第260話 名誉の卒業


「あぁ……クレストフ先生、もう行ってしまわれるのですね……。せめて半期の間だけでも、もっと色々と教えて頂きたかったです……ぐすっ」

「先生よぉ、また冒険の旅に出るんだろ? かっけぇよなぁ……いつか俺も冒険者になって一発当てっかなぁ……」

 俺とレリィがアカデメイアを去る今日、短期間ではあったが講師として教えた学士達が見送りに来てくれた。とりわけ俺も目をかけていたブリジットとガストロの二人は、最後まで別れを惜しんでいた。

「俺がアカデメイアを去るからといって、気を抜くなよ。漫然と日々を過ごしていては学院生活などあっという間だ。自分が目指す未来さきを見据えて、挑戦を続けていけ」

「はいっ!」

「うっす!」

 俺がブリジットとガストロを激励している隣では、レリィとリスカが別れの挨拶を交わしていた。


「レリィ! ボク、頑張ってガチムチに強くなるからね! 絶対、騎士にも負けない武闘術士になってみせるから! そしたらまた、手合わせよろしく!」

「頑張るのはいいけど、あんまり無茶しないでよ? まだ傷も治りきってないんだから」

「たはは……レリィにめっためたに叩きのめされちゃったからね。でも、今度は負けないんだ! 絶対、また手合わせ頼むから!」

 リスカは体中に包帯を巻いており、車椅子でレリィの見送りに来ていた。カルネム博士が車椅子を押してきており、二人の会話を朗らかな笑顔を浮かべながら見守っている。なんだかリスカの保護者のような、そんな雰囲気さえ漂わせていた。

「それじゃあ、またねレリィ!」

「あ……うん! また、だね!! また会おう!」


 レリィとリスカはすっかり良き友人となったようだ。

 騎士として学ぶことがあればと参加させたアカデメイアの授業だったが、思いのほかレリィにとって価値あるものを手に入れられたようだ。それもまあ悪いことではない。時折見せるレリィの弱さも、こうして様々な経験を通して克服されていくことだろう。


「しかし残念ですな。もう旅立たれてしまうとは……。クレストフ先生の講義は学士達にも大変、評判が良かった。旅の目的を達成された暁には、ぜひまたアカデメイアへ来ていただきたい。講師の席はいつでも空けておきますぞ、なんでしたら研究室も」

「お世話になりました、ベアード学院長。教師の仕事は……まあ、臨時講師くらいなら、暇なときにでも。学院の立て直しも大変でしょうから、少なからずまた寄付をさせてもらいますよ」

「おぉ……それは助かります。なにしろ、学院長室も扉が壊れて風通しが良すぎる具合でしてな」

「あぁ、それは申し訳ない……」


 魔獣の襲撃があった時、ベアード学院長は一人で学院長室に居た。異常事態を察した時には部屋の外は魔獣がうろつき、脱出は不可能な状況だった。しかも学院長室に近づいてきたシュナイド教授は禍々しい気配を放っており、とても助けを期待できる状態ではなかった。

 仕方なく、学院長室に自ら封殺の呪詛をかけて誰も入って来られないようにして立て籠もっていたらしい。特にシュナイド教授ほどの武闘術士が敵に回っては、ベアード学院長一人では対処できなかったからだ。


 ひとまず、学院長室から学院全体の様子を観測術式で把握しながら、ベアード学院長は機会を待っていた。

 そんな時、立て籠っていた学院長室の扉を無理やり破ろうとする魔獣の気配。封殺の呪詛をまるで削り取るように分解し、扉を破壊して異形の怪物が乗り込んできたときには死を覚悟したという。無論、そいつは俺が召喚した卑しき石の魔獣ジュエルビーストだ。

 外へ出てみれば正気に戻ったシュナイド教授が倒れ込んでおり、事情を聞いた学院長はその後、アカデメイアの教師陣と合流して事態収拾に動いていたらしい。


「シュナイド教授とモリン先生の具合はいかがですか?」

「シュナイド教授はまだ身体があちこち痛むと言っておりましたが、二人とも二、三週間もすれば職務復帰できるでしょうな。幻想種に操られていたとはいえ学院内で暴れたのは事実。しばらく奉仕活動にも従事してもらうことになりますが、まあ療養でなまった体を元に戻す運動と考えれば苦にもならないほどでしょう」

 今回の事件、不幸中の幸いで死者も出なかったため、広く表沙汰にはしないでアカデメイアの内々で処理することが決まっていた。俺が強く働きかけたこともあるが、ベアード学院長も幻想種に操られた人間への配慮をよく考えてくれた。それでも、恐ろしい体験をしたり、怪我をするなど被害にあった人達に対する弁明もあって、まったくのお咎めなしとはいかなかったようだが。


「あとは……ついでに彼女・・のこともよろしくお願いします」

「承知していますとも。アカデメイアが責任を持って請け合いましょう」

 アカデメイアを去る俺が心残りだった、あの娘の今後のこと。寄付という形でしか助力はできないが、後のことはベアード学院長に任せれば間違いはないだろう。


 それぞれに別れを告げるなか、別れを迎える二人がもう一組その場にはいた。

「じゃあ、アリエル君。研究室のことは任せたよ。僕はもう戻らないと思って、君が望むままにすればいい」

「わかりましたムンディ老師。私はもう一人で進むことを恐れません。老師も、ご自身の望む生き方をなさってください」

「うん、僕も思う存分、好き勝手にやらせてもらうよ」

 魔導書ソウラマリスの呪詛により死に至ったムンディ教授であったが、彼はその後、何事もなかったかのように『復活』していた。


 厳密には一日分の時間逆行により、生前の状態を回復したということらしい。命の危機に瀕すると自動的に発動するよう自身に時間逆行の術式を仕掛けていたというのだが、それが言うほど簡単なことでないことは容易に想像がつく。実質的に不死と言っても過言ではないのだ。異界『逆転の渦』に身を晒した経験のあるムンディ教授ならではの固有呪術ユニクム・マギカなのだろう。


 そのことを知らずに教授が死んだとアリエルが勘違いしたのも仕方がない。復活には多少の時間がかかるらしく、完全回復する前にアリエルがその場を離れてしまったため、誤解が生じたのだった。しかも、復活の代償として一日分の記憶はすっかり失っていた為、ムンディ教授は状況を把握するのに手間取り、しばらく学院内をさまよっていたらしい。後から事情の説明を受けたムンディ教授は、魔獣が跋扈する大事件の中でアリエルが無事であったことを何より喜んでいた。

 唯一ムンディ教授の死にざまを見ていたアリエルは、無事な姿を見せたムンディ教授を見て狂乱した。ナタニアがあんなことになってすぐのことだ。素直にムンディ教授が無事であったとは理解できず、自分の頭が狂ってしまったに違いないと数日ほど情緒不安定であった。

 それも今ではすっかり落ち着いた。そして、ムンディ教授がいつ死ぬとも限らない、という現実を経験したことでアリエルには少なからず自立心が芽生えていた。


「それじゃあね、少し早いが僕からの卒業祝いだ。君がきっと無事に博士課程を終えて、アカデメイアの教師として立派にやっていくだろうことを信じて」

 ムンディ教授は一冊の魔導書をアリエルに手渡す。ムンディ教授、門外不出の異界見聞録であった。これまでの研究成果を改めて編纂しなおした、異界に関する著作の最新版である。

「ありがとうございます、老師。私はこの先、力の限り懸命に学究の徒として生きていきます。ナタニアの分まで……」

 振り絞るような決意の表明は、最後には涙声が混じってしまった。それでも彼女の言葉に力を感じたムンディ教授は満足そうに頷くのだった。


「……それから、講師クレストフ。あなたにも世話になりました。認めるのはしゃくですが、あなたは教師に向いていると思いますよ?」

「そうか。お前達にとって本当にいい教師であったのか俺に自信はないが、お前がそう言ってくれるなら、そう思うことにしよう」

「えぇ、ナタニアもそう思っています。そこは自信を持ちなさい。そして旅から戻ってきたら、必ずアカデメイアに来るのです。その時には私の助手として雇ってあげますから」

「ぬかせ。何で既に上から目線なんだよ」

 互いに笑い合いながら交わす冗談だ。それでも、ここ数日を塞ぎこんで過ごしていたアリエルが、未来を思い描くだけの心を取り戻したことに俺は安心していた。


「そろそろ俺達は出発する。……アリエル。後は、うまくやれよ」

「あなたに言われるまでもありません。ほら、早く行ってしまいなさい。今更、別れが惜しくなったのですか?」

「わかったわかった、それじゃあな」

 顔を背けながら追い払うように手を振るアリエルは、目の端に小さな涙を溜めていた。その涙が零れ落ちる前に、俺は彼女に背を向けてアカデメイアの門をくぐる。


 アカデメイアの門を出た瞬間に、空を飛ぶ複数の影が視界の隅をよぎった。革のツナギを着たサライヤ教授を先頭に、飛行術士の学士達が隊列を組んで青い空を飛び回り、黒い外套をはためかせながら俺達に手を振ってきた。きっと飛行術士なりの粋な挨拶なのだろう。

 レリィとムンディ教授も空を仰ぎながらアカデメイアの門をくぐり、俺達はアカデメイアを去った。



「さて、これで僕も後顧の憂いはなくなった。早速、向かうのだよね?」

「クレスの探し人、ビーチェちゃんの救出作戦だよね?」

「ああ、そうだ。首都にある俺の工房で準備は整えさせている。他にも何人か、声をかけていた人員も揃った。俺達はこれから再び挑戦する」

 ついにここまで来た。万全の態勢を用意しての再挑戦だ。


宝石の丘ジュエルズヒルズへ至る道、異界の狭間へ――」

 一度は失った幸福を、俺は取り戻しに行く。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 クレストフ達がアカデメイアを去ったあと、アリエルはムンディ教授の研究室に戻っていった。アリエルが研究室を引き継いだとはいえ、彼女が正式に博士課程を終えるまではムンディ教授が責任者のままということになっている。


 しかし彼女には、それとは別に小さな研究室を一つ、アリエル専用の部屋としてあてがわれていた。元々、入室者が少なくて部屋の余っていた第十三実験棟だ。今回の魔獣事件を受けて、元凶たる魔導書ソウラマリスを追い詰めた功労者として、アリエルに便宜が図られたのは間違いない。それも彼女が実験棟の一室を借り受けた理由と合わせれば、ベアード学院長も快く許可してくれたものだった。


 ムンディ教授の隣にある、アリエルの研究室。その戸を軽く叩いてから入室するアリエル。

「入りますよ、ナタニア」

 静かに戸を開けて室内に入ると、そこには大きな白いベッドと様々な医療装置が設置されていた。

 半開きの窓から差し込む柔らかな日差しと、穏やかに吹き抜ける風が室内を心地よい空間に仕上げている。


 色素の抜けた白髪を肩の辺りまで伸ばし、やせ細った姿でベッドに横たわるナタニアがいた。今は目を閉じて死んだように眠っているが、彼女の胸は深くゆっくりと上下しており確かに生きている。

「講師クレストフは先ほど旅立ちましたよ」

 アリエルは半開きになった窓を全開にして、軽く身を乗り出して空を見上げる。もうすぐ首都へ向かう魔導飛行船の飛び立つ時刻だ。ここからでも、クレストフ達が乗る飛行船を眺めることができるだろう。


 酷く憔悴した状態でベッドに横たわるナタニア。医療術士の見立てでは、命が繋がれただけでも奇跡であったという。身体機能の完全な回復は絶望的。彼女の身体に刻まれていた古代式魔導回路は全て焼き切れ、もう二度と術士として体に魔導回路を刻むこともできないという。

 延命装置で命を繋ぐ状況が続く。辛うじて日に数分、意識を取り戻して目を覚ました時だけ、ほんのわずかに会話をするのが限界だった。


 ナタニアのアカデメイアでの扱いは、魔人化した状態から通常の人間に戻った稀有な例として、アリエル預かりの被検体という立場に置かれていた。そうでもなければ犯罪者として裁かれていて当然であったのだが、そんな状況になればまずナタニアの命は保障されない。

 回復の見込みがほぼないナタニアにとっては辛い生活となるだろう。だが、甲斐甲斐しく世話をするアリエルはどこか楽しそうでもあった。少なくとも唯一の親友を失わずに済んだことが彼女にとって何よりの幸いだったのだ。


 魔人化したあと無理やり幻想種だけ消滅させられたナタニアは、まず助からないだろうと予想されていた。

 通常の『祓霊浄火ふつれいじょうか』の術式であれば幻想種もろとも確実に死んでいたはずだ。だが、クレストフによって改良を加えられた『因子還元いんしかんげん祓霊浄火ふつれいじょうか』については、そもそも前例がない術式を使用した結果、その予想が外れることもありえた。ナタニアが助かったのは本当に偶然であったとしか言いようがない。


 ムンディ教授の異界法則を用いた呪術でさえ、ナタニアを救うことは叶わなかっただろう。ムンディが逆行させられる時間には限度がある。数日程度ならともかく、数ヶ月以上も前から幻想種と融合を始めていたナタニアを元に戻すことはできなかった。下手をすれば再び『孤独な海ソウラマリス』を復活させかねないのだから。


 それでも、クレストフが最善を目指して取った行動はわずかな可能性を引き寄せ、一つの奇跡を掬い上げていた。

 魔人、という人類種にとっての災厄を相手取って、安全確実に滅ぼすことだけを考えたならクレストフにはもっと簡単な手段が幾つもあったはずだ。それを貴重な魔蔵結晶を幾つも消費して、ナタニアの命を拾う可能性を残した彼の手腕はさすが一級術士とアリエルをもってして称賛せずにはいられない。


「強引で常識破りの人物でしたが、実力は一級と認めねばなりませんね」

「……先輩は、最高だから……」

 寝言のような呟きがナタニアの口から洩れる。ナタニアは目を瞑ったまま、静かな呼吸音だけが聞こえてくるが、確かに今はっきりと言葉を発していた。

「そうですね。あの人は確かに、最高の――」


 見上げた空に、魔導飛行船の姿が浮かぶ。太陽を覆い隠して空から落ちた飛行船の影が、ちょうど第十三実験棟の上を通過した。

 やがて影は通り過ぎて、飛行船の後ろ姿を太陽の光が明るく照らす。


「錬金術士クレストフ。あなたの進む道に、さちあることを願って……」

「……願って……」

 穏やかな空気のなかで、二人の少女が微笑み合う。

 空の彼方に消えていく飛行船を見送って――。



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