第292話 狼娘と肉料理
四人組の冒険者小隊を救った俺達は、結局その日は魔窟から帰還してしまった。
巨大銀狼について彼らは何も知らず、俺が望むような情報は持ち合わせていなかった。
収穫なしの結果に俺はひどく苛ついていた。やはり他人に情けなどかけても得なことはないのだ。自らの目標に向かって邁進するのみである。
「今日こそ第二階層を突破するぞ。予定していたより大幅に遅れが出ているからな」
「うん! 気合い入れていこう! でも、その前に腹ごしらえねっ」
「レリィさん、宿で朝食、食べていませんでしたか……?」
のんびりとした調子で本日二度目の朝食を食べようと言い出すレリィに、ヨモサが恐れ戦いた様子で突っ込みを入れていた。俺はもう慣れたので、こめかみを引きつらせる程度で特に何も言わない。
つい先日からヨモサは俺達が宿泊する宿へと移ってきていた。元々、ギルドが提供している
最初ヨモサは俺とレリィが同室であることに驚き、挙動不審な様子で顔を真っ赤にしながら「やっぱりギルドのタコ部屋に戻ります……」と言い出す一幕があった。
レリィがどうせなら三人一緒の部屋で泊まろうと言い出せば、さらに頑なにヨモサは宿の移動を拒み始め、何故か俺に対して恐怖の視線を向けていた。ヨモサも思春期の娘なのだろうと気を利かせた俺は、さすがに三人は狭いだろうと隣の一人部屋に泊まることを勧めた。それはそれでまた顔を赤くするのが意味不明なのだが――。
「やっぱりお邪魔ですよね……いえ、安心しました。隣の部屋で、一人で静かにしていますので、お気遣いなく。お二人はお二人でごゆっくりと休んでください」
などと勝手に一人で納得した様子だったので深くは問いたださなかった。
「最近やけにお腹がすくんだよねー」
「お前、近頃そればっかりだな」
二度目の朝食にと、レリィはギルド支部のすぐ近くにある食事処へ入って、がっつりと剛槍鹿のモモ肉ステーキを頼んでいた。
もう慣れたので言うまいと思っていたが、俺もヨモサと同じように突っ込まずにはいられなかった。
「おい、朝食ったパンと卵焼きは何だったんだ?」
「え? あれは寝起きの口慰みだよ?」
意味が分からなかったので、俺はそれ以上聞くのをやめた。
しばらくレリィの底なしの胃袋を満たすまで食事が続けられた。
この食事処には朝、仕事へ出かける前の職人や冒険者達が数多く食事をしに来ている。しかしまさか、ここで二度目の朝食を食っている奴はレリィをおいて他にはいないだろう。朝から勢いのあるレリィの食いっぷりを見たら、誰も彼女が二度目の朝食を食べているなど想像すらしないはずだ。
追加の肉料理がレリィの前に運ばれてきたところで、俺はテーブルの脇にしゃがみ込んでじっと肉料理を見つめる冒険者の少女に気が付いた。
つい先日に見かけた覚えがある。狼人と純人のハーフなのか耳と尻尾だけ狼のそれをした、まだ二十歳前と見られる若い狼娘ノーラだ。
種類の違う亜人同士が交わった場合には、両親どちらか一方の形質を強く受け継いだ子供が生まれてくる。だが、亜人と純人が交わると亜人の形質が薄くなり、純人とのハーフとして生まれてくる。言い方を変えれば亜人のクォーターなどとも呼ばれる混血だ。
純人が純血人種として亜人と区別されるゆえんも、こうした遺伝形質の特性から来ているのだ。生命の設計図において、より純粋な『人』であるということを示している。
ノーラはゆらゆらと体を前後に揺らしながら、しかし視線だけはしっかりと肉料理に注いだまま鼻を引く付かせている。
「のー……」
半開きの口から鋭い犬歯が覗き、口の端からはよだれが垂れている。
うつろな瞳で注がれる視線に、フォークを持つレリィの手が止まる。
「えーっと……」
ゆっくりと肉をナイフで切り分けるレリィ。肉の一切れをフォークで突き刺すとノーラの鼻先へと肉を差し出した。
「食べる?」
「のっ!?」
きょろきょろと左右を見回し、肉を差し出されたのが自分であることを確認したノーラは、迷わず目の前の肉へとかぶりついた。
「のっ! のんっ! のんぐっ!」
一口では食べきれない大きさはあった肉の一切れを、ノーラは二、三回噛むと飲み込んでしまう。そして、とろんとした至福の表情で呆ける。
「のぉぉー……」
「あははっ。美味しかった? 美味しいよねー」
ぼんやりとしているノーラの半開きの口に、もう二、三切れ肉を放り込むと、レリィは残りの肉料理をさっさと食べてしまう。
ノーラは見る間に減っていく肉料理を寂しそうに、口をもごもご動かしながら眺めていた。しかし肉はうまかったのか、次第に相好を崩していき、最後は満足そうな顔になってノーラは小さくげっぷをした。
「あ、すいませーん! 剛槍鹿のモモ肉ステーキもう一皿お願いしまーす!」
「まだ食うのか!?」「まだ食べるんですか!?」
思わずヨモサと一緒になって叫んでしまった。
「だって、この子にお肉分けちゃったし、少し足りないかなって……」
体をゆらりゆらりと左右に揺らして幸せそうにしているノーラの頭を撫でながら、レリィは肉料理が来る間に丸パンを三つほど自分の口に放り込んでいた。さらにもう一つをノーラの口に押し当てると、こちらも食欲旺盛なのか一口でパンを飲み込んでしまった。パンは飲み物だったのか……?
新しいモモ肉ステーキが運ばれてくるとレリィは流れるような手つきで肉を切り分け、ペースを落とすことなく肉を口へと運ぶ。こいつの満腹中枢はぶっ壊れているのではないだろうか。先ほどから食欲が満たされている気配がまるでしない。
一方、ノーラは食事を再開したレリィを物欲しそうな顔で見つめている。こちらはこちらで腹ペコ狼のようだ。
よだれを垂らしながら見つめてくる彼女に、レリィはまた肉を切り分けてやる。待ちきれないとばかりに、ぴこぴこぴこっ! と激しく震える狼の耳に、ふわさふわさと横に振られる獣の尻尾。分け与えられた食事を必死で頬張るノーラを見て、レリィは相好を崩している。
餌付けだ。これは完全に野良犬への餌付けと同じだ。双方が合意の上だから問題ないが、誇り高い狼人がこの場にいれば「侮辱するな」と大暴れされても文句が言えない状況である。ノーラにしても、狼人の恥さらしと言われてもおかしくない媚びの売りようだ。本人に自覚はないのかもしれないが。
そんな狼人の尊厳が揺らぐような光景を多くの人間は好意的に受け取って、微笑ましく眺めていた。
レリィの施しに尻尾を振って肉にかじりつくノーラ。そんなことが何回か続いたところで、遠くの席からふらふらと挙動不審な男が近づいてくる。
「おーやおや……Cランク冒険者が他人に食べ物を恵んでもらうたぁ、恥ずかしくはないのかねぇ?」
真っ赤な顔で完全に酔っぱらった男、Bランク冒険者の『酔いどれジラフ』だった。いつものように反りのある長剣を背負ったまま、両手に酒瓶を掴んで交互にラッパ飲みしている。
「ちょっと! 変なこと言わないでよ! 料理を少し分けてあげただけなんだから」
「んん~……ま、お嬢ちゃんからしたらそうなのかもしれねーけどなー。あんまり甘い顔していると、この先もずぅーっとたかられるぞぉ? なにせ、そこの狼っ子は今までも仲間から食事を恵んでもらっていたんだからな」
ジラフの嫌らしい口調での指摘に、ノーラがびくっと体を竦ませる。ジラフの物言いはムカつくが、ノーラの反応からすると普段から似たようなことはやっていたのだろう。それが仲間内なら特に問題はない。だが、今日は違った。ノーラに食事を分けてくれる仲間がいない。
「あぁ……そういうことか……」
「どういうことなんです? 一人で納得していないでくださいよ」
独り言を呟いた俺に、ヨモサが小声で問いかけてくる。
「つい先日、あの狼娘の冒険者小隊を助けただろ? その時、リーダーと思われる男が大怪我を負っていた。たぶんその影響で、隊を解散したんじゃないか? 一時的なものかどうかは知らんが、仲間もバラバラになって今は一人ってところか」
「それで食事を分けてくれる仲間がいないから、レリィさんに近づいてきたってことですか? でも、彼女だってCランク冒険者ですよ。お腹がすいているなら自分で追加の食事を頼めばいいじゃないですか」
「……単独での仕事だと効率が悪くなる。もし、狼娘の食欲がレリィ並みだったりしたら、燃費が悪いなんてもんじゃない。Cランク冒険者一人の稼ぎでは生活が苦しいだろうな。自炊でもしていれば別だろうが、見た感じではそういうのとは縁がなさそうな様子だし。まあ、節約するだけの知恵があるのはまだましか。でなければ早晩、食い詰めることになるぞ」
「昨日の今日では難しいかもしれませんが、どこかの冒険者小隊に入れてもらえばいいんじゃないですか」
確かにそうなのだが、果たしてノーラの場合はそうすんなりいくのだろうか。なんとなく、そういうのが苦手なのではないだろうか、この狼娘は。
節約を考える程度の知恵はあるようだが、それだって今日だけは追加注文しておいて、さっさと食事を済ませてから仲間を探しに行く方が効率もよくないか?
それをこんなところで空腹を我慢しながら居座っているというのはどうだろう。
(……待てよ。その行動が、この狼娘なりの最適解だとしたら……?)
ふと狼人の娘の本能的な強かさを想像して、俺はその解答に行き着いてしまった。
「――しまった。もう既に手遅れかもしれないな……」
「手遅れ、ですか? いったい何が……」
レリィはノーラの頭を撫でながら、ジラフと低レベルな言い争いをしている。
「もう、お酒臭いんだからあっち行ってよ! ノーラとは昨日も魔窟で会っているし、知らない仲じゃないんだから」
「なんだ、随分な態度だなぁ。俺は親切で言ってやってるのに。まあ、彼氏の成金坊ちゃんが面倒見てくれるんなら、心配はないんだろうけどなー」
ニヤニヤしながらジラフがこちらを見てくる。あの野郎、わかっていて言ってやがるな。
ジラフは酒を飲みながら、下品な笑い声をあげて店を去っていった。
「まったくなんなんだろ、あの人。酔っぱらいってやだよ」
唇を尖らせて不満を漏らすレリィ。その隣にはぴったりと寄り添うように、椅子を並べたノーラが座っている。そんな二人を見て、俺は盛大に溜息を吐きながらレリィに確認を取る。
「それで? レリィ、その狼娘をどうするつもりだ?」
「え? どうって……?」
レリィはまだ理解していないようだ。レリィのことを見つめるノーラの視線の意味に。
「んーと。ノーラ、まだお腹すいてる?」
「の? ノーラ、お腹いっぱい」
「そっか。じゃあ食事も終わったし、あたし達は魔窟に行くよ」
「のっ!? ノ、ノーラも一緒に行く! 魔窟!」
「そーなの? じゃあ一緒に……」
「待て待て、レリィ! どうしてそいつを一緒に連れていくことになる!」
状況を理解しないままノーラの動向を許そうとしているレリィに俺は慌てて待ったをかける。
「どうしてって、別にいいでしょ? 途中まで――」
「ノーラ、レリィと一緒に魔窟に行く。一緒に戦う」
「一緒に……って、え? 戦う? 一緒に?」
ノーラが尻尾を振りながら、期待の眼差しでレリィを見返している。ここまで言われてようやくレリィにも状況が理解できたようだ。ヨモサも「あぁ……」とこれまでの流れに納得したらしい声を漏らした。
ヨモサだってこれまで
単純だ。食事を奢ってくれるような優しくて余裕のある冒険者を見つけて、ついていく。たぶん、以前の冒険者小隊も似たような経緯で仲間に入れてもらったのではないだろうか。それがこの狼娘なりの処世術なのだ。
「あ、あのねノーラ? あたし達は魔窟の攻略を急いでいて、ノーラを連れてお仕事はできないかなー……」
「のぉっ!? ノーラ、戦える! 足手まといにならない!」
悲痛な表情を浮かべて、ノーラはレリィの足に縋り付いた。完全に、捨てられそうなことに気が付いた犬の反応である。食事処という人が大勢いる場所で、これは非常に気まずい。
レリィが困り果てた顔で、俺に無言の視線を向けて助けを求めてくる。
「野良犬に餌をやったのはお前だ。懐かれたお前がどうにかしろ」
俺はもう半ばあきらめていた。だからせめて、面倒はそれを運び込んできたレリィ本人に任せることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます