

(なんにせよ、ノーラが一々腹を減らしていては攻略が進まない。まずはあれの食生活をどうにかするか……)


 ノーラは大量の肉を食べるのに、穀物や野菜を食べる量が割合的に少ない。繊維質のものが少ないので腹持ちが悪く、食費も余計にかかっているようだ。

 肉付きはやや痩せ気味。俺の見立てでは、栄養が足りていないわけではなさそうだが、問題は消化の速さと極度の空腹感、そして脂肪を蓄えない体質にあると分析された。

「……ということで、野菜類も肉と一緒に食べろ」

「のぉぉおお~……野菜、青臭くておいしくない。嫌なのぉ~」

「うるさい。選り好みなどするな!」

「のぉおおっ!?」

 野菜は絶対に食べたくないと言うノーラに、水分補給の飲み物代わりに野菜汁を無理やり口へ流し込む。

 朝、昼、晩と食事前に飲ませることで、空腹感をごまかして食事量を減らす狙いだ。


「のーっ!! のーっ!!」

「ちょっとクレス! 無理やりなんてかわいそうだよ!」

「強引にでもしないと、こいつは野菜を食べないだろうが」

「だからといって強制的に口から流し込むのはどうかと思いますが……」

 レリィばかりかヨモサまで俺に対して非難の声を上げる。

「のぉっ……ぶぅっ!!」

「きゃぁーっ!! ノーラがっ!?」

「は、鼻から、ですか……」

 一瞬、誰の声だかわからなかったくらい甲高いレリィの悲鳴と、間近に起きた事態に恐れ戦くヨモサの声を聞きながら、俺は野菜汁にまみれた己の顔をゆっくりと拭った。

「……方針を変える」



 野菜汁をなかなか飲み下さず、最後には鼻から噴き出してしまうノーラに対して、俺はやり方を根本から変えることにした。本能で生きているようなノーラに、我慢とか忍耐を教えるのは難易度が高い。

 固いスジ肉一切れに対して、安い玄米炒飯に根菜類を混ぜたものを碗に一杯の比率で与え、繊維質のものをなるべく多く摂らせる。消化が早く腹持ちが悪いものばかり好き好んで食べているから、必要以上の食事をすることになっているのだ。

 ノーラが単独の冒険者としてやっていけないのは、食費がかかりすぎるからである。繊維質の多いもので腹持ちを良くして空腹感をごまかし、量を食べるときはなるべく安い食料で済ませることで、食費を抑えることを徹底する。そうすれば他の仲間から食事のおこぼれを貰わなくても済むようになる。さらに、消化に時間がかかるということは、長時間に渡って少しずつ栄養を燃やしていけるということだ。

 食事からの栄養をしばらく抑えれば、体が次第に栄養の吸収効率を引き上げてくる。それが定着すれば食事の量を抑えても、無理なく体を動かすことができるようになるだろう。


「のーん……」

 目の前の食事を見て、しゅん、と落ち込むノーラ。

「悲嘆に暮れるのは後にしろ。今からちょっとした施術をするからな」

 そう説明しながら俺が取り出したのは岩塩の塊だ。これには魔導回路が刻み込んである。岩塩はもろく崩れやすく魔導回路の基板とするには不向きだが、作ってすぐ使い捨てる分には、一回の術式行使くらいには耐えるだろう。

「ノーラ、舌を出せ」

「んのべーっ」

 先ほど野菜汁を強引に飲まされた割には警戒心もなく口を開く。今ならもう一度、流し込めるのではないかと考えたが、また野菜汁を顔にぶっかけられては堪らないのでやめた。なにより、この術式がうまくいけばそんな面倒なことをしなくても済むようになる。


 魔導回路の刻まれた岩塩をノーラの舌に押し付けながら、俺は意識を集中する。ノーラの舌が岩塩ごと俺の指を舐めてきて背筋に寒気が走る。いかん、意識を乱されては術式に影響が出る。

「んのっ!?」

 俺は岩塩を押し付けたままノーラの舌をぐっと摘まむと術式の発動を続行する。

(――苦き炭さえ旨味と変えよ――)

『肉だましの呪詛!!』

 岩塩に刻まれた魔導回路が白い光の筋を浮かび上がらせ、見る見るうちに溶けて崩れ落ちていく。

「ののののののーっ!?」

 溶けた岩塩が舌の上にべったりと広がり、あまりの塩辛さにノーラが身悶えしている。


「クレス! これ、大丈夫なの!? ノーラ、苦しんでいるみたいだけど?」

「問題ない。魔導回路の基板になった岩塩が溶けただけだ。施術が終わったら吐き出させればいい」

「この術でいったい何が変わるんですか?」

「味覚が変化する。人体に無害で栄養のあるものなら、肉の旨味に錯覚する術式だ」

「随分と都合のいい術があるんだね……?」

「本来は味覚を狂わせて、毒殺の補助に使う術式だけどな。味覚変化の条件を少しいじってある」

「またそんな物騒な術を……」

「え……それ、呪詛ですよね? クレスさん、ノーラさんに呪詛かけたんですか?」

「人聞きの悪い言い方をするな。これは『加護』だ。俺からノーラに対する精一杯の善意を込めた『加護』だよ」

 加護、という単語を強調して口にした。生活に悪影響が出ないよう、人体に害のあるものを食べたときにはきちんと苦みや不快感を覚えるように術式を構築してある。


「この術式の効果が発揮されると、ノーラにとって苦手な野菜類も肉の味に感じるようになる。『肉だましの呪詛』というやつだ」

「今、呪詛って言ったよね?」

「今、呪詛って言いましたよ?」

「……『肉うまみの加護』だ」

「取ってつけたような名前を……」

「そもそも、最初に術を発動した時にも呪詛って言っていたじゃないですか」

 うっかり呪詛と口走ってしまった俺に対して、レリィが冷ややかな視線を向けてくる。ヨモサに至ってはあからさまに表情を歪め、レリィの背後に隠れて俺から距離を取ろうとしている。

「術の名称など、どうでもいいだろう。効果がまともならそれで問題ないはずだ!」


 実際に呪詛の効果が出ているか、試しにノーラへセロリを一本丸ごと与えてみる。

「のぉおお~っ……せろりぃ~、の~っ」

「おい! とにかく食べてみろ! 効果が出ていれば、肉の味になっているはずだ!」

「でも、セロリの食感のお肉ってどうなわけ?」

「血なまぐさい、あるいは脂臭いセロリってことでしょうか」

 口をひん曲げて意地でも食べようとしないノーラの口に、無理やりセロリをねじ込む。

「のーっ! の! の!? ……の?」

 セロリを一噛みしたノーラが動きを止めた。ゆっくり、もぐもぐとセロリを噛みしめながら首を傾げる。

 途端に、猛烈な勢いでセロリを咀嚼し始めると、あっという間に長いセロリの茎を食べつくしてしまう。


「のーぉ……肉汁うま~」

「いやノーラ? それセロリ汁だと思うよ?」

「本当にセロリがお肉の味になったんですか? ちょっと危ないんじゃないですか、この呪詛」

「別にセロリに限らないぞ。例えばこのニンジンも……」

 丸々一本のニンジンをノーラに差し出すと、まさに肉へかぶりつくような勢いでニンジンにかじりつき、目を輝かせながらバリバリと食っていく。

 その様子を唖然として見ているレリィとヨモサ。もはや驚きで言葉もないようだ。

「どうだ。効果は抜群だろ」

「……すごい、けど……。栄養は? 足りるの?」

「そこは豆や芋も混ぜて与えれば大丈夫だ。味はそれぞれ微妙に異なった肉の味になる。本物の肉も少し混ぜてやればいい。すじ肉なら安いし、腹持ちもいいぞ。次第に内臓の栄養吸収能力が高まってくれば、量も減らしていける。そうやって腹持ちのいい食糧を主食にしていけば長時間の戦闘にも耐えるようになるだろう」

「そんな淡々と……家畜の餌やりじゃないんですから……」


 俺達が話をしている間にも嬉々として、野菜、豆、芋など平均的に口にしていくノーラは実に幸福そうだった。

 例えそれが虚構で、錯覚だったとしても、本人が幸せだと感じてしまえばそれは幸福足りうる。その手法は最終的には恐ろしく邪悪な考えに至る、麻薬の如く唾棄すべき呪詛ではあったが、今はノーラの体質改善が優先だ。一度、体質が改善されてしまえば呪詛なしでもやっていけるようになる。

 ノーラから野菜類への苦手意識がなくなり、体がこれだけ野菜類に適応すれば、味覚がもとに戻っても呪詛にかかっていた間の食生活を違和感なく受け入れられるはずだ。


「でもノーラさん、なんか本当に幸せそうですね。私も困窮していたとき、この呪詛をかけてもらえれば楽になれたのかな……」

「無用な苦痛を和らげ、飢えをしのぐ術としては悪くないと思うがな。俺も金に余裕がない学士時代には、この術式で乗り切ったこともある」

「…………クレス。君も苦労してきたんだね……」

 なんだか三人そろって妙な雰囲気になってしまった。どいつもこいつも苦労しているんだ、と同情し合うことになるとは。

「とにかくこれでノーラの食事情は改善されたはずだ。今後は魔窟でも長期戦を耐え抜いてもらう」

「まだ第二階層だもんね。予定よりだいぶ遅れているんじゃない?」

「ああ、遅れているな。だが、魔窟の特殊性を考慮すれば慎重に進むべきかもしれない。この魔窟ダンジョンには、何かを試されている気がするからな」

「魔窟が試す、のですか?」

 ヨモサの疑問に俺は無言で頷いた。


 ――試されている。その確信が俺にはあった。

 何を、誰に、どうして試されているのか、それはわからない。

 それでも確かに、この魔窟には何者かの思惑が感じ取れるのだった。

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