第272話 夜伽話

「お前達、これからどうするつもりだ。冒険者は登録許可が下りないとして、稼ぐ当てはあるのか?」

 底なしの洞窟から、クランツ達四人を連れて洞窟攻略都市へと戻る道すがら、俺は彼らに今後の身の振り方を尋ねていた。


「俺は……実家の果物屋で働く。親父に事情を話して、なるべく借金は早めに返すようにするから。多分、テッドも家業の大工仕事で働くと思う。もう、冒険はできない……無理だ」

 クランツはすっかり意気消沈した様子で、痛めた体を引きずるようにしながら歩いていた。テッドとサラはレリィに担がれて、まだ目を覚ましてはいなかった。

「私は……わからないわ。どうしていいか……」

 クランツの隣をとぼとぼと歩くネリダは、今になって感情が溢れて来たのか悔しそうに唇を噛みしめ、目に涙を溜めていた。立ち直るまで時間がかかりそうな様子だが、こいつにも借金はしっかりと返してもらわないといけない。

 契約を交わしたのはクランツとネリダの二人だが、借金の返済は四人で分担することになるのだろう。そうであれば、遠くない将来に完済できるはずだ。

「当てがないのなら魔導技術連盟に登録しておけ。最初は渋い賃金の仕事しかないが安全で確実に稼げるし、魔導技術の勉強も同時にできる」

「……そうね。そうするわ……。サラにも勧めておく」

 他に何も思いつかなかったのか、反論する気力もなかったのか、ネリダは意外と素直に俺の言うことを聞いていた。



 洞窟攻略都市まで戻ってきた俺達は、とりあえず魔窟で起こったことを報告するためにも冒険者組合の支部までやってきていた。クランツ達は何らかの罰を受けるだろうが、黙っておいて後で発覚するよりは幾分かましだ。そんなことになれば俺達まで責められる可能性がある。

 本当は本部の方へ行ってラウリに話を通そうかと思ったのだが、あいにくと街へ戻ってきたときには夜で、本部は酒場として絶賛営業中だった。大勢の客がいる中にこいつらを連れ込むのは迷惑になる。まだ、支部の方が落ち着いて事情説明もできるだろう。組合長ギルドマスターであるラウリが直接に話を聞く必要がありそうなら、支部から連絡が行って本人がすっ飛んでくるはずだ。そうでなければ、それはそれで事務的に処理が進められるというだけの話だ。


 支部に運び込まれてきたサラとテッド、あちこち怪我を負ったクランツとネリダを見て、夜勤の受付嬢が血相を変えて駆け寄ってきた。もうだいぶ遅い時間だったが、ギルドには冒険者が緊急の報告で訪れることもあるため、事務仕事をやりながら職員が夜の受付を担当している。

「どうしました!? 魔窟で怪我を負ったんですか!?」

 この街のギルド支部には簡易的な医療設備も備わっていて、傷ついた冒険者がギルドに転がり込んでくることも多い。魔窟探索では魔獣に襲われて毒に侵されたり呪詛をうけたりといった特殊な事例も多いため、町医者よりもギルドに常駐している冒険者の専属医を頼って怪我人が運び込まれてくるのだ。


「詳しい話は後になるが、魔窟に迷い込んだ一般人だ。影小鬼に襲われて傷を負っている。気絶している二人は……応急処置は済ませてある。休ませる場所はあるか? あとこっちの二人の方も怪我をしているんだが」

「すぐに専属医を呼んできますね。奥にベッドがありますからそちらへ運んでください。あなた達二人も手当てをしますから奥へ」

 サラとテッドを抱えたレリィが奥の部屋へと進む。人間二人を軽々と担ぐレリィの姿に受付嬢は少し驚いていたが、すぐに専属医を呼びに奥へ引っ込んでいった。


 四人がギルド専属医の診断を受けている間、俺達はギルド職員に事情を話すことになった。一階の広間には冒険者達が情報交換できるように机や椅子が並べられている。今は夜遅いが、夜間に仕事の依頼をこなす冒険者もいるのか、十人に満たない程度ではあるがちらほらと人が座っていた。

 魔窟に忍び込んで怪我した四人に関しては、そこまで秘匿性の高い話でもなかったので俺達はその場で報告を行うことにした。話を聞くのは先ほど対応に出てきた受付担当のヴィオラだ。夜勤の後は引き継ぎしてから一日休みを取るので、情報漏れがないようにしっかりと記録を取っている。

「……つまり、冒険者登録が未許可の少年少女達を見つけて保護してくださったのですね? わざわざ、ありがとうございます」

 まったく表情を動かさず、形式的な礼を述べながら記録を続けるヴィオラに、俺も淡々と事情の説明をしていた。


 テッドとサラの怪我を俺が治療したことについては、貴重な回復用の魔導具を格安で提供したと伝えておく。返済の呪術契約について話した時、ヴィオラはわずかに眉をひそめたが、治癒系の魔導具が高価なことは冒険者組合でも常識だ。特に文句を言われる筋合いもない。

 それに、この債権は自分で管理するのも面倒なので、すぐにでも黒猫商会に売り渡す予定だ。最近、黒猫商会は銀行業にも手を広げている。俺としては治療に使った魔蔵結晶の費用で損にならず、黒猫商会としては債権の取り立ての手間を考慮しても得になる金額で売ればいい。

 大体の事情を話し終えると、クランツ達四人はギルドで預かるということになって、俺とレリィはようやく解放された。


 ギルドを出て街の宿に戻る頃には深夜になっていた。

 宿泊費は高いが大きくて立派な宿を選んでいた為、深夜でも従業員が起きていて簡単な湯浴みの準備までしてくれた。

「そこまでしなくても、体だけ拭いて着替えるけど……」

 レリィは以前、森で狩人として仕事をしていた時には何日も汚れたまま生活することもあったという。だが、ここは街中で、しかも今は高級宿に泊まっている。

「サラとか言ったか? あの娘を運んだ時に、小鬼の臭いがお前にも移っているんだ。そのままだと幾ら体を拭いても寝具にまで臭いが移る。宿の為だと思ってしっかり体を洗ってこい」

 俺に指摘されたレリィはぎくりとした様子で、自分の身体に鼻を近づけては顔を歪めた。

「洗ってくる……ついでに服も」

 レリィの体には小鬼の血液やら何やら体液が付着していた。それは酷い悪臭を放っていたのだ。レリィ本人は鼻が馬鹿になっていて今の今まで気が付かなかったようだが、実は冒険者組合に顔を出した時も、周りの冒険者や受付嬢のヴィオラは不快そうにしていた。

(……それにしても魔獣の体液や臭いは、本体を倒しても一部は残るのか。大半は蒸発したようだが……。つまらんことに気が付いてしまったな……)

 魔獣の貴重素材を持ち帰られるならまだしも、まったくもっていらない土産だった。



 湯浴みを終えて、下着姿のまま部屋に戻ってきたレリィを見咎めて俺は注意した。

「おい、そんな恰好で宿の中を歩いていたのか? ちゃんと服を着ろ」

「大丈夫だよ。人の気配はなかったし、従業員の人も仮眠室で休んでいるみたいだから」

 浴場は一階の食堂前を通過した先にあり、一方で俺達の部屋は三階の隅にある。歩いてくる間に人目につかない方が難しいくらいだ。宿にいる人間の気配を把握できているのか、平気な顔で話しているがレリィの姿は他人に見られたらかなりまずい格好だ。


 生地の薄いホットパンツに、丈の短いチューブトップ姿はいつもの寝間着姿。湯を浴びて温まった頬はほんのり赤く上気しており、しっとりと湿った白磁のように滑らかな肌を大胆に露出している。いつもは八つに結い分けている長い髪は、一つにまとめて背中へ流していた。

 魔導因子を貯め込んで闘気に変換してしまうレリィの髪は、封印用の複雑な魔導回路が刺繍された髪留めに束ねられ、普段の落ち着いた深緑色を維持している。少し髪型を変えたくらいでは、闘気が漏れ出すようなことはないようだ。その代わり、八つに結い分けて使っていた髪留めは全て一束の髪に通されており、いつになく貞淑で清楚な雰囲気を作り出していた。

 だと言うのに、格好の方は肌も露わに扇情的な下着姿をしているのだから、こんな姿を見せつけられた男は無視できないだろう。


(……くそ。もう見慣れた姿だと思っていたが、髪型が変わるだけでこうも違うのか。無防備にしやがって……)

 不意打ちだった。こうした格好は今までも見ていた姿であるし、俺自身の性的欲求が薄いのもあって意識することもなかった。宝石の丘より帰還してから贅沢三昧し、女遊びも派手にやってからというもの、一度冷静になって萎えてしまえばそうした欲求は鳴りを潜めた。それが今になって――。


 レリィの下着姿から目をそらし、俺は心を落ち着けようと目をつぶって意識制御を行う。冷静に、感情を殺して、本能を押さえつける。腹の底で疼いていたものが、俺の心身の奥底に深く沈んでいく。心も、体も、支配しているのは俺自身の理性。

 凪の如く静まり返った自身の心を自覚した後、俺はゆっくりと目を開いた。

「あれ、まだ起きてた? 座ったまま寝ちゃったのかと思った」

 レリィの顔がすぐ目の前にあった。

 寝台に腰かけていた俺に目線を合わせるように、レリィは寝台の真ん中へ乗り上げて四つん這いになりながら、翡翠色の瞳で俺の顔を覗き込んでくる。

「い、や……もう寝る」

 鎮めたはずの感情が溢れそうになるのをごまかすため、俺は寝台の隅に寄って横になり目を閉じた。まだレリィからの視線を感じるような気がする。やがて灯りが消されて、寝台がぎしりと揺れると、大きく息を吐く音が聞こえてきた。レリィが俺の横に寝転んだのがわかる。


 ここの宿は色々と気が利いて高級宿にふさわしいもてなしをしてくれるのだが、余計な気まで利かせたのか広い部屋に寝台は一つ、枕は二つという状況だった。妙に厚手のシーツに、不要なくらい用意されたタオルの束が部屋には備え付けられている。もはやお互い意識することもなく、平気で同じ寝台に寝てしまっているが、レリィの方は何も感じてはいないのだろうか。


「ねぇ、クレス。君の考えが聞きたいんだけど」

「……なんだ、藪から棒に」

 暗い部屋の中で、寝転がりながらレリィが声をかけてくる。こういう改まった感じのレリィの質問は、意外と突っ込んだ話になることが多い。俺は仕方なく寝返りを打って、レリィと正面から向き直って話を聞く体勢になる。本能的な欲求が鎌首をもたげるように腹の底から溢れようとしてくるが、俺は努めて意識しないようにレリィの話へ耳を傾けた。

「あ、いや、そのー……ね。そんなに身構えて答えてもらうようなことじゃないんだけど」

「いいから言ってみろ。お前がそう思っても、俺からすればそれなりに頭を捻る話かもしれない」

 レリィは言いにくそうに口ごもるが、俺が黙って待っているとおずおずと話し始めた。


「んーと、じゃあ……小鬼のことなんだけどね。あいつらってその、すごく……変態なことするじゃない? 女の子に対して……。そのことは一般的に知れ渡っていて、それがわかっているのにどうして今回みたいに、危険な場所へ若い女の子が飛び込んでいくかなぁ……って、すごく疑問で」

 よりにもよってそんな質問か。それを言うなら、男と一緒の寝台で何の危機感もなく、下着で横になっているレリィにこそ疑問が湧く。


「いや、わかっていないから飛び込んでいったんじゃないのか? 知っていることと、理解していることは別だぞ。危機感がなかったんだろうよ」

「そう? でも、普通は避けるでしょ。自分の腕によほどの自信がない限りは」

「だから、過信していたんだろう。あいつらは」

「うーん、そうなのかなぁ。だとしたら、救いようがない話だけど……」

 レリィは首を大きく横に傾けて、納得のいかない様子だ。まあ、あの餓鬼共の無謀さについて理解に苦しむのはわかる。けれど、彼らの認識と俺達の認識には大きな隔たりがあるのだ。相手との力量、単体と群れの脅威度の差、そして万が一の事態を想定したときの備え。それらの情報を正確に推し量れるだけの経験が彼らにはない。だから、ああも愚かな行動を軽々しく取ってしまうわけだ。


「お前から見たら何て馬鹿な真似をしたんだ、って思うかもしれないけどな。小鬼が相手なら、大半の人間が舐めてかかるのは当然だ。奴らはどこにでも生息しているし、害獣としては弱小の部類だ。特別な戦闘技能を持たなくても、小さな群れくらいなら村の男衆が棍棒を持って討伐したなんて話もよく聞くくらいだ。厄介な習性を持っているとはいえ、小鬼ごときに恐れをなしていたら冒険者なんて務まらないんだよ。傭兵でも、術士でも、外を出歩けば小鬼に遭遇することなんて珍しくもない。小鬼なんて少し面倒なだけの害獣だ」

「でも、今回のは魔窟に住む魔獣……影小鬼だったでしょ? 普通の小鬼よりも危険だってことはわかるような……」

「いや、わからないのさ。実際に魔獣を見たことがない奴には。それに、影小鬼は魔獣としての危険度は低い、というのが一般的な認識だ。『魔獣としては』という点を理解していない奴が多いのが問題なんだけどな。それでも一対一でうまくやれば、戦闘技能を持たない人間でも影小鬼を倒すことはできる。まあ、小鬼斥候ゴブリンスカウト小鬼戦士ゴブリンファイターぐらいの下級種ならって条件だが……とにもかくにも、戦闘職でない人間でも対処できる水準と侮られているわけだ」

「そっか……でも実際には群れで襲ってきたり、小鬼騎士ゴブリンナイト小鬼将軍ゴブリンジェネラルみたいな強敵も混じってくるから、舐めてかかったらやられちゃうってことなんだね?」

「ま、そういうことだ。想像力に乏しいんだよ、魔獣との戦闘経験が浅い新人は。駆け出しの頃に、いかにうまく生き残ってその辺りの経験を積めるか。それが長生きして成長していく秘訣だな」


「クレスもそうだったの? 駆け出しの頃は」

「俺か? 俺が駆け出しの頃はかなり堅実だったぞ。剣術学校で対人戦闘訓練を受けていた子供の時に、数の脅威はよくよく理解していたし、その後は術士としてそれなりに戦える水準まで独自に鍛錬を積んだ。猛獣や魔獣やらと遭遇するような場所に出向いたのはそれからだから、実戦も危なげなくこなして経験を積むことができたな」

「わー……クレスらしい、慎重さだね。しかも無駄が一切なさそう……」

「つまらなそうな顔をするな。最初はこれくらい慎重でいいんだよ。そういう事前の努力をしないから、早死にする連中が多いんだ」

「そっか……そういうことなのかな……」

「…………」

「すぅ……すぅ……」

 聞きたいことを聞くだけ聞いたらレリィは眠ってしまった。勝手な話だが、俺から話すこともなかったので、そのまま声をかけずに寝かせてやった。


 俺の方は……どうにも寝つきが悪くて、朝方まで目が冴えてしまっていた。

 そろそろ、我慢するのも限界かもしれない……。

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