【第四章 幸運の交叉路】

第261話 一歩踏み出して

 食糧や水の詰められた木箱が積み上がる殺風景な倉庫の中。

 宝石の丘への道を再び辿る旅に出る直前、一級術士クレストフ・フォン・ベルヌウェレは召喚陣の前で一通の手紙を握り佇んでいた。


 書きしたためてみたものの結局、今日まであの娘へと送ることのなかった手紙。

「ビーチェちゃんへの手紙?」

 いつの間にか背後に立っていたのは、白い胴着の上に軽装鎧を着込んだレリィだった。目の前に置かれた木箱と俺の持つ手紙に視線を往復させるのに釣られて、八つに結い分けられた深緑色の長い髪が前後に揺れ動く。


「ああ……召喚されていく物資に紛れ込ませれば、届くかもしれないと思ってな」

「…………」

 翡翠色の瞳が俺の様子を静かに見守っている。俺が行動を起こさないで突っ立っている間に、光の粒となって消えていく物資の入った木箱。

「手紙、送らないの?」

「これまでも送ろうと考えたことはある。だが、やめた。ビーチェを救い出せる確証もなく、下手な希望を持たせるのは残酷だろう」

「それでも、その……大切、な人からの手紙なら、嬉しいんじゃないかな?」

「そうであるなら尚更のこと。今は、直接会って言葉を交わす方がいいと考えている。これは言わば俺なりのけじめだ。今度こそ確実にあの娘を取り戻すと決めた――覚悟だ」


 結局、書いた手紙を握りつぶした俺を見て、レリィは諦めたように溜め息を吐く。

「それって君のわがままだと思うけど? 待たされる方にしてみれば連絡ほしいでしょ?」

「確かに、そうかもしれない……だが……」

 連絡もなく待たされたのは俺の方でもあったのだから、その気持ちは痛いほどにわかる。しかし、ビーチェを見捨てて帰還した俺にもしも彼女から連絡があったとして、いったいどんな返事をしてやればいいのか。

 逆に、連絡手段のないビーチェにとって俺から送られた手紙に何を思うのか、想像がつかない。あの娘が今、何を考えているのかわからない状況で、無闇に感情を揺さぶるような手紙を一方的に送りつけるのは残酷である気がしてならない。


「ん~……。えいっ!」

「おいっ!? 何を――」

 突然、レリィが俺の手から手紙をひったくると、木箱の一つにねじ込んでしまう。


 俺が取り返そうと遅れて手を伸ばしたちょうどその時、木箱が手紙ごと光の粒に包まれて消失する。

「お前、俺の言ったことを聞いてなかったのか!?」

「知らない! 送るつもりで書いた手紙なんだから、送っちゃえばいいんだよ。どうせビーチェちゃんを迎えに行くのは決めた事、今更あきらめるなんてことないでしょ? 覚悟を示すって言うなら、むしろあの手紙は送るべきだったんだよ、うん!」

 勢いだけで感情を推し量らないレリィに俺は苦い表情で抗議したが、続けて何か非難する言葉は出てこなかった。

 送ってしまったものは仕方ない。確かにレリィの言う通り、初めは送るつもりで書いた手紙だ。今更になってと言うべきか、今になってようやく決心がついたとも言えるのだから。


「まあいい。やることは変わらない」

「それで、あの手紙にはなんて書いてあったの?」

「無理やりに送ってから、それを聞くのか?」

「いいじゃない、やることは変わらないんだし」

 俺の言葉を繰り返すように、底抜けの明るい笑顔でレリィは言い切った。

 もはや諦めの境地に達した俺は、素直に手紙の内容を打ち明ける。別段、隠すようなことでもない。


「大したことは書いてない。ただ一言、『迎えに行く』と、それだけだ」

「それだけ?」

「それだけだ」

「えぇ~……それだけぇ?」

 がっかりとした様子でレリィは肩を大きく落とした。いったい何を期待していたのだろうか。

 手紙を送ろうが送るまいが、やることは変わらないと言うのに――。

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