第254話 並び立つために
向けられてくる殺気は本物だ。
リスカは本気で、レリィを殺そうとしている。
体勢を低くしたリスカ。腰元の太刀が青い光の輝きを増し、これまで魔獣を相手にしていたときとは比較にならない強さの魔力を放つ。意識せずとも伝わってくる魔力の波動。クレストフの扱う術式が発動するときにも似た、背筋が震えあがる感覚を受ける。
(――一級術士の術式並み、そんな一撃が、来る――!!)
レリィはただ直感のみで闘気を振り絞り、水晶棍を目の前に掲げて防御姿勢を取った。
『……
ぼそりと呟かれたリスカの声。それは声の大きさに反して、強い力の込められた一言だった。
リスカの全身が青い光に包まれ、太刀が光を放って閃く。リスカの姿が残像となって揺らめき、掻き消えた。
刹那、レリィの腕に衝撃が走り、空気を裂くような金属音が鳴り響く。
「うぅっ……!?」
赤い血飛沫が舞い、レリィは思わず顔を歪めた。
防御のために前へ構えていた右腕がざっくりと裂かれ、少なくない血が流れ落ちている。
(……闘気で防御力は高めていたはずなのに……!!)
闘気の源を貯め込んだ八つ結いの髪、その半分である四束の封印が既に解かれている。魔獣の攻撃程度なら素手で受け止めることができるだけの闘気を纏っていたにも関わらず、レリィの防御態勢を崩して腕を切り裂くだけの威力が、リスカの攻撃にはあった。
一撃を繰り出したリスカはレリィの脇を通り抜け大きく距離を取っていたが、レリィの身体が傷ついたのを見て笑みの表情を深めた。
「通った……!!」
リスカは再び太刀を鞘へと納め、魔力を高めていく。もう一度、あの攻撃を受ければ今度こそ致命的な傷を負うかもしれない。それがわかっているのなら、レリィとしては立ち止まっているわけにはいかなかった。
翡翠色の闘気を両足に集中させ、瞬発力を高めてレリィは跳んだ。傷ついた腕の痛みに顔をしかめながらも、水晶棍を大きく振りかぶってリスカへと攻撃を仕掛ける。
水晶棍が闘気の光を帯びて打ち下ろされると、リスカは素早くその場を飛び退きレリィの攻撃を回避する。打ち下ろされた水晶棍は武道場の床を盛大に割り砕き、余波で建物全体が揺れた。
「はははっ!! すごいすごい! レリィ、本気だね。嬉しいよ!!」
ぴゅぅっ、とリスカが口笛を吹いて囃し立てる。レリィはリスカの挑発には反応せず、続けて追撃へと移っていた。初撃を受けて理解したのだ。今のリスカを相手にするなら、本気で倒す気がなければ敗北するのは自分の方であると。
騎士としてのレリィの直感が告げていた。鞘から抜き放たれる太刀の一撃。あれだけは万全の状態で攻撃させてはならない。それ故にレリィも本気で怒涛の連撃を切らせるわけにはいかなかった。横薙ぎに振るった水晶棍が身を屈めたリスカの頭上を掠めて、武道場の柱へとぶち当たり轟音を発する。直撃すればリスカを殺しかねない威力だが、手を抜く気はなかった。直撃しても身に着けた魔導兵装が威力を軽減するだろうと見越しての攻撃だ。そもそも、その一撃を当てるだけでも難しいとレリィは感じ始めていた。
武道場の床に片手を着いて側転で飛びながら、リスカは宙を舞う不十分な体勢のまま鞘に手をかけた。
『……
「――ぅっ!!」
足場もなく、半ば倒立したような態勢から、リスカは真っ直ぐにレリィへと斬りかかってきた。青い光が閃き、抜刀の一撃がレリィを襲う。
追撃の最中だったレリィは太刀の斬撃を完全には受け止めることができず、下腹部を切っ先で強かに斬りつけられた。
「かは――っ!?」
闘気を腹に込めて瞬時に防御力を高めたことで、斬撃そのものは浅く肉を切るにとどまったが、むしろ腹を打つ衝撃力の方がレリィに手傷を負わせていた。切れた胴着の隙間から下腹部が露わになり、太刀筋そのままに変色した紫色の痣が覗く。
リスカの攻撃は息つく間もなく連続し、初撃より威力は落ちるものの二撃、三撃とレリィの肩や足を斬りつける。下腹部に受けた傷の痛みがレリィの動きを鈍らせたのもあるが、もとより剣技においてレリィを上回る技量のリスカは、的確にレリィの身体へ斬撃を浴びせていく。魔導兵装によって身体能力の差が縮まった以上、技量で勝るリスカが優勢になるのは当然であった。
ならばそれを覆すにはどうすればいいか。答えは単純で、それ以外に取れる選択肢はレリィになかった。
「ぅぁあああ――っ!!」
封印の髪留めを更に二つ外して、貯め込んだ闘気を放出する。自然回復力が高まり、腕の傷が塞がって、下腹部の痛みもなくなっていく。ほぼ全力に近い闘気の発現。これ以上、闘気の出力を増やせば継戦能力に支障が出てくる。それがわかっていても、出し惜しみができる状況ではなくなっていた。
短期決戦で勝負を決める。相変わらず武道場の四隅で鎮座する人馬魔獣が不気味ではあったが、後のことを考えて戦っていては目前のリスカに打ち勝つことはできない。力押しだろうが何だろうが、とにかく一撃をリスカに当てなくては一方的に追い込まれるばかりだ。
「いいよ、レリィ! もっと騎士の力を出してよ! その力を超えることにこそ、意味があるんだから!!」
「ふぅっ!!」
巧みに隙を突いてくるリスカの剣に、レリィはそれを上回る反応速度で対抗する。意識は既に戦いへと没頭し、思考は言語を伴わなくなってきた。そんな脳裏でレリィは、リスカの騎士を超えたいとする欲求に、クレストフの姿を重ねていた。彼もまた常々、騎士を超える力について執着していたからだ。レリィからすれば、彼の実力はとっくに並みの騎士を上回る高みにあると感じるのだが、まだ何か不足だと思うところが本人にはあるらしい。
クレストフでさえそうなのだ。まだ学士で、未熟な術士であるリスカならばなおのこと、騎士との力の差を感じているのだろう。だが、何故なのか。どうしてそこまで騎士の力に近づくことを望むのか。まるで生き急ぐかのように力を求めてしまうのは――。
「どうして……。どうして……!!」
「――ぅわっ!?」
無心で戦う内に、腰から背中、肩から腕へと流れるように力が伝わり、無意識のうちに武闘術の体捌きが実践される。全身の力を乗せた水晶棍が唸りを上げて、止まることのない連撃として繰り出された。一撃一撃の重みが、全て決定打となりうる威力を込めて振るわれており、戦闘開始から初めてリスカの余裕を奪った。大きく太刀を弾かれたリスカは素早く後方に跳び、レリィから距離を取って太刀を構えなおす。
レリィとの打ち合いが続く中で、リスカはしばらく鞘に太刀を納める暇もなく戦っていた。レリィがそれだけの隙を与えなかったのだ。戦いの最中に急激な進歩を遂げて、無駄がなくなり洗練されていくレリィの動き。
「は、ははっ……! やっぱりレリィは天才なのかもしれないね。ここまでだと、もう、羨む気持ちもなくなってくるよ……」
戦闘が続くなか、レリィの攻撃を一切受けていなかったはずのリスカが苦痛に顔を歪める。
よく観察すればリスカの首筋や、肌の見えている関節部には浅黒い痣ができていた。
「リスカ? ……その怪我は……なんで?」
「過ぎた力には代償が伴うって……クレストフ先生なら、一発で看破しちゃうかな。当然だよね、大した実力もないはずのボクが、急に騎士のレリィと戦えるだけの力を手にするなんて。その代償がこれ――」
鎧や衣服に隠されて見えない部分も広範囲に傷んでいるのだろう。それまで凛として構えていた立ち姿はなく、腕をだらりと下げ、足を不自然に引きずり、充血した目を潤ませて必死に痛みに耐えるリスカの姿があった。
「クレストフ先生なら、代償に多大な
「あ…………」
「ひどいなぁ、そんな憐みに満ちた目で見ないでよ。代償は必要だけど、ボクにはレリィと対等に戦えるだけの力がある。ボクは……レリィを恐れてなんかいない……。だから、ボクを、そんなに遠い目で見るなっ!! ボクはこうして、レリィと並び立っているんだから!!」
傾きかける体へ鞭打つように気合を入れ、リスカは再び太刀を腰脇に抱えて構えなおした。その姿には決然とした意志が宿っており、倒れまいとする気迫が感じられた。
その強い思いがどこから生まれてくるのか、なぜここまでリスカが強さを求めたのか、それがレリィにもわかってしまった。
「さあ、レリィ!! 本気を出してよ!! まだ君は全力じゃない。ボクもまだ、全てを出し切ってない。本気でぶつかりたいんだ、ボクはっ!!」
リスカの言葉を受けて、レリィは自らの力を封じている残り二つの髪留めに手をかけた。
ここで闘気を使い切ってしまえば、クレストフの援護に向かうのが難しくなる。だが、それでも目の前にいる友人に対して、本気でぶつかってくる相手に手を抜くことはできなかった。
「あたしも本当の全力で行くよ、リスカ!」
レリィの翡翠色に輝く髪が棚引く闘気の光と絡み合い、重力に逆らってゆらゆらと立ち昇る。全身から溢れる翠の波動は、物理的な力さえ伴って周囲を威圧していた。
「来い! レリィ!!」
そこに正面から立ち向かうリスカも、魔導兵装の精霊機関を全力稼働しつつ、自らの魔導因子を絞り出して魔力へと変換していた。リスカの全身が青い光に包まれて、握りしめた太刀へと魔力が集約されていく。
『――
一条の青い閃光となり、リスカが疾走する。それはもはや地を走ると言うよりは、低空を高速飛行するのに大差ない動き。迎え撃つレリィは翡翠色の闘気を大きく膨らませて、水晶棍を大上段に振りかぶる。
速さを競い合うような攻防においてあまりにも大きな隙に見えるレリィの動きは、しかしてリスカが飛び込んだ数瞬に反応し、恐るべき速度で水晶棍を振り下ろしていた。
水晶棍は狙い違わずリスカの抜き放たれた太刀を叩き折り、返す一撃で彼女の身に着ける魔導兵装を粉砕する。翡翠色の光を伴った衝撃波が二度、武道場に炸裂した。
青い光が、翠の光に吹き散らされて消える。
水晶棍に打たれて巻き上げられた少女の体が、武道場の床へと叩きつけられて転がった。
「あれ……ボク、負けちゃった……? あはは……衝撃的すぎて、一瞬だけ、意識飛んでたかも……痛っ……!」
「リスカ! ごめん、本気でやっちゃった……」
「うん、本当に、ね。レリィってば本気でぶっ飛ばすんだもん……容赦ないよぉ……」
怪我の痛みに顔を歪めながらも、リスカは嬉しそうに笑っている。
やがて弱々しい笑顔は、ぐしゃぐしゃの泣き顔へと変わってレリィに許しを請う嗚咽が漏れ始める。
「ごめん……ごめんねぇ、大変なことに巻き込んじゃって……。ボク、馬鹿で臆病だから、あの後レリィとどう接していいか、わからなくなって……こんな方法でしかレリィと向き合えなかった……」
「あたしも、ごめん。勝手にそんなものだって諦めて、リスカと距離を置いたのはあたしの方だったかもしれない」
「でも、仲直りできてよかった……ボクが孤独に沈んでいる時、ソウラが声をかけてくれたんだ……仲直りの方法を教えてあげるって……」
「ソウラ?」
唐突に出てきた人物の名前に、レリィは心当たりがなかった。てっきりリスカに助言と力を与えたのはナタニアかと思っていたからだ。
「ねぇ、リスカ。ソウラって、誰のこと?」
「ソウラ……マリス……あの子は、孤独に寄り添ってくれる存在……」
「リスカ? 答えて、リスカ!」
ふぅ……と、リスカは深く息をついて、ゆっくりと目を閉じた。もう限界だったのだろう。いくらレリィが声をかけてもリスカは反応しなかった。
「ソウラ……マリス……いったい誰の事?」
その名の人物が今回の事件の黒幕であろうことは予想がついた。しかし、アカデメイアでその名を聞いたことは一度もない。残念ながらリスカの残した言葉は、レリィには何の手掛かりにも繋がらなかった。
「クレスと合流しなきゃ……ソウラについて何か知っているかもしれないし。……と、その前に召喚陣を……銀板を破壊して……。」
闘気を発散し尽くして、枯れ果てた紅色に染まった髪を垂らしながら、レリィは立ち上がり武道場を見回した。リスカとの戦闘で荒れ果てた武道場。その中にあって微動だにしなかったものに変化があった。
武道場の四隅に鎮座していた人馬魔獣がいつの間にか立ち上がって、レリィの包囲を狭めていたのだ。手に持った武器を胸の前に構えて、仄かに魔導兵装の回路に光が灯っている。完全なる臨戦態勢。
リスカは魔獣に協力を命令して、レリィとの闘いの場を作ったと言っていた。果たしてその命令は、リスカ本人が倒れた今も有効なのか。あるいはまだその命令が有効で、リスカに止めを刺さずに他の行動を取ろうとするレリィへ、魔獣達が牽制に動いたのか。
「どっちにしても、君達はここで倒さなきゃダメみたいだね。誰の命令で動いているのか知らないけど、リスカをそそのかした奴をあたしは……許さないから!!」
ざわざわと、レリィの赤い髪が蠢いて赤黒い光を放つ。白く滑らかな肌には紅く光る血管が浮き上がり、周囲の空間に存在する魔導因子を吸収し始めた。急速に力が戻り始める。レリィの特異体質である魔導因子収奪能力が発現していた。吸い上げる魔導因子の源は幸いなことにすぐ近くにある。
人馬魔獣達の魔導兵装が明滅を繰り返して回路の光が弱まっていく。また、魔獣本体からも黒い靄が蒸発してレリィの髪の毛へと吸い込まれる。びくん、と人馬魔獣が体を震わせると四匹が一斉にレリィへと襲い掛かった。攻撃を仕掛けられた、と判断したのだろう。
「……四体まとめてか。いいよ、手間が省ける」
魔獣は魔力を吸われて弱体化している。一方のレリィは収奪した魔導因子をすぐさま闘気へと変換していた。リスカとの戦闘でかなり疲弊はしたが、負ける気はしなかった。
斜陽が差し込み始めた武道場で、握りしめた水晶棍が仄暗い赤色の光を湛えてぼんやりと光っていた。
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