第263話 真なる魔窟
「一級術士……? まさか兄ちゃんが、あの『結晶』だって言うのか!」
驚愕の表情で体を仰け反らせる酒場の主人。随分と度肝を抜かせることに成功したようだ。少しばかり気分がいい。
「あの……あの成金悪徳錬金術士のクレストフ!!」
「誰が成金で悪徳だ!」
いや、確かに成金で悪徳かもしれないと自覚はあるが、面と向かってはっきり言われると腹が立つ。
「かつて同業者の宝石商を幾人も破産に追い込み、水晶で作られた大御殿に若くて美しい女を囲って、贅沢三昧しているという!?」
微妙に否定しきれないのが苦々しい。ついでに「若くて美しい……あれ? あたし? あたしのこと?」などと、にやけた笑みを浮かべているレリィもまた癇に障る。
「まあ……成功者というのは、他人から羨まれ、悪く言われることもあるからな。俺は別に気にしていないが」
「まじかよ、確かに『結晶』は年齢が三十歳にもなっていないって話だし、連れの姉ちゃんが言ってたクレスって呼び名も合わせて考えれば、本物なのか……?」
「あははっ。相変わらずクレスの評判は最悪だね! あ、このキノコ美味しい! ん~、チーズも濃厚でいい匂い!」
愕然としながら呟きつつ、それでも食器洗いの手を休めない酒場の主人は大した仕事人である。それに引き換え俺のことを笑いながら、配膳された洞窟キノコのチーズ焼きを俺の分までかき込んで食べてしまったレリィには、今夜あたり教育的指導が必要かもしれない。最近、ちょっと自由過ぎるぞ、この娘。
「俺の素性が本物だろうと偽物だろうと、この場ではどうでもいい話だろ」
「いやいやいや、一級術士様の動向ともなれば気になるだろう。なんで、うちみたいな古臭い酒場に昼間っから来たのか。本物かもしれない可能性に賭けて、色々と聞きたくなるのが情報通を自称する酒場のマスターってもんよ」
「自称なのか……うさん臭いな。俺の情報は他人に売るなよ。余計な面倒事に巻き込まれるのは御免だ」
「まあ、そう邪険にするなって。自称ではあるが、自負はあるんだぜ。そこいらの居酒屋で聞く話よりは、突っ込んだことまで情報は集めているんだからよ。情報を売るにしても、相手や内容もしっかり選ぶさ。一級術士の情報なんて機密の塊、おいそれと外には出さないっての。んで、やっぱり、あれだろ? 一級術士の兄ちゃんが動き出したのは、とうとう真の魔窟になっちまった『底なしの洞窟』を極秘裏に調査へ来たんじゃねえのか?」
「……なんだと? 真の、魔窟?」
酒場の主人がさらりと漏らした話は聞き捨てならないものだった。底なしの洞窟はかつて俺が開発した鉱山跡地。人工の洞窟であるわけだが、そこに俺が放った獣や魔導生物、そして魔導人形の類が今もうろついているはずだが、それが異界現出して魔窟になったという話は初耳だ。
「底なしの洞窟は、人工洞窟のはずだ。真の魔窟と呼べるものではなかったはずだが……」
「おっとぉ? なんだよ、これも知らなかったのか。だったらいったい何でここまで来たんだぁ?」
「そんなことより、底なしの洞窟が
「んん~……そうだなぁ。本当に何も知らねぇみたいだし、情報料ってことで酒のボトルを一つ注文してくれたら色々と教えてやるぜ」
そういって酒場の主人は棚に並んだ幾種類もの酒瓶を顎で指して、にやりと深い笑みを浮かべる。
(……どのみち明日、領主エリアーヌの元へ行けばわかることだが……情報源は複数あった方が確度も増すか)
酒場の主人が知っている程度の話だ。この街の魔導技術連盟支部で聞き込んだり、直接に顔馴染みであるエリアーヌに聞けばわかることではあったが、ここですぐ知っておくのも悪くない。今はとにかく時間が貴重なのだ。今回の旅に参加する仲間が集まるまでの間に、準備すべきことがあるなら済ませておきたい。
「よし、主人! そこの特級酒『秘境の噂』を一本、頼もう」
「お! さすがだね、兄ちゃん! 新人冒険者なんかと違って、よくわかってるじゃねぇか!」
俺が選んだのは怪しげな名前のラベルを貼った、やけに価格の高い酒瓶だった。この店では酒のボトルを入れるのが情報提供料の支払い方。だとすれば、高い酒瓶を頼むほど情報も精度の高いものを詳しく教えてもらえると考えるのが自然だろう。安酒しか頼めない新人冒険者などは、街中の噂程度の話しか聞けないに違いない。
「事の起こりは三ヶ月ほど前にさかのぼる。とあるEランクの新人冒険者五人組が底なしの洞窟に挑戦した。洞窟に辿り着くまでの樹海を通過するだけでも命がけの連中だ。洞窟前まで来た段階で、無理はせずに少し覗いて帰ることにしようとそいつらは決めていたんだが……」
酒場の主人は俺が注文した特級酒をグラスに注ぐと、やや大きめの丸い氷を一つ酒の中に落とし、語り口調は乱さぬままレリィの分のグラスも用意していく。
思っていたより、この話は長くなりそうだった。
「その日、普段であれば灰色狼がうろついているはずの洞窟前には、全く獣の気配というものがなかったそうだ。不審に思いつつも新人冒険者の五人組が洞窟の中を覗いてみると……複雑に入り組んだ洞窟の奥には
「そいつはもしかして、
「正解だぜ。普通の小鬼とは違う、
「影小鬼……そんな呼ばれ方をしているのか。初めて聞いたが」
「冒険者
「ふぅん……冒険者組合なんて、ならず者の集まりだと思っていたが、意外としっかりした協調体制を取っているんだな」
「昔は本当に兄ちゃんの言う通りで、荒くれ者が適当に集まっただけの集団だったがよ。五年ほど前に、この洞窟攻略都市の領主エリアーヌ様が運営団体を管理し始めてから、かなりまともな組織になったな。なんでもここのギルドは、魔導技術連盟の組織体制を真似て作られたとか。今じゃ、よその地域にも似たような組織体制を持つギルドが発足して、それら別組織との繋がりも正式に契約で交わして、各地のギルドが情報共有できるようになってきたんだぜ」
俺は素直に感心していた。かつては傲慢な貴族令嬢でしかなかったエリアーヌが今では、ならず者の集団をまとめ上げて冒険者組合を運営しているという。大勢の人間を管理し、まとめ上げて機能させるというのは、まさに指導者としての資質に恵まれていたのだろう。もちろん、彼女自身の並々ならぬ努力があっただろうことは想像に難くない。
(……昔から政治的駆け引きにはそれなりの適性が見られたが、ここまでの手腕を発揮するとは思わなかったな……)
俺が感慨深げに思索に耽っているのを横目で見ながら、酒場の主人はレリィの方に向き直って話の続きを再開した。
「……で、
「じゃあ、やっぱり本当に、真の魔窟っていうのになっちゃったんだ?」
「ああ、間違いねぇ。中堅どころのCランク冒険者から多数の報告があったばかりか、Bランクの熟練冒険者からも報告があって、底なしの洞窟が真の魔窟と化したってギルドが正式発表したのが、三ヶ月くらい前のことだ。それ以来、底なしの洞窟の調査が始められたが、名前の通りに底が見えねぇ。ただでさえ元から深く入り組んだ洞窟だったってのに、魔窟となってからは内部構造もすっかり変わって、これまでの地図も役に立たない――」
「洞窟の内部構造が変わったのか!?」
酒場の主人が漏らした情報の一言に、思わず立ち上がって反応してしまう。
「お、おう……。まあ、そりゃ魔窟だからな。これまでの底なしの洞窟とは大きく異なる場所になっちまったのは仕方ねぇだろ?」
「ちっ……予想外の手間が増えたな……」
「予想外の手間って……あ。そうか~、クレス、以前の洞窟なら道もわかったんだよね」
「ああ、魔窟になったということは、これまでとは全く別次元の異界と化したってことだ。最下層まで行くのに時間を取られるかもしれない。そうなると、
「おいおい、最下層って……簡単に言うが、トップクラスの冒険者チームでも底なしの洞窟は、まだ第十階層の探索途中だって話だぞ。元の底なしの洞窟の規模から言って、二十階層はあるんじゃねぇかってのがギルドの予想だ。まず攻略できるかどうかってところからで、短期間でどうこうしようなんて無謀だぜ」
呆れた口調で空のグラスを取り上げる酒場の主人に、俺は『無謀』の言葉を鼻で笑う。
「ただの冒険者には無謀だろうよ。だが一級術士の俺にとっては、時間だけの問題だ」
「時間か……急がないといけないもんね」
神妙な顔をしたレリィの呟きは、俺にとっても重たい言葉だ。攻略自体は何の問題もないだろう。
問題は時間だ。どれだけ早く目的地まで辿り着けるか。『異界の狭間』まで到着しても、そこからビーチェ探索の時間も考えなければならない。道中の行程は早ければ早いほどいい。
「予定変更だ。他の連中とは連絡を取りつつ、俺達は先行して別行動。明日、エリアーヌと会ったらすぐに底なしの洞窟に潜る。主人、色々と魔窟の情報をありがとう。これで失礼する。食事代と情報代、合わせて金貨一枚あれば足りるだろう。取っておいてくれ」
「ほぉっ、こいつは気前がいいな。次にまた店に来た時にはサービスするぜ。……にしてもあんたら、本気なんだな……。無事に、生きて帰ってこいよ」
「当然だ。まずは最下層までの道順を洗い出して、必要なら拠点も構築……明日からやるべきことは沢山あるな。攻略都市と洞窟の行き来も何回かは必要になるか……」
「戻ってきたらまた、お店に来るから! 美味しい料理、頼むね!」
既に魔窟攻略へ向けた思索に没入し始めていた俺は、レリィに背中を押されながら酒場を後にした。
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