第288話 屑石拾い

 ギルドで揉め事のあった翌日。ギルド支部の入口で大きな籠を背負った少女が、男女二人組の冒険者に声をかけていた。

「お兄さん。運搬人ポーターが必要ではありませんか?」

 冒険者の二人が声のする方へ視線を向ければ、そこには手入れのされていないボサボサの赤髪に、死んだ魚のように濁った眼をした少女、ヨモサが立っていた。

「あ、ヨモサ! おはよう!」

「おはようございます、レリィさん。それにクレスさんも」

「ふん……お前の仕事なんてないぞ。他を当たれ」

「そんなことを言わずに。きっとお役に立てますよ」


 クレストフとレリィ、二人とヨモサとの契約は小鬼君侯討伐依頼に限定されたもので、昨日の段階で既に契約は解消されていた。

 ギルドからの仕事の斡旋を待っていては、次の仕事がいつになるかわからない。それに先頃の小鬼君侯討伐依頼の関係で、多くの冒険者達から睨まれてしまったヨモサは運搬人としてやっていくのが難しくなってしまった。

 雇ってくれる可能性がありそうなのはこの二人以外にいないと考えて、ギルド支部の入口で待ち構えていたのだ。


「召喚術の使えない冒険者なら運搬人ポーターが必要かもしれんが、俺には不要だ。荷物は全て召喚で呼び寄せるし、魔窟で入手した物も送還術で送れる。運搬人が手伝えることなどないな」

「そ、そうですか……。えっと、でもですね、いたらいたで助かることもあると思うんですよ?」

「ないな。邪魔になるだけだ」

 クレストフは全く取り付く島もない様子だった。

(……全く興味なしですか。でも、ここで引くわけにはいかない。私にも後がないから……後にも先にも、こんな機会はないから)


「こう見えても力には自信があるんです。邪魔にはなりませんよ。自分の身だって、自分で守れます。この前みたいに、拾うのが面倒で捨てていた魔石も全部拾い集めます!」

 背中に背負っていた武骨な超硬合金製のツルハシを片手で振り回してみせるが、クレストフは目も合わせようとはせずに無視してヨモサの横を通り過ぎていく。レリィが申し訳なさそうな顔をしながら、しかし何も言えず苦笑いを浮かべたままクレストフの後に続いた。


 結局、クレストフの承諾は得られないままギルド支部の受付で魔窟へ潜る手続きが進められてしまった。

「本日は運搬人を連れていかれるのですか?」

 受付嬢のティルナがそう尋ねるがクレストフは首を横に振る。

「こいつが勝手に付いてきているだけだ。迷惑だからギルドの方で引き取ってくれないか?」

 ティルナが困った表情でヨモサに視線を向けた。

「ねえ、ヨモサちゃん。冒険者さん、困っているみたいだから、今日のところはギルドでお姉さんと一緒に別の仕事を探しましょう?」

「ほっといてください。私はまだ売り込みを諦めてないんです」

「でも、この人達は普通の冒険者じゃないから、巻き込まれると大変だよ……?」

 こそこそと小さな声でティルナはヨモサに言い聞かせてくるが、ヨモサとしても用があるのは並みの冒険者ではないのだ。共に行くのは彼らのように特殊な冒険者でなければならない。


「新人受付嬢は自分の仕事に専念していてください。ギルドが私の目的に沿わないのは、これまでのことでわかっているんです。私はこれでも立派な成人ですから、自分の仕事は自分で見つけてきます。さようなら」

「えっ? ええ~っ……」

 一気にまくし立てて受付嬢の制止を振り払うと、ヨモサは魔窟へと向かって歩き出しているクレストフの背中を追う。

 ティルナが涙目になって見送るのを悪いと感じながらも、ヨモサは走ってクレストフとレリィの後を付いていくのだった。



 ヨモサは魔窟内でこっそりとクレストフ達の後を追いかけていた。こっそりといってもクレストフとレリィは、ヨモサが追ってきていることには気が付いているだろう。見て見ぬ振りをしているだけだ。

 小鬼君侯の討伐によって魔獣の気配が一時的に消え失せた第一階層を素通りして、二人と一人はあっさりと第二階層へ踏み込んでいた。

(……第二階層。ここは確か狼の魔獣がうろついていたはず……)

 前方からクレストフ達が魔獣と争う音が聞こえてきた。骨を砕く鈍い打撃音、地を震わせる振動、たまに洞窟内を走る閃光と爆発音。

 今回もまた随分と派手にやっている。

 彼らは戦闘に集中していて見落としたのだろう。魔窟の岩陰や窪みなど目が届きにくい場所に、茶褐色の透き通った微小魔石が転がっている。敵を倒しながら突き進むあの二人が、見落とした魔石をわざわざ戻ってきて拾うとは思えなかった。

(……よかった。私の仕事が残っている……)

 様々な術式を行使するクレストフが、魔石拾い専用の術式でも使えたらどうしようかと一抹の不安を感じていた。だが、あの有能な錬金術士でも、そこまで限定的で便利な術式は使えないらしい。

 ヨモサは急いで落ちている魔石を掻き集めると、クレストフとレリィの二人を走って追いかけた。



「どうですかクレスさん。これだけ見落とした魔石があるんですよ。私がいれば取りこぼしはありません。戦闘にも集中できて、魔窟の探索も捗るでしょう?」

 魔獣を倒した後に残る魔石の多くを捨て置いていたクレストフに、拾った魔石を渡して、魔石拾いならできるとヨモサは強く主張していた。

「報酬は捨て置いた魔石の二割でいいですよ。全部捨てていたはずのものが、勝手に八割も懐に入ってくるんです。同行させて損はないでしょう?」

 それでもクレストフの反応は芳しくない。いったい何が不満なのか。

「……勝手に後ろをついて来て、捨てた魔石を拾うのは別に俺の知ったことじゃない。だが、それと同行者として認めることは別だ」

「ついてくるのが勝手なら、正式に運搬人として雇ってもいいんじゃないの?」

 レリィが助け舟を出してくれるが、クレストフはどうしても考えを変えなかった。

「いいや、あくまで無関係として扱うということだ。運搬人としてこの先へ連れていくことはできない」

「なぜですか!? 理由を教えてください!」

「これから俺たちは魔窟の深層に潜っていく。魔獣に襲われても自分で身を守れない、非力な女子供を連れて行くわけにはいかない。お荷物を抱えたままこの先へ進むつもりはないんだ」

「戦えますよ! 私だって、いざとなれば!」

「無理をするな。最下級の影小鬼程度ならともかく、魔窟の深層に巣くう魔獣共は並みの冒険者にとってもきつい相手だ。運搬人にはとても対抗できはしない」


 反論はできなかった。冒険者でもきついというものを、運搬人の立場で大丈夫だとは言い返せない。

「それでも……私は一緒にいきたいんです……」

「わがままだろ、さすがにそれは」

 これ以上の会話は無意味と判断したのか、クレストフはヨモサから視線を切ると黙って魔窟の奥へと歩き出した。

 レリィも深い溜め息を一つ吐くと、クレストフの後を追った。レリィもまたクレストフと同じ意見なのだろう。魔窟は危険だ。力のない者が深層に踏み入れば、生きて戻ってくることはできない。

「それでも、私は……」

 ヨモサは歯を食いしばって、その場に立ち尽くすしかなかった。



 クレストフ達が魔窟の奥へと進んでしまった後、悔しさに打ちひしがれていたヨモサであったが、いくら諦めようと思っても他の選択肢が考えられなかった。あの二人に付いていく。それだけが自分に選べる最善の道だと。

 止めていた足を再び前に出す。厳しいことを言われ諦めかけてしまったが、こうなったら迷惑だろうとなんだろうと追いかけていく。運搬人として認めてもらえないのであれば、それはそれで仕方ない。こっそりと後を追うことにする。安全は誰も保証してくれないが、少なくとも一人で魔窟に挑むよりはましだ。あの二人が魔獣を倒した後を進む方が確実に先へと到達できる。

 覚悟を決めたら、ヨモサは二人を追うべく駆け出した。わずかな時間だが、広い魔窟で距離を離されてしまえば合流が難しくなってしまう。いや、あくまで合流ではなく追跡なのだが。

「クレスさんも、レリィさんも常人離れしていますからね。魔窟の攻略速度は並みの冒険者とは比べられない。急がないと……」


 ヨモサが立ち止まっていたのは本当にわずかな時間だった。しかし、その間にクレストフ達は随分先へと進んでしまったようだ。

「お二人の姿が見えない……そんな……」

 代わり映えのしなかった洞窟の風景も、いつしか幾本もの道に分岐して複雑さを増している。

 焦りが募るなか、地面に残された人の足跡を辛うじて辿りながらヨモサはクレストフ達を追った。

「……なんだろう。足跡がだんだん……」

 元より固い地面で足跡は残りにくい。だが、それでもヨモサの目には確かにクレストフ達の足跡が見えていた。それが――。

「狼の足跡と混じっている……?」

 はっ、と地面に目を向けていたヨモサが顔を上げると、すでに周囲には獣の気配が充満していた。


「いつの間にっ……!?」

 背中に担いでいたツルハシを慌てて構え、周囲の気配に警戒を向けるヨモサ。

 洞窟の先、闇の向こうから一匹、また一匹と漆黒の毛並みを持った洞窟狼が現れる。体毛からはゆらゆらと黒い靄のようなものが湧き立ち、その瞳は赤く鮮やかに光り輝いていた。完全に魔獣化している。

影狼シャドウウルフ……。クレスさん達が倒していったはずなのに、どこからこれだけの数が湧いて……」

 一匹の魔獣、影狼が駆けだした。名前の通り、狭い洞窟を影が滑り抜けるようにしてヨモサへと迫ってくる。

「うっ……!!」

 とっさにツルハシを前に出して体をひねり、影狼の牙から身を守る。すれ違いざまに噛みついてこようとした影狼は、ツルハシの先に食らいつくも硬く滑りやすい超硬合金製のツルハシを咥え切れずにそのまま走り抜けていった。

「あ、危ない……」


 影狼は、影小鬼より素早い。武器を持たない分、攻撃力では影小鬼に劣るが、持ち前の素早さと鋭い牙はそれだけで低ランクの冒険者には脅威になる。なにしろ、これらも魔獣の一種だ。尋常ならざる生命力と、高い知能を持ち合わせている。今もヨモサの実力を探るかのように、影狼の一匹だけが襲い掛かってきており、周囲にいる影狼は様子を窺っている。

 ヨモサが弱みを見せれば、すぐさま集団で襲い掛かってくるだろう。今はまだ警戒しているだけだ。

 再び、影狼が突進してくる。低い姿勢で地を滑るように黒い影が迫る。牙を剥き、地面から伸び上がるようにして喉笛に食らいつこうとしてくる影狼。そこへ、ヨモサは迷うことなく全力でツルハシを振り下ろす。


 ツルハシの突端が影狼の頭蓋を捉えて、顎下まで貫通するとそのまま地面へと縫い付けた。影狼がじたばたともがくが、ヨモサは振り回される爪を器用に避けると影狼の肩を思いきり踏み抜く。

 鉄骨の仕込まれたブーツの踵が影狼の肩の骨を踏み砕き、続いて脇腹、後ろ脚と次々に潰していく。このブーツは前回の影小鬼討伐の際に得た報酬で整えた装備の一つであった。長時間の移動にも配慮して足への負担を軽くする構造になっており、強く蹴りつけても足が痛まないように鉄骨と緩衝材で覆われている。

「このっ! このっ! 私だって、ちゃんとした武器さえあれば、あなた達にだって遅れは取らない!」

 見た目の幼さに反してヨモサの身体能力は極めて高い。影小鬼討伐の際にも大量の魔石を担ぎながら、クレストフとレリィの移動速度に辛うじて付いていけるくらい足腰は強いのだ。加えて、クレストフから譲られたツルハシは、ヨモサにとって使い慣れた道具であり武器だった。しかも超硬合金製という高級品とあって、その貫通力は魔獣の分厚い毛皮をものともしない。


 影狼は黒い霧になって蒸発していく。斥候役の影狼が倒されたことで、周囲に潜んでいた影狼達の気配が途端にざわつき始めた。

 ――油断ならない敵が来た。と、そんなところだろうか。

 恐れをなして退いてくれればヨモサにとってはありがたかったのだが、残念ながら影狼達が退く様子はなかった。魔獣というのは知性が高いくせに、ひどく好戦的で死を恐れない。戦略的に撤退を選ぶことはあっても、闘争心を失うことはないのだ。

「先へ進むには、今ここで戦うしかないというわけですね……」

 次々に洞窟の岩陰から姿を現す影狼達。ヨモサはツルハシを強く握り直して構えた。低く地の底から響くような獣の唸り声が、全方位から波のように押し寄せてきた。


「魔獣がっ……なんだって言うんですか!! このっ! このぉっ!! 私の、邪魔を、しないで!!」

 ヨモサは必死に応戦していた。ここで、逃げてしまってはクレストフ達とはぐれてしまう。あの二人の移動速度は速い。調子が良ければ第二階層よりさらに深く潜って、魔窟内に拠点を築きながら進んでいくという話もしていた。もしかするとこのまま地上に戻らず、深層へと潜ってしまうかもしれない。来た道を戻って迂回などしていたら、追いつくことはできないだろう。

「退けない……ここで見失うわけにはいかないんです……。あの人達が、あの人達だけがっ……私の道しるべだから!!」

 歯を食いしばってその場に踏み止まる。

 ツルハシを振るって、影狼のこめかみを横から貫く。強靭な生命力を誇る魔獣といえども、魔獣化以前の獣としての身体構造は残されている。ゆえに頭部の破壊は魔獣を滅するにも効果的な弱点であった。

 だが、あと何匹倒せばいいのか。すでに十を超える数の影狼が黒い霧となって消滅している。それでもまだ、影狼は次から次へと岩陰から姿を現す。


 腕が重い。足が震える。手も痺れてきた。

 体のあちこちを影狼に噛まれていた。肉を抉られるような大きな傷はまだなかったが、腕や足には牙の刺さった痕が無数にある。少なからず出血もしていた。

 それでもヨモサの心は折れていなかった。

「私は――帰るんです。地の底深く――皆のいる故郷に!!」

 影狼の咆哮に負けぬ、裂帛れっぱくの気合が洞窟に響き、ヨモサへと襲い掛かる影狼の頭蓋がまた一つ潰れた。

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