第276話 溢れ出ずる悪鬼
――底なしの洞窟、第一階層『小鬼の楽園』。
薄暗い坑道に魔導ランプの青い光が揺らめくなか、第二階層へと向かう順路を五人の中堅冒険者が歩いていた。
「あーくっそ! 腹立つぜぇ! あの新人がよぉ!!」
つい最近、冒険者レベル30を超えてCランク冒険者になった男が、坑道の壁を蹴りつけながら怒鳴り散らしている。仲間の冒険者達は彼から少しだけ距離をあけて後ろを歩きながら、げらげらと笑い声を上げている。
「まーだ言ってるぞ、あいつ」
「よっぽど馬鹿にされたのが頭に来てるんだなぁ」
つい先頃、ギルドで新人の男女二人組に絡んだところ、さんざん舐めた態度を取られたことに男は腹を立てていたのだ。男としては無謀な挑戦をしようとしている新人を諫めて、受付嬢の負担を減らしてやろうという親切心のつもりだったが、新人二人の特に女の方には馬鹿にされた挙句、「臭い」とまで罵られた。
「今度会ったらただじゃおかねぇ。……そうだ、魔窟んなかで見つけたら、ちっとばかし教育してやるか! 自由な魔窟での、冒険者の常識ってやつを!」
「お、なんだ悪だくみか?」
「ちげーよ、新人教育だよ、新人教育!」
「まー、俺らも皆そろそろ新人卒業だしな。むしろこれからは指導する側ってわけだ」
「ああ、そうさ。あの怖いもの知らずの小娘に、魔窟の危険ってのを教えてやろうぜ。な~に、命を取ったりなんてしねーよ。少しばかり痛めつけて、襲われる恐怖ってのを教えてやるのさ。いきなり
勝気な性格で鬱陶しくはあったが、見た目は高級娼館にいてもおかしくないほどに美しい女だった。あんな美人がどうして冒険者なんてやっているのか疑問だが、またとない機会ではある。
街中で襲ってはすぐにばれてしまうが、魔窟で襲う分には顔を隠して暗がりに引き込めば誰の仕業かなんてわからない。
柔らかいベッドの上で女を抱くのもいいが、開放的な野外で抗う女を屈服させるのはさぞかし興奮することだろう。
頭の中で、涙ながらに助けを乞う深緑の髪をした女の顔を思い浮かべ、男は抱えていた怒りを少しばかり発散させた。
「考えたら楽しくなってきたぜ。具体的な作戦を練るか? どのへんで待ち伏せりゃいいか……」
「確実に捕まえられて、他の冒険者が入り込んで来ない場所って言ったら、小鬼の巣の入口付近だな。第二階層に進む一本道、大抵の冒険者はそのまま先へ進むから、横道になる小鬼の巣なら邪魔も入らねえぞ。小鬼共の巣の詳細はギルドの地図にも載っていないからな」
「いい案だな! それ採用だ! だけど、幾らか小鬼共を片付けておかないといけねえな。面倒くせえが、途中で乱入されても困る」
「まあ、それくらいは下準備ってことでやるしかないな。あー……しかし、小鬼って言えばよ、今日は全然やつらの姿を見ねーな」
男達が第一階層に入ってから、まだ一匹も小鬼に遭遇していない。もうすぐ第二階層へ向かう坑道に入るのだが、
「他の冒険者集団が小鬼を狩りながら通過した後なんじゃねえの。やつら幾らでも湧いてくるとはいえ、一度にたくさんぶっ殺されるとしばらく姿を消すだろ」
魔窟において、魔獣は自然発生的に『湧いてくる』とされているが、無尽蔵に溢れかえるというわけでもない。魔窟の大きさに対して、適正な魔獣の数というものがあるのか、それ以上に魔獣が増えることは基本的にない。
逆に数が減った場合には、時間の経過と共にまた適正な数へと増えて落ち着く。絶滅していなくなる、ということもまたないのだ。
「まあ、好都合じゃないか。あとは小鬼の巣の入口、最初の大部屋を確認しておこうぜ。この様子だと奥に引っ込んでいやがるのかもしれねぇが……」
第二階層手前の坑道、小鬼の巣へと繋がる木戸を開けて五人組の冒険者達が中に入る。
これまでの第一階層の様子と違って小鬼の巣の中は真っ暗で、明かりといえば部屋の数か所で頼りなさげに松明の炎がちろちろと燃えているくらいだ。部屋の全容を即座に確認できるほどの明るさはない。だから、男たちは中の様子には気が付かずに、部屋の中央まで無警戒に入り込んでしまっていた。
男達の一人が探索用の魔導ランプを点けて、青い炎が大部屋の中を煌々と照らし出した。その瞬間、男たちは異常な光景を目の当たりにした。
統率された並びで円陣を組み、壁際にずらりと揃う影小鬼の群れ。奴らは息を潜めるようにして、全員が部屋の中央を見ていた。
他の影小鬼よりも明らかに体格の大きい、小鬼と呼ぶにはかけ離れた姿をした怪物がそこにいた。背丈は男達よりも頭一つ分は高い。
そして、影小鬼達は突然に部屋の真ん中で光を発した魔導ランプに目を眩ませている。だが、あくまで低く小さく呻くように、普段のような小鬼特有のぎゃあぎゃあとした騒がしさは完全にない。
「嘘だろ……」
目前に悠然と佇む馬鹿でかい影小鬼の姿。そして、壁を埋め尽くすほどの数、大部屋に集合した影小鬼達。
部屋のど真ん中に現れてしまった男達は、一瞬の戸惑いの後ですぐさま部屋の入口に取って返そうと駆け出した。だが、入口のすぐ脇にも潜んでいた影小鬼が男達の行く手を阻む。そしてとうとう、男たちの混乱が頂点に達した。
「うわぁああああっ!? 魔獣の『溜まり場』だぁ――っ!!」
「上位種だっ! 上位種がいやがる!!」
「囲まれてるぞ!? どうする!?」
「どうするもこうするも、入口の方に逃げるしかねぇ!!」
「突っ込め! 突っ込め! 入口から部屋の外へ!!」
「くそがぁあっ!! おらぁあああっ!!」
半狂乱になりながらも、男たちは冒険者として取るべき最善の行動を即座に取っていた。部屋の中の小鬼全てを相手取るのは不可能。ましてや上位種までいるこの状況では逃げの一択だ。部屋の入口は塞がれたものの、小鬼の数はそう多くない。突破できる。
「がはっ!?」
突破できる、と思って突っ込んだ冒険者の男が、振り下ろした剣を弾かれたうえに棍棒で腹を殴りつけられた。
「こいつ!? ただの
木戸の前に立ち塞がったのは、通常の
「そいつは
浮足立った五人の冒険者達を押しつぶすように、小鬼の群れが包囲の輪を狭めてくる。必死に戦斧を振り回して牽制するが、戦い慣れした様子の小鬼隊長は怯むことなく前進してくる。
「く、来るなぁ! ぶぶ、ぶっ殺すぞぉっ……!」
「ぎゃぁっ!? 痛っ、いてぇっ!! あ……う、腕がぁっ!? 俺の腕がぁああっ!!」
一人の冒険者が小鬼隊長の棍棒を受けて、腕を骨ごとへし折られている。
小鬼達は殺気立っていた。その理由を男達は知らない。だが、小鬼達には確かに怒り狂うだけの理由があった。
つい先日、第一階層にいた小鬼が大量虐殺された。冒険者との小競り合いで命を落とす小鬼は幾らかいたが、今回は規模が違った。短期間のうちに、あまりに多くの小鬼が殺されたのだ。その勢いに脅威を感じた小鬼達は、復讐と警告を兼ねて反撃に転じたのである。
そんな理由など冒険者の五人組は知る由もなく、ただその場に居合わせた不幸でもって命を失うことになるのだ。
部屋の中心に佇んでいた大柄の小鬼は、全身を塗装の剝げた鋼鉄の鎧で覆っていた。手には一振りの大剣を握りしめ、肉厚で重量感のあるそれを片手でぶぉんぶぉんと振り回す。
まるで試し切りでもするかのように、竦み上がった冒険者の男達の首を次々に大剣で刎ね飛ばした。最後に残ったCランク冒険者の男は、尻もちを着きながら恐るべき悪鬼の姿を目に焼き付けていた。
「こ、こいつ、
ばぁん! と勢いよく大剣で横薙ぎにされた男の首が吹き飛ぶ。嬲り殺しにするでもなく、ただ殺す。小鬼達の怒りは既に、人間の死をもってしか鎮まることはない。
そして、小鬼の巣窟から数えきれないほどの影小鬼の大群が溢れ出した。
第一階層『小鬼の楽園』は、名前通りに影小鬼達が闊歩する楽園と化していく。
不運にも小鬼の進軍に巻き込まれた冒険者は五人組以外にも多数いた。第一階層をうろうろしているような冒険者は大抵が新人だ。
無数の影小鬼に襲い掛かられて、その場にいたほとんどの冒険者が命を落としたが、幸運にも逃げ延びた冒険者が数人いた。彼らは底なしの洞窟を飛び出すと一目散に山を下りて、洞窟攻略都市にある冒険者組合に駆け込んだ。
影小鬼の大量発生と、巣窟からの上位種出現の報せがギルドに届けられ、全ての冒険者に魔窟探索の一時中止が伝えられた。と同時に、事態打開のための小鬼討伐隊の募集が洞窟攻略都市全体に呼びかけられた。
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