第252話 初めから気に食わなかった
「ここからは二手に別れる。俺は魔獣が最も集中している中央研究棟へ向かう。おそらく、学院長室のあるあそこが魔獣発生の中心地点だと俺は踏んでいる。……とは言え、そう見せかけた罠という恐れもある。そこでレリィには第二候補として、次に魔獣が多くいる武道場の制圧を任せた」
「了~解。でも、クレス大丈夫? 結構、手持ちの結晶を使っちゃったんじゃないの?」
「問題ない。いざとなれば長期戦用の切り札もあるからな。お前こそ無闇に闘気を浪費するなよ。闘気が枯渇しても周囲から吸収できるとは言え、その間は物理攻撃に対して無防備になる。そんなときに、魔導に頼らない相手とぶつかりでもすれば厄介だ」
「わ、わかってるよ……あたしだって、少しは考えて戦っているんだからっ!!」
レリィは闘気が枯渇状態になっても、特異な能力によって自動的に力の源である魔導因子を周囲環境から収奪し、補給することができる。だが、その間は闘気を十全には使うことができず、また回復できる上限は精々、最大容量の半分程度。そこから闘気を再び消費すれば、またしばらく枯渇状態に陥る。
訓練の中でレリィの限界を調べた限りでは、闘気の枯渇状態における戦闘能力は著しく低下し、本来の力の三分の一程度になる。術士や魔獣相手なら魔導因子を強制的に奪うことで相手の戦闘能力を削ぐことができるが、もし仮に相手が騎士のように魔導因子に頼らない力の持ち主なら、圧倒的に不利な戦いとなるのだ。
もっとも、補給した闘気ですぐに戦うのでも、並みの相手ならばまず苦戦することはないだろう。レリィが全力を出すことなどめったになく、半分程度の実力しか出していないことがほとんどだ。
「本当にわかっているんだろうな? お前はいつも……」
「あー!! もう、時間ないでしょ! お説教する暇があるなら、さっさと行けー!」
水晶棍を振り上げてレリィが俺を追い払うように送り出す。正直、レリィを単独行動させるのは不安だ。運河の都カナリスでの事件の時も、分断されたレリィは一人で戦っていた。無事に合流はしたものの、闘気を一度使い果たした状態にあったのだ。今回もぎりぎりの戦いをするのではないか、と危惧してしまうのも仕方がないだろう。
「クレスの方こそ、一人で無茶しないでよね。むしろ心配しているのはこっちなんだから」
背を向けて歩き出す俺に、やはり背を向けたレリィが去り際に一言残していく。
(……レリィのことばかりは言えないか。俺もまた、無謀な戦いをしたのは確かだ……)
カナリスの事件でも、結果的には俺がレリィに助けられた形である。気を引き締めなければいけないのは、俺自身かもしれない。
中央研究棟を囲むように
(遠く……
縦横に幾何学的な筋の走った
(――星界座標、『天の架け橋』に指定完了――)
遥か空の彼方、星界を旅する星々の欠片を呼び寄せる召喚術。隕鉄の魔蔵結晶が魔導回路を活性化すると、俺の周囲に膨大な数の光り輝く粒子が生成され始めた。本来であれば敵に囲まれたど真ん中で悠々と使えるような簡単な術式ではない。だが、あらかじめ術式を自動実行する回路を刻み、魔導因子を内包する魔蔵結晶を使用すれば、通常であれば時間のかかる儀式呪法も一瞬で完成を迎える。
『廻れ。
星界への道を開く
圧倒的な速度と物量で降り注ぐ隕石群が、魔獣の群れを蹂躙していく。その間に俺は『天の慧眼』の術式で周囲の魔力の流れを読み取る。違和感のある魔導因子の動きを追っていると、魔獣の群れに守られ隠されていた、魔獣召喚用の
「打ち砕け!!」
俺の意思一つで隕石群の一部が
新たな魔獣の発生が止まり、間もなくして中央研究棟周囲の魔獣は一掃されたのだった。
中央研究棟内部は、それまで魔獣で溢れかえっていたのが嘘のように静かだった。外に居た魔獣どもは研究棟周辺を包囲するだけの命令を受けていたのか、俺の攻撃を受けて逃げ込んだ形跡はない。
ただ、そこかしこに魔獣が暴れたと思しき破壊跡と、それに対抗したであろう術士による戦闘の痕跡が見られた。俺が到着するよりずっと前に、棟内では既に激しい戦闘があったのだろう。
(……アカデメイア関係者が倒れている様子はない。棟内では魔獣を倒しきったが、包囲されて外に出られなくなった。というところか? 魔獣は灰となって消滅したとすれば、誰も、何の気配もないことに納得はできる)
『天の慧眼』の術式で透視をしてみるも、中央研究棟の壁は機密性を重視されているのか見透かすことができない。
「ちっ……まあ研究施設としては当然か。まさかこんな弊害が出るとは思わなかった。奇襲には気を付けないとな……」
仕方なく他の索敵術式で注意深く警戒しながら、研究棟内部を探索する。ひとまず目指すのは学院長室だ。ベアード学院長ならばこの難局も自力で乗り切っている可能性が高い。学院運営が主な仕事で戦闘が得意とは聞いてないが、術士としての等級は確か二級であったはず。最低限、護身の心得くらいはあるだろう。
途中にある研究室など中が気にはなったが、時間がない今は最優先で学院長室の様子を確認に向かった。
全周囲に警戒しながらも中央階段を駆け上がり、学院長室まで辿り着く。そこまで何も起こらず到達してしまったのが、逆に嫌な予感もした。魔獣がいないのはともかく、魔獣に対抗しているであろう人間もいない。どこかの部屋に立てこもっているのか、それにしても警戒に当たっている様子が微塵も感じられないのだ。
(……ここまで防衛術式の一つもなかった。感知術式に引っかかった感触もない。それなのに――)
中央階段は激しく損傷しており、所々の階段が崩れていた。ここで戦闘があったことは間違いないのに、争ったはずの両者とも存在が確認できない。警戒の度合いを最大限に高めながら、学院長室の前に立つ。ここで改めて『天の慧眼』の術式を発動すると、目前の扉には俺が思わず一歩退くほどの呪詛が込められていた。
「……っ!? こいつは『封殺の呪詛』!? 誰かが監禁されているのか?」
何重にも呪詛を重ね掛けして、極めて強固に対象を囲い込み封じてしまう術式。こんな複雑な呪詛を魔獣が使うとは思えない。そう考えれば人間の仕業となるが、果たしてその人間はこちら側なのか、それともモリンのように魔獣を操る側か――。
そこまで思考が進んだところで、わずかな風の揺らぎを背後に感じた。咄嗟に横へ飛ぶと視えない何かが脇を通り過ぎて、学院長室の扉へと衝突する。『封殺の呪詛』がかかった扉は傷一つ付いていないが、辺りに散った空気の圧力から、飛んできた何かが十分な殺傷力を持っていることがうかがえた。
「背後からいきなり攻撃とは、いったいどういうつもりだ?」
関節部を除く体の要所を黒光りする鋼の軽装鎧に身を包み、真っ黒な大剣を携えた男が立っていた。
じっとりと湿ったような長髪を後方に撫でつけ、厳つく鋭い目つきで俺を睨んでいる。
「シュナイド教授!」
「…………わかりきったことを、いちいち問うな」
明確な敵対行為。そんなことはわかっている。それでもあえて問い質すのだ。本当に俺と敵対する意思があるのか、それが本人の意思なのか。
「モリンと同じように、あんたも幻想種に憑依されたか? 意図的でなければありえないことだが」
モリン一人ならともかく、シュナイド教授まで幻想種に憑依されたとなれば、偶然に起こったことではありえない。誰の意図かは知らないが、何者かの悪意が働いているのは間違いない。
「小生が幻想種に憑依されているように見えるか?」
「違うと言うなら、なおのこと
一見してシュナイド教授の様子は幻想種に取り憑かれたようには見えない。だが、まともかと言えばそれも違う。今しがた俺を背後から襲ったことを考えれば、どう考えても今回の魔獣騒ぎに関わっているだろう。そして、『封殺の呪詛』をかけられた学院長室に誰が監禁されているかを想像すれば。
「ベアード学院長を監禁したのか?」
「だとしたら、どうだと言うのだ」
「何のために、こんなことをしている」
「笑止。一級術士ともなった人間が随分と陳腐な質問をするのだな、マスター・クレストフ。小生が動機を素直に話すとでも?」
「なるほど。少なくともこの魔獣騒ぎを引き起こしていることに関して、否定するつもりはないのか。潔いな。動機は確かに知りたいところだが、今はあんたが敵かどうか、それだけはっきりすればいい」
シュナイド教授が敵であることさえ明らかならば、力づくでねじ伏せてから動機は聞きだせばいいのだから。
「そういえばナタニアはあんたと合流しろ、と言っていたが……」
「ナタニア? ああ、あの忌々しい小娘か。ああしろこうしろと小生に命令をするつもりなのか、学士ごときが勘違いも甚だしい」
「……ナタニアをどうした」
「どうもするものか。都合よく小生に武器と防具を渡して、一人で魔獣の群れの中へ消えていった。後は知ったことではない」
シュナイド教授の装備はナタニアが渡したものか。
最悪の状況だ。シュナイド本人は武闘術士として腕は立つが、魔導兵装に関してはそれほど得意ではなかったはず。それが、博士課程の学士による製作とはいえ、魔導兵装の研究を専門とする人間が作ったものなら、並みの武装より強力なものとなる。
「最終確認だ、シュナイド教授。あんたの力は、その武器は、魔獣を倒してアカデメイアを守るためのものではないのか?」
「二度も言わせるのではない。知ったことではない、と!!」
「そうか、ならもう語ることはないな。敵性対象として排除する」
「小生は初めから気に食わなかったのだ……優等生の皮を被り、その実は己の利益優先でしか動いていない貴様のことを! 都合の悪いことは隠蔽し、他人に罪を擦り付け、己の手は極力汚さずに事をなそうとするその姿勢が!! プロフェッサー・テルミトのことも利用して食い物にしたのだろう? 貴様が宝石の丘から一人で帰還した話を聞いた時には『またか』と思わされたものだ!」
「くだらない。俺が優等生として見られたのは、あんたが言うように自分の利益となるように動いた結果だ。別に俺は自己の利益追求の姿勢を隠した覚えなどないし、自分の手を汚さずに目的を達成できるなら誰だってそうするだろうよ。あんたこそ正義面してないで、いい加減はっきりと言ったらどうだ。不器用で要領の悪いあんたは、俺が容易く成功を掴んでいるように見えるから気に食わない、それだけのことだろう? それに、テルミト教授の覚悟を知りもしないで貶める、その物言いだけは俺も許せんぞ!」
殺気が膨れ上がり、爆発する。間合いの外からシュナイドが剣を振るい、俺は反射的に剣の振るわれた軌道から逃れるように横へ飛んだ。
即座に、たった今まで俺がいた場所で空気が炸裂する。床と壁に長い線のような罅割れが走った。
(――剣を振ってから、十歩の間合いを〇.四秒で到達。判断が遅れれば逃げ切れないぐらいの速度はあるが、威力は精々、裂傷を与える程度か。とは言え、当たり所が悪ければ多くの出血を強いられる――)
最初の不意打ちで、何かしら不可視の攻撃手段が行われることには想像がついていた。間合いの外で剣を振ったシュナイドの不自然な行動を見れば、それが呪術の動作であろうことは見当がつく。おそらく、あの剣が妙な呪術を放った元凶なのだろうが……。
シュナイドの持つ大剣からは薄青い霧のようなものが僅かに漏れ出しており、ずっと見ていると背筋が薄ら寒くなる感覚があった。剣の出来具合は遠目から見ても二級品が精々といった造りに見える。無骨な両刃の剣で装飾は皆無と言ってよく、強いて言うならば刀身から柄に至るまでびっしりと刻み込まれた魔導回路が特徴と言ったところだろうか。
「呪詛の込められた魔導剣……いいや、違うな。この禍々しい魔力波動は――魔剣か」
しかし、あれはシュナイドが言うにはナタニアから受け取った武器のはずだ。彼女が幻想種の宿る呪われた武器、魔剣など作るだろうか。
……追い詰められれば、少しでも勝率の高い手段を取るかもしれない。そして、作れるか否かで言えば、あれくらいの粗製魔剣は作ってしまうだろう。そしてこの状況下でアカデメイア屈指の武闘派術士であるシュナイド教授と接触したなら、当然、渡してしまうはずだ。戦力を、より強力な戦力として活用するために。
「シュナイド教授。まさか、その程度の粗製魔剣を手にした程度で力に酔いしれたか。それとも、魔剣に支配されて取り留めのない行動をしているだけか? だとしたら解放してやるぞ。一級術士の力を見せつけて、現実に引き戻してやる」
「マスター・クレストフ、貴様はいつも他人の神経を逆なでするようなことを言う。腹立たしい。実に腹立たしい。確かに出来の悪い魔剣だが、小生の剣闘術と合わせればそれなりにはなるだろうよ」
すぅっ、と吸気音が聞こえるほどにシュナイドは深く息を吸い込んだ。首筋から覗く魔導回路に力強く白い光が灯り、全身の筋肉が絞り上げられるように収縮していく。
『
ばんっ、と床を蹴る音と共に弾丸のごとくシュナイドが飛び掛かってくる。
俺は即座に迎撃用の術式を発動する。
(――組み成せ――)
『
藍色の結晶刀が瞬時に伸びて、シュナイドの斬撃を受け止める。体重を乗せて飛び掛かってきたシュナイドの斬撃に、粗製魔剣から発生する不可視の衝撃波が上乗せされる。藍晶刃から発せられる藍色の波動が、粗製魔剣の衝撃波を相殺してシュナイドの斬撃を弾き返した。
「ちぃっ……! 重いな!」
反発力で一歩分の距離、後方へと押される。シュナイドもまた後ろに大きく弾き飛ばされていたが、すぐさま体勢を立て直して追撃を仕掛けてくる。
今度は間合いの外から不可視の斬撃を放ち、その後を追うようにして走り、再びシュナイドが剣を振るってくる。体勢を立て直すのが一瞬遅れた俺は、藍晶刃を正眼の位置に構えて防御姿勢を取るが、衝撃波の上に斬撃と新たな衝撃波を重ね掛けしてきたシュナイドの一撃に大きく押し込まれる。先ほどの攻撃よりも威力が高く、重い一撃だ。
武器の格ではシュナイドの持つ粗製魔剣よりも俺の三斜藍晶刃の方が上だ。まともに打ち合えばこちらが押し勝てるはずだが、武器の不利をシュナイドは自らの武技でもって補い、威力を高めている。なるほど、シュナイドの剣術士としての力量は確かなものだ。それでも俺からすればやはり格下。
「剣の腕は大したものだが、所詮は二級水準だな!!」
俺は押し込まれた勢いを利用して体を捻り、転じて弧を描くように藍晶刃を振るった。俺の体勢を崩したところに追撃しようとしていたシュナイドへ、藍晶刃に内蔵した魔力を解き放ち叩きつける。刃が藍色の光に包まれ、強烈な衝撃波を前方へと爆発させる。藍色の波動に呑み込まれたシュナイドは後方へと吹き飛ばされるが、大剣を盾にしながら膝の屈伸でうまく体勢を保ち、倒れることなく俺の攻撃を防ぎ切った。
「そちらこそ。一級術士が聞いて呆れる。結局は威力に任せた力押しではないか」
「……防いだか。意外にしぶといな」
「こちらが武器だけでなく、防具もあるということを忘れているのではないかね?」
シュナイドが体の要所に装備した魔導兵装。黒光りする鋼の軽装鎧には発光する魔導回路がびっしりと浮かび上がっており、その鎧からも薄っすらと青い靄が漏れ出していた。周囲の空気が揺らめいており、この鎧が目に見えない力でシュナイドを守っているらしいと予想がついた。
「小生は期待もしていたのだ……今ではそれが愚かな考えであったと言えるが!」
まるで八つ当たりのように魔剣を振るって衝撃波を叩きつけてくるシュナイド。
「期待だと? いったい誰に、何を」
「入学当初より、武闘術に優れた才覚を発揮していた学士……マスター・クレストフ、かつての貴様だ。騎士を超える術を身に着けるのだ、と公言して憚らないその姿勢を、当時は小生も期待をもって見ていたのだ。あるいは本当に、騎士を超える術が誕生するのではないかと」
「……それで? 期待は裏切られたと?」
シュナイドの魔剣を藍晶刃で受け流しながら、冷笑と共に鼻で笑ってやる。いったい俺に何を期待していたというのか、この男は。
「入学して半年ほど、戦技学科の講義に顔を出していた貴様は、武闘術士としての才覚がありながら早々に武を極める道を外れ、魔導の研究へと没頭する道に移ってしまった。その理由を尋ねたとき、貴様がどんな返答を口にしたか覚えているか?」
そういえば一時期、運動学部の戦技学科に所属していた時期があった。しかし、俺は半年ほどで武闘術士というものの限界を感じて、見切りをつけたのだ。
「――武闘術士は底が見えた。そう、はっきりと言ったな」
「そうだ! たかだか半年程度の様子見で、知ったような口ぶりで、小生の講義が終わった後に言い捨て貴様は去ったのだ! そればかりか、次年度の学院オリンピア大祭では、例年、戦技学科の学士が優勝を飾ってきた武闘術大会で、あろうことか魔導素材学科の貴様が優勝をかっさらっていったのだ! それがどれほどの屈辱であったか!」
怒りをぶつけるかの如く、荒々しい剣撃が打たれる。剣と剣が打ち合うたびに、藍晶刃から藍色の波動が閃いてシュナイドの魔剣を押し返した。
「ひどい、言いがかりだな、逆恨みもいいところだ。俺は俺の思うようにやった。騎士を超える力を求めて研究し、その結果が出ただけのこと」
「笑止! 魔力消費量を度外視した、力押しの魔導行使で騎士を超えたとほざくか!?」
「十分な魔導因子の貯蔵と、強力な術式を発現する魔導回路があれば誰でも騎士を超える力を発揮できる。俺はその可能性を示したまで」
「……武技の研鑽もなく、武装が物を言うような戦術など邪道ではないか。それは単なる戦争行為というものだ!」
「滑稽だな、それを言うあんたが魔剣や魔導兵装に頼り切っている」
「これは小生の力だ! 貴様と同じ土俵に立ったとき、小生ならばより高みにあるのだという証明である!!」
結局はそれか。誰しも自分が優位でありたいと思うものだ。不足であるより満たされていることが、見下ろされるより見下す方が、誰だって気分がいいに決まっている。ましてや自分の過去の努力が無駄で、後から追ってきた者にあっさりと優位を覆されるというのは認めたくないのだろう。しかも、その真似をして自分も高みに上ろうとしても、容易には真似ができないとなれば指を咥えて羨むほかないわけだ。
「小生の……力っ! これこそが……騎士を超えた――」
ぶわり、とシュナイドの持つ魔剣から薄青い霧のようなものが立ち昇る。それまでと比べて明らかに濃度の高いそれは、次第にシュナイドの全身、正確には魔導兵装から漏れ出してくる。そして――
「ぐ、ぐうぅうっ……!!」
「馬鹿野郎が……魔剣に支配されかかってやがる……」
粗製魔剣だけに魔剣としての呪いの力は弱いはずだ。いくらナタニアが未熟でも、そうそう担い手を暴走させるような魔剣を作りはしないだろう。担い手自身が魔剣の穢れた力に染まり切らなければ、だが。
「何故、誰も理解しようとしないのか。己の身を鍛え上げ、武技を研鑽してこそ真の実力。昨今の学士にしても、小生の方針が時代遅れなどと言って安易な道に走ろうとする」
「それで魔剣の穢れた力に頼るなら矛盾しているだろ」
「
「とうとう狂ったか。その結論が魔剣との融合なら、行きつく未来は破滅しかないぞ!!」
詰まるところシュナイドの理屈では、魔剣と融合して魔人化すればよいことになってしまう。確かに魔剣と融合した魔人は強い。カナリスの事件で魔剣を体内に取り込んだ騎士セドリックがいたが、あれは元の騎士の能力をさらに増幅させた規格外の強さだった。完全な魔人ではなくてもあれだけの強さだ。力の究極として安易に手を出したくなる気持ちはわかる。
けれども、魔人と化してしまったらそれはもはや人間の力ではない。誰も真の強さとして認めはしないだろう。
「シュナイド……警告しておくぞ。それ以上、融合が進めばあんたを殺さずに止めることもできなくなる。完全に魔人化した人間を元に戻す術なんてのは、俺も知らないからな」
「武闘術の、真髄を見よ……っ!!」
シュナイドの全身が薄青い靄に包まれ、粗製魔剣に刻まれた魔導回路に青白い光が灯る。体の要所に装備した魔導兵装も同様に、回路が青白く光り輝いている。相当な量の魔導因子が流れて魔力を発現させている。
「聞く耳はなし、か。死んでもいいってことだな」
ならばこちらも手加減はなし。時間もないのだから、早々に決着をつけよう。
「ふしゅぅっ!!」
シュナイドが一息に空気を吸い込み、青い靄をまとって飛び掛かってくる。動きの速度が明らかに上昇していた。
二撃、三撃と連続で繰り出される剣を捌きながら、俺は冷静に隙をうかがっていた。確かにシュナイドの力や速さは上昇していたが、その代わりに洗練されていたはずの彼の武技が精彩を欠いていた。魔人化の影響で自我が揺らいだことで、本来の実力が発揮できなくなりつつある。
(……まったく、本末転倒もここまでいくと滑稽に過ぎる。哀れだよ……)
力を求めた結末がこの有り様か。あるいは俺自身も道を間違えれば、同じ末路を辿ったのかもしれない。魔人の力は魅力的だ。制御できるのならば、ではあるが。
俺も何度か、疑似的に半魔人と化す呪法を試してみたことがあるが、強力な一方で扱いが非常に難しい術式となり、結局は使い勝手の悪さから滅多に使用しなくなってしまった。
「自我を失ってしまえば魔獣と大差ない。あんた自身が言っていたように、ただ力押しに頼るばかりだろうに!!」
藍晶刃の力を最大限に発揮して藍色の波動を迸らせる。衝撃で藍晶刃の刀身が粉々に砕けるが、衝撃波はシュナイドを吹き飛ばして大きく後退させた。
乳白色の石に虹色のモザイク模様が浮かぶ
(――現世を歪めよ――)
『遊色世界!!』
白い霧が周囲の空間を余すことなく満たし、次の瞬間に霧は虹色に染まって視界全体を鮮やかな色彩で撹乱する。
「なんだこれは!? 前が見えぬ! どこだ! どこへ行った、クレストフ!」
俺の姿を見失ったシュナイドは混乱し、辺り構わず魔剣を振るって無駄に衝撃波を撒き散らす。一方の俺は『遊色世界』の術式特性を利用して、視界を覆う虹色の霧の中、シュナイドの姿をしっかりと捉えていた。
「おのれ! おのれ、クレストフ!! 姑息な! 卑劣な! 貴様はいつもそうだ。己の手は汚さず、安全圏から事の成り行きを眺めて、利益だけを掠め取っていく痴れ者よ!! だから小生は、貴様が気に食わないのだ!!」
俺は
(――好きに罵るがいい――)
この『遊色世界』の呪詛は、単に視界を封じるだけの術ではない。魔導因子の流れを撹乱する効果があるため、人間の五感とは別に魔力波動で世界を認識している幻想種には決定的な感覚封じとなるのだ。そのままでは俺も視界を封じられてしまうのだが、そこは
(――シュナイド、今のあんたにこの呪術は決して破れない――)
あるいは自我がはっきりとしていて、冷静な思考ができていれば対処方法の一つでも思いついたかもしれない。しかし、我を失った状態で看破できるほど、俺の呪術は甘くない。いまだに混乱の渦中にあるシュナイドへ向け、俺は攻撃の意思を込めて呪詛を発動する。
(――貫け――)
『血塗れの棘!!』
「ぬぅっ!? ぐ、があぁああああぁぁあー――っ!?」
数百本にも及ぶ赤い結晶の針がシュナイドの全身を細かく貫く。手足を串刺しにして動きを止め、粗製魔剣と魔導兵装へ赤い針が集中攻撃を仕掛けた。
針先が鎧の表面を突くたびに赤い光の粒が舞い散り、徐々に兵装を削り取っていく。同様にシュナイドの手から弾き落とされた粗製魔剣にも赤い結晶針が殺到し、細かな傷はすぐに罅となって広がり、やがて大きな割れとなって魔剣そのものを破断する。
粗製魔剣にまとわりついていた薄青い靄は、空中に吹き散らされるようにして消えていく。元より不安定な状態で剣に定着させられていたのだろう。依り代を奪われて存在を維持できなくなったと見える。同様に砕けた鎧の欠片からも薄青い靄が力なく漂い、消えていった。
「さて、自我は取り戻せたか? シュナイド教授」
「うぅ……体中が、痛む。だが、妙に意識は冴えている……」
幻想種に体内へ入り込まれていたモリンと違って、粗製魔剣と魔導兵装に宿った幻想種に操られているであろうシュナイドには、武装破壊を行うことで支配の呪縛から解放できるのではと試したのだが、どうにか成功したようだった。
「細かい結晶針が全身に刺さっているからな。痛みは酷いが、傷は深くない。一週間もすれば自然と針が抜けて楽になるだろう」
「一週間だと!? この痛みをそれだけの期間、耐えねばならないとは……」
なるべく魔導兵装に攻撃が集中するようにはしたが、どうやっても幾らかの結晶針がシュナイドの体に刺さるのは避けられなかった。
「時間もない、質問に答えてくれシュナイド教授。学院長室には誰が捕まっている? この封殺の呪詛、あんたなら解けるんじゃないのか?」
床に横たわり、痛みに耐えながらシュナイド教授が学院長室の扉へと視線を送る。
「……無理だ。この呪詛は小生がかけたものではない。学院長の安否を確認するため、ここへ駆けつけた時には既にこの有り様だった。あるいは先に来た学士……ナタニアと言ったか。彼女ならば事情を知っているかもな……」
「ナタニアか……彼女は今どこへ?」
「さてな。アカデメイアが魔獣に襲われるなかで、皆を助けることに随分と使命感を燃やしていた様子。初めに言ったように、小生に魔導兵装を渡してどこかへ行ってしまった。危うい若さゆえの行動だ。下手をすればあれは死ぬぞ……」
ナタニアから手紙が送還術で送られてきた後、実は何度か彼女に向けて送還術でこちらからも手紙を送っている。だが、俺やアリエルが手紙を送っても返事は今の今まで返ってこない。シュナイド教授が知らないと言うのなら、これ以上の情報収集は難しい。
とは言っても、確信がないだけで状況の予想はおおよそ付いている。学院長室に捕まっているのは十中八九ベアード学院長だろう。助け出したいところではあるが、封殺の呪詛は解くのに時間がかかりすぎる。ここで救出に時間を費やしてしまえば、魔獣が一斉に動き出す制限時間である五限の鐘までに、全ての問題解決が間に合わなくなる。
(どうする? これはたぶん、時間を無駄に使わせる罠に違いない。かと言って、捕まっているだろうベアード学院長を放置していくのも危険だ。最悪、この部屋の中に魔獣と一緒に捕まっていれば、事件の黒幕を倒してもベアード学院長に危害が及ぶ恐れがある)
黒幕を倒しに行くのを優先するか、ベアード学院長の救出を優先するか。二者択一の問題と考えてしまうが、俺は一度思考の流れを絶って冷静になる。どちらの選択肢も選び取る方法、第三の選択もできるのではないか? 俺は一級術士だ。常人ならば選び取れない選択肢も、俺ならば現実の選択として選び出すことができる。
(――世界座標、『ウラル鉱山最深部』に指定完了――)
『服従を誓うもの、我が呼びかけに参じよ……』
『
無数の光の粒が立ち昇り、眩い光の中から一匹の怪物が出現した。
眼球も何もない長く伸びた頭部には、大きな尖った耳が四つ花弁のように開いている。頭の先端には
胴体は丸い肉団子のようで、そこから蜘蛛のように折れ曲がった太い四肢が伸びている。体内に取り込んだ鉱物の結晶を鱗や骨肉として置換したことで、体表面は硬質な鱗状の外骨格で覆われ、ぎらぎらと黒光りしている。鉱山の奥深くで宝石採掘をさせていた魔導生物だ。
――ギィイイィイッ……!
醜悪な姿をしたジュエルビーストは、口内の牙をぎしぎしと擦り合わせて耳障りな不快音を発している。
「な! なんだその魔獣は!? まさか、クレストフ、貴様がアカデメイアに魔獣を放ったのか!?」
ジュエルビーストを目にしたシュナイドが、嫌悪感に顔を歪めながら的外れな意見を口にする。こいつは醜悪だが魔獣ではなく魔導生物だし、どういう思考経路を辿れば俺が魔獣をアカデメイアに放ったことになるのか。シュナイド教授は魔剣に支配されていた影響で、どうも短絡的な思考しかできなくなっているようだ。一々、受け答えしている暇はない。
――魔導生物『
それは如何なる壁でも、多くの手段と時間をかけて必ず掘削するという特性だ。例えそれが呪術的な結界であっても、ありとあらゆる手段を自分で試行錯誤しながら穴を開ける。
「
――キヒィイイイィイ――!!
わかったのかわかってないのか、いまいちよくわからないが、いい返事だけして
封殺の呪詛がかかった扉に牙を立てて磨り潰そうとし、金属をひっかくような不快音を継続して発する。
「これで封殺の呪詛が解かれるのは時間の問題になったな。ここはこれでいいとして、向かうべき場所は……」
「……お……っ!? ク…………フ! …………ろっ!!」
扉の近くに居たシュナイドが何やら苦し気な表情で叫んでいるが、
中央研究棟を出た俺は、この騒動の中心地と疑ったもう一つ心当たりの場所へと向かう。
本当は最初にそこへ向かいたかったのだが、他の人間が魔獣との戦いに出向こうとする中では後回しにするほかなかった。しかし、シュナイド教授が単なる傀儡だとすれば、やはり元凶はそこにいるのだろう。
学内に魔獣が溢れかえる状況で、不自然に魔獣の姿が見られなかった区画があるのだ。もう、答えは半ば出ている。だが、どうしてもそれが信じられない。実際に行って確かめてみるほかない。あの人物が、こんな事件を何故、どうやって引き起こしたのかを――。
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