第270話 蹂躙する力
魔窟『底なしの洞窟』第一階層、『小鬼の楽園』を『光路誘導』の術式で探査した俺は、ひとまず次の階層へと至る最短経路を進んでいた。
俺のように探索系の術式が使えないと、
俺にとっては一瞬の作業でも、同じことを他の人間がやろうとすれば多大な労力か、費用か、あるいは特殊な探索能力が必要になってくるのだから。
「今のところ地図に間違いはないようだな。これなら無用な戦闘は避けて次の階層へ降りることもできる」
「階層主は倒さなくてもいいの?」
レリィが翡翠色の瞳に戦意を込めて尋ねてくる。ぎゅっと握り込んだ水晶棍は、いつでも敵を叩き潰す準備ができているといわんばかりに、ぎらついた輝きを放っていた。
「必ずしもその必要はない。第一階層の階層主は
「なんだ……階層主とは戦わないんだ……」
随分と残念そうな反応をするレリィに、俺は苦い口調を隠さずに指摘してやる。
「避けて通れるものを、わざわざ戦いたかったのか? お前、いつから戦闘狂になったんだ……?」
「ちっ、違うから! 別に戦闘狂とかじゃなくて!
「……どうもお前には冒険者と魔窟に関して、妙な先入観があるみたいだな……。誰かに魔窟に関する話を聞きかじったことでもあるのか? それとも冒険小説の読み過ぎか?」
「あ、あはは……実はね、子供の頃に父さんと母さんから、『
「あぁ……『竜狩人の山嶺』か。確かに、あれも魔窟の一種ではあるな。竜の魔核結晶は魔導回路用のいい基板にもなるから、危険に見合う価値があった……」
「そう! 狩人はそこで腕試しに階層主である多種多様な竜を倒しながら、幾つもの山々を越えていくんだよ! これこそ魔窟と冒険のロマンって感じでしょ! 他にも『竜騎士の花嫁』って冒険譚も、あたしは好きなんだぁ……」
レリィはそう言って、これまでに見たこともないようなうっとりとした表情でどこか遠くを眺めている。完全に空想の世界に入ってしまっていた。
『竜騎士の花嫁』と言えば、竜騎士に惚れ込んだ若い魔女が花嫁修業と称して世界各地の魔窟を巡りながら希少な竜を捕獲し、百を超える竜と共に竜騎士の男へと結婚を申し込むという冒険譚なのか恋物語なのか曖昧な娯楽小説である。
ちなみに、これは実話を元に作られた物語で、登場人物の魔女の原型となったのが他でもない『竜宮の魔女』だ。彼女の場合は実際のところ、
そして恐ろしいことに、『竜宮の魔女』の伴侶は今なお募集中であり、ディノスを超える竜騎兵が現れたときには伴侶も交代となるのだそうだ。竜と力を貪欲に求める『竜宮の魔女』は、ある意味で一級術士に相応しい向上心を持っている。
「しかし意外だな。お前は本とかあまり読まない性格かと思っていたが」
「そんなに読むほうじゃないけどね。竜狩人と竜騎士、二つのお話は両親が読み聞かせてくれたから、とっても印象深く記憶にも残っているの」
今は亡き両親との思い出を語るレリィの様子には、陰鬱な影は見られなかった。単純に良い記憶として残っているのだろう。
「……そんなお前の幻想を打ち砕くことになりそうだが、現実の魔窟攻略は輝かしい冒険とは言い難い、慎重で根気のいる泥臭い仕事がほとんどだ」
「うっ……わかっているよ? 理想と現実は違うってことくらい。でも、新人冒険者として少しくらい未知の冒険に心弾ませても罰は当たらないでしょ!」
「油断しないのであれば多少の浮つきは見逃すが……そろそろ、声を抑えろ。小鬼どもの巣に近づくぞ」
小鬼の縄張りへと踏み入ったところで、俺は一度足を止めた。既にこの先に小鬼の見張り役がいることは知れていたからだ。レリィにも手振りで無言の合図を送ると、『光路誘導』の術式を使って岩陰から様子を窺う。術式発動には声を使わず、全て意識制御の下に術式を行使した。
発動が不安定になるので普段はやらないのだが、こうした隠密行動の必要があるときに、どんな術式でも無言で使用できるよう準備はしている。
(ちっ、面倒くさい、
素早く見張りの二匹を倒しても、巡回の小鬼が気付けばたちまち小鬼の巣窟中に異常が知れ渡るだろう。奴らが簡易的な連絡手段として、金物を打ち鳴らして合図を送る、という行動を取ることがギルドの情報にはあった。
(……まずは見張りの二匹を倒す……)
俺は水晶の魔蔵結晶を一粒摘まみ、意識制御で術式を発動する。そして岩陰から飛び出すと、まだこちらに気が付かず悠長に欠伸をしている小鬼へ向けて攻撃を仕掛ける。
(――目標、小鬼二匹。穿て、『
水晶が仄かに光を放ち、拳大の水晶塊が宙に出現する。間髪入れずに水晶塊が空気を裂いて撃ち出され、瞬く間に二匹の小鬼斥候の頭を吹き飛ばす。水晶の弾丸は意識制御通りの軌道を辿って、目標違わず二匹の小鬼を絶命させた。頭を失った小鬼はその場に崩れ落ち、小さな魔核結晶を残して灰塵と化す。
「とりあえずこれで見張りは片付いた」
「じゃあ、他の小鬼が来る前に先へ進もっか」
「いや、ここで巡回の小鬼斥候を待ち伏せする。半刻とかからずに巡回の四匹はここを通るはずだ」
「えぇ~。本当にー? 小鬼相手に待ち伏せとか暇すぎる……」
不満を漏らすレリィの気持ちはわからないでもない。小鬼のような雑魚相手にこちらが待ちの姿勢を取るというのは時間がもったいなく感じるだろう。
「たかが
そう、ここは魔窟だ。敵は魔窟に巣くう影小鬼。通常の小鬼とは性質が違う。最初は慎重に様子見から入るべきだ。
先に小鬼の見張りと巡回を全滅させておけば、仲間を大勢呼ばれるようなことはなくなる。今日は様子見に来たところでもあるし、影小鬼の軍勢と正面戦争などする気もないのだから。
「了解……。次はどうする、あたしがやろうか?」
「俺がやる。派手な音を立てて気づかれたら面倒だからな」
「別に、静かに倒せって言うならできるけど」
「……調整した術式の具合も確かめておきたい。だから、しばらくは俺が敵を倒す」
「はいはい、それならクレスに任せるからね」
両肩に担いだ水晶棍に腕をかけ、退屈そうに欠伸をかますレリィ。さっきの小鬼みたいだぞ、とは思ったが言わないでおいた。
四半刻を過ぎたころ、巡回の小鬼斥候が姿を現した。最初に確認した通り数は四匹だ。奴らは見張りの小鬼が見当たらないことを不審に思ったのか、巣の入口付近でうろうろとし始める。
(――目標、小鬼四匹。穿て、『
四つの水晶塊が曲線軌道を描き、瞬時に四匹の小鬼斥候へと襲い掛かり、ほぼ同時に頭が吹き飛んで小鬼達は全滅する。
「……なんか、容赦ないねクレス」
「お前がやっても結果は変わらないだろ」
とりあえず魔獣化した小鬼も『結晶弾』の一発で倒せることはわかった。上位種が出てくるまでは、これ一種類で通していいかもしれない。
「さっさと先へ進むぞ。ギルドの情報だと、ここから先は大部屋に十匹以上、詰めているところもあるそうだ。数が多くて撃ち漏らすようなら……レリィ、お前にも戦ってもらう」
「よーっし! やっとあたしの出番かな! 魔窟探検、魔獣との戦闘! 腕が鳴る~」
無駄なやる気を出したレリィであったが、その後もしばらくはレリィが水晶棍を振るうような機会はなかった。
『……
十発の結晶弾が一斉射されると、曲線軌道を描きながら一発の弾が二、三匹の影小鬼を貫通して、わずか一瞬のうちに数十匹の影小鬼が全滅する。今はまさに洞窟の大部屋に踏み入って、小鬼達が雑魚寝しているのを蹂躙したところだ。奥へ進むにつれ影小鬼の数は増え、寝転がっている小鬼や穴掘り作業をしている小鬼など、徐々に生活感のようなものが見え始めてくる。
魔獣化した小鬼に食事をする必要はないし、ただ生きるだけなら何もせず寝転がっていても不思議はない。それが統率された軍隊のような動きを一部で見せ、何の目的があってか掘削作業をしている小鬼もいた。これは上位種の小鬼が知能を持ち、下級種の小鬼に命令を下しているからかもしれない。
穴掘りは巣を広げるためか、それとも採掘した鉱石を加工したりする技術を小鬼が持っているのか。これまでの単純な小鬼と考えてはいけないかもしれない。
事実、先ほどの大部屋では奇襲により一瞬で全滅状態に追い込めたが、小鬼達の中に武装したやつも混じっていて、即死せずに息をしていた。おそらく
頭の大きさに不釣り合いな鉄兜をかぶっていて、そいつが結晶弾から頭を守ったようだ。それでも、衝撃力は小鬼の首を捻じ曲げるぐらいには強く、ほどなくして小鬼戦士も鉄兜を残して灰と化した。
「ねぇ、クレス。もしかして今までより、術式の威力上がってる? 一度に飛ばす弾の数も増えてない? 弾の動きもなんだか複雑になってるし……」
「気が付いたか。アカデメイアにいる間に術式改良の研究を進めていてな。どうにか今回の旅に間に合ったわけだ」
続いて押し入った大空洞では、広範囲にわたって掘削作業をしている影小鬼の集団がいた。範囲が広いので今度は一斉射ではなく、近場にいる小鬼を端から順に一匹ずつ結晶弾を撃ち込んで殺していく。粗末な武器や防具を身に着けた小鬼戦士がいきり立って襲い掛かってくるが、途切れることのない結晶弾の雨を前にして、無残にも体に穴を開けて死んでいった。
「クレス! あそこから弓矢で狙っている奴がいる!」
遠くの高台からこちらを狙う
他にも遠距離から狙っている奴がいないか視線を巡らし、怪しい動きをしているやつから優先して撃ち殺していく。放たれた結晶弾の前に、影小鬼達はなすすべもなく倒れる。
「……具合は悪くないな。少し、魔導因子の消耗は多いが……」
魔蔵結晶の術式威力の強化と継続連発性の付与、それに誘導性の精度を向上させる魔導回路を新型の魔蔵結晶には組み込んでいた。単純な威力強化だけでなく、一発撃って終わりの術式を一定時間連発できるように改造したのだ。
その分だけ魔導因子の消耗は激しくなったが、魔蔵結晶の魔導因子貯蔵密度を増加する改良も同時に加えてあるため、すぐに弾切れになるようなこともない。時間当たりの制圧力は劇的に高まった。ついこの間、アカデメイアで講師職に就いている合間に進めた研究開発の成果である。
ほどなくして大空洞にいた影小鬼が全滅する。後には錆びたツルハシや壊れた木盾、刃の欠けた短剣や粗末な弓矢といったものがあちこちに落ちていた。とりあえず俺とレリィはそれ以外の小さな魔核結晶を拾い集めた。広い大空洞に散らばった魔核結晶を拾い集めるのは結構な手間だった。
「また、あたしの出番なかったし……」
「少しやりすぎたくらいか。影小鬼も思ったほど強くはないな……。これならアカデメイアで戦った魔獣の方が強いくらいだ」
「そうなの? それってつまり……どういうこと?」
「この魔窟を生み出した原因、その根源となる存在はさほど大きな力を持っていないのかもしれない。いわゆる
「ふーん。でも、影小鬼にも強い種類がいたりするんでしょ。なんて言ったっけ?
「確かに上位種ともなれば、格段に高い戦闘能力を有していてもおかしくはない。
幻想種が融合した生物の生命力であったり、あるいは幻想種の格そのものが低級であるなら、影小鬼がさほど強くないというのもあり得る。そして、上位種になった途端、急激に力をつけるという可能性もあるのだ。同じ小鬼種族でも個体差というのはある。憑依する幻想種も格の上下や個別の特性まで様々だ。
新人冒険者が陥りやすい錯覚というのもこれだ。上位種でも小鬼ならば弱いだろうと高をくくっていたら、格段に強さを増していて、その変化に対応できずに命を落としやすいのだとか。
その後も探索を続けながら小鬼の駆除をしていた俺は、転がった小さい魔核結晶を摘まみ上げ、岩壁から突き出た金属の結晶を観察して溜め息を吐いた。
「やはり下級種はいくら倒しても屑石しか落とさないな。それに、第一階層で採掘できる資源も石炭に鉄鉱石、あとは銅鉱石くらいか……全く魅力がない」
魔窟の岩壁や地面に時折見られる鉱脈や鉱物結晶は採掘することができ、魔窟の外ではそれ相応の価値を持った資源として売却できる。坑道を深く掘り進めなくても、岩壁や地面の浅い層に存在しているので採掘は容易だ。しかし、鉱石ではよほど大量に掘り出さない限り、俺にとって魅力ある稼ぎとはならない。
「でも冒険者はそういう採取の仕事も結構な割合で請け負う、って話を聞いたことあるけど」
「多少の小遣い稼ぎにはなるんだろう。俺はもう鉱山での採掘なんて御免だけどな」
「えぇ~? なんかもうクレス全然、冒険者らしくないよー」
「そもそも俺の本職は冒険者じゃなくて、術士だ! そして、お前は騎士だ! 目的を忘れているんじゃないだろうな?」
「今は冒険者だもん! 目的だって忘れてないし、その範囲で少しくらい楽しんだっていいでしょ!」
ぷくっ、と頬を膨らませてレリィは抗議してくる。どうしてそこまで冒険者にこだわるのかは理解できないが、この様子では冒険者気分を十分に満喫させてやらないと収まりがつかないかもしれない。
「ちっ……あまりハメを外しすぎるなよ」
「大丈夫だって! だから、次に小鬼が出てきたらあたしが戦うね。いざ魔獣退治!」
「もう好きにしろ。俺は手を出さないからな」
いい加減に面倒くさくなって、レリィへの戦闘許可を与えてしまう。魔獣といっても影小鬼であれば、例え上位種が出てきてもレリィ一人でどうにかなるだろう。一度、本人の気が済むまで戦わせてやることにした。
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