第283話 鬼の塹壕戦

 小鬼君侯ゴブリンロードを追って複雑な坑道を進んでいると、地面から多数の大岩が突き出たすり鉢状の大空洞へと行き着く。


 俺達が大空洞に踏み入って中心部を通過しようとしたとき、岩陰に隠れていた小鬼弓兵が一斉に弓矢で攻撃をしてきた。ほぼ同時に数十本の矢が逃げ場を塞ぐようにして降ってくる。

 さらに間を置かず、岩壁を削って高所に足場を作った小鬼呪術師達の一団が『氷弾イーツェ・ブレット』を頭上から放ってきた。

 大空洞の全体を埋めるような一斉射撃。この統制の取れた攻撃は明らかに小鬼君侯の指揮によるものだろう。

「に、逃げ場がありませんよ!」

「頭抱えてしゃがんでいろ、ヨモサ!」

 戦闘の真っ只中まで付いてきてしまったヨモサが叫ぶ。彼女が地面にうずくまるのを確認するまでもなく、俺は反撃の術式を発動した。


(――世界座標、『死の谷デスバレー』に指定完了――)

熱波風陣ねっぱふうじん!!』

 砂漠の薔薇と称される重晶石バライトの魔蔵結晶により、『死の谷』から高温の熱風を召喚して矢の雨を吹き散らし、飛来する『氷弾』の勢いを殺して蒸発させる。岩陰に隠れていた影小鬼共は熱波の嵐で炙り出され、小鬼呪術師達は暴風に煽られて高台から落下していった。

 あまりの熱さにその場で潜んでいられず飛び出してきた小鬼弓兵達をレリィが水晶棍で撲殺する。小鬼将軍との戦いから継続して闘気をまとった状態のレリィにとって、右往左往する小鬼弓兵を狩ることなど薪割り作業のようなものだった。


 先に配置した影小鬼達が全滅するや、今度は屍食狼ダイアウルフに騎乗して突撃槍を抱える小鬼騎士ゴブリンナイトがなだれ込んできた。

 小鬼騎士は突撃槍の他にも鎖や網を持ち出して、すり鉢状の大空洞で俺達を囲いこむように走り回りながら動きを封じようとしてくる。


「呆れたな。やつら、本気で総力戦をやるつもりか」

「これって小鬼君侯が全戦力をあたし達にぶつけてきているってこと?」

「たぶん、そういうことだろう。この大仰な歓待は」

「うわぁああっ……。囲まれましたっ、囲まれましたよ!?」

 常に背後や死角に回り込んで襲い掛かってくる小鬼騎士の攻撃は、並みの冒険者なら抵抗の術もなく突撃槍で全方位から突き殺されてしまうだろう。だが、対多数の戦闘において、俺の扱う広範囲攻勢術式は絶大な効果を発揮する。


(――星界座標、『天の架け橋』に指定完了――)

 銀色に輝く金属片、縦横に幾何学的な筋の走った隕鉄メテオライトの魔蔵結晶を宙に放り投げると、空中に紫紺の光線で繋がれた五芒星の陣が浮かび上がり、膨大な数の光り輝く粒子を生成し始める。

 遠く真空彼方しんくうかなた、星屑の海に座標を指定した召喚儀式呪法。

「レリィ、ヨモサ! 俺の近くに来い!」

「ヨモサ、こっち! クレスの傍に!」

「あわわわわっ! 今度は何を――」

 俺は星界への道を開く楔の名キーネームを発した。

『廻れ。星々の輪舞アストラル・ロンド


 光の粒が一斉に渦を巻き、瞬く間に視界一杯の隕石群が星界より召喚される。

 召喚と同時に、隕石群はそれまで星界を漂っていたときの運動エネルギーを爆発させ、音速を数倍超えた速度で俺達を中心に円運動しながら、大小の隕石が包囲を固めていた小鬼騎士達を何度も何度も撃ち抜いた。

 術式が収束した後には生きている影小鬼の姿はなく、すり鉢状の大空洞には無数の穴ぼこが開き、小鬼騎士が落としたと思われる親指大の黒い魔核結晶が多数転がっていた。


「は? いったい何が――あ……すごい数の小魔石。これ、すごいですよ。結構な金額に……」

「魔核結晶を拾うのは後にしろ。さすがに、この猛攻の中で悠長に集めている時間はない」

「あ、あーっ……! 魔石が! あんなにたくさんの魔石がー!」

「はいはい、ヨモサ。今は諦めてちゃんと付いて来てね」

 ヨモサの職業根性は大したものだが、今ここで魔石拾いなどしている暇はない。ぐずぐずしていればすぐに次の戦闘が始まる。もう俺達の戦いの規模は、影小鬼の軍勢との総力戦になっているのだから。



 大空洞を抜けて再び狭い坑道に入ると、今度はあちらこちらの横道から小鬼隊長ゴブリンキャプテン級の敵が、散発的に奇襲をしかけてきた。

 そのことごとくをレリィが一撃で返り討ちにするが、突如として横合いから出て来た黒鉄大剣の斬撃を受け止めて、レリィは大きく弾き飛ばされる。


「クレスさん! 横っ!」

 レリィを攻撃したのとは別の脇道からもう一体、棍棒を持った小鬼将軍が飛び出してきて俺の方にも殴りかかってきた。レリィが奇襲を受けたのを一瞬前に見ていた俺は、ヨモサに言われるまでもなくこれに素早く対応した。

 藍晶刃の魔力を強く発現させると深く踏み込み、小鬼将軍の振るう棍棒ごとその太い首を斬り落とした。


 小鬼将軍の奇襲で体勢を崩したレリィに、更に三体目の小鬼将軍が背後から出現して黒鉄大剣を振るう。正面からは最初の一体が駆け寄りながら横薙ぎに大剣を斬りつけてきていた。

 レリィは瞬間的に闘気を爆発させると背後の小鬼将軍の攻撃を置き去りにする速度で正面の小鬼将軍に突っ込み、懐に入ると横薙ぎに振るわれた腕を片手で押え込み、突進の勢いで水晶棍の先端を小鬼将軍の胸へと突き入れた。

 水晶棍の先端から青い火花と翡翠色の闘気が混じって迸り、小鬼将軍の胸に大穴を開けて吹っ飛ばす。

 そして、背後からレリィに追いすがってきた小鬼将軍には、振り返りざま大上段からの全身全霊を込めた叩きつけが炸裂して、見事に小鬼将軍の頭を爆散させた。


「よし、これで小鬼将軍三体は仕留めた。あとは小鬼君侯だけだ」

「小鬼達の攻撃がやんだね。さすがに打つ手が尽きたのかな?」

「そいつはどうかな。だが、すぐに追撃をしてこられないぐらいの損害を被っていると考えてもいいはずだ。ここからは一転攻勢に移るぞ」

「――え? 今までのって防戦だったんですか? 意味わからないんですけど」

 ヨモサが間の抜けたことを言っているが、俺は無視して術式の発動に意識を集中する。


(――照らし出せ――)

 蛍石フローライトの魔蔵結晶を手の平に乗せて、いつもより展開範囲を広く意識して術式を発動する。

『……煉獄蛍れんごくぼたる……』

 視界いっぱいに数えきれないほどの数、橙色の小さな光の玉が出現して辺りをふわふわと浮遊する。しばらくその場を漂っていた光の玉は、どこかへ吸い寄せられるようにして洞窟のあちこちに散っていった。


 続けて曹灰硼石ウレキサイトの魔蔵結晶を使って、坑道内を探査術式で探る。

(――見通せ――)

 小鬼の巣窟でまだ制圧を終えていない区域を集中的に探査する。

『光路誘導!』

 煉獄蛍を魔窟の隅々にまで散らしてから、その光を強制的に掻き集めて光に照らされたもの全て、視覚情報として捉えた。二段階の術式行使で手間ではあるが、『天の慧眼』で透視できない魔窟内ではこれが最善の手段だ。


 ざっと近場の安全を確認したあと、洞窟の奥の探査に移る。その前にちらりと見えたのだが、俺が魔窟の探査を行っている横でレリィが物言いたげな渋い表情で突っ立っていた。

「どうした。何か言いたいことがあるのか?」

「あー、今ね、聞くようなことでもないかと思ったんだけど……。その術って結構さ、遠くまで見通せるの?」

「『鷹の千里眼』の術式ほど遠くは見えないな。それでも、障害物を迂回して情報を集められるのは便利だ」

「そーだね……それって、覗きにはぴったりの術だよね……?」

 なんだろうか。術式に集中していて、レリィの表情までは細かくうかがえないが、どこか声音が低くなったような気がする。まさかこいつ、俺が犯罪的な覗きに手を染めているとでも思っているのだろうか。


「視線を遮られた場所までは覗けないから、使いどころは限られるけどな」

「つまり使いどころをわかっていれば、例えば露天風呂を覗くことは造作もないと……」

「え――。なんですか、その術は……」

 なんてことを考えるのか、こいつは。ヨモサまで変な反応をしている。

「馬鹿を言うな。術式の消費コストを考えたら、そんなくだらないことに使うわけがないだろう」

「え~? 本当に? だってクレス、お金持ちだからそんなの気にならないでしょ」

「よく考えてみろ。術式にコストを消費して覗きなんかするくらいなら、少し金を出して娼館に行った方が得だ」

「……あー……。よくわかったけど、さいてー」

「最低ですね……男って……」

 どう答えれば正解だというんだ。


「まあいい、なんにしても邪魔な他の冒険者もいないようだし、一気に殲滅するぞ。レリィ、ヨモサを抱えて俺の攻撃に巻き込まれないように注意しろ」

「え? わたしが巻き込まれるってどういうことですか?」

「あーはいはい。ヨモサはあたしが守るから、クレスは好きにやっていいよ。あ! でも、少しは気を使ってよ。じゃないと、あたしもクレスを放って洞窟の入口まで避難することになるから」

「ちょっと待ってください。何を始める気ですか? 二人だけわかっていて、わたしがわからないのは怖いのですが!」

「その時はその時だ。戦闘音が聞こえなくなっても安易に入ってくるなよ。一度、洞窟入口まで撤退するような事態になったら、そのまま撤収しろ。俺もその時は直に街へ戻る」

「ちょっと待ってください。本当に何を――」


 慌てふためくヨモサはレリィに任せて、俺は術式の連続行使に備えて手持ちの魔蔵結晶を確認した。準備は万全、後は手順を踏んで呪詛を紡いでいくだけである。

「行くぞ」

 俺は継続発動させている『光路誘導』の探査術式で、隅々まで把握した坑道を迷いなく駆けていく。どういう道があって、敵がどこに潜んでいるのか、全て把握した上で最適な位置取りを選び、安全地帯から一方的に攻勢術式を叩き込んでいく。


(――世界座標『不死の霊峰』、『黄泉下よみくだる火口』に指定完了――)

 腕輪に嵌められた苦礬柘榴石パイロープの宝玉を口元に当てながら、影小鬼共が隠れ潜む細く長い坑道の奥を目掛けて悪意の呪詛を吹き流す。

火山の息吹ヴォルカノスピリタス!!』

 ボォオオオッ、と透明な空気の揺らぎが洞窟の地面を滑るように這って行き、坑道の奥にいる影小鬼達を包み込んだ。異常を察知した小鬼共が騒ぎ出すが、高温度の火山性ガスを身に受けた影小鬼達の動きは見る間に鈍くなっていく。

 ほとんどの動物に対しては致死性の猛毒となるガスだが、魔獣に通用するかは微妙だった。しかし、見たところ多少なりとも効果はあったようだ。魔獣といえども元は動物だ。身体の活動を阻害する毒物に対して、完全な耐性を持っているわけではないのだろう。それでも魔獣だけあって即死には至らない。追撃が必要だ。


(――世界座標『深淵海域アビストラフ』に指定完了――)

 氷晶石の魔蔵結晶を坑道の奥へと思い切り放り投げながら楔の名を唱える。

『燃ゆる氷塊!!』

 白い氷のような物体が召喚術によって大量に呼び出された。冷気とはまた違った透明なガスが、『燃ゆる氷塊』の表面からゆらゆらと流れ出している。

 何匹かの小鬼斥候ゴブリンスカウトがふらふらと坑道の奥から様子を見に出てくるが、もう何をするにしても遅すぎた。


 右手人差し指の指輪に装着した尖晶石スピネルの魔蔵結晶に意思を込める。

(――焼き尽くせ――)

『八面烈火!!』

 八発の炎弾が影小鬼達の潜む方向へ飛来していく。

 様子を見に来ていた小鬼斥候は出会い頭の攻撃に慌てて退散しようとするが、炎弾が小鬼斥候に直撃するより手前で炸裂し、青紫色に染まった炎が坑道の地面と壁を舐めるように奔り、広範囲に渡って燃え盛り舞い踊った。

 洞窟の奥へと流し込んだ火山性ガスに引火したのだ。さらに、辺りにバラまかれた燃ゆる氷塊が激しく炎を吹き出して燃焼し、周囲の空気を一気に焼き尽くした。


(――壁となれ――)

 黄玉トパーズの魔蔵結晶に刻まれた魔導回路を起動する。

『硬質群晶!!』

 透き通った黄土色の結晶が坑道を塞ぐようにして成長していき毒ガスの逆流を防ぐ。他に逃げ道のない地形であることは、既に『光路誘導』の術式で確認済みだ。

 同じ手順で袋小路を次々と塞いでいく。こうして逃げ場を徐々に無くしていくのだ。

 まれに毒ガスを防ぐ手段を有した小鬼呪術師ゴブリンシャーマンがいたが、そういう気配を感じたらとりあえず『雷銀爆轟』の術式をぶち込んで無力化しておく。影小鬼達に対抗手段は与えない。


 毒と炎、轟音と閃光が小鬼の巣窟を徹底的に蹂躙していった。



   ◇◆◇◆◇◆◇◆


 真っ黒に焦げ、半死半生の状態となって地面に転がる影小鬼を横目に見ながらヨモサは坑道を進む。

『ガエギ……ガギ……』

 灰となって崩れ去り、小さな極小魔石を残して消えていく影小鬼。

「地獄だ……。そっか……ここは地獄だったんだ……」

 消えゆく影小鬼を眺めながら呆然とするヨモサ。何故だかとても悲しくなって、知らぬ間に涙が溢れていた。


 何に対して悲しんでいるんだろうか。影小鬼達を憐れんでいるのか。それとも、ここまでの地獄を再現できる人の所業に心を痛めているのか。

 何のためにここまで抗うのか。どうしてここまで徹底的に殺し合っているのか。わからなかった。それがひどく、ヨモサには悲しく感じられたのだ。


 坑道の奥から、一つの大きな影が歩み出てきた。動く者などいないと思われたこの空間で、唯一命を保っている強靭なる生存者。小鬼君侯ゴブリンロードだ。

 既に全身のあちこちが焼け焦げている。無差別に焼き尽くした坑道のいずれかに居たのかもしれない。


「決着をつけようか」

 この場に地獄を作り出した術士クレストフが、小鬼君侯を迎え撃つように一歩前へと出た。透明度の高い藍色をした結晶の刃、藍晶刃が冴え冴えとした冷たい光を放っている。


 ――ウォオオオオオオッ!!


 小鬼君侯が吠え猛り、黒い靄に覆われた大鉈を振りかざし突撃してくる。

 クレストフが軽く腰を落とし、全身に力を漲らせるのが発せられる気迫で伝わってきた。

 腕力と魔力の激突、小細工なしの真っ向勝負。黒鉄の大鉈と結晶の段平が上下から打ち合って黒い粉塵と藍色の火花を散らした。


 衝撃で体勢を崩したのは小鬼君侯の方だった。

 身体への傷の蓄積もあっただろう。

 小鬼君侯が押し負けて体を浮かせたところに、クレストフの藍晶刃が藍色の剣閃を残して真一文字に通り抜ける。


 小鬼君侯の体が上下二つに分かたれて、上半身が傾いて地面へと落ちた。その刹那に――。


『……ヒメノ……モトエ、マスター……』

 妙にはっきりとした発音で小鬼君侯の言葉が耳に入ってきた。

 はっとした表情で、クレストフが慌てて自分が切り捨てた小鬼の死体を見やる。

 クレストフが振り返ったときには、小鬼君侯は武骨な大鉈と拳大の魔核結晶だけを遺して、骸は既に黒い灰となり消滅していた。

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