第287話 黒い噂

 換金所で魔石を売却し終わった俺達は、その足で冒険者組合支部へと向かった。換金額の情報が記録されたことで、冒険者ランクが上がっているはずだ。

 夜も更けてきた支部の受付には、最近よく見かける未熟な受付嬢ティルナが座っている。彼女は俺とレリィに気が付くと、びくっと体を震わせてから姿勢を正した。

「い、いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか……?」

 恐る恐る人の顔色を窺うような表情で用件を聞いてくる受付嬢。別に威圧的な振る舞いをしてもいないのに反応が過剰すぎる。


「冒険者ランクの更新を頼む」

「冒険者……ランクですか? レベルではなくて……あっ!? 失礼しましたっ……! それでは冒険者登録書をご提示ください」

 以前にも全く同じやり取りをした記憶がある。恐縮する受付嬢に、俺は思わず苦笑いしながら冒険者登録証を渡す。隣にいたレリィも胸元から登録証を取り出した。


 受付嬢は俺達から登録証を受け取ると、複雑な魔導回路の刻み込まれた四角い水晶体に登録証をかざした。それから表示される情報を何度も見直すような動作をして、「あれ? あれ?」と繰り返し疑問の声を漏らしている。

「――ええと……魔石換金額が……お二人で金貨二六一枚……? しょ、少々お待ちをっ! 確認を、確認をしてきます!」

 そう言うと慌てて換金所へ走っていく受付嬢。そんなに冒険者組合の情報端末は信頼性が低いのだろうか。


 またしても受付で騒ぎを起こしているのか、と他の冒険者共がこちらに視線を送っているのがわかる。もう夜も遅いのに、あいつらは組合支部で何をしているのだろうか。

 周囲を見れば、夜遅い時間帯にしては普段より明らかに人の数が多い。大規模な討伐依頼があったから、その影響だろうか。

(……ちっ。野次馬共が、人のことを探るように見やがって。鬱陶しい奴らだ……)


 無遠慮な視線に苛立ちながら受付嬢を待っていると、ばたばたと忙しない様子で受付嬢が戻ってくる。

「お、お待たせしました……!」

 ぜぇはぁと荒ぶる息を整えながら、姿勢を正した受付嬢が努めて事務的な口調で告げる。

「クレストフ様、レリィ様、小鬼君侯の討伐、お疲れさまでした。成果報酬の換金額から、両名とも冒険者レベル41、ランクCに昇格となります」

 ギルド内に大きなざわめきが起こる。

 レベル11からいきなりレベル41へアップしたのだ。ランクもたった二回の魔窟攻略でEからCに昇格している。普通に考えたら非常識な話だと思うだろう。特に、Dランクでいつまでも足踏みしているような人間や苦労してCランクへと上がった人間にとっては。


「おい! 一体どういうことだ!?」

「こいつらがCランク昇格っていうのは本当か!?」

「馬鹿言うなよ! つい先日までレベル10程度でしかなかったはずだ! 小鬼を狩ったくらいでランクが上がるかよ!」

「そっ……! それはっ……魔石のか、かか、換金額で……」

 顔も名も知らない冒険者達が受付嬢に食ってかかる。目を血走らせて詰め寄る冒険者を前にして、受付嬢のティルナは顔を引き攣らせながら竦んでいる。涙目で何か言おうとしているが、相手の気迫に押されてまともに声が出せていない。色々と限界に来ている様子だ。

 まだ登録証も返してもらっていないし、助け船を出してやるべきか。実際、話の途中で割り込まれたようなものだ。文句も言いたくなる。


「おい、間抜け共。他人の窓口での話に割り込んでくるな、邪魔だ。散れ散れ!」

「あぁん!? 誰が間抜けだってぇ!?」

「その様子じゃ、既に小鬼君侯が討伐されたことも知らないで、ギルドにたむろしていたんだろう? それが間抜けでなくて何だ」

「はぁ? おい、いい加減なこと言うなよ? いったい誰が小鬼君侯を倒したって――ぐぇっ!?」


 突然、それまで喋っていた冒険者の男が後ろに引き倒されて、とりわけ大きな体格をした角ばった顔の冒険者が、ぬっ、と野次馬共を押しのけながら俺の前へと出てくる。

「聞き捨てならんなぁ、それは」

 今まで騒いでいた周りの冒険者達が肩身を狭そうにして端に寄った。引き倒された男は尻もちを着いたまま、床を這いずって後退していく。

 筋肉の塊と言っても過言ではない巨躯の男は、体中に入れ墨のような魔導回路を刻み、両肩にこれもまた魔導回路を刻んだ鎖を巻き付けていた。ただ図体が大きいというだけでなく、全身から滲み出る暴力性の発露によって異様なまでの威圧感を周囲に振りまいていた。


「なあ、兄ちゃんよ。もう一度、俺の前で言ってみちゃぁくれねぇか? 小鬼君侯がどうしたって?」

「何度も言わせるな、小鬼君侯は俺が討伐した」

 ずんっ、と巨躯の男が一歩踏み出してくる。威圧感を更に増して、あからさまな殺気すら漂わせている。

「それを言うのか? Aランク冒険者である俺の前で?」

「誰の前であろうと事実は変わらない。Aランクだか何だか知らないが、聞きたいことはそれだけか?」

「…………」

 俺の返答に押し黙る巨躯の男。


 周囲の人間がごくりと唾を呑み、ひそひそと小声で言葉を交わす。

「おいおいおい……あいつ、まじで言いやがったよ……」「信じらんねぇ……。あの『いわおのガダル』を前にして大口叩くなんて……」「あー、死んだわ。あいつ」

 どうやらAランク冒険者らしい『巌のガダル』は、じっくりと値踏みするような視線で俺を眺めている。それで何か納得できたのか、俺から視線を外すと隣にいるレリィにも目を向けた。レリィがにこりと笑顔で返すと、ガダルは苦虫を噛み潰したような表情になって首を引いた。納得できない、という顔だ。その反応にレリィもむっとした顔になる。お互いに変な顔で睨み合っていた。


「おーい、ガダルやい。そんな口だけの新人、相手にすんなよ~。それより、こっち来て一緒に飲もうや」

 ギルド内の歓談場所で一人、酒を飲んでいた男がガダルに声をかけた。真っ赤な顔で完全に酔っぱらっている。背負った反りのある長剣が、体を揺らすたびにガチャガチャと鞘の中で落ち着きなく音を鳴らしている。

「あ、あーっ! ジラフさん、ギルド内にお酒を持ち込まないでくださいって、いつも言っているのに!」

 それまでずっと固まっていた受付嬢が、場の空気をどうにか変えようと必死な様子で酔っ払いを注意しに歓談場所へと走っていく。

「え? 何? ティルナちゃんがお酌してくれるの? やー、嬉しいねぇ」

「違いますから! それより、ギルド内で飲酒は禁止されているんですから! 没収しますよ!」

「あー、そんな~……。なんだよー、せっかくこわーいガダルと迷惑新人の板挟みから抜け出す機会を作ってあげたのに、ひどいよティルナちゃーん」

「迷惑なのはジラフさんですから。あの新人さんは、きちんと正規の手続きでランクアップしているんです!」

「えぇ、でもそれさ……小鬼君侯を討伐したところは、誰も見てないんだよねぇ?」

 赤ら顔をした酔っ払いのジラフが細めた目で俺達の方を見る。酔っている割には、妙に理性ある視線だ。


「なんだ、あのむかつく酔っ払いは」

「Bランク冒険者のジラフですよ。いっつもお酒飲んで酔っ払っていて、魔窟に潜るときもほろ酔い気分で向かう迷惑な人です」

 俺の零した独り言に、律儀なヨモサが答えてくれる。

 その間に、ジラフはやたらと饒舌に「最近の若い奴らはズルして楽にランク上げようとするからなぁ……」などと、周囲の冒険者達にのたまい始めていた。

 それに同調したのか、ガダルの登場で静かになっていた冒険者達が再び声を上げる。


「俺は見ていたぞ! そこの運搬人ポーターが小鬼将軍の魔石を掠め取っていったところを! 小鬼将軍を倒したのは黒の狂戦士だろ! なんでそいつに魔石が渡るんだ!」

「そうだ! その上、小鬼君侯まで倒したなんて、お前みたいな成金坊ちゃんにできるわけがねえ! 証明できるのかよ? お前が小鬼君侯を倒したってことをよ!」

 騒ぎ立てる冒険者達、そして俺の隣でうつむきながら肩を震わせるレリィ。

「黒の狂戦士……ぷふっ……」

 必死に笑いを堪えていやがった。


「ちっ……。おうジラフ! てめえ酒で目が曇ってやがるのか!? そんなんだからいつまでもBランク止まりなんだよ!」

 ガダルは怒鳴り散らすと、怒った様子でずかずかとギルドの外へと出ていった。

「なんだよガダルのやつ。まさかそこの新人が小鬼君侯を倒したってのを信じているのかぁ!?」

 再び静まり返ったギルド内に、ジラフの声が反響する。

 その問いに答える者はいないかと思われたが、歓談場所の隅から低く押し殺したような呟きが聞こえてくる。

「――だとすれば、いったい誰が小鬼君侯を倒したのか」

 長い口髭を生やした老人が、二本の刀剣を丁寧に手入れしながら誰に語りかけるでもない独り言を口にしていた。


「ムンバの爺様……」

「子守り刀のムンバ……」

「Aランク冒険者のムンバだ……」

「今日はすげぇな……凄腕が勢揃いじゃねえか」

 ガダルが登場した時とはまた違った空気が漂い、囁き合うように冒険者達がざわつく。ジラフはつまらなそうな顔をして酒を飲みながら、ムンバが次の言葉を発するのを待っていた。


「受付のティルナ嬢は、はっきりと言ったぞ。小鬼君侯の討伐がなされた、とな。儂は、他の誰かが小鬼君侯を倒した姿は見ておらん。他に討伐者がいたのなら、その者はなぜ名乗り出ないのか。運搬人も付き添っていたであろうに、どうして魔石を他の者に譲ることがあろうか。それに――」

 そこでムンバはちらりとレリィの方に視線を送る。

「少なくともそこなお嬢さんがCランク以上の実力があることは明白だて。小鬼将軍が率いる影小鬼の群れとの戦闘時、助けられた者も幾人かおるだろう?」

 俺と違ってレリィはいつも通りの格好で、大勢の冒険者がいる前で派手に戦闘を繰り広げていた。その場にいた者ならレリィの実力を疑うことはないだろう。

 当のレリィは自分の活躍に興味がないのか、それともこのやり取りにも飽きてきたのか盛大に欠伸をしていた。


 だが、ジラフは納得していないのか、軽く舌打ちをした後にムンバの言葉に食ってかかる。

「だけどよぉ、この成金野郎の姿は誰も見ていないぜ? そこの運搬人と一緒にこそこそ隠れながら、他の奴らが倒した影小鬼の魔石を拾い集めていたに違いねえ」

「なっ!? 文句を言われる筋合いはありませんよ! あれらは確かにクレスさんとレリィさんが倒した魔獣の魔石です! 運搬人はギルドに雇われた公正な立場で仕事をしているんですから、自分の担当する冒険者以外が倒した魔石なんて拾うはずないじゃないですか!」

 ジラフの言いがかりにヨモサが反論する。ギルドで正式に雇われていて、自分の仕事を忠実にこなしているヨモサとしては信頼を疑われていることに対して黙っていられないのだろう。


「ふむ。黒い狂戦士……顔もわからぬ姿であったが、ひょっとしておぬしではなかったのか? なあ、錬金術士の青年よ。ちょいとここで、あの時の姿を見せてくれれば、皆が納得するのだが……」

 ムンバの前で錬金術士と名乗ったことはあっただろうか。なかったように思う。俺の装備品を見て判断したのだろう。それがAランク冒険者の見立てで、俺を成金坊やとしか見られないのがCランク以下の有象無象といったところか。ムンバはどこか楽しそうな表情で、こちらの反応を窺っている。だが、その誘いに俺が乗ってやる必要性は感じない。


「断る。俺がお前達を納得させるために、わざわざ術式を消費してやる理由はない」

「ふむ……まぁ、道理だの。あれほどの術式ともなれば安くもあるまいて」

 俺が馬鹿げた提案を蹴ると、ジラフが勢いづいて騒ぎ立てる。

「へっ……! ほら見ろ、やっぱり証拠を出せないんじゃないか……!」

「しかし、否定する証拠もあるまい?」

「ぐっ……! なんだよ、ムンバの爺様。あんたはこんなポッと出の新人の肩を持つってのか!?」

「ま、小鬼君侯討伐の先を越された悔しさはわからんでもない。だが、目に見えての嫉妬はちと恥ずかしくはあるまいか?」

「く……くそっ……。俺はまだ、認めたわけじゃないからな……!」

 よろよろと千鳥足で歩くジラフは、捨て台詞を吐いてからギルドを後にした。

 別にどこの誰とも知れないやつに認められたいなどと思いもしないのだが。結局ムンバの発言もあってか、それ以降は俺とレリィに絡んでくる冒険者はいなくなった。


 ただ、気にくわないのは――。

「なあ、結局、黒の狂戦士は誰なんだ?」

「ほんと、あれ何だったんだろうな?」

 ちらちらと不躾な視線がたまにこちらへ送られ、不快な呼び名がギルド支部内で囁かれていた。

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