第286話 富める者の価値観
魔窟から帰還してラウリの酒場で腹を満たした後、宿へ戻る前に換金所で魔石の交換を済ませることにした。
もう夜も遅い時間となっていたが、いつ何時に現れるかわからない冒険者達を待ち構えるように、冒険者組合支部と換金所には明かりが灯っている。
換金所に入ると魔石を取り扱う赤のカーテンがかかった窓口へ迷わず向かう。担当する鑑定術士の名前が書かれた掛札と一緒に並ぶ札は、全て『空き』となっていた。
「窓口はどこにしますか? 今なら、どの鑑定術士でも選べますよ」
「違いなんてあるのか?」
「よほど特殊な物の持ち込みでもなければ大差ないですけどね。今回は小鬼君侯の魔石もありますし、慣れ親しんだ鑑定術士の方が話は早いですよ」
そうは言ってもまだ一度しか換金所は利用していない。懇意の鑑定術士などいるわけもなかった。
「ジルヴァさんがいるみたいだし、そこにしたら?」
レリィが指差した窓口には、前回の換金を担当したジルヴァの名前がある。有能そうな老紳士だったし、彼に任せれば間違いはないだろう。
「ああ、だったらそこでいいな」
「渋い選択ですね……敢えてジルヴァさんですか……」
誰でも良さそうなことを言っておきながら、何故か奇妙な反応をするヨモサ。
「問題はないだろ」
「もちろん問題はありません。ただ、鑑定術士は女性が多いので。中には若くて美人な方もいますから、てっきりそちらを選ぶかと……」
言われてから鑑定術士の名札を見れば、ジルヴァ以外は女性の名前ばかりが並んでいた。
「…………まあ、別に男でも女でも関係ないな。鑑定術士として信頼できれば」
「今、ちょっと気になったでしょ、クレス。ねえ?」
断じてそんなことはない。ただ単純に、こんなところでも術士という職種は女社会なのだな、と思っただけである。魔導技術連盟でやり手の魔女共に囲まれている自分としては、ジルヴァへの共感が少し芽生えた。
赤いカーテンをくぐると黒いスーツをぴしりと着こなした老紳士が穏やかな笑みを浮かべて立っている。魔導回路の刻み込まれた
「いらっしゃいませ、クレストフ様。……今日はヨモサも一緒ですか。相当な数の魔石をお持ちのようですね。全て換金なされますか?」
「全て……いや、待て。そうだな……。自分で使うことも考えなかったわけじゃないが……」
魔窟で採れる魔石、すなわち魔獣の体内から取り出した魔核結晶は、魔導回路を刻むのにはいい基板になる。今ここで売ってしまえば貨幣にしかならないが、俺が研究材料として使えばこれまでにない術式を開発できるかもしれない。
そう思い直して、ヨモサが抱えている籠から小鬼君侯の魔石を取り出してみる。
「ほお……。これは立派な……」
思わずといった様子でジルヴァが感嘆の声を漏らす。
拳大の魔核結晶は珍しい。しかもこれは潤沢な魔導因子を内包している。
だが、俺はこの結晶を改めて観察してみて気が付いた。
(……大きいが、こいつは面白味がないな……)
魔核結晶と呼ばれているが、こいつはまるでガラスのようにのっぺりとした非晶質である。色は黒っぽく、不純物も多そうだ。内包する魔導因子の量はかなりのものだが、これを基板として魔導回路を刻んでも平凡な効果の術式しか発動できないだろう。
俺が自分で作った人工結晶のように、ある程度の品質は保てるが高水準には至らない。そんな印象の結晶だ。
「中くらいの魔核結晶だけ手元に残す。後は換金してくれ」
「承知いたしました。それでは冒険者登録証をこちらへ。レリィ様にも分配するのであればご一緒に」
「いいの? 取っておかなくて」
「これは売ってしまって構わない。
それに今回に限っては買い取り価格が三割増しだ。研究材料にするよりは売ってしまった方がお得だろう。
「ギルドマスターからのお墨付きもある。確認してくれ」
「承知いたしました。しばらくお待ちください」
ヨモサが鉄格子の下にある受け渡し用の容器に魔石の入った籠を入れる。容器の車輪を動かして魔石を受け取ったジルヴァは、魔石を大きな机の上に並べてすぐに鑑定を始めた。
千個以上はあるであろう魔石を、迷うことなく選り分けていくジルヴァ。片眼鏡に刻まれた魔導回路が強い輝きを発している。何らかの術式で鑑定を補助しているのだろうか。魔石を選り分けるジルヴァの手捌きに淀みはなく、大きさ別に分けられた魔石はまとめて天秤にかけられ、重量を計測される。最後に小鬼君侯の大魔石をじっくり観察すると、満面の笑みを浮かべてジルヴァは鑑定を終了した。
「お待たせしました。極小魔石が一〇二六個、これらは魔石一つで銀貨二枚相当。微小魔石が五二五個、一つ銀貨四枚。小魔石が七〇個、一つ銀貨二〇枚。中魔石は四つ、こちらはお返しします。ちなみに鑑定額は一つ金貨三枚になります。最後に大魔石が一個、これは金貨三〇枚ですがギルドの特別報酬として買い取り金額は三割増しとなります。合計で金貨二六一枚と銀貨二枚になります」
淡々と説明するジルヴァの鑑定金額にレリィが目を丸くして驚き、身を乗り出して鉄格子に掴みかかる。
「金貨二六一枚……って……? え!? これ、どれくらいの価値で考えればいいの?」
「土地代抜きで、安い一軒家がどうにか建てられるぐらいだな。二人で割ったらそれも難しいが。つまり、その程度の金額だ」
「いや、その程度って……」
一方、興奮を抑えられないレリィと比較して、ヨモサの反応は静かなものだった。
「……あれだけの数ですからね。ま、まあ、それくらいはいくだろうと思いましたが……一回の魔窟攻略でこれだけの稼ぎというのは、呆れ果てました」
どうやら呆れていただけのようだ。心なしか少し、声が震えているのは金額に恐れをなしてのことか。
「実際、収支は悪くないな。俺が今回の戦いで消耗した魔蔵結晶だけで金貨六〇枚は引かれるとしても、俺とレリィが金貨百枚ずつで働いたと考えればいい。まとまった雑魚魔獣の群れを一掃する報酬としては妥当だろう」
『は……?』
レリィとヨモサの声が重なる。それまでの浮かれていた声とは違う、疑念を含んだ声だった。
「ねえ、今さ……。金貨六〇枚は引かれるって言った?」
「お兄さんが今日一日で消耗した魔導回路の金額ってことですか……?」
「あぁ、その通りだ」
途端にレリィとヨモサが俺に詰め寄り、両肩をそれぞれ掴んでガクガクと揺さぶる。
「嘘でしょクレス!? なんで!? どうして、一日で金貨六〇枚も使っちゃうの!? 収支で黒字だからって間違っているでしょ!? そんなお金使うくらいなら、小鬼なんて全部あたしが倒すから! クレスが戦う必要ないから!!」
「わ、私の生活費の一年分……いえ、二年分になるかもしれない額を、たった一日で……? ははは……ありえないです。ありえないですよ、お兄さん!」
「何を言っているんだ、お前達は? 俺の術式を使わなければ、あれだけの数の影小鬼をこんな楽に短時間で殲滅できるわけないだろ。必要な投資なんだよ、これは」
「納得できない~!! 普段は守銭奴みたいにケチな癖に! クレスの金銭感覚はおかしいから!」
「お前に言われたくないわ!」
ろくに家計簿もつけたことのないレリィに金銭感覚を指摘されるのだけは我慢ならなかった。
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