第289話 私の故郷
影狼の群れを撃退して、ぼろぼろになりながらもヨモサはクレストフとレリィの二人を追って、休むことなく洞窟を進んでいた。
ふらふらと歩くヨモサに並んで、茶色い毛玉の
「……心配してくれるのですか? 大丈夫ですよ。私はまだ、こんなところで倒れたりしません……」
見ていてなんとなく癒される、微笑ましい姿をした
やがて、狭い通路の隅で腰を下ろす二人の姿が目に映った。
「よかった……。やっと追いつきましたよ、クレスさん、レリィさん……」
気が付いた二人はヨモサの姿を見て顔を強張らせた。レリィが声を上げて立ち上がる。
「ヨモサ! すごい怪我だよ!? 大丈夫なの……? そんなわけないよね?」
「魔獣に襲われたのか?」
クレストフが厳しい顔つきでヨモサに近づいてくる。正直、追いついても逃げられるかもしれないとさえ考えていただけに、彼らから歩み寄ってきてくれるのは助かった。ここで逃げられてしまっては、これ以上はとても後を追うことができない。せめて少し、休憩しないと。
足がもつれて前のめりに倒れこむヨモサをクレストフが支えた。
「レリィ、俺の代わりにヨモサを支えろ。治療の準備をする」
「う、うん……。クレス、ヨモサの怪我を治してくれるの?」
「きちんと追い返さなかった俺の失態だ。まさかここまで付いてくるとは……」
傷だらけになりながらも後を追って来たヨモサに、クレストフも考えを改めていた。傷の手当てをしながらヨモサの事情を聞き、ここで諦めさせようというのだ。
(――痛みを取り去れ――)
『活力の霊水……』
水晶の魔蔵結晶をヨモサの頭上に掲げて、クレストフが癒しの術式を行使する。
水晶から滲み出した透明な液体がヨモサの全身に降りかかると、無数にあった傷口が次々と塞がって体の痛みが消えていく。
「ありがとうございます……。助かりました……」
「普通じゃないな。どうしてそこまでする? 魔窟の深層にまで進めば、生きて戻ってこられるとは限らないんだぞ」
「……地上に、戻れなくたっていいんです。私はただ、故郷に戻りたかっただけだから――」
「なんだと?」
話をしよう。事ここに至っては、理由を話して理解してもらうしかない。そのうえで頼み込むほか道はないのだ。ヨモサはここでの交渉に賭けることにした。利益の提示か、あるいは情に訴えるか、どちらにしてもクレストフの協力を取り付けねばならない。
「私は、いまや魔窟と化したこの洞窟、その深部に住んでいた
「ドワーフって、地底に好んで住む種族の?」
膝枕をしていたレリィが、横になったヨモサの顔を覗き込むようにして尋ねる。
「はい。『底なしの洞窟』がまだ魔窟と化す前、地底で暇を持て余していた私は好奇心から、地上へと遊びに来ていたんです。ですが、地上に滞在している間に底なしの洞窟が魔窟化してしまった。帰路の洞窟は複雑化して、魔獣が闊歩するようになりました。私一人ではとても……故郷へと戻れなくなってしまったんです……」
そこまで話して、ヨモサは悲しみに喉が絞られるような感覚を覚えた。少しだけ地上を観光したら、すぐに帰るつもりだったのだ。
地上の街は刺激に満ちた新しい世界であったが、同時に珍しいドワーフであるヨモサに対しては決して甘くない世界であった。
種族の特性上、女性でもドワーフは髭や体毛がかなり生えてくる。地底から出てきたばかりのヨモサは土埃にまみれ薄汚れていて、身なりの悪さから都市の住人からは粗雑な扱いを受けることになった。地上への好奇心はすぐに失望へと変わり、一通り街を見て回ったら地底へ戻ろうと考えていた。
だが、その矢先に『底なしの洞窟』が魔窟化するという予想もしなかった事態によって帰路を失ってしまう。街で滞在するための金銭は、地底から持ってきていた宝石を売ってしばらくは食い繋ぐことができた。けれど魔窟は容易に通り抜けることができず、滞在期間だけが延びていき、やがて手持ちの金が尽きた。
何か仕事をしなくては、その日の食事にもありつけない。
ヨモサは伸びすぎた髪と髭を切って、できるだけ身なりをよくして冒険者から仕事をもらおうと思ったが、小綺麗にしたドワーフは見た目では背丈の低い非力な女の子にしか見えず、まともに仕事を任せてもらえなかった。
「見た目が子供の私では仕事を探すのも一苦労で、その日暮らしの生活でした。いえ、あれを生活していたと言っていいのかは怪しいですね。ほとんど野の獣のような暮らしでしたから」
自嘲気味に力なく笑うヨモサに、クレストフとレリィは何と言っていいのかわからないような、気まずい顔をする。少しは同情を引けたのだろうか。
「仕方なく、魔窟の浅い階層で小鬼を狩ったり、他の冒険者が捨て置いた屑魔石を拾い集めたりして日銭を稼いでいました。少しでも魔窟に近い場所で活動して、故郷に帰る方法を探していたんです。強い冒険者の方々がいれば、どうにか一緒に連れて行ってはもらえないかと頼みましたが誰も報酬なしに引き受けてくれるわけもなく、運搬人として働こうにも熟練の冒険者相手だと、そもそも専属の運搬人や術士がいるので断られてしまいました」
「まあ……そうだろうな……」
まさにその通りの対応をしていたクレストフはさすがに場都合が悪そうだ。あまり非難するようなことを言うのは控えた方がいいかもしれない。
「かといって、新人冒険者では魔窟の奥深くへ潜るのは難しく、そればかりか私が怪力を見せつけて売り込みをかけると、怖がって逃げられてしまいました。仕方なくギルドの運搬人として細々と仕事の斡旋を受ける毎日が続いて……」
ふっ、と思わず鼻から息が漏れる。
「実はもう、諦めていたんです。私は一生、故郷には帰れないかもしれないって……。なのに、クレスさん達が現れるから。お二人を見て、諦めきれなくなっちゃったんですよ……?」
まだ回復しきっていない、傷ついた腕を震わせながら持ち上げて、ヨモサは必死にクレストフの外套を掴んだ。
「……すみません、運搬人としてお二人に取り入ろうとしたのは、それ以外に方法がないと思ったから。無理を承知で言うなら、どうか私を魔窟の中層部にあるだろうドワーフの集落まで連れて行ってくれませんか。依頼をするだけのお金はありません……。言われる通り、お二人に比べたら実力不足かもしれません。それでも……お願いします! 私、帰りたいんです。故郷に――」
支えていたレリィの腕から抜け出て、ヨモサは地べたにうずくまって頼み込んだ。
頭は決して上げない。どのみち、このまま二人に見捨てられれば自分に先はないのだから。半端な覚悟で頼み込んでいるわけではないと示さなければ。このまま黙って二人が去れば、自分はこの場でうずくまったまま狼の餌になる。それだけの覚悟で頭を下げ続けた。
――何も反応が返ってこない。
それがヨモサを不安にさせたが、頭は下げ続けた。乞い願う声が足りないのであれば何度でも頼もう。
「謝礼が出せない分は働きます。魔石を拾って、それを全てお渡しします。だから、どうか……お願いします……お願い……」
喉は悲しみに絞られて満足に声も出せなくなる。それでもヨモサは「お願い……お願い、します……」と頭を下げ続けた。
やがてクレストフは大きな溜息を吐くと、おもむろに話を始めた。
「昔、地底洞窟にいたドワーフの集落に行ったことがある。短い期間だったが交流もあった。あるいはヨモサとも、その時に会っていたかもしれない」
クレストフの言葉を、ヨモサはすぐさま過去の記憶に結び付けた。
「私は覚えていますよ。恐ろし気な黒い結晶に身を包んだ半魔人、あれはクレスさんだったのでしょう?」
目を細め、一瞬だけ呼吸を止めるクレストフ。そして、決意を固めたかのように厳しい表情となってヨモサに語り掛けてくる。
「……ヨモサ、俺と一緒にいた少女のことを覚えているか?」
彼と一緒にいた少女。覚えている。陽気な宝石の精霊と、陰気な感じの黒髪少女。たぶん、彼が尋ねているのは黒髪の少女のことだろう。
「黒い髪、金色の目をした女の子……。集落に来た時、一言だけ話をした記憶があります。歓迎の食事で出された
クレストフの両目が大きく見開かれた。その後、小さく息を吐く音が聞こえてくる。
突然、ぽんっとヨモサの頭にクレストフの手が置かれた。
優しく撫でるような感じではなく、武骨にただ頭を掴んでいるだけのような感触だったが、どうしてかそれはヨモサの心を落ち着かせてくれた。
「そうか。ビーチェを知っているなら赤の他人というわけでもないな。魔窟の最下層へ向かうついでだ。連れて行ってやるよ、ドワーフの集落まで」
「――え?」
突然のことだった。何が彼にそこまでの心変わりをさせたのか、ヨモサにはわからなかった。会話の流れから黒髪の少女が関係しているようにも思えたが、ヨモサが彼女と話したのはほんの一言。知り合いとさえ言えるかどうかも怪しい関わりである。
「あ、あのっ! 本当に、連れて行ってくれるのですか!? その場しのぎの嘘ではありませんよね!?」
「二度も言わせるな。嘘じゃない。約束してやる」
「よかったねー、ヨモサ。あたしが確かにこの約束は聞いたから、後から嘘だなんて言わせないよ」
「あくまでも運搬人として雇う形だからな。自分の身もなるべく自分で守れ」
「素直じゃないんだから、君は……」
レリィが呆れた顔でクレストフを見ている。まるで、これまでの頑なな拒絶こそが嘘であったかのようだ。
「とりあえず今日は一度、宿に戻るぞ。傷は癒したし、一晩休めば体力も回復するだろう。明日からは強行軍だ。覚悟はしておけ」
「は、はいっ!! よろしくお願いします!」
賭けに、勝ったのだろうか? ただ、どうしても勝利を自分の手で引き寄せたのだとは思えない。クレストフの感傷的な気まぐれか、あるいは何か未知の力でも働いたか。
なんにしろ故郷へ帰る道筋が見えたことで精神的な余裕のできたヨモサは、ふと気になっていたことを尋ねた。
「ところで、お二人はどうしてこんな場所で休憩していたんですか?」
ヨモサの質問に、クレストフとレリィは顔を見合わせて二人一緒に溜息を吐いた。妙なところまで息ぴったりで仲良しな感じだ。
「あぁ……それなんだがな。どうも魔窟の様子がおかしい。このまま突き進むかレリィとも相談していたところだ」
「一度、戻ってギルドには報告した方がいいよね。下手すると犠牲がたくさん出るかも」
「他の冒険者のことなど知ったことじゃないが、ギルドが何か情報を持っているかもしれないから、確認はしておいた方がいいな……」
意味ありげな会話をする二人を交互に見て、ヨモサは息を一つ飲み込んでから質問を発した。
「いったい、何があったんです?」
ヨモサの問いにクレストフが神妙な面持ちで答える。
「第二階層『
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