第290話 第二階層『爪牙の迷宮』
小鬼君侯の討伐後、俺とレリィが再び魔窟を訪れると、第一階層は階層主である小鬼君侯が倒された影響で、その配下である影小鬼達もすっかり姿を消して閑散としていた。
だが、この状況が長く続くことはないだろう。魔窟の魔獣達は倒しても一定期間で復活する。魔窟ならではの無限湧きという現象が起こるのだ。
「湧いてくるの? 魔獣達って繁殖しているわけじゃないんだ?」
間抜け面でレリィが素人丸出しの質問をしてくる。あれだけ魔獣共と戦闘していながら、魔獣が普通の獣と同じように交尾して増えるとでも思ったのだろうか。
(まあ、影小鬼を見ていれば誤解もするか……)
通常の魔獣は生殖機能を持たないし、性欲というものもない。それでも魔窟の中にいる魔獣は倒しても次々と湧いて出てくる。どこからこれだけの数が生まれてくるのか、通常の繁殖行為では考えられないことだ。
「魔窟ってのは、この世界に現出したのち固定化された異界だ。法則は色々だから一概には言えないが、固定化された異界は現世において同じ時空の状態を維持しようとする。異界を生み出す根源たる存在を取り除かない限り、歪な世界を保持し続けるんだ。だからいくら魔獣を倒しても、ある固定化された状態に一定時間で戻り、倒したはずの魔獣が復活してくる」
「その根源たる存在って?」
「俗にいう魔窟の主だな。超越種並みの強さを持った魔獣であったり、高度に複雑化した
魔窟のことを何も知らないレリィは、俺が何か説明するたびに新たな疑問を口にしてくる。そんなことだからいつまで経っても話が進まないでいた。
「あの……それで、あなた方が見たという第二階層に溢れていた未知の魔獣というのは……?」
ギルドの熟練受付嬢ヴィオラを前にして、俺とレリィ、そしてヨモサは魔窟の異常について報告していた。ギルドマスターのラウリは、他の街の冒険者ギルドが一堂に集まる会合とやらで首都まで外出しており、数日は戻らないということだった。
ギルドマスターが不在時の代表者は他にいるが、ギルド経営に関する責任者であって冒険に関する実務には疎い人物だ。そこで正確な情報を聞き取りするためにヴィオラが対応することになっていた。
「第二階層『爪牙の迷宮』は魔狼が闊歩する魔窟だったな? ギルドの情報では灰色狼と
灰色狼と屍食狼の交雑種『洞窟狼』。底なしの洞窟に適応して生まれた種である。洞窟に渦巻く悪意を存分に吸って成長し、人の血の味を覚えた野獣だ。身動きのとりにくい狭くて暗い坑道内で、静かに素早く動き回って獲物を狩ることに特化している。
かつて底なしの洞窟に棲み付いていた狼よりも大きな体格をしている。第一階層にいた
「だが、少し奥へ進んだところで魔獣どもの生態系が変わった」
「一種類の狼だけが出てくるようになったんだよね。それも真っ赤な毛色をした狼だったよ」
「赤い毛色ですか? そんな魔狼の目撃情報は今までなかったですね……」
ヴィオラが興味深そうに手帳へ記録を取っている。ギルドにとっても新情報だったか。
「ちなみにどの程度の脅威になりそうか、わかりますか?」
「一匹だけ、遠くから倒した手応えだが……魔獣としての脅威度は屍食狼よりも上だろう。運動能力が非常に高く素早い。それから毛皮も肉質も硬めだ。中途半端な攻撃じゃ仕留めきれない。Dランク冒険者あたりには厳しい相手かもな」
純粋に刃物の切れ味や棍棒の殴打などで倒すには、かなりの力がいるだろう。
「Cランク冒険者ならどうですか?」
「同数なら何とかなるだろう。魔獣にしてはまだ弱い部類だ。他に例を挙げるとしたら、
「小鬼隊長級ですか……。簡単に言ってくれますが、それ手ごわいですよ……。うーん、低ランク冒険者への注意喚起が必要ですかねー……サブマスターと相談しないと……」
ヴィオラが頭を抱えて唸る。ここから先はギルドが判断するべきだろう。
「こちらの情報は話した。ギルドの方では何か新しい情報はないか?」
「新しい情報ですか……。確証に欠ける情報でもよろしければ、第二階層を徘徊している階層主について少し――」
「詳しく聞かせてくれ。情報の精査はこちらでする」
言葉を濁すヴィオラに俺は情報の開示を求める。ギルド支部では不確定な情報は冒険者に与えることをしないが、普段そういった情報を扱うラウリがいないこともあって、ヴィオラが情報の管理を任されていた。さすが熟練受付嬢である。
ただ情報の管理といっても、冒険者から聞き取った情報を他の冒険者に話すかどうかの判断だ。噂話を信じるか信じないかは聞いた人間の考え次第という立ち位置で、彼女が情報の確度について責任を負うわけではない。
だが、今は噂話程度の情報でも欲しいところだった。
小鬼君侯討伐後の『底なしの洞窟』はどうにも不安定な状態にある。過去にギルドが集めてきた魔窟の情報はあてにならない。そういう状態にあるのだ。少しでも魔窟の異変について、現在の活きた情報が欲しい。
ヴィオラから詳しい情報を聞き出した俺達は再度、第二階層へと潜ることにした。今度はヨモサも正式な仲間に加えての攻略だ。
「ヨモサはもう体の調子はいいの?」
「はい。クレスさんに治癒してもらって一晩休んだら、むしろ快調です」
「あまり調子に乗って働き過ぎるなよ。攻略が順調なら長く魔窟に潜ることになる。無駄な体力は極力使わないようにな」
ツルハシをぶんぶんと振ってレリィに答えてみせるヨモサに俺は釘を刺しておく。
「魔石拾いのお仕事、頑張り過ぎてはいけませんか?」
「ほどほどでいい。どうせ浅い階層の魔石だ。価値は低い。拾い集める時間を取るくらいなら、先へ進む」
「第一階層の魔石でも、結構な金額になったと思うけど……」
「あれだけの数、まとまって討伐できたならいいが、今後はそういう機会も少ないだろう。それに今は金より時間だ。時間の方が貴重なんだよ」
「ふぇー……クレスからそんな言葉が出てくるとか思わなかった」
まだビーチェ救出に向かう旅の仲間は集まっていない。
だからこそ、彼らが到着した時には速やかに魔窟を踏破するため、事前の調査は終えておきたかった。
魔窟の第一階層は相変わらず閑散としていた。一匹の小鬼に遭遇することもなく、第二階層へと到達する。
「ここからだな……」
第二階層は曲がりくねった通路が幾つも分岐しては繋がりと、小鬼の巣窟とはまた違った複雑さがある。方向感覚は容易く狂い、現在位置を見失ってさまよう冒険者は多い。
鋭敏な嗅覚をもって仲間や獲物の位置を知り、曲がる通路を勢い落とさずに走り抜ける魔狼の棲み処。多種多様な魔狼がそれぞれの特徴を活かして襲い来る、それがこの第二階層『爪牙の迷宮』だった。
しかし、今ではすっかりと様相が変わっていた。
第二階層をうろつくのは血に塗れたように赤い毛並みの狼だけ。ギルドではこれを赤毛狼と称して、新種の魔獣と認定した。
「来るぞ……構えろ!」
「任せて!」
レリィが一歩前へ出て水晶棍を構えた。ヨモサは俺の背中に隠れながらも、ちらちらと後ろなど周囲の警戒をしている。
赤毛狼は極端に好戦的で、一定距離まで近づくと仲間を呼び寄せながら、牙を剥いて襲い掛かってくる。
曲がりくねった通路の先から獣の走る音が聞こえてきた。迷いなく俺達に向かってきた足音は、一瞬の後には真っ赤な塊となって洞窟の闇から飛び出してくる。
ぶぉん、と風が唸り、振り切られた水晶棍が赤い塊を殴り飛ばして迎撃した。
毬のように跳ねた赤い塊は、四本の足を伸ばして地面に着地し、爪を立てて殴打の勢いを殺した。血に濡れたあと乾いたようにガサガサの毛並みをした赤毛狼が「グゥルルッ!」と低い唸り声をあげながら血走った瞳でこちらを睨んでいる。かなり強烈な一撃が入ったように見えたのだが、意外にも赤毛狼は五体満足で健在だ。
「手を抜き過ぎだ!」
「ごめん! あれぐらいで十分かと思ったんだけど」
魔獣の頑強さと生命力を甘く見てはいけない。これだけやれば、と思った以上の力で潰しにかかってちょうどいいのだ。
「お二人とも! 敵の数、増えていますから!! よそ見しないでください!」
ヨモサの注意が飛ぶ。いつの間にか赤毛狼の数は三匹に増えていた。放っておけばどんどんと仲間を呼ぶかもしれない。
だが、俺も別によそ見をしていたわけではない。とっくに攻勢術式の準備は整っている。
(――削り取れ――)
『拡散せよ――
追加命令を一つ加えて術式を発動した。すると、地面から湧き出た二十四面体の赤黒い結晶弾が一息のうちに数十発、赤毛狼を包囲するように、通常時よりも放射角を広くして撃ち出された。
結晶弾が散らばる分だけ目標に対する威力は落ちるが、そこは結晶弾の数と術式の継続力で補完する。
牙を剥いて突撃してくる赤毛狼を無数の結晶弾が撃ち抜き、ぼろぼろの粗末な毛皮へと変じた。散弾のごとく撒き散らされる赤黒い結晶弾は、さらにもう一匹の赤毛狼の骨を砕き血肉を魔窟の岩壁へとぶちまけながら、黒い霧と化して蒸発させる。
最後の一頭となった赤毛狼は体のあちこちに結晶弾を受けながらも突進を続け、強引に距離を詰めて俺のそばまで来ると途端に体を風船のように膨らませた。
「――――っ!?」
異変を見て取った瞬間に、体を膨らませた赤毛狼の前面へと結晶弾を収束させて、範囲限定の面制圧へと切り替える。
膨れ上がった赤毛狼が血肉を撒き散らしながら弾け飛んだ。もはや壁と言っても過言ではないほどの密度で放たれた結晶弾がどす黒い血液を受け止める。血液が結晶弾に触れた瞬間、血液が激しく沸騰して蒸発した。
(――今の反応はなんだ?)
二十四面体の結晶弾は赤毛狼を圧倒的な物量で押し潰した。
ただ妙なことに、赤毛狼の血液を被った結晶弾の幾つかに赤い針のような霜柱が刺さっていた。よく見れば、他の二匹がぶちまけた血も同じように赤い霜柱を生やしている。
(……あの血液、空気に触れると同時に急激な蒸発で熱を奪ったのか。いや、それだけではないな。凍り付いたあの霜の形状。鋭い針のようになっている。もしあの血液を浴びたら、皮膚の凍傷と針による無数の刺し傷は免れない……)
自らの血液を武器として、自死をもって敵に痛みを強いる捨て身の攻撃方法は魔獣らしい禍々しさというべきか。単なる狼でないことは理解していたつもりだったが、手段を問わず隙あらばこちらを害そうとする魔窟の悪意が凝縮されている。先ほど、迂闊に叩き潰さなかったレリィの行動は、結果的には正解だったのかもしれない。
赤い霜柱は間もなく黒い霧となって蒸発し、赤毛狼の体は魔石と毛皮だけを残して分解されていった。
「毛皮だけ残ってる……?」
レリィが水晶棍の先端で赤毛狼の毛皮を拾い上げて首をかしげる。魔獣の体が完全には分解されず一部を残したことが不思議だったのだろう。
「どうやら赤毛狼は毛皮だけを現世に残す性質の魔獣みたいだな。……あまり、質はよくないが……」
「クレスさんがやり過ぎなんですよ。ぼろっぼろじゃないですか」
「おい、拾うなヨモサ。そんなものはいらない」
「穴だらけでも丈夫な魔獣の毛皮ですよ? 魔石より価値があります」
「嵩を考えろ、嵩を。そう数多くは持てないだろ」
「う~ん、捨てていくには惜しいんですが……」
そう言いながら三枚あるうちの一番状態がいい毛皮を背中の籠に放り入れるヨモサ。結局、拾っていくのか。
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