第253話 出来過ぎた技巧

 初めてできた同年代の友達に戸惑っていたのかもしれない。

 そんな友達と気まずいまま別れてしまったことが、余計に悔やまれてならない。首都から戻ったら一度ゆっくり話したいと思っていたのに。意味不明な魔獣の出現によって、その機会を奪われたことが腹立たしい。


 雨が上がり、雲の切れ目から差し始めた陽の光に照らされる濡れた遊歩道を疾走しながら、レリィはそんなことばかり考えていた。彼女が苦悩する合間にも魔獣は四方八方、上空からさえ襲ってくる。見通しのいい整地された場所を派手に走っていれば魔獣の注意も惹くというもの。ただ、そんなことは承知の上でレリィは走っていた。

(……向こうから来てくれるなら手間も省けるし……)

 自身を囮とするように魔獣を惹きつけ、そして片っ端から撃滅していった。正面から襲い掛かってくる魔獣化した屍食狼ダイアウルフを水晶棍の一振りで叩き潰し灰と化す。


 クレストフの指示でレリィは単身、アカデメイアの敷地内でも二番目に魔獣の多い場所へと向かっていた。一番、魔獣が多い場所は頑としてクレストフが一人で挑むと言って譲らなかった。他の人間には任せられないと話していたが、自分に任せてくれてもいいのに、と少し不満を感じる。実際、クレストフにはそう進言したのだが、今回の事件の黒幕が現れたとき、単純な戦闘しかできないレリィでは対処できない恐れがあると却下された。単純って言い方はないと思う、単純って。

 怒りをぶつけるように魔獣を打ち倒しながら進む。半ば八つ当たりのようではあったが、普通であれば魔獣に八つ当たりなど軽々しくできるのものではない。常人ならば命を懸けて挑む行為が、レリィにとっては作業であり、憂さ晴らしとなっていた。


(……いけない。いくら簡単に倒せるからって気を抜きすぎだ、あたし。ひょっとしたらモリンさんが呼び出した魔獣みたいのもいるかもしれないのに……)

 常々、油断が過ぎるとクレストフには言われてばかりだ。レリィは気を引き締めなおして、目的地へと向かう足取りに力を込める。クレストフは最も危険な場所へ一人で乗り込んでいる。彼を助けたいと思うなら、一刻も早く自分の割り振られた地点を制圧して援護に向かわなければならない。目標地点は武道場。そこに、現状のアカデメイアでは二番目に魔獣が多く集まっている。


「武道場……またあの銀板があるのかな……」

 水晶棍を握る手に力が入る。早くあれを壊して、クレストフの元に駆けつけるのだ。逸る気持ちを抱えて武道場に向かうレリィに、鷲型の魔獣が襲い掛かってくる。

「もう! しつこいなぁ!」

 水晶棍を振り上げ迎撃しようとしたところで、急に鷲型魔獣が空中で失速し墜落する。失速した瞬間に、鷲型魔獣の背後から何かの影が高速で衝突したように見えた。

 魔獣の体が地面に激突して盛大に砂煙が上がる。魔獣の首は直角に折れており、胴体が真っ二つに斬られて完璧に絶命していた。


 灰となって崩れ落ちる鷲型魔獣を踏みつけながら、長い太刀を携えた少女が歩み出てくる。肩ほどまで伸びた髪を後ろで短く一括りにした、黒髪の艶やかな少女。

「や、レリィ久しぶり。元気?」

 朗らかに笑いながら歩み寄ってくるのは、レリィも気にかけていた人物だった。

「リスカ! 無事だったんだね!」

「まぁね~。ボクもそれなりに戦える人間として、アカデメイアに発生した魔獣の討伐を手伝っていたんだ」


「その、色々と話しておきたいこともあるんだけど……」

「言わなくてもわかってるって。ボクもレリィとは語りたいところだけど、今はそれどころじゃないよね。ボクも魔獣掃討に協力するよ!」

「うん……ありがと、リスカ」

 二人は短く言葉を交わして、背中同士をくっつけて魔獣に向き直った。二人を取り囲むのは有象無象の魔獣ども。対する二人は互いの信頼をもって立ち、魔獣の群れに武器を構える。

「リスカ、あたし武道場に向かいたいんだ。たぶんそこに、魔獣を召喚している陣があるらしいから」

「奇遇だね、レリィ。ボクもちょうど武道場に向かうところだったんだ。一緒に、行こうか!」

 リスカが先陣を切って魔獣の群れへと突っ込んでいく。鞘に収まったままの長い太刀を腰横に抱えながら、大地を蹴り抜き、地平ぎりぎりを弾丸のように素早く飛んでいく。


「邪魔だよ!」

 刹那の加速で瞬時に魔獣の脇を通り抜けると同時に、鞘から太刀を抜き放って深々と腹を切り裂き、一撃で八つ脚魔獣を絶命させる。

 抜刀の速度が速すぎてレリィの目にさえ、剣閃と残像が映ったのみだった。二撃三撃と振るう剣も、初撃ほどではないにしろ刀身の動きが見切れないほど早い切り返しで、次々と魔獣を屠っていく。

「はぁ――っ!!」

 何匹か魔獣を仕留めた後には太刀を鞘へ納め、再び瞬息の抜刀で斬りつける。鞘から抜き放たれる一撃は、二撃目以降にはない速度がのっている。太刀が鞘に収まっている時、鞘と太刀の柄が仄かに光り、何か力の高まりのようなものが起きるのをレリィは感じていた。


「リスカがあそこまで戦えるなんて……でも、これならいける!!」

 合成獣キメラ実験森林での戦闘では合成獣相手にも苦戦していたリスカだったが、今は魔獣を相手にしても圧倒的な優位を保ちながら戦えている。あの様子ならば援護は不要だろう。レリィもまた自分自身の戦いに集中できる。

「道をあけなさいっての!!」

 レリィの闘気で強化された水晶棍が大きく振るわれると、薄く翡翠色に光る波動を発して魔獣の群れを薙ぎ払う。

 まさに暴風の如きレリィの乱打と、稲妻のようなリスカの斬撃の前に、多数いた魔獣は急速に数を減らしていく。

「あー、もうー。鬱陶しいな~。これだから制御の利かない魔獣はっ!!」

 リスカが地を走りぬけた後には、真っ二つに両断された魔獣の残骸が転がる。首を飛ばし、腰から断ち、瞬く間に魔獣が灰となって消えていく。

 ほどなくして、武道場の外にたむろしていた魔獣達は一掃された。



 外にうろついていた魔獣を一掃したレリィとリスカは改めて武道場へと歩みを進める。魔獣の攻撃が止み、一息つくことができたレリィは、先ほどから気になっていた疑問をリスカに聞いてみた。

「ねぇ、リスカ。その太刀、どうしたの? 鎧もなんだか随分と変わったのを身に着けているし」

 魔獣を一刀のもとに切り捨てる太刀も凄まじいが、リスカの武装はそれだけではなかった。体の関節部こそ隙間はあるが、それ以外の部位は身体の形状にぴったりと合わせた金属の装甲で覆われている。装甲の表面には、太刀の刀身や鞘に刻まれたものと同じような複雑な文様が刻み込まれており、リスカが何か動作を起こすたびに淡く青い光を放っていた。おそらく、これがリスカの戦闘能力を大きく引き上げているのだろう。

「これ? ふっふーん、ナタニア先輩に作ってもらった、ボク専用の魔導兵装だよ!」

「あの人、作るの魔導剣だけじゃないんだ……」

 どうしてもクレストフと比較してしまうと術士の格の違いというものがレリィにも見えてしまい、まだ学士であることも手伝ってナタニアには未熟な印象を抱いていたのだが、こうして改めて魔獣を退けるリスカの装備を評価するなら悪くない。それどころか極めて優秀なのではないかと思えた。


「でも、結構な魔導因子を消費するし、高まった運動性を制御するのが難しいんだよねーこれ。ま~、ボクでなきゃ、ぶっ飛んで転んで終わりだろうね。ナタニア先輩も無茶な作り込みするよー。これはやっぱりあれだね、クレストフ先生の影響だね、間違いない!」

 ナタニアの作った魔導兵装は確かに強力だ。しかし、いかに強力な武装でも制御ができなければ、あるいは使う者の熟練度が低ければ、その効果を発揮できない。その点でリスカは、扱い始めて日も浅いだろう魔導兵装を見事に使いこなしていた。武装に頼り切った戦い方とは違う。それは武闘術士として、一つの才能と言えるだろう。

 魔導兵装を使いこなして魔獣を屠るリスカの自信に満ちた表情には、いまやレリィに対する卑屈な印象は微塵も感じられない。騎士と術士で戦い方に違いはあれど、今確かにレリィとリスカは肩を並べて戦場に立っていた。そのことがレリィには嬉しく感じられた。


「じゃあ、リスカ。そろそろ武道場に乗り込もうか。あの中にはたぶん、強力な魔獣が潜んでいる。そんな気配がするから気を付けてね」

「ええ!? レリィ、そこまでわかっちゃうの? 騎士の勘ってどうなってるんだろ……。こればっかりは敵わないなぁ」

 リスカが強力な味方となってくれた以上、二の足を踏む理由はない。とっとと乗り込んで召喚陣を破壊し、クレストフの元へ駆けつける。そうと決めたら迷いはない。

「行くよ! リスカ!」

「そうだね、行こうか。いざ決戦の場へ!」


 武道場の正面扉を開け放ってレリィは中に飛び込んだ。広い板張りの空間が広がる建物内には静謐せいひつな空気が漂い、厳かな雰囲気が緊張感を高める。

 犇めき合う魔獣の姿を想像していたレリィは、予想に反して道場内が閑散としていることに肩透かしをくらった。

(……魔獣の姿が――)

 魔獣の姿がない。そう思いかけて、レリィは素早く視線を武道場の隅々に走らせてから、間違いに気が付く。

 状況把握の訂正。魔獣はいた。武道場の四隅にまるで置物の如く鎮座する、完全武装の人馬型魔獣四匹。一切の気配を絶って身動き一つせず、待ち構えていたのだ。

「……この四匹、ただの魔獣じゃない……」

 クレストフから要警戒と言い含められていた魔獣は二種類。一種類は亜人素体の魔獣、もう一種は魔導兵装に身を包んだ魔獣。武道場に居たのはいずれも後者である様子だが、あるいはこの人馬魔獣も亜人が素体だったりするのかもしれない。レリィは亜人のことについて詳しくは知らないが、あるいは馬人ではなく、人馬の亜人種という可能性もある。元々の起源が合成獣であったという亜人種だ。混ざり方が上半身だけ馬の場合や、逆に下半身だけ馬という複数の例があってもおかしくはない。

 そしてもし、亜人素体にして魔導兵装を身に着けた魔獣であるなら、敵としては最悪の相手と言わざるをえない。


「もう、逃げられないね、レリィ」

「うん。飛び込んだ時点で四匹に囲まれている……」

 魔獣は身動き一つする気配もないが、さすがに武道場の中にあるだろう魔獣の召喚陣を探して壊そうとすれば黙ってはいないはずだ。

(……けど、それにしても……あれはどういうこと……?)

 人馬型の魔獣が四体。そのいずれもが、複雑な魔導回路を刻み込まれた鎧に身を包み、同じく刃に文様が刻まれた戦斧バトルアックス斧槍ハルバードを携えている。

「…………」

 隙なく身構える魔獣を観察して、レリィはひどく奇妙な違和感を覚えた。

「……ねぇ、リスカ。あたし魔導兵装とかよくわからないんだけど、あの魔獣が身に着けている鎧とか武器ってリスカの武装と似てない? それとも、ああいうのってどれも同じようなものなのかな」

「え? まあ、それはそうかもね……。っていうか、レリィ気が付いていなかったの?」

「……? 何のこと?」


 何ということもなしにリスカが発した言葉は、レリィにとっては理解の外にある内容だった。

「あれ、ナタニア先輩が作った魔導兵装だよ」

 ――ナタニアが作った武装。

 それを、魔獣が身に着けている?

「もしかしてナタニアが作った武装、魔獣に奪われたの?」

「うーん……まあ、当たらずとも遠からず、ってやつかなー? だってあれ、ボクが着せてあげたんだよ、魔獣に」


 今度こそ、レリィには考えが及ばなかった。

 四匹の魔獣を警戒しながらも、思考の混乱で凍り付いた体を無理やりに動かしてレリィはリスカへと向き直る。

「……魔獣に着せたって、どういうこと?」

「頭の良い子達だったから、ボクに協力してもらう交換条件としてね、贈り物だよ。ナタニア先輩に幾つも作ってもらっていた試作品で、ボクのお古だけどね」

「何を言っているの……リスカ。魔獣が人間の言うことを聞くわけがないでしょ……」

 本当に何を言っているのだろう、リスカは。それではまるで、あの魔獣達を操っているのはリスカ自身だとでも言うのか。

「そんなことないよ。命令を聞くんだよ、魔獣は。召喚されたときに、命令を聞くように契約を付けて呼び出されているから。まあ外で暴れていたような理性のない、出来損ないの魔獣達はダメだけど。大人しく命令を待っていた魔獣、いたでしょ?」

「まさか……あの不自然な魔獣が……? でも、ナタニアからの情報では、五限の鐘を合図に動き出すって……そういう命令を受けているから、今は動かないだけだって……」

 確かに、いた。学士を捕らえながら何も危害を加えず。ただ、その場にいた魔獣が。しかし、それは五限の鐘が鳴ると一斉に動き出すように命令された魔獣であったはずだ。クレストフが受けたナタニアからの情報では……。


「へぇー……そんなこと言っていたんだ。ナタニア先輩、何か勘違いしているんじゃないのかな? この魔獣達を召喚して、操っているのは……」

「操っているのは……?」

「……ふふーん、興味ある? だったらさ、教えてあげるからボクのお願い、聞いてほしいな」

 無邪気な様子で、あまりにもいつも通りの人懐っこい笑顔でリスカは言った。

「ねぇ、レリィ。ボクと戦ってよ、本気で」

 いつの間にか抜き放たれた太刀の切っ先が、レリィの鼻先へと突き付けられていた。


「正気なの? それとも幻想種に操られているのかな?」

「さあどうだろうね……ボク自身はいたって正気のつもりだけど。どのみちレリィに選択肢はないよ。完全装備の人馬魔獣四匹に囲まれた状況じゃ、簡単にここから逃げ出すことはできない」

「今はそれどころじゃない。皆、魔獣と戦っている。なのに、リスカはどうして邪魔をするの。あたしと戦いたいだけなら後でいくらでも相手になってあげるから」

「今じゃなきゃダメなんだよ。今この時、この場所でなければ、レリィは本気を出さないよね。ボクが望んでいるのは、命を懸けた本気の勝負。それに、ボクが魔獣を操る側なら、レリィは今、誰と戦うべきかわかるよね? 敵、それはつまりボクだよ」

「リスカが敵……。でも、じゃあなんでここまで一緒に魔獣を倒してきたの……?」

「そんなの決まっているよ、ただの準備運動! 試し切りもろくにしてない武器で、レリィと戦えるわけないでしょ」

 淡く青い光を帯びた太刀を軽く振って見せながら、リスカは太刀を鞘に納める。単純に刀を納めたわけではない。むしろ、初撃が威力を増すリスカの戦闘方法から考えるに、これは戦いの前準備。


「なんで……どういうことなの? わざわざ魔獣を使って、アカデメイアの皆を傷つけて、ここまでする必要があるの!?」

「更なる高みを目指すためには必要なことだよ。例え他の人間を犠牲にして、孤立しても構わない。……ボクもね、わかってはいるんだ。術士であるボクがどう足掻いても、騎士であるレリィには正面から当たっても敵いっこないって。それでもね、クレストフ先生みたいに騎士を超えるような実力の術士もいるって知ったから。ありとあらゆる術を尽くして、騎士を倒せたならそれは術士の勝利。そうした戦法は実戦の中でこそ証明されるんだ。そして、もう一つ。これが、あの人みたいになる一つの方法。騎士を倒す力だよ」

 そう言うとリスカが装備した全身の魔導兵装が、刻み込まれた魔導回路を青く光らせて威圧的な魔力の波動を放ち始める。一見して強い力の高まりを感じる。太刀の魔導剣と同じだ。


「普通ならこれだけの装備を魔導で動かそうと思ったら、あっという間に魔導因子が絞り尽くされてしまうところなんだけど……。これには特別に精霊機関を積んでいるらしくて、魔導因子の供給を半永続的に補助してくれるんだって。あぁ、でも欠点がないわけじゃないんだ。これも扱いが難しくてね、たぶん、ボクじゃなきゃまともに使えやしないと思うよ」

「それもナタニアが作ったって言うの?」

「そうだよ。これもナタニア先輩が作った魔導兵装なんだ」

 精霊機関については以前、クレストフに聞かされたことがある。退屈な座学だと半分以上聞き流してしまっていたが、それを作るのは一級術士でも難しいのだと話していた。独特の製作技術が必要で、ある程度は腰を据えて研究しないと作れないのだとか。そんなものを学士であるナタニアがおいそれと作り出せるわけがない。

 リスカの話は矛盾に満ちている。彼女の動機はレリィと本気で戦うことだとして、ナタニアはどういうつもりなのか。リスカが味方であると思って、魔導兵装を託したのだろうか。それにしたって本来なら技術的に無理があるものをどうにか作り出して、魔獣が襲ってきたこの期に渡したと? 話が都合よく出来過ぎている。こうなるともう、何を信じていいのかわからない。わからないが……やらなければならないことだけは、わかった。


「そっか……。わかった、リスカ。あたし、君を全力で倒すよ」

「やる気になってくれたってこと?」

「うん。本気でリスカを倒す。そうして、この事件の背後にあること、リスカの知っていること全て聞かせてもらうから」

 既に二つ、解かれていた髪留めの封印を更にもう二つ解いた。八つ結いの髪に封じられていた魔導因子が溢れ出し、レリィの血管に刻まれた魔導回路へと流れ込んで、闘気へと変換されていく。

「ふふふっ。いいよ! レリィが本気で戦ってくれるなら、約束するよ!! ボクを倒せたなら知っていること全部、教えてあげる! でもね、レリィ。今のボクに勝てると思わないでよ!!」

 青い光を身にまといながら、リスカが太刀に手を添え、鞘を抱えて腰を低く落とす。突撃から抜刀へと移るための構え。リスカの瞳からは、紛うことなき殺意が満ち溢れていた。

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