第282話 逃げ出した小鬼
小鬼将軍の首がどさりと落ちて坑道に転がる。
その音で、まるで寝ぼけていたかのような冒険者達が皆、一斉に覚醒した。
冒険者達が小鬼将軍に改めて目を向けたときには、首と体は黒い煙を上げて灰となり、後には握り石ほどの大きさの黒い魔核結晶だけが残されていた。駆けつけたヨモサが慌てて地面に落ちた魔核結晶を回収する。
「え……マジかよ。小鬼将軍が一撃で……?」
「だから、何者なんだよあの怪物は……」
「まさかあれが伝説の……
――ゴォガァアアアアア――ッ!!
突然、冒険者達のざわめきを打ち消す魔獣の咆哮が洞窟内に響き渡る。
気の弱い者なら竦み上がって腰が抜けるほどの雄叫びだ。
明らかに小鬼将軍を超える怪物の咆哮。この第一階層で小鬼将軍を超える存在など一種類しかない。
「この獣の声って……」
「痺れを切らして出て来たか、親玉が」
レリィが厳しい表情で辺りを警戒し始める。
既に小鬼将軍が引き連れていた影小鬼の軍勢は全滅している。それとは別の大きな群れが、小鬼将軍を超える存在に率いられて姿を現そうとしていた。
「行くぞ! 迎え撃つ!」
「わかった! 出て来たところを叩いて脅かす!」
「わかっているじゃないか、やるぞ!!」
わざわざ待ち構えて、相手に先手を取らせてやる必要などない。敵の場所がわかった時点で、こちらから打って出て急襲してやる。
再び小鬼の巣窟の奥深くへと突撃していく俺とレリィ、そして――。
「だ、だからっ! 待ってくださいって言っているのに! どうして、あっちへ行ったりこっちへ来たり、また戻ったりするんですかー!!」
大声で文句を叫びながら、ヨモサがついて来ていた。律儀な
次第に、多数の影小鬼と思われる群れの足音が響いてくる。
俺はレリィの肩を掴んで引き留めると、先制攻撃の準備に入る。大きな真っ直ぐの坑道に出て、もう視認できる位置にまで影小鬼の軍勢が迫って来ていた。この位置取りであれば影小鬼共を一網打尽にすることができる。
(――貫け――)
縦列行進してくる敵の群れに対して、最も効果的な術式を選択する。真っ直ぐに敵を穿ち貫く意思を込めたのは、
『輝く楔!!』
槍のように尖った黄金の楔を数十本創り出して、坑道のどこにも逃げられない面制圧射撃を行う。
光の矢かと見紛うばかりの速度で飛来する黄金の楔は迫り来る影小鬼の軍勢を真っ直ぐに貫き、奴らの出鼻を完全に挫いた。
――そのように見えたのだが、軍勢の中心部で激しく金色の火花が散ったかと思えば、三分の一ほど黄金の楔が大きく弾かれて洞窟の天井や壁へと方向を変えて突き刺さっている。
「俺の術式が弾かれた……? 初見の奇襲を防ぐなど、こちらの手の内を知ってでもいない限り、魔獣ごときには対処不可能なはずだが……」
猛烈に嫌な予感がした。たかが小鬼、されど小鬼、階層主の小鬼ならばなおのこと。
「レリィ! 最大警戒! 闘気発現、二階級から四階級まで判断は任せる!!」
「了解!!」
俺の指示を受けて、即座に反応したレリィは八つ結いの髪留めのうち二つを解くと、深緑色の長い髪を翡翠色に輝く闘気で染めて全身に力を漲らせる。そのまま流れるような動作で地を蹴り跳ね上がって、影小鬼の群れから飛び出して来た何か大きな影と空中で激突した。
翡翠色の光と黒い粉塵が弾けて、同時に洞窟の地面へと着地音が鳴る。一つは軽やかに降り立つレリィの足音、もう一つは荒々しく大地を踏みしめる獣の足音。
翡翠色の闘気を立ち昇らせながら油断なく水晶棍を構えるレリィと向き合うのは、小鬼将軍よりもさらに一回り大きな筋骨隆々の鬼だった。身の丈で言うならばレリィより半身分は背が高い。
全身から立ち昇る黒い靄、怨嗟を湛える燃え立つような赤い瞳。だが、こちらをしっかりと睨み据えてくる瞳には、確かな理性の輝きが見て取れる。額の中心には抉られたような窪みがあり、その両脇には二本の太い捻じれ角が生えていた。
「ようやくお出ましか、
武骨な大鉈を肩に担いで、影小鬼の軍勢の最前列に立つのは第一階層の主、
すると、小鬼君侯の後ろから三体の小鬼将軍が姿を現す。それぞれが黒鉄の鎧と大剣で完全武装している。雑魚は下がらせて、少数精鋭で戦いを挑むということだろうか。
「こいつらもう、小鬼とかいう大きさじゃないな……」
「同感。
俺とレリィは軽口と冗談を交わしながらも警戒は緩めなかった。小鬼君侯が悠然と前に歩み出て来て、俺のことを指差す。
『……アナダワジグベギダ……』
「……!?」
喋った。
聞き取りづらい、鼻が詰まったようにくぐもった声音だったが確かに目の前の小鬼君侯は喋っている。
『……ワデダガナギヲノゾブドガ……』
なんだ? こいつは何を言った? どういう意味合いの言葉を――。
俺が思考に没頭しかけた途端、三匹の小鬼将軍が同時に動いた。全員がレリィ一人に向かって攻撃を仕掛けてくる。
そして、小鬼君侯は迷うことなく俺をめがけて大鉈を振りかざし、突撃してきた。
『ジュグ……ゲギ……!!』
小鬼君侯がなにやら妙な言葉を口にすると、振りかざした大鉈が黒い靄に包まれ禍々しい魔力の波動を放つようになる。
俺は
藍色の閃光と衝撃波が黒い大鉈を大きく弾いて打ち上げるが、予想以上の一撃の重さに俺は思わず顔をしかめる。
(……この異常な重さはっ!? 『重撃の呪詛』の類か……!?)
呪詛の込められた剣撃。おそらく単純に強度を増す効果と、重量を付加する呪いが重ね掛けされている。
強度を増す術式は多くの魔導剣に使用される人気の付与術式だ。しかし、重量を付加するというのは普通、自分が扱う武器に付与される術式ではない。普通は逆で、打ち合った敵の武器の重量を重くする呪詛の類として使われることの方が多い。
敵の武器に仕掛けるようなそれをあえて自らの武器に施すというのは、よほど腕力に自信があって剣の威力に重みを加えようという特殊な場合に限られる。そうでなければ、基本的には剣を軽くして早く振り抜ける利点の方が大きいからである。
あるいは瞬間的に重みを加えることで威力を増す術式というのもあるが、曲芸じみていて使いこなせるのはよほど器用な剣術士に限られる。この小鬼君侯がそこまで器用だとは思えない。だとすれば、常時あの重みの大鉈を振るっていることになる。それでも速度を落とさず振り切れるのは、まさに驚異的な腕力と言えよう。
(……まともに打ち合うのも馬鹿らしいな……)
何度か打ち合いをしながら藍晶刃と大鉈の反発を利用し、一度距離を取ってから武器を構えなおす。小鬼君侯の方も一旦距離を取ると大鉈を担ぎなおし、いつでも上段から振り下ろせる体勢で構えた。
相手が迂闊に飛び込んでくれば、武器を弾き飛ばしてからガラ空きの胴体に一撃与える算段で構えていると、小鬼君侯も同様の考えなのかしばし睨み合いが続いてしまう。剣で倒しきるのは難しいか。ならば術式を組み合わせてどう戦うか――。
俺と小鬼君侯が睨み合いを続けている最中にも、小鬼君侯の後ろで繰り広げられているレリィと小鬼将軍三体の戦闘には動きが見られていた。
小鬼将軍は三体の連係攻撃で間断なく黒鉄大剣をレリィへと打ち込み、隙を見ては同時に斬りかかっているが、闘気を解放したレリィは水晶棍を地面に突き立て身体を半回転したり、大剣を弾いた勢いで逆方向へ飛んだりと止まることなく動き続けて小鬼将軍達の猛攻を凌いでいる。
そればかりか徐々に小鬼将軍の大剣と鎧に負荷を蓄積させて、大剣に歪みを生じ、鎧に凹みを作っていた。
攻防の最中に一体の小鬼将軍の黒鉄大剣がレリィの水晶棍と打ち合って半ばから折れ飛ぶ。続けて別の小鬼将軍の鎧が胸元から腹にかけて大きく砕けた。
レリィは特に攻め立てるでもなく、冷静にそれまで通りの攻防を続けて確実に痛打を小鬼将軍の装備と本体に与え続けている。
互いの均衡が崩れてからの展開は早かった。
折れるものが大剣から小鬼将軍の腕へと変わり、砕けるのが鎧から肋骨へと変わる。そうなれば小鬼将軍の動きにも陰りが見え始め、ついにはレリィの攻撃を防ぐこともできなくなり一方的に殴り伏せられるようになる。
翡翠色に光る闘気をまとった水晶棍の打撃は、身体に直撃すれば内臓にまで衝撃波を叩き込み、確実に幾本もの骨を砕き折る。
立ち上がってはレリィに叩き伏せられ、もはや三体同時に攻撃を仕掛ける余裕もなくなっては小鬼将軍に勝ち目はなかった。
見る間に形勢が傾いていく状況を横目で見て、俺はレリィの優勢を確信して小鬼君侯との睨み合いに余裕の笑みを浮かべてやる。
「さあ、どうする? いつまでも睨み合いを続けていたら、お前の部下どもは全滅するぞ」
小鬼君侯を挑発しながら、この戦いの決め手となる攻撃の準備をしておく。次に奴が動いた時が仕掛けどころだ。
小鬼将軍が追い詰められている様子を見て取ったか、睨み合いを続けていた小鬼君侯が動き出す。迷わずレリィの方へと。
『
背を向けて走り出した小鬼君侯にすかさず結晶弾を撃ち込んでやる。こうした動きも予測済みだ。
小鬼君侯は数十発の結晶弾の雨を大鉈の腹で防ぐが、半分近くが背中へと直撃してめり込んだ。想定外だったのは、小鬼君侯がそれでも怯まずレリィに向かって突撃していったことか。
「レリィ! そっちへ行ったぞ!」
「うわっ!? なんでこっち来るの!」
小鬼将軍にとどめの一撃を放とうとしていたレリィが、小鬼君侯の突撃に驚いて大きく後ろへ下がる。
小鬼君侯は倒れ伏した小鬼将軍の一体を担ぎ上げると、他の二体に何やら一声吼えて、洞窟の奥へと走り去っていく。
「ちょっとクレス! 逃げられちゃうよ!」
「慌てるな、痛手は与えた。それに奴の位置を知るための番号座標も結晶弾に混ぜて撃ち込んでおいた」
これでもう、小鬼君侯の居場所は丸わかりだ。
「むうぅぅ~……こっちはあと少しで仕留められたのに」
「そう怒るなよ。追い詰める準備はこれで整ったんだ」
納得がいかない様子で唸るレリィを宥めながら、走り去る小鬼君侯を見送る。既に奴の逃走を助けようと周囲には影小鬼の雑兵が集まっている。
形勢不利を悟って逃げ出した小鬼君侯。だが、奴の理性ある瞳に怯えの色は見えなかった。
小賢しくも追い詰められたように見せかけて誘っているのだ。
(……誘いに乗ってやろうじゃないか。どちらが本当は相手の思惑に乗せられているか、思い知らせてやる――)
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