第284話 小鬼亡者《ゴブロフゾンビ》

 小鬼君侯ゴブリンロードを撃破した後の第一階層『小鬼の巣窟』は不気味なほどの静寂に包まれていた。


「随分と静かになったね……」

「まあ、ほとんどの影小鬼を俺達が全滅させてしまったからな。それと、階層主を倒すとその階層の魔獣共がしばらく大人しくなるというのは魔窟ダンジョンの性質としてはよくある話だ」


 運搬人ポーターのヨモサが魔石拾いをしている間、俺とレリィは周辺の警戒に当たりながら第一階層の変化について話をしていた。

 既に『鉄砂の鎧』は解除して、『三斜藍晶刃』だけ念のため持っている状態だ。レリィも水晶棍は武器として持っているが、闘気は既に封じている。八つ結いにされた髪の二房が枯れたように紅く染まっていた。


「他の冒険者はどうしたのかな?」

「戦闘開始から四刻は経っているから、一旦、引き上げているんじゃないか」

「そういえばあたし達もずっと戦っていたよね。落ち着いたら、急にお腹減ってきたな……」

 途中で水分補給くらいはしていたが、まともに食事もしないで戦い詰めだった。


「召喚術で何か食べ物を呼び出すこともできるが……」

「あー……いいや。帰ってからちゃんとした食事をゆっくり食べようよ」

「それがいいな」

 俺はまだ戦いの興奮が冷めていないせいか、そこまで空腹を感じていない。既に戦いは終わって帰還する段階にあるのだし、何もこんな焼け落ちた魔窟で食事を摂ることもないだろう。


「おーい、ヨモサ! 魔石拾いもその辺で切り上げておけ! 全部拾う必要はないぞ!」

「……いいんですかー! まだかなりの数が落ちていますが……!」

「お前の背籠も一杯じゃないか。あとは屑石ばかりだろうし、残りは他の冒険者にでもくれてやれ!」

 本当はヨモサの背負う魔核結晶を送還術で俺の倉庫にでも送ってしまえば、まだまだ拾い集める余裕はあるのだが時間がかかり過ぎる。ヨモサに任せて帰ってしまうわけにもいかないし引き上げ時だろう。

 ヨモサは渋々といった様子で魔石拾いを中断した。


 帰還の道中は影小鬼の一匹も出てくることはなく、あっさりと小鬼の巣窟の入口付近まで戻って来られた。

 しかし、第二階層へ続く手前、木の扉があった部屋の付近まで来たところで、急に足元の地面から地の精ノームが飛び出してきた。

「うわっ!? なんですか、これ!」

「ん? なんだ、ノーム共か。どうしたんだ?」

 突然のノームの出現にヨモサが驚いている。ノーム達は俺やレリィの脚に縋りつき、この先へ進ませまいとするように引き留めているようだった。

「ねえ、クレス。この子達、震えているみたいだけど……」

「怯えている、のか? この先に何かあるとでも?」

 既に影小鬼の軍勢は討伐した。この先は第一階層の浅層に戻る扉があるだけだ。


 震えあがるノーム達を無視するのも気は引けたが、この先へ進まなければ帰ることもできない。

 俺は小鬼の巣窟の入口にある一つ目の大部屋に足を踏み入れた。

 部屋の中は薄暗く、影小鬼達が灯していたであろう篝火が一つだけ、部屋の中心に据えてある。ゆらゆらと頼りない炎で部屋の中を照らしているが、それ以外に特別おかしなところは何も――。


『ガエギ……ダイ……』

 一匹の小鬼が、部屋の中にいた。

 小鬼斥候ゴブリンスカウトだろうか。小さな体躯に、不釣り合いな大きさのツルハシを握っている。

 小鬼は落ち着きなくツルハシを振り回しており、癇癪でも起こしたかのようにその場で飛び跳ねている。


 何の変哲もない小鬼の一匹。

 そのはずなのだが、動作が妙に個性的で存在感のある小鬼だった。

 レリィの胸元で長い毛をふるふると揺らしながらノームが震えている。幻想種である地の精ノームを怯えさせているのが、この小鬼だとでも言うのだろうか。


「あの小鬼……ちょっと様子がおかしくない……?」

「ああ、確かに普通じゃない感じだが……」

 様子を探ろうとおかしな小鬼に少し近づいたところ、篝火の炎が揺れて小鬼の姿が薄暗闇にはっきりと浮かび上がった。

「…………ぅっ!? こいつは――」

「体が、腐ってる……!」


 そいつは半身がぐずぐずに爛れており、よく見れば白い蛆が体にたかっている。

 目玉も片方が半ば飛び出しており、口元は耳まで裂けて鋭い牙が覗いていた。

 俺達の声に反応したのか、小鬼が不意にこちらへ顔を向ける。そして、覚束おぼつかない足取りでゆっくりと距離を詰めてきた。


『ガゲ、ギ……ダイ……。…………ダイ。ダ、ダダッ……ダイダイダイダイ! …………ダァアアアーイィイッ!!』


 ツルハシを無闇やたらに振り回しながら、小鬼亡者ゴブリンゾンビが俺に向かって飛び掛かってくる。

「くっ……!?」

 すかさず藍晶刃を前に構えてツルハシを迎撃する。

 ツルハシの柄を斬り飛ばすつもりで一閃させた斬撃は、しかし澄んだ硬い音を立てて弾かれただけだった。


『ガァッ!! ガゲァアッ!!』

 弾かれても、弾かれても、息つく間もなくツルハシを振るって小鬼亡者は襲い掛かってきた。

 口の端より泡を噴き散らしながら、ツルハシの先端を俺の頭に突き立てようと何度も叩きつけてくるのだ。

『ガゲギ、ガギィ……ッ!!』

 ただ、がむしゃらに打ちかかってくるだけの動作。動きに勢いこそあるものの、技術的な工夫は一切見られない獣の行動だ。技量で言えば小鬼君侯の方が遥かに優れた戦闘技術を持っていた。

 ――だが、こいつが振るうツルハシには鬼気迫る意思が、敵を呪い殺さんとする憎悪が乗せられている。


『ガガギッ……! ガガギィッ……!! ガガギィイイ――ッ!!』

 これ以上ないほどに命を害さんとする呪詛の込められた一撃が振るわれようとした瞬間、俺は藍晶刃を素早く横に薙いで、小鬼亡者の首を斬り落とした。

 あっけなく首を飛ばされた小鬼亡者は、地に首を落として胴体だけになりながらもツルハシをこちらへ押し付けようとしてくる。恐ろしいまでの執念だった。


 随分長い時間に感じられた小鬼亡者の最期の足掻きだったが、実際には数秒程度の時間で胴体の方も力を失い地面に倒れ伏す。そして、小鬼亡者の身体はどろりとした黒い泥のようなものに変質して、魔窟の地面へと吸収されていった。

 後には、やたらと頑丈なツルハシだけが遺され、魔核結晶らしきものは残らなかった。


 篝火が一つ揺らめく大部屋に長い沈黙が流れる。

「――なんだったんです? 今の?」

 ヨモサが心底から不可解そうな顔で疑問を口にする。俺も、レリィもその疑問に答えてやることはできなかった。

 ただ、俺には遺されたツルハシが妙に気になった。

「見覚えのあるツルハシだが……まさか……」

 拾い上げてみたツルハシは極めて硬い超硬合金で作られていた。これはかつて俺が鉱山開発をしていた時、穴掘りをする小鬼達に持たせたものと同じだった。

 間違いなく、俺が作ったツルハシだ。


「ヨモサ、このツルハシはお前にやる」

「え? いいんですか? 小鬼の持ち物だったのがちょっと嫌ですけど……物自体はすごく強い金属が使われていますよ。売ったらたぶん、下手な鋼鉄製の剣なんかよりも高く売れますけど、本当にもらっても?」

「構わない。もう、俺には必要のないものだからな」

「……? そうですか。じゃあ、遠慮なくもらっておきます」

 ヨモサはツルハシを受け取ると、大事そうに両手でしっかりと握って懐に抱えた。


「それじゃあ、帰りますか。魔石の数がすごいことになっていますから、クレスさん達、間違いなくランクアップですよ」

「そうかもしれないな」

「…………うん。あれだけの数、小鬼を殺したもんね……。あたし達、恨まれたかな……」

「まあ、恨みは買っているだろう。確実に」

 心なしか、レリィの表情が暗い。

 たぶん、俺も似たような表情をしていたのだろう。


 振り返ったヨモサが、怪訝そうな顔で俺達のことを見ていた。

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