第269話 錆びたツルハシ

 洞窟を進む三人の少年少女達は、どこまで行っても目標の小鬼を見つけることができないまま奥へ奥へと入り込んでいた。

「おっかしーなー……小鬼なんて一匹もいないぞ?」

「これはあれじゃないか、ほら、階層主を倒すとその階層の魔獣が激減するっていう。誰かが階層主を倒してから、まだ時間が経っていないのかも」

「なにそれ、拍子抜けだわ。こんなんじゃ腕試しにもならない――あら? あの子、どこ行ったの? ちょっと、サラがついて来ていないわよ!」

 眼鏡少女が後ろを歩いていたはずの気弱な少女、サラがいないことに気が付く。前を歩いていたクランツが慌てて道を引き返してきた。


「どういうことだよ! 一緒について来ていたんじゃないのか? なんで、はぐれちゃうんだよ!」

「知らないわよ! あの子が勝手にいなくなっていたんだから! おおかた小鬼が怖くて逃げだしたんじゃないの?」

「そういえばあんまり乗り気じゃなかったもんな。小鬼も現れないし、帰ったんじゃないか」

 クランツは納得がいかない様子だったが、ほかの二人は気弱なサラの性格から逃げ帰ったのではないかと勝手に判断していた。


「仕方ない。一度、戻ろう。もしかしたら本当にはぐれて、道に迷っていたら大変だ」

「はぁ~? 冗談でしょう。ほんと何しに来たのよ、ここに。小鬼の一匹も見つけられないまま探索終了なんて」

「そう言うなよ。万が一にも迷ったら、下手すると帰れなくなるんだから。今回の下見はこれで終了にしとこう、残念だけど」

「クランツの言う通りだ。何も収穫はなかったけど、魔窟の雰囲気がわかっただけでもよしとしよう」

「テッドまで……仕方ないわね。あとでサラにはお仕置きが必要ね!」

「お、おい、ネリダ。あんまりサラをいじめるなよ?」

 嗜虐的な笑みを浮かべながら杖で手の平をポンポンと叩いている様子を見て、クランツは困った顔をしながら眼鏡少女のネリダを軽く諫めた。

 昔からの幼馴染だが、ネリダには事あるごとにサラを責め立てる悪癖があった。最近はそれを楽しんでやっているようにも見え、過度の暴力に繋がらないかクランツは日頃から心配しているのだ。


「いいのよ、少しくらいはいじめても。サラったら、私にお尻をぶたれると興奮するんだから。構ってもらえて喜んでいるのよ」

「え……サラ喜ぶのか? そうなのか……」

「どっちもどっちだな……お互い変な趣味に目覚める前に、ほどほどにしておいた方がいいぞ。さあ、引き返そう」

 先に進みたがるクランツと、引き返すことに難色を示すネリダを促すように、テッドが率先して元来た道を戻り始める。幼馴染の四人組。その仲が悪い雰囲気になると、決まってテッドが冷静な突っ込みを入れて、いつの間にか普段の気兼ねない関係へと戻してくれる。何か行動を起こす時に先頭を行くのはクランツだったが、実質的に仲間をまとめ上げているのはテッドかもしれない。


 それ以上、テッドは余計なことを喋らなかったが、先に戻り始めた彼の背中には有無を言わせない迫力があった。頼もしい背中だ。こういう時は素直にテッドの言うことを聞いておいた方が物事はうまく回る。

 戻るのを渋るネリダの背中をクランツが押して、三人は元来た道を逆に辿り始めた。

「ん? なあ、これ……サラの靴じゃないか?」

 先を歩いていたテッドが突然、その場にしゃがみ込み地面に落ちていた靴を拾い上げる。

「そうね、サラの靴だわ。どうしてこんなところに片方だけ落ちているのかしら?」

「まさか……小鬼に襲われたんじゃ……」

 地面をよく見ると争ったような形跡がある。サラが得意としていた土系の魔法が放たれた後の残骸も残されていた。

「急いでサラを探そう! 今も小鬼に追われているのかもしれない!」

「こっちに何かを引きずったような跡が続いている。行きにはなかった跡だ。とりあえずこっちを探してみよう」


 地面に残った不自然な跡を追って、テッドが脇道に入る。

『ギギャギギャ、ギギャ!!』

 その瞬間に、洞窟の暗がりから二匹の小鬼が飛び出して来た。

「うわっ!? どこから現れたんだこいつら!」

 飛び出してくる一瞬前まで足音もしなかった。脇道の陰にずっと潜んでいたのかもしれない。よく見れば洞窟の壁に、突き当りが辛うじて見える程度の小さな横道がある。

 横から飛び出して来た小鬼の攻撃を間一髪、クランツは木製の円盾で防いだ。ばぎん、と木製の盾が二つに割れて、鋭い金属の先端がクランツを襲った。


「なんだっ!? この武器!?」

 慌てて大きく後ろに下がり、小鬼が振り抜いた武器を避ける。重く鋭い音を立てて、硬い地面に突き刺さったのは赤黒い色をしたツルハシの先端だった。

『グッ、ゲッゲッゲッ……!』

 醜悪な笑い声を上げながら、ゆっくりとツルハシを肩に担ぐ小鬼。ツルハシにこびり付いた赤黒い色素は、ただの鉄錆のようにも見えたし、古い血痕のようにも見えた。


「クランツ! 気をつけろ! こいつら武装しているぞ!」

 大声で注意を促したテッドは、棍棒を持った小鬼と戦っていた。棍棒の打撃を盾で防ぐも、衝撃が腕に響いたのか苦しそうに顔を歪める。それでも金鎚を振るって必死に応戦し、上手い具合に小鬼の首へ金鎚がめり込んだ。

『グゲヘッ!?』

 首の骨が折れたのだろう。力なく地面へと倒れ込んだ小鬼は、全身が真っ黒に染まって灰となり崩れ去る。カラリと大豆一粒程度の魔石が地面に転がった。あれで銀貨数枚の価値はあるだろう。すぐにでも回収したかったが、小鬼が次から次へと洞窟の奥から現れるので悠長に拾っている余裕がない。


「このっ! 死ねっ!」

 ツルハシの大振りな一撃を回避して、小鬼の胸へナイフを突き立てる。

『ゲッ!?』

「どうだ!」

 ナイフは小鬼の胸に突き刺さったが、思いのほか固い手応えでナイフの刃は切っ先程度しか潜り込んでいない。痛みに怒り狂う小鬼がめちゃくちゃにツルハシを振り回してくる。

『ギゲェッ!! ギゲッ!!』

「うわわわっ! く、くそ! これならどうだ!」

『ゲヘッ!?』

 背中に背負っていた木刀を思い切り振りかぶり、小鬼の脳天に打ち付ける。気持ちいいほどに正面から小鬼の頭へ一撃が決まり、殴られた小鬼は意識が飛んだのかよたよたと歩き回りながら、洞窟の壁に頭をぶつけている。


炎弾イグニス・ブレット!!』

 ふらふらとしていた小鬼に向けて、ネリダの放った炎弾が直撃する。

『ゲヘェエエッ!?』

 気持ちの悪い悲鳴を叫びながら小鬼の身体が燃え上がり、すぐに灰となって崩れ去る。豆粒のような魔石が一個、魔窟の地面に転がり落ちた。


「やっぱり小鬼なんて大したことないわ! 落ち着いて戦えば楽勝よ!」

 突然の小鬼の急襲に驚いたネリダだったが、クランツとテッドが小鬼を抑えている間に冷静さを取り戻し、見事に炎弾の術式を直撃させてみせた。ネリダは喜色に満ちた表情で杖を構えなおし、次なる小鬼の襲来に備えた。

「さぁ、どこからでもかかってきなさい! まとめて消し炭にしてやるんだから!」

 洞窟の奥、暗い闇の中から影小鬼が三匹、同時に飛び出して来た。返り討ちを宣言したネリダの表情が引き攣り、慌てて術式を放つための意識集中に取り掛かる。

「お、落ち着いて……冷静に――」

 目前に小鬼が迫ってきている。クランツとテッドは先ほどから別の小鬼を相手にしていて、こちらの援護には回れそうにない。どうにか魔導因子を練り上げて、杖に刻まれた魔導回路に流し込み術式を発動した。


炎弾イグニス・ブレット!!』

 杖の先端から飛び出した炎弾が、真っ直ぐに向かってきていた小鬼の胸へ直撃する。

『ゲギャァッ!?』

 胸を焼かれた小鬼が衝撃でひっくり返り、強かに後頭部を地面に打ち付けて動かなくなった。だが、倒せたのは一匹だけだ。残りの二匹は倒れた仲間を気遣う様子もなく、ネリダに向かって突進してくる。

「ちょ……何で怯まないのよっ……!? これじゃ間に合わ――」

 あっという間に距離を詰められたネリダは、二匹の影小鬼に掴みかかられて尻もちを着いてしまう。衝撃で眼鏡が弾き飛ばされ、ただでさえ薄暗がりで周囲を把握しにくい洞窟がいっそう見えにくくなった。蠢く小鬼の影が急に増えたようにも見えて、ネリダは強い恐怖に襲われた。


「ク、クランツ! テッド! 助けて! 小鬼がっ……いやっ!? げぐっ――」

 影小鬼が紫色のマントを引き剥がそうと力任せに引っ張ると、それがネリダの首に巻き付いて締め上げる形になってしまった。首に絡んだマントを緩めようと必死に身体を動かそうとするが、もう一匹の小鬼がネリダの胸倉を掴んでマントとは正反対の方向に引っ張っているため、前にも後ろにも動けず首を絞められ続けてしまう。

「ネリダ!? くっ、離れろ! 小鬼め!!」

 ネリダの危機に気が付いたテッドが目の前の小鬼を金鎚で殴り殺し、慌てて援護に向かった。


 ――ビュッ!! と風切り音が聞こえると同時、テッドは足を止めた。走り出した勢いもあって数歩、前へとそのまま歩みを進めたがすぐにその場で立ち止まる。

「テッド! 何してるんだ! 早く、ネリダの救出を!」

 二匹の小鬼を相手取って苦戦しているクランツの声にもテッドは応じず、がくりと膝をついて倒れ伏した。テッドの脇腹、背中、肩の三ヶ所に羽の付いた棒が生えている。

 再び、風切り音がすると倒れたテッドの尻に羽付きの棒がもう一本立った。テッドの身体がびくん、と跳ねる。矢だ。どこか暗がりの中から矢が飛んできたのだ。


「弓矢の攻撃!? くそぉ! 小鬼弓兵ゴブリンアーチャーが潜んでいたのか!?」

 辺りを見回してもそれらしい姿は見当たらない。クランツ達の死角に潜んで、暗闇に紛れながら矢を放っているのだろう。

「ちくしょう! ちくしょぉおおっ!!」

 木刀を振り回して小鬼を殴りつけるも、急所から外れた闇雲な攻撃では頑丈な影小鬼を倒すには至らない。そうこうしている内にネリダは杖も奪われ、失神してしまったのか青白い顔をしてぐったりと動かず、小鬼にされるがままの様子だ。マントと服を剥ぎ取られたネリダは、裸のまま小鬼達にどこかへ連れ去られていった。テッドも身包みを剥がされた状態で、転がされている。


(――こんな……こんなはずじゃなかったんだ……!! ちょっと何匹か小鬼を狩って、自信をつけたかっただけなのにっ……)

 せっかく魔窟ダンジョンが近くにある街に暮らしているのだから、夢のない退屈な日常を送るより、刺激の多い冒険に憧れるのは当然だった。

 中堅の冒険者にもなれば、一日二日、魔窟で稼いでくれば、しばらく遊んで過ごせるくらいには稼ぎもいい。一週間くらいは酒をだらだら飲みながら、うまい飯を食って、気分次第で娼館へ女を抱きに行く。

 毎日、汗水垂らして過酷な農作業や薄利多売の商売なんてしなくても、余裕のある生活が送れる。

 仲間が四人もいれば小鬼くらい囲んで倒すことは難しくない。影小鬼一匹から取れる魔石で銀貨数枚の稼ぎになる。四人で分けても軽い食事を買えるぐらいの小遣いになるのだ。早く冒険者になって、どんどん稼ぎたいと思うのは当然のことだった。


 ――だが、現実はどうだ?

 サラは洞窟で行方不明、テッドは矢傷を受けて倒れ、ネリダは小鬼にさらわれてしまった。

 クランツも影小鬼と壮絶な殺し合いをしている最中だ。しかも、洞窟の奥からは今も小鬼達が続々と姿を現しており、包囲が厚くなっていた。

 逃げることもできない。完全に詰んでいる。

 目の前の小鬼を倒しても、次から次へと新しい敵が現れるのだ。


 いったいどれだけの時間、小鬼達と殺し合いを続けていたのか。

『ゴガギガーッ!!』

 今や三匹の影小鬼と取っ組み合いの殺し合いをしているクランツの目に、小鬼にしてはやけに体格がよく、錆びた剣と木の盾を持った影小鬼の姿が飛び込んできた。粗末ではあるがかつて人間が使っていただろう革鎧の一部を身にまとう、その貫禄のある姿は普通の小鬼とは違って見えた。


 おそらく、今クランツが相手にしているのは影小鬼の中でも最弱の部類、小鬼斥候ゴブリンスカウトあたりだろう。縄張りに入った侵入者の存在を仲間に知らせたり、真っ先に襲い掛かったりする以外に特別な特徴をもたない普通の小鬼は、小鬼斥候で一括りにされてしまう。

 だが、新たに現れた体格のいい影小鬼は争いごとに慣れている様子がうかがえる。こいつはおそらく小鬼戦士ゴブリンファイターだ。ただでさえ普通の小鬼相手に苦戦しているのに、ここで戦い慣れした小鬼戦士ゴブリンファイターまで出てきてしまっては終わりだ。


「ちくしょう……ここまでかよ……」

 絶望的な状況に自分の命運が尽きることを覚悟したクランツは、せめて冒険者らしく一矢報いてやろうと小鬼戦士に立ち向かっていく。

「最後のあがきだっ! 俺の実力がどこまで通用するか試してやる! うらぁああっ!!」

 雄叫びを上げながら小鬼戦士へ突進し、大上段から木刀を思い切り振りきった。小鬼戦士はクランツの一撃を盾で受け止めると、がら空きになったクランツの脇腹に錆びた剣で横薙ぎをくらわせる。刃こぼれしていて切り裂かれることはなかったが、小鬼戦士よりも粗末な防具しか用意できていないクランツには大打撃となった。


「かはっ……!?」

 いまだかつて、人生の中で経験したことのない痛みがクランツを襲った。流血こそ少ないものの、内臓へと確実に耐え難い衝撃が加えられたのだとわかる。視界がぐるりと反転し、もんどりうって地面に倒れ込む。

 あまりの痛みに体を丸めて縮こまることしかできず、手足は痺れたように動かなくなっていた。クランツの中で、自身を支えていた何かがぽっきりと折れていた。


「ぐぅう……っ」

 無駄に唾液が流れ出し、口から溢れ出てくる。

 クランツにとっての恐怖の根源である小鬼戦士がゆっくりと近づいてきているのに、逃げ出すこともできずにただ倒れ込んでいるほかない。あまりにもみじめで、悔しくて涙が流れだしていた。滲む視界に映る小鬼戦士が無造作に剣を振り上げた。そして躊躇なく錆びた剣をクランツの顔面にめがけて振り下ろす。


『……結晶弾クリスタル・グランデ……』


 どこか遠くで、ぼそりと呟く声が聞こえ、ドッ、という鈍い音が洞窟内に響いた。

 クランツの頭部を叩き潰すはずの一撃はいつまで待ってもやって来ない。死ぬ覚悟は既にできているのに何をしているのか、とクランツは小鬼戦士を見上げて驚愕した。


 クランツの頭を叩き潰すはずだった小鬼戦士、そいつ自身の頭が綺麗さっぱり消失していたのだった。

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