第280話 小鬼将軍《ゴブリンジェネラル》

 先行したクレストフ達に遅れて、第二陣であるCランク以上の冒険者達が小鬼の巣窟の奥へと足を踏み入れていた。


 当初は、第一階層の浅層に溢れた小鬼を討伐する予定であったが、思いのほか冒険者達の勢いがあって、既に第一階層に溢れた小鬼は全滅していた。むしろ小鬼の本隊は、第二階層手前の横道から入る、小鬼の巣窟の奥にこそ潜んでいると判断された。


 ここで冒険者組合からの再通達により、小鬼の巣窟奥に潜むであろう小鬼君侯ゴブリンロードの討伐依頼が正式に出される。

 小鬼君侯ゴブリンロードの魔石には、買い取り価格を通常時の三割増しとする約束まで付けられた。腕に覚えのある冒険者達はこの報せに沸き立ち、めったに潜ることのない第一階層の横道へと突入していった。


   ◇◆◇◆◇◆◇◆


 薄暗い洞窟を四つん這いの影が走りぬけていく。

 影は、小鬼騎兵ゴブリンライダーのソリに乗って前線へ出張ってきていた小鬼戦士の集団に突っ込むと、すれ違いざまに次々と首筋を斬り裂きながら縦横無尽に暴れ回った。振り回される腕には鉄製の長爪が伸びており、小鬼の首を撫で斬るようにして出血を強いるのだった。

「ノーラ!! 先行し過ぎだ!」

 四つん這いの影を追いかけるようにして、板金鎧プレートアーマーに身を包んだ冒険者が、鋼の長剣で小鬼戦士を切り伏せながら声を張り上げる。その声にびくり、と四つん這いの影が反応してすぐさま反転し戻ってくる。


「のっ……のっ……ノーラ、はしゃぎ過ぎた。……ごめん」

 四つん這いの影の正体は、耳と尻尾だけ狼のそれをした、まだ二十歳前と見られる若い娘だった。軽装の革鎧に身を包むノーラは狼人おおかみびと純人すみびとのハーフで、仲間の冒険者に怒られてふさふさの毛が生えた耳をぺたんと元気なく伏せている。

 そうこうしているうちに後から他の冒険者も二人ほど遅れて到着し、息を荒げながらノーラに文句を言う。

「ノーラ……頼むから、一人で突っ走らないでくれ……。俺らは重い鎧で身を固めているから、ノーラの全速力には追い付けないんだ……」

「そうよ、ノーラ! 一人で敵の群れに突っ込んでしまったら、私だって術式による援護ができなくなるんだから! ちゃんと周りの仲間を見て、協力し合わないとダメよ!」

「うぅ……反省……」

 しょんぼりとするノーラを見て、怒りの治まった仲間の冒険者達はやれやれと安堵の溜め息を吐く。


「反省しているならいいんだ。ここからは敵も強くなる。僕らはチームなんだから、団結して戦っていかないと」

 板金鎧の冒険者がノーラの頭を軽く撫でると、ノーラはふにゃっと相好を崩して微笑む。狼の尻尾がふわさふわさと横に振られている。

 そんなノーラの様子に仲間たちはほっこりと和んでいる。そんな最中に、ぐぅうううっ! と、大きな音が鳴る。ノーラの腹の音だった。


「のっ……!? お腹……すいたぁ……」

「ノーラ……出撃前に三人前くらい、食事を平らげていたよね……?」

「嘘でしょう? あんなに食べたのに、もうお腹すいたの?」

「おいおい、腹ペコでこの先、戦えるのかよ」

 再び、しゅんと耳を伏せてしまうノーラ。


「いいかいノーラ、一人で突っ走って体力を使い過ぎなんだ。戦いの配分を考えないと……」

 板金鎧の冒険者が呆れた様子で苦言を口にしながら、荷物の中にあった非常食の干し肉をノーラに差し出す。迷いなく干し肉にかぶりつき、尻尾を振って喜ぶノーラ。

 そんなのんびりした様子で、Cランク冒険者の狼娘ノーラとその一行は小鬼の巣窟での戦闘を継続した。


   ◇◆◇◆◇◆◇◆


 Cランク冒険者達が小鬼戦士と小鬼呪術師の混成部隊と衝突する戦場で、やけに異彩を放つ装備の冒険者がいた。

 肉厚幅広で片刃の双剣を携えた老人剣士だ。


 真っ赤な色をした双剣を交差させて構え、洞窟の天井に届きそうなほど高く跳び上がって小鬼戦士の集団を頭上から襲う。

 古びた濃緑色の外套が勢いではためく。落下の速度が十分に乗ったところで交差していた双剣を左右に大きく開き、老人剣士は小鬼戦士の首を二匹同時に斬り飛ばした。

 すかさずその奥にいた小鬼呪術師に肉薄して、左右自在の斬撃で次々に斬り伏せていく。影小鬼の集団に飛び込んだ老人剣士によって、一瞬の内に五匹の影小鬼が倒されていた。


「すっげーなー……あの爺さん……」

 近くにいたCランク冒険者が思わず感嘆の声を漏らす。そんなことを言っている間にも老人剣士は次の標的を定めて、影小鬼を斬り殺していく。

 鼻下に蓄えた白い髭が、影小鬼の血を吸って赤く染まる。小鬼の血液はすぐに蒸発して元の白い髭へと戻るのだが、色が戻る頃には次の小鬼を斬っては顔面に返り血を浴びていたりする。凄まじい殲滅速度だ、と近くにいたCランク冒険者の男は身を震わせた。


「あれ、双剣使いのムンバさんですね」

「ムンバって、Aランク冒険者のか?」

 一緒にいた運搬人ポーターの青年が老人剣士の方を見ながら頷く。なるほど、Aランク冒険者であるならあの強さも納得がいく。戦っているところを見たのは初めてだが、やはり格上の冒険者というやつは動きが一味違うようだ。


 ふと、老人剣士の使っている武器が気になって片刃の双剣に目が向かう。あれほど華麗に影小鬼を斬り捨てる剣なのだ。さぞや立派な名剣に違いないと思った男は、老人剣士の持つ双剣の意匠を見て、ぎょっとした。

 幅広の刃の腹には、泣き叫ぶ赤ん坊の顔面らしき模様が彫り込まれていたのだ。双剣の両方ともにその不気味な意匠は施されていて、細く潰れたような両目はほんのりと赤い光を放っている。


 もしかするとあれは、魔剣か妖刀の類かもしれない。だとしたら、下手に近づくと暴走に巻き込まれて斬り殺される恐れもある。


 近くにいたCランク冒険者の男は、老人剣士から徐々に距離を取るように戦場から移動して、不気味な赤子の双剣が放つ光が完全に見えなくなったところでようやく一息ついた。

「ああ、おっかねぇ……。巻き込まれてもつまらねーし、適当に稼いだら引き上げるかな……」

 後から後から湧いて出てくる小鬼を相手にしながら、厄介ごとには関わりになるまいと男は小鬼戦士を数匹倒してから魔窟を出ることに決めた。


   ◇◆◇◆◇◆◇◆


「ちっ、ちっ、ちぃ~。血ぃを見ーせてーっと!!」

 波打つ刃の大剣フランベルジュが振り抜かれると、血に染まった赤い法衣が翻り、数匹まとめて影小鬼の身体が切り裂かれた。斬りつけられた影小鬼は血飛沫を上げながら崩れ落ちる。

 一撃では仕留めきれなかった小鬼も、大量の出血を強いられて間もなく絶命する。


 返り血を浴びながら高らかに笑い声を上げ、フランベルジュを振り回し続けるのはBランク冒険者『紅法衣のラダ』であった。

 血に染まった法衣を愛用する剣術士で、『流血の呪詛』を込めたフランベルジュを主要武器として使うことで有名な冒険者である。もっとも三度の飯より血を見るのが好き、という狂った性癖の持ち主であるがゆえに悪名高いと言わざるを得ないが。

 ラダは病的なほど白い肌に血のように赤い口紅ルージュが良く映える、一見して淡白そうな地味顔の女である。


 Bランク冒険者だけあって腕の立つラダは、冒険者集団の中でも突出して小鬼の巣窟へと踏み込んでいた。

 だが、それでも彼女が進む先には所々で小鬼の死骸が散見される。ラダよりも先に戦場の最前線を進む冒険者がいることは明白だ。そのことはラダのBランク冒険者としてのプライドに障ったが、さほど先頭を走ることに拘りを持っているわけでもないので、すぐに思い直して影小鬼を切り裂く作業に没頭し始めた。

 小鬼隊長ゴブリンキャプテンを相手にしながらも、余裕の表情でこれを切り刻む彼女の前に、一際大きな小鬼が立ち塞がった。

「うっはー! なにこいつ、斬り応えありそー!」

 小鬼隊長の首をフランベルジュで切り裂いて殺すと、ラダは新手の影小鬼に向き直った。


 他の影小鬼よりもやや黒ずんだ皮膚に、額から特徴的な一本の捻じれ角を生やした影小鬼。屈強な体躯に鋼鉄製と見られる全身鎧を着込み、黒鉄の大剣を携えたその姿は強者の風格を漂わせている。

 ラダの後から追いついてきた冒険者の集団が、その影小鬼を目の当たりにして二の足を踏む。冒険者の誰かが叫んだ。

「こいつ!? 小鬼将軍ゴブリンジェネラルだ!!」


 冒険者の間に動揺が広がった。

 影小鬼の上位種ともなれば、その危険度は通常の小鬼とは比較にならない。特に中隊規模の小鬼を従えるとされる小鬼将軍ともなれば、単体でCランク冒険者の一個小隊を蹴散らすほどの戦闘能力を有する。

 そして何より厄介なのは、その指揮能力である。

 小鬼将軍が一声、雄叫びを上げると影小鬼達が足並みを揃えて襲い掛かってくる。


 小鬼戦士が常に三、四匹で連係攻撃をしかけてきたり、小鬼弓兵が矢の一斉射を揃えてきたりと、火力集中をうまく使って冒険者側の布陣を崩しにかかってくるのだ。冒険者達も普段から連係は得意としているが、それは小隊規模での話だ。中隊規模での戦闘ともなれば、冒険者側にまとめ役がいない状況にあっては小鬼将軍の指揮能力の方が上である。

 チームごとに善戦するCランク冒険者達であったが、小鬼将軍による統制の取れた集団戦法を前にして徐々に押され始める。やがて、冒険者同士でお互いの補助も手が回らなくなり、次第に各冒険者が孤立し始めていた。


「はーっ……。雑魚が強気になってうっざいなー、もうー。でもまあ、あのデカブツを倒しちゃえば、小鬼共の勢いも削げるかなぁー、ってね!?」

 ラダは地面を滑るようにして一足飛びに小鬼将軍との間合いを詰め、突っ込んだ勢いのままフランベルジュを大上段から振り下ろす。

 小鬼将軍は大剣を横にして構え、フランベルジュの一撃を防いだ。続く切り返しの攻撃も、大剣を傾けて的確に防御する。

「なかなかやるねぇ、小鬼のくせに!」

 ラダが一歩深く踏み込み、小鬼将軍の防御を掻い潜って膝頭に斬りつけた。小鬼将軍の黒い肌に赤い線が一筋入る。ラダの口が大きく歪み、愉悦の笑みがこぼれる。


 しかし、小鬼将軍はラダの攻撃に怯まず、反撃の一撃を繰り出してくる。ラダは血染めの法衣を翻しながら小鬼将軍の大剣をひらりとかわし、今度は小鬼将軍の膝下を斬りつけた。またも浅い切り傷であったが、傷口からは止めどなく血が流れ続けている。流血の呪詛が効果を発揮しているのだ。

「さーて、どれくらい血を流せば動かなくなるのかなー? 楽しみねぇー!」

 心底から楽し気にラダは小鬼将軍を切り刻んでいく。対する小鬼将軍は無表情に大剣を振るい続けていた。

 そして、いつまでも続くかと思われた攻防は唐突に終わりを告げる。小鬼将軍が急に片膝を地面に着いたのだ。

「来たのね、限界が。血を流しすぎたわね」

 ラダは自分が斬りつけた相手の血を見るのが好きだ。そうして嬲るように切り刻んでいき、次第に弱っていく姿を見ながら最後に動けなくなった相手をばっさりと斬り殺すのが快感だった。


「鮮やかな血を噴き出して死になさーい!」

 身動きの取れない小鬼将軍の首めがけてフランベルジュを振り下ろす。

 ざんっ、と小鬼の首が一つ跳ね上がり宙を舞った。

 だがそれは小鬼将軍とラダとの間に飛び込んできた小鬼戦士の首で、勢いを失ったフランベルジュは小鬼将軍が肩に担いだ大剣に受け止められる。


「ちぃっ!!」

 ラダはすぐさま角度を変えてフランベルジュを引き切り、小鬼将軍の肩を裂きながら大きく後ろに飛び退く。フランベルジュは小鬼将軍の皮膚を切り裂いたが、肉を深く切るまでには至らなかった。小鬼将軍の燃えるような赤い目からは微塵も戦意が失われてはいない。

 猛然と、立ち上がった小鬼将軍がラダへと肉薄し、渾身の力を込めて黒鉄大剣を真横に薙いだ。



 防御の体勢が整っていなかったラダは、体を捻りながらどうにかフランベルジュで黒鉄大剣を弾こうとするが小鬼将軍の腕力はラダのそれを遥かに凌ぐ怪力だ。堪え切れずにラダは大剣の一薙ぎにぶっ飛ばされる。

「ぎゃはぁぅっ!?」

 下品な悲鳴を上げて魔窟の硬い地面をごろごろと転がるラダに、小鬼将軍が追撃をかけてくる。先ほど膝を着いたのは見せかけの誘いだったのだ。小鬼将軍は全身から血を流しながらも、まだまだ体力は尽きてなどいなかった。


 横倒しになったラダの胴体めがけて小鬼将軍が大剣を振り上げた。今度は完全に立場が逆転していた。

 即座に横へ転がって逃げようとしたところで、小鬼弓兵が遠くから撃ってきた矢が、ラダの法衣の裾を地面に縫いとめる。更には小鬼戦士が二匹、ラダの身体の上にのしかかってきた。ラダは完全に身動きが取れなくなっていた。

「――は?」

 仰向けになったラダは自分の腹に向かって振り下ろされる大剣を眺めながら、間抜けな声を上げた。


 どんっ!! と魔窟の地面を叩き割るかのごとき勢いで黒鉄大剣が振り下ろされ、ラダの身体は上下真っ二つに分かたれた。



 数秒の間、その場に静寂が訪れた。

 冒険者達の中でも精鋭に数えられていたBランク冒険者『紅法衣のラダ』が小鬼将軍に討ち取られた。

 その事実は恐れをもたらす波紋となって冒険者達に伝播して――恐慌を、引き起こした。

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