第291話 銀狼の導き
魔狼が闊歩する第二階層『爪牙の迷宮』。
第一階層が『小鬼の楽園』なら第二階層はまさに狼の楽園。黒い毛並みの洞窟狼や巨大な
赤毛狼の血液は空気に触れると瞬く間に蒸発し、気化による吸熱で凍結効果を発揮する。さらに蒸発後の血液は鋭い針状の霜柱を後に残して、血を浴びた者の皮膚に突き刺さる悪辣な特性だ。
「赤毛狼の特性は知らないとかなり危険だな。間違いなく冒険者達に被害が広がる」
「ギルドに戻って報告した方がいいってこと?」
「……現状でギルドに恩を売っても得られるものが少ない。あえて知らせることもないだろう。俺たちはそれよりも先へ進むことが優先だ」
「えー……鬼畜……」
「馬鹿言うな。冒険者なら同業の競争相手へ迂闊に情報を伝えたりしないぞ」
俺達としては魔窟での日銭稼ぎに精を出すつもりはないので、情報を他の冒険者に伝えてもよいのだが、時間をかけてまでわざわざ報せに走る義理もない。
「まあ、クレスさんの言っていることは冒険者としては常識ですよ? 知っていて黙っているのは、えげつないとは思いますが」
ヨモサが俺の意見に賛同する。いや、これは賛同なのか? 非難されているようにも聞こえるが。
「どうとでも言っていろ。先へ――」
進むぞ、と言いかけて俺は口を閉じた。レリィとヨモサにも声を上げないように手振りで合図を送る。
何か大きな存在が近づいているのを気配で察した俺は、無音で探査術式を発動させる。
(――見通せ――『光路誘導』――!!)
どすん。どすん。と重い音が曲がりくねった洞窟の奥から響いてくる。
視界を洞窟の先へと飛ばして探るが、洞窟の闇に眼を凝らしても音の正体は知れない。
音の正体が魔獣だった場合、気づかれてしまうため光を放って確かめるわけにはいかなかった。しかし、危険を冒してでも早めに音の正体を確かめる必要があるのではないか? 距離がまだ離れているうちに。
(――ただ一匹の虫が如く――『煉獄蛍』――)
俺は素早く橙色の光の粒を一つ、宙に生み出して浮遊させた。まるで本物の蛍のように、魔獣へ不用意な警戒を与えないようにゆっくりと『煉獄蛍』の光を洞窟の闇へと送り込む。
焦燥感を抱きながらも、光の粒を音が聞こえてくる方向へとふわふわ飛ばし、俺は息を潜めたまま待った。
やがて淡い橙の光で照らされた『光路誘導』の術式範囲に音の主が姿を現した。
ずしん、という音ともにまず足が一本見えた。剛毛の生えた獣の前足だ。続いてぬぅっと闇から突き出てきたのは狼の鼻先だった。闇から突き出たその顔は美しい銀の毛並みに包まれ、額の中心には大きな窪みがあり、両の目は鮮やかな空色に光っていた。
(――
そうとしか表現のしようがないほど美しい狼だった。魔獣には違いないだろう。何しろ洞窟の天井に背中がくっつきそうなほどの体高をしている。だが、瞳は知性の輝きを宿し、ふわりふわりと漂う煉獄蛍の光をゆっくりとした視線の動きで追っていた。
(――気づかれてはいない? こちらから仕掛けるか? しかし、あの銀狼は……)
まだ相対していないからかもしれないが、魔獣にしては禍々しい気配がない。それに、額の窪み。あれが気になる。
俺が逡巡している間にも、銀狼はゆっくりと歩みを進めていた。とんとん、とレリィが俺の肩を軽く叩いて急かしてくる。ヨモサも心配そうな顔でこちらを見ていた。判断は俺にゆだねられている。
「……敵の正面へ出る。防衛重視で最初は様子見だ。敵から仕掛けてくるようなら全力で反撃する。ヨモサは遅れて付いてこい。少し離れた場所で待機だ」
レリィが一瞬目を見開いて驚くが、すぐに頷いて飛び出す態勢になった。ここは通常なら奇襲をかけて一気に倒しきるところだ。普段とは違う俺の指示にもすぐさま納得してくれるのは助かる。レリィとはまだ長い付き合いとも言えないが、いい相棒になった。
――行くぞ。無言でレリィに視線を送り、俺が先陣を切って走り出す。
遠く映る視界で、巨大な銀狼が首を伸ばし、耳を立てたのがわかった。
(――気付かれたか。なら、もう気配を殺す意味もない――)
銀狼の手前まで全速力で洞窟を走り抜ける。銀狼が待ち構える通路の直前、曲がり角で俺は減速する。
即座にレリィが俺と入れ替わりに前へ出た。角を曲がればそこには悠然と佇む銀狼の姿があった。
水晶棍を胸の前に構えて、レリィが防御態勢を取る。俺も防衛術式を展開する準備だけは整っている。さあ、奴はどう動く?
張り詰めた空気の中で、無音のにらみ合いが発生する。
銀狼の空色をした瞳と、レリィの翡翠色の瞳が正面から交錯した。俺は銀狼の額にある窪みを観察して確信を抱く。やはり、こいつは――。
視線を合わせた両者は、どちらからも動かなかった。
魔獣とただ視線を交わし合うという不自然な状況が十秒以上続いた。
「え……? どういうことですか、これ……?」
曲がり角の陰からヨモサの困惑する声が聞こえてくる。
魔獣と睨み合って十秒、お互いに何もしないというのは普通ありえない光景だ。魔窟に生まれた魔獣なら、恐れもなく迷わず人間に襲い掛かってくるはずなのだから。
沈黙の睨み合いはさらに続くかと思われたが、不意に銀狼が背中を見せて大きな尻尾を振りながら去っていく。
「あれ? もしかして逃げるの……?」
気の抜けた声をレリィが漏らす。俺も思わず肩の力が抜けてしまう。
だが、銀狼はすぐに足を止めると首だけでこちらを振り返り、「ゥオフッ」と小さく吠えた。
「なにあれ。もしかして付いてこいとか言っているんじゃない? クレス、わかる?」
指を向けて銀狼の行動の真意を俺に尋ねてくる。そんなもの俺がわかるわけない、といつもなら返しているところだが今回ばかりはわかってしまった。
「どうやらそうみたいだな。ヨモサ、もう出てきていいぞ。あの銀狼の後を追う」
「えっ!? えっ? 何ですか? 何があったんですか? クレスさん、何か呪詛でも使ったんですか? 大丈夫なんですか、あれについて行って……」
呪詛か。あながち間違いでもない。
あれはかつて、俺が呪詛をかけた眷属の狼。その成れの果てともいうべき存在だろう。いまだに呪詛が有効とは考えられないが、魔獣と化した際に何かしらの影響を及ぼしていたのかもしれない。魔窟の呪縛に対する耐性でもできていたのか、確かなことはわからないが俺達に敵意がないことは見て取れた。
(――そう思わせておいて罠にはめる、という恐れもないわけじゃないが、まあまずないだろうな。それよりも、あの銀狼がどこへ俺達を誘おうとしているのか……それが不可解だ……)
自意識過剰とは思うまい。元々ここ『底なしの洞窟』は、俺自身が鉱山開発を進めた場所なのだ。あらゆる形で魔導による干渉を続けてきた俺に、関わりのある思念が魔窟に反映されたとしておかしくはない。
銀狼が誘うその先に『光路誘導』の術式で警戒を向けながら歩いていく。やがて、薄暗い洞窟の中で入り乱れる複数の影が目に入った。
近づくにつれ激しく争う音も聞こえてくる。ふと銀狼のいた場所に視界を戻そうとしたが、いつの間にか銀狼の姿はない。あの巨体で気配を悟らせずに消えるとは、巨体で存在感を主張するのも、気配を殺して潜むのもお手のものということか。
(あの銀狼からはもう少し情報を得たかったが……)
仕方がない。今は目の前の事態に対応しなければならないだろう。
一度、足を止めて探査術式で状況を細かく探ると、どうやら先行していた冒険者達が赤毛狼と戦っているらしい。
俺はその状況をよく観察してからレリィとヨモサにも教えると、他の迂回路を探し出してそちらから先へ進むことにした。
「えぇ~……? ここで助けに行かないわけ? あの大きな狼が、わざわざ教えてくれたんじゃないの?」
「俺にはむしろ、親切な狼が厄介ごとを回避できるように教えてくれたと思えるけどな」
レリィには鬼畜扱いされるが、他人に温情を見せるのも世間知らずの子供の世話を焼くのが限度。いい大人の冒険者まで助けてなどいられない。
改めて探査術式で観察すると、赤毛狼と戦闘を繰り広げているのは平均年齢の若い冒険者小隊だった。連係に拙さは見られるが戦闘能力はかなり高い。特に狼人らしき少女の動きは際立っていた。遊撃手として縦横無尽に動き回り、仲間が戦っている魔獣を背後から次々に仕留めている。
俺達の手助けなど余計なお世話だろう。そう思った瞬間、大きな悲鳴が上がった。
赤毛狼を一匹派手に潰してしまって、飛び散った沸騰血液を被って冒険者小隊が甚大な被害を受けている。嫌な瞬間を目にしてしまった。
「クレス! 先へ進むついでだと思って! 助けよう! きっと意味があることだから!」
「ちっ……何の意味があるっていうんだ。本当に……」
自分で言いながらも、仕方なく助けに入る準備を手早く済ませる。
「でも、結局助けに入るんですね。クレスさん」
ヨモサが淡白な口調で一言こぼす。彼女の方はレリィと違って、冒険者小隊への手助けは考えていなかったようだ。そもそも
(……俺だって無駄な戦闘は避けたい……)
だが一応、俺達よりも先を進んでいた冒険者小隊だ。有用な情報の一つくらいは持っているかもしれない。例えば、先ほどの銀狼についての情報など。そういった思惑が働いているのも事実だ。
(――だから今は、流れに乗せられてやる――)
「レリィ! 間違っても至近距離で潰すなよ!」
「もう! わかってるって!! 言われなくてもぉ!」
口を尖らせて言い返しながら、レリィが冒険者小隊のもとへ猛然と駆けていく。
向かう先には四人組の冒険者小隊がいる。そのうちの一人、
「ぅうーっ!! がぁっ!!」
吠えて威嚇するも彼女の牽制はどこか腰が引けている。
「ノーラっ! 気をつけろ! 奴らを切り裂いちまうと、こいつの二の舞だ!」
びくん、と狼人の娘ノーラが仲間の声に反応して、腕に装着した鉄製の長爪を引っ込めてしまう。赤毛狼の沸騰血液を恐れて手が出せないでいるようだ。しかし、これは悪手だろう。委縮して攻撃が鈍れば、奴らの包囲を狭めてしまう。そうなれば一方的に追い詰められるだけだ。万が一、積極的に自爆行為を仕掛けてくる赤毛狼の個体がいれば、一ヶ所に固まった彼らは一発で全滅だ。
「手を出せないならどいてっ!!」
冒険者四人組を囲う赤毛狼の群れにレリィが突っ込む。狼人のノーラが慌てて仲間達のもとへ飛び退くと、その穴を埋めるようにレリィが赤毛狼の包囲網へ踏み込んだ。水晶棍をすぃっ、と赤毛狼の腹下に潜り込ませると掬い上げるようにして持ち上げ、上半身を大きく捻って投げ飛ばす。
「たぁーっ!!」
ぼっ!! と音が鳴る勢いで遠くへと投げ飛ばされた赤毛狼が、通路の遥か先で岩壁に激突して鮮血を撒き散らしながら爆散する。距離が遠いので血液を撒き散らしたところで、被害を受ける者はいなかった。
「なるほど……そうやるのか」
次々に赤毛狼を掬い投げていくレリィに続いて、俺も『
大斧から茶褐色の光が迸り、自ら破裂して血を撒き散らそうとする赤毛狼を、血飛沫ごと遠くへ吹き飛ばした。
「の……のぉお……しゅごい……」
座り込んだノーラが間の抜けた声を漏らしている。すっかり観戦者に成り下がっているが、中途半端に赤毛狼を刺激して爆散されるよりは大人しく見ていてもらう方が助かる。
数分とかからずに赤毛狼の群れは俺とレリィ二人の手によって全滅した。
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