第277話 影小鬼討伐依頼

 朝早くからギルド内は騒がしい状況にあった。ギルドの建物に入ってすぐ、何かの異常事態が発生したことを読み取れるほどに。


「なんだろう……随分と慌ただしいね」

「災害でも発生したのかもな。山の土砂崩れとか……」

「そんな兆候があったようには思えないけどなー」

 底なしの洞窟がある場所、朝露の砂漠リフタスフェルトそびえる永眠火山、その中腹。木々の生い茂る緑豊かな樹海が広がる山は、少々の雨で土砂崩れを起こすような地盤ではない。昨日も大雨など降っていないし、俺自身も適当に言っただけで本気で土砂崩れが起きたなどと思っているわけではない。

 だが、ギルドの動きがこれだけ忙しない状況ともなれば、底なしの洞窟に関連して大きな動きがあったのだろう。


 ギルド内に冒険者が溢れかえっているのを見れば、おそらく魔窟探索が止められている可能性が高い。受付前も人だかりができていて、若い受付嬢が半泣きになりながら説明に追われていた。

「あっちは話を聞くのも難しそうだ。たぶんこういう時は、掲示板にも情報が出ているからそっちを見るか」

「ああ、あれだよねたぶん。あそこにも人が集まっているから」

 見れば掲示板前も人でごった返している。あれでは近くで掲示の内容を読むこともできない。

「ちっ……有象無象が……仕方ない、ここから覗くか」

 左手中指にはめた指輪に魔導因子を流し、遠方を見通す術式『鷹の千里眼』を発動させる。術式の効果によって遠くの掲示板の内容が、目の前にでもあるがごとく読み取れるようになる。


 ――ギルドからの通達【重要】――

“本日未明、魔窟ダンジョンの第一階層『小鬼の楽園』にて、影小鬼シャドウゴブリンの上位種が率いる群体を確認しました。規模は二個大隊級。現在、ギルドにて討伐隊の募集・編成を進めています。個々で魔窟に潜るのは大変危険ですので、冒険者の皆さまは不用意に魔窟へと入らないでください。手の空いている方は討伐隊への参加をよろしくお願いします”


 掲示板の貼り紙を読んだ俺の口から自然と溜め息が漏れる。

「面倒なことになったな。これでまた探索に遅れが出る」

「ちょっとクレス! 何が起こったのか、あたしにも教えてよ!」

 両手で肩をガクガクと揺さぶってくるレリィの顔面を押さえつけ、無理やり口を閉じさせる。

「説明してやるから少し静かにしていろ。子供じゃないんだ、いいな?」

「ふぁ、ふぁ~いぃ……」


 魔窟の第一階層『小鬼の楽園』に起きた異変。それは普段ならば巣の奥にこもっている上位種が、第二階層へ向かう道に群れをなして姿を現し始めたのだ。

 その突然の出現に居合わせながら、運よく生き延びた冒険者がギルドに情報を知らせてくれたのだという。冒険者組合でも話題となり、冒険者が個別に向かうのは危険と判断したギルドから一斉討伐の依頼が出されたのだ。


「それじゃあ、どうする? あたしたちも討伐隊に参加する?」

「…………」

 正直、面倒ごとに巻き込まれるのは御免だった。俺達は下の階層に進む道を確認しておくことが目的であって、第一階層に溢れた小鬼の相手をすることが目的ではない。討伐隊に加わってしまうと第一階層で足止めされる恐れがあるのだ。小鬼の掃除は他の連中に任せて先へ進みたい。だが、果たしてそれをギルドが許すだろうか。誰しも魔窟の探索を優先に進めたいはずだ。実力のある者ほど小鬼に関わっているより、未踏破領域の探索に時間をかけたいだろう。

 ギルドに所属する冒険者達が一丸となって討伐をしている間に抜け駆けするのは、他の冒険者から見て面白くはないはずだ。それはそれで、後々に厄介ごとを招く原因となりうる。


「仕方がないな。ここは討伐隊に協力して、さっさと第一階層の異変を鎮めてしまおう」

「よしきた! 魔獣討伐隊か~! 腕が鳴るなぁ!」

 つい先日には魔窟の冒険に失望しかけていたというのに、今はまた冒険に心躍らせているレリィを見て俺は少し安堵した。鬱々と塞ぎ込んでいる姿は、こいつには似合わない。

「じゃあ早速、受付で討伐隊参加登録してくる!」

「ん? お前が登録手続きするのか?」

 いつも俺に任せていたレリィが率先して受付登録を買って出る。よほどやる気があるらしい。

「実はあたしも冒険者のやり取りの一つで、『受付でのお話』もしてみたかったんだよね~」

「あぁ、わかったわかった。別に難しいことじゃないだろうから、好きにやってくれ」

 面倒くさいだけの手間を楽しんでやれるのだ。そういうことなら今後もレリィに任せていいかもしれない。



「小鬼の討伐隊に志願したいんですけど!」

 若い受付嬢に向かって、元気よく討伐隊志願をするレリィ。受付嬢の方はびっくりした様子で、手元の資料を漁りながら討伐隊に関する決まり事を話し出す。


「えぇーとですね……。Dランク以下の冒険者は今回の討伐隊では、まず敵の第一陣との戦闘に出てもらう予定です。おそらく影小鬼達は最初、下級種の軍勢を斥候に出したり、隊列を組ませて前面に押し出してくると予想されます。後詰めとしているCランク以上の冒険者には上位種との戦闘で活躍してもらうため、彼らの体力を温存するのにDランク以下の冒険者には露払いとしての役割を担ってもらうわけです。あ、ちなみに各冒険者にはギルド側で雇った運搬人ポーターを補佐に付けますので、魔石拾いは運搬人に任せて、冒険者の方は戦闘に集中してください。今回は乱戦も予想されますが、報酬はきっちり倒した小鬼の魔石分だけ手に入ります。複数の冒険者によって倒された魔獣が落とした魔石については、運搬人達の判断で貢献度が記録され、後で貢献度分の報酬に置き換えられます。ちなみに一定額の参加報酬としては一律、銀貨十枚が支給されます。ご納得頂けましたら、こちらの誓約書にサインしてください。」


 受付嬢の説明をレリィの隣で聞きながら、俺は討伐隊募集に人がよく集まっている理由を察した。討伐隊編成ともなれば大勢での戦闘となる。普段ならば少人数では倒せない敵も、効率よく倒せるかもしれない。さらに一定額の報酬が支給されるとなれば、駆け出しの冒険者達にとっては良い稼ぎどころだ。


「上位種が出現した場合の対応はどうする?」

「Dランク以下の冒険者は速やかに後退して、後詰めの冒険者と入れ替わってください。以降は魔窟からの撤退は自由です。可能なら上位種の取り巻きをしている下級種を排除してもらえれば助かります。ですが、決して無理はしないでください。誓約書にもあるように、討伐任務での怪我に対する保障はありません」

「つまり、その辺りは普段の魔窟探索と同じ、自己責任ということか」

「はい、そうなっております」

 この討伐隊編成はあくまで冒険者の足並みを揃えるためのもの。敵が群れで襲ってくる以上、冒険者側も戦力をまとめて投入することで対抗する。それ以外はいつもの魔窟での常識が基本となるようだ。あまり他の冒険者に頼ったり、信用したりするのはよくない。

 ただ、補佐として付けられる運搬人はギルドで雇われていると言うし、冒険者同士の諍いがあった場合に証人として扱われるのだろうから、そうそう問題を起こす奴はいないはずだ。


「ねぇ、クレス。もうサインしていいかな?」

「お前はもう少し、慎重に誓約書の内容を読め。……まあ、俺が見た限り問題はない」

「わかった! じゃあ、サインするね!」

 気軽にほいほいとサインしてしまうレリィに対して、俺は契約に関する勉強もレリィにさせておこうかと考え始めていた。無知な娘は扱いやすいが、それは他の悪意ある人間からも同じことが言える。彼女が俺以外の誰かに騙される前に、少しは知恵を付けさせた方が良さそうな気がした。




 魔窟・底なしの洞窟、第一階層『小鬼の楽園』は、以前に来た時と比べて様相が大きく変わっていた。

 まず、入口付近にまで小鬼斥候が出張ってきており、冒険者達は一旦、森の中から様子を探らねばならなかった。とりあえずDランク以下の冒険者が、下級種の小鬼を倒して、Cランク以上の冒険者達の露払いをすることになっているのだが、誰が一番に乗り込むかで皆が二の足を踏んでいた。

「どうするんだ? 誰が先に仕掛ける? というか、皆で一斉に行った方がよくないか?」

「けどよぉ、入口に多数で詰めかけても狭くて全員は入れないぞ」

「遠距離からまず小鬼斥候を倒した方がいいだろ」

「誰か弓とか術とかで倒せないのか?」

「おい! お前らいつまで尻込みしてんだ! 小鬼斥候なら普段から相手しているだろうが! やる気がねえなら帰りやがれ!」

 なんともまとまりのない意見が出るばかりで、一向に仕掛ける気配がない。後詰めの冒険者たちも次第に苛立ってくる。俺としてもこんなところで無駄に時間が過ぎていくのは馬鹿馬鹿しかった。


「なあ、君達は二人組なのかい? 人数が心もとないなら僕らと一緒に組まない?」

 そんな中、四人組の新人冒険者が声をかけてくる。年齢はまだ十代だろうか、若い男三人に女一人、全員が固そうな革鎧と小盾、それに取り回しの良さそうな短剣で武装していた。

 見るからに新人でDランク相当の冒険者である。一緒に組んでも足手まといにしかならないだろう。

「いや、不要だ。俺達は二人組の方が自由に動けていい」

 あっさりと拒絶されたことに、声をかけて来た男は一瞬むっとした表情をするが、他の男が肩を軽く叩いて離れるように促す。

「そうかよ。無理して死んでも知らねえからな。死んでからじゃ、後悔はできないんだからな!」

 不機嫌そうに捨て台詞を吐いて、冒険者四人組は別のDランク冒険者に声をかけている。そちらでは意気投合したようで、こちらを見て嘲るように小さく笑っている。


「誘い、断ってよかったの? 親切で声をかけてくれたんだと思うけど。少なくともさっきまでは」

「雑魚は雑魚同士で群れていればいい。群れることで強くなった気にでもなるんだろう。あいつらに合わせていたら、いつまで経っても出発できないぞ」

「ふ~ん。じゃあさ、クレス。あたし達で先陣、切る?」

「ああ、そうするか。他の連中を待っていても埒が明かない」

 Dランク冒険者達の集団に紛れていた俺とレリィは彼らの中から進み出て、洞窟手前の藪まで位置を移動する。その後ろを一人の小さな少女が慌てたように追ってきた。

「まっ……待ってください……。二人であの小鬼の群れに突っ込むのですか? 無謀ですよ」

 手入れのされていないボサボサの赤髪に、死んだ魚のように濁った眼をした少女。背丈は低く、レリィの胸元あたりまでしかない。この娘はギルドからあてがわれた運搬人ポーターだ。


 幾らかの荷物運びと魔石拾いを任せて良いらしいが、俺もレリィも大した荷物はないので魔石拾いだけ任せることにしていた。そもそも、初対面の人物に大切な自分の荷物を任せることなどできない。ましてや、見るからに非力そうな運搬人で役に立つとは思えなかった。とりあえず戦闘の邪魔にだけならなければいい。

「お前は運搬人だろ。魔石拾いだけすればいいのだから、俺達と一緒に突っ込む必要はない。心配しなくてもお前を襲う小鬼が出てこないように、小鬼共は丁寧に潰していく」

「あー、でもあんまり離れすぎると逆に危ないんじゃない? あたしも目が届かない場所までは守り切れないよ?」

「いえ、別にDランク冒険者にそこまで期待はしていないというか……。それよりも、無茶な特攻は考え直してほしいというか……」


 この運搬人がどの程度の経験を積んでいるのかは疑問だったが、ギルドに雇われた彼らは新人冒険者のお目付け役でもあるのだろう。ましてや自分も一緒に魔窟に潜るとなれば、無謀な挑戦はやめて欲しいと願うのが必然。しかし、それは彼らの都合であって、俺達が気にすべきことではない。

「後を追って来られないようなら、お前こそ帰れ。ここから先、役立たずの足手まといは不要だ」

「や、役に立ちますよ! わたしはっ! お兄さん達こそ、大口叩いて小鬼に返り討ちにされないでくださいよ!」

「あははっ、大丈夫だよ。影小鬼だったら何匹出てきても敵じゃないから」

「上位種が出て来てからが本番だな。仮に出くわしたとしても様子見は必要ない。特殊な攻撃をしてくるわけでもないから、力押しで叩き潰せ。ただ……得物に毒を塗って攻撃してくるぐらいの知恵はある。極力、傷は受けないように注意しろ。少しでも異変を感じたら俺に知らせろ。やつら程度の扱う毒なら、解毒は可能だ」

「了解~」

「……本気ですか? 上位種が出たら、わたしは逃げますからね?」

 運搬人の少女が疑わしい視線を向けてくる。こいつの相手をしていたら、他の愚図どもと同様に出遅れてしまう。彼女の疑いの視線は無視して、俺は洞窟の入口にたむろする影小鬼達を標的として定める。


「そういえばあなたの名前まだ聞いてなかったんだけど。なんて呼べばいい?」

「わたしの名前ですか? ヨモサといいます」

「あたしはレリィ、こっちはクレス、あ、クレストフね。よろしく」

「ではレリィさんに……、クレスさんと呼ばせてもらいます」

「固いなぁ~。普通に名前で呼んでくれればいいのに」

「俺の名前を略すのは……まあ、別にいいが……」

 仲良く自己紹介をしているレリィとヨモサを尻目に、俺は小鬼斥候達を一掃するべく術式の発動準備に入っていた。

 洞窟の入口は広く口を開けていて、二十匹近い影小鬼がウロウロとしている。こちらは森の藪に隠れた位置で、先制して奴ら全員へ攻撃を仕掛けるには絶好の状況だ。これで二の足を踏んでいる連中の気が知れない。彼らはこの好機を逃して、いつ仕掛けるつもりなのか。

 鉄礬柘榴石アルマンディンの魔蔵結晶に、標的への攻撃誘導を想像しながら、術式発動前の意識制御を行う。


(――頭部目標。削り取れ――)

二四弾塊にしだんかい!!』

 術式発動の合図、楔の名キーネームの発声に反応して、鉄礬柘榴石アルマンディンの魔蔵結晶が赤い光を放つ。二十四面体の赤黒い結晶が、大地からぼこぼこと百にも及ぶ数、空中へと飛び出して来た。

 二十四面体結晶は僅かの合間だけ敵に照準を合わせるように空中で静止すると、一瞬のうちに爆発的な加速を得て影小鬼の群れへと殺到する。


 ――ごぉっ!! と無数の結晶弾が風を裂き、唸りを上げて影小鬼達の顔面目掛けて飛んだ。影小鬼達が音に気付いて振り返った時、彼らの眼前にはすでに結晶弾が迫り来て、刹那の時間で次々に頭部を削り吹き飛ばしていく。けたたましい音を立てながら洞窟の壁に結晶弾がめり込み、入口付近の影小鬼達を全滅させた。

「あれっ?」

 先ほどまでレリィと話をしていたヨモサの口から間抜けな声が漏れる。小鬼から目を離して、突入をどのようにするか相談し合っていたDランク冒険者達も、不意に聞こえて来た轟音に驚いて振り返り、既に全滅している影小鬼達を呆然と眺めていた。


「行くぞ、レリィ! 洞窟の中はお前が先行しろ」

「よーっし! 行くよー! 行っちゃうよー!」

「ちょっ、ちょっと……!? 待ってください!」

 八つ結いの長い髪を大きく揺らしながら、水晶棍を振りかざしてレリィが魔窟の入口へと突撃する。慌てて後を追うヨモサだが、影小鬼の魔石を拾い集めながら追っているため遅れている。運搬人ポーターとしての仕事がヨモサの随行する意味なだけに魔石を捨て置くこともできないのだろう。

「あまり遅いと置いていくぞ!」

「そんな、理不尽な!」

 辺りに散らばった数多くの魔石を拾い集めるヨモサの隣を駆け抜けて、俺も洞窟へと突入する。


「なんだっ!? 誰が突入の合図を出したんだ!?」

「わからないっ! だが、入口の小鬼が倒されているぞ!」

「今なら行けるんじゃないか!? 洞窟に入ってしまいさえすれば、小鬼共を各個撃破できる!」

「よ、よし! 皆、行こう!!」

 俺達の突入が呼び水となったのか、半ば混乱をしながらもDランク以下の冒険者達も雪崩を打つように洞窟へと突入していった。


「ようやくDランクどもが動いたか……。俺らも突入の準備をするか」

「ああ、影小鬼の下級種が片付いたあたりで突入しよう」

 後詰めとなるCランク以上の冒険者達も魔窟への突入準備を始める。

 影小鬼の軍勢と冒険者の討伐隊による戦いの幕が、いよいよ切って落とされたのだった。

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