第251話 魔獣操術士


「さぁ、獣達。私を認めようとしない連中を全て殺し尽くしなさい」

 モリンの言葉に従い、魔獣の群れが包囲を狭めてくる。サライヤ教授と女学生は身を寄せ合い、レリィが二人を庇うように前へ立つ。

 魔獣の群れは多種多様、数十匹の群れが一度に襲い掛かってくればサライヤ教授達を守り切ることは難しい。守りに徹していては、じり貧だ。

三級術士・・・・モリン。俺に力を見せて、認めさせるとか言ったな。一級術士である俺に」

「あなたは認めざるをえなくなります。私の操る魔獣に屈服して」

「……笑える冗談だな。こんな雑魚を数だけ用意して、一級術士をどうにかできると本気で思ったか!!」

 まともに相手してやる義理などない。三級と一級、例え幻想種の力を借りたとて、圧倒的な実力差というものは埋めようがないのだ。


(――焼き尽くせ――)

 意思を込め、黄緑色の八面体結晶、蛍石の魔蔵結晶を一つ宙に放り投げる。

『……煉獄蛍れんごくぼたる……』

 蛍石の結晶が一瞬、強烈な光を発して燃え散った。

 すると、ぽつぽつと橙色の光が空中に浮かび上がり、視界を蔽い尽くすほどの光の群れとなった。

 降り続ける雨をものともせずに、極めて濃密な光と熱が周囲の水分をことごとく蒸発させる。白い蒸気が周囲を漂い、霧の中で炎の球が幾つもゆらゆらと揺れ動く。一見して幻想的なその風景は、ひどく矛盾を孕んだ悪夢のような光景でもあった。地獄に漂う人魂のごとく、近づくもの全てを焼き焦がす煉獄の炎だ。


 魔獣達が一斉に襲い掛かってくる。地を走り、空から降り、殺意を振りまきながら向かってくる。


 つい、と指で軽く円を描けば、光の群れが一瞬だけ揺らめき、震える。

 途端、それらはてんでばらばらの方向に飛びまわり始めるが、無秩序に見えた振る舞いはすぐに収束した。

 一つ一つの光がまるで意思を持った生物であるかのように、その場にいる魔獣達へと一斉に飛びかかって―――。


「クレス……本気だね。これ……」

「こ、これはなんてこと……これが一級術士の力……」

「うっ……おぇっ……」

 加勢の必要もないと判断したのか、レリィは構えを解いて状況を見守っていた。サライヤ教授は一級術士である俺の呪詛を目の当たりにして戦慄し、魔獣に怯えていた女学生はもはや恐怖を忘れるほどに、目の前の惨状を見ながら吐き気を催していた。


 焼き尽くしていく。

 地上にいるもの、空にいるもの、何もかもが、灼熱の業火に焼かれ蒸発していく。


 炎に巻かれのたうち回る屍食狼ダイアウルフがいれば、頭部を焼失させて斃れ伏す牛蜘蛛がいる。空を飛んでいた鷲型魔獣は、無数の光に胸と腹を何度も何度も焼き貫かれ、炎の塊となって大地に落ちる。頑強な甲羅に閉じこもった鋼顎亀アイオン・ジョーズさえ、無数の光に纏わりつかれて手足を蒸発させ、そのまま甲羅の中で蒸し焼きになり灰となって崩れ去った。

 また一つ、もう一つ、次々と火柱が上がった。その光景はおぞましく、もはや此の世のものとは思えない。自らが生み出した惨状ではあるが魔獣の掃討に手加減はない。確実に滅ぼしきるまで徹底的に焼き尽くすのみだ。


 乱戦でもなく敵がまとまっているならば、何の気兼ねもなく大火力でもって制圧することができる。辺りを見回せば、もはや無事な姿で動いている魔獣は皆無だった。

「それで、自慢の魔獣は全て灰になったが、どうするんだ?」

「…………。……まだ、私の魔獣は残っている」

 モリンはしばらく無言のままだったが、ぼそりと意味深な言葉を吐く。

 とん、と黒檀の杖で地面を打つと、いつの間にか描かれていた即席の魔導回路が光を発して起動する。虹色水晶の欠片で描かれた五芒星の陣から大量の光の粒が立ち昇って、大柄な影が二つ出現した。魔導因子を使い果たした虹色水晶は砕け散り、出現した影が踏み出した一歩に踏み潰される。


 一つは、軽装の金属鎧に身を包んだ蜥蜴人とかげびと。出現した蜥蜴人にモリンは一本の剣を投げ渡す。無言で蜥蜴人が受け取った剣には奇怪な魔導回路が刻み込まれていた。古代式魔導回路だろうか、効果は予想がつかない。なんにせよ警戒が必要で面倒な武装には違いない。

 もう一つの影は、皺くちゃに枯れたような皮膚の老人。その背に八本の巨大な蜘蛛の脚を生やしている。老人の目は固く閉ざされており、表情も全く動くことがない。作り物めいた容姿から、もしかすると亜人種の蜘蛛人くもびとであろうかと想像する。

 そして、二体の亜人はどちらも黒ずんだ皮膚の色をして、体からは薄っすらと黒い靄を漏らしていた。加えて、蜥蜴人は瞳を紅く光り輝かせている。蜘蛛人の方は目を閉ざしていてわからないが、いずれも魔獣化した存在にありがちな特徴が見て取れる。


「魔獣召喚!? それも亜人形態を二体同時に……。モリン先生、あなたいったいどこまで禁忌に堕ちてしまったのですか……」

 魔獣召喚は通常の生物を召喚するのに比べて、遥かに難易度が高い。そもそも召喚するための魔獣を用意する時点で難しいばかりか、それを待機状態で保持しておくことがまた非常な労力となる。放っておけば、いつ制御を脱して暴れ出すかわかったものではない。

 それになにより気になるのは、魔獣の素体となったのが亜人種であるということ。

「さすがに厄介な相手だな……。まさか亜人種を素体とした魔獣とは」

「これまでの魔獣とは全然、気配からして違うね」

「当然だな。亜人種も、純人すみびとに次いで自我の強い生き物だ。そいつが魔獣化しているということは、憑依した幻想種の格も高いはず。そして限りなく魔人に近い存在……『知恵ある魔獣』ってやつになっている可能性が高い」

 俺の説明にレリィが小首をかしげる。その間も、油断なく目前の魔獣から目は離さなかったが。

「……どういうこと、魔獣ってそもそも知能が高いんじゃないの?」

「知能の質が違う。通常の魔獣が精々、人間の幼児程度の知能だとして、目の前の奴らは成人並みの知能を有していると考えた方がいい」

「それ、まさかあたしより頭よかったりしないよね?」

「可能性としては、普通にあり得る。魔獣の力を持った狡猾な人間を想像してみろ。厄介極まりないぞ、これは」

「うへぇ~……どうするのクレスー?」

「とりあえず、力押しだけでは足元を掬われるかもしれない。ここは手堅くいくとするか」


 新たに出現した二体の魔獣はいまだ動き出す気配がない。どういうつもりか知らないが、戦闘前の猶予を与えてくれるなら準備を万全にさせてもらうだけだ。

(――組み成せ――)

褐石断頭斧かっせきだんとうふ!』

黄土おうどの盾!』


 二連続で魔蔵結晶を使い、斧石アキシナイトから巨大な褐色結晶の斧を生み出し、黄玉トパーズから黄色結晶の小盾を創り出す。

「接近戦するつもり……!?」

「間合いが詰まっているんだ。嫌でもやることになるだろうさ」

「……そうだね。仕方ないか。でも無理しないでよ」

「お前は少し本気出せ。ここまで体力温存してきたのも、こういう時の為だ」

「了ー解! じゃ、闘気使っていくから」

 レリィが八つ結いの髪を束ねる髪留めに手をかけて、うち二束の封印を解く。レリィの闘気を封じ込める呪言の縫い付けられた髪留めが二つ外されると、拘束を解かれた髪が直ちに翠色の光を帯びて、ふわりと舞い上がる。


 ずずっ、と二体の魔獣が腰を屈めて体を緊張させた。レリィの闘気を感じ取ってから、初めて攻撃の予備動作に入ったのだ。

(――様子見していたのは向こうも同じ。……いや、そもそも時間がないのはこちらか。あちらには急ぐ理由もないのだから……)

 囚われの学士達は五限の鐘を刻限に犠牲となってしまう。それまでに魔獣を掃討しなければならないのは俺達であって、向こうは時間稼ぎができるなら戦闘ものんびり時間をかけるのが好都合ということだ。

「ちっ、いつの間にか向こうの流れに乗っているじゃないか……くそがっ! レリィ、あまり時間はかけられないぞ」

「わかってる! で、どっちがどっちの相手するの?」

「主に俺が蜥蜴人、お前が蜘蛛人。だが、連係も積極的に行っていく。それでいいな?」

「うん、いいよ。うまく合わせてよ!」

「お前が合わせろ!」

 なんだかんだと言い合いながら、息を合わせて同時に飛び出す俺とレリィ。ほぼ同時に蜥蜴人と蜘蛛人も動き出す。


(――穿て――)

『鮮血の灼糸しゃくし!!』

 右手中指に嵌めた紅玉の指輪から高密度の赤い光線が迸り、赤い光が蜥蜴人の顔面を焼く。並みの相手ならばこれで怯んだところを一撃して終わりだが――。

 魔獣化した蜥蜴人は顔面から煙を吹きながらも、怯むことなく前進してきた。

(――魔獣化したことで、耐火皮膚と痛覚麻痺の特性を得たか。手間取りそうだな……)

 時間がないこちらとしてはなるべく早く片付けたかったのだが、そう思惑通りにはいかないようだ。

「ならば直接、打ち崩す!!」

 両者が交錯する瞬間、俺は斧を、蜥蜴人は魔導剣を振るう。互いの武器が打ち合う瞬間、褐色結晶の斧刃から焦げ色の光が迸り、蜥蜴人に襲い掛かる。

『シャハァッ!!』

 一方で、これまで無言だった蜥蜴人が奇声を上げる。すると俺の斧と打ち合った魔導剣から白い閃光が放たれ、互いの武器が反発して弾かれる。


「ちぃっ! そっちも衝撃波かよ!」

 閃光と共に空気が爆発する音が鳴り響く。

 体勢を崩して仰け反った俺の前に、滑るようにして蜘蛛人の魔獣が迫ってきた。苦悶の表情にも見て取れる不気味な顔が目前に迫り、その半開きの口から呪詛が漏れ出す。

『……風槍ヴェントゥス・アースタ……』

 ぼそりと呟かれた呪詛は、高密度に収束した風の槍となって至近距離から放たれる。

(――共有呪術シャレ・マギカ、魔導を使う魔獣か――)

 黄土おうどの盾で防ぐことを覚悟したところで、横手から入り込んだレリィが風の槍を水晶棍で吹き散らし、翠色の闘気を込めた棍で下からカチ上げるように蜘蛛人を殴り飛ばした。

 痛みの声を上げることもなく、蜘蛛人は表情も変えぬままぶっ飛ばされていく。


『シュゥウッ!!』

 俺との打ち合いで一歩退いていた蜥蜴人が、蜘蛛人が吹き飛んだ穴を埋めるように突っ込んでくる。だが、こちらは体勢を立て直した俺と、闘気を充実させたレリィがいる。二対一ならば潰せる――。

火炎球フランマ・ピーラ!!』

 そう考えた隙を突くかのように、遠くから呪詛が飛ばされてきた。二匹の魔獣を操りながら、モリンが『火炎球』の呪術を使ってきたのだ。二対三、数で不利なのはこちらか。

 撃ち出された人間の頭ほどの火球。蜥蜴人に集中攻撃する機会を逸するが、仕方なく俺は一歩下がって迎撃術式の対応に切り替えることにした。


旋風トゥールボ!!』

 突如として強烈な旋風が巻き起こり、モリンの放った火炎球が軌道を逸らして上空に舞い上がる。今の術式発動の声は後ろから。

「クレストフ先生! モリン先生は私が抑えます! 魔獣との戦いに集中を!」

「サライヤ教授の援護か! 助かる!」

 モリンの脅威にサライヤ教授が対応してくれたのを見て取り、俺は迎撃術式を再び攻勢術式に切り替えた。そのわずかな合間にレリィは蜥蜴人と切り結んでいた。互いの攻撃が衝撃波となって襲い、威力の高いレリィの攻撃に蜥蜴人は二度、三度と打ち合ってすぐに押し込まれる。


 電気石トルマリンの魔蔵結晶を取り出し、目標に狙いを定めるよう意識制御する。

(――撃て――)

焦圧雷火しょうあつらいか!!』

 轟音を置き去りにしながら青白い稲妻が一本、空気の絶縁を破って飛んだ。雷撃は俺の狙い違わず、先ほどレリィによって殴り飛ばされ、ようやく起き上がりかけていた蜘蛛人の頭部へと直撃する。雷撃が蜘蛛人の頭を盛大に炸裂させた。

 攻撃範囲の外と油断していたか、なんら防御対策を取らせぬままに俺の術式は蜘蛛人を貫いていた。いかに魔獣化しているといっても、脳を木っ端みじんに破壊されては絶命確定である。


 蜘蛛人が灰となって崩れ去るのを視界の隅に捉えながら、俺は既に次の行動へと移っていた。結晶斧を担いで俺はレリィと切り結ぶ蜥蜴人との間合いを詰めていく。

「仲間の援護はもうないぞ!」

 褐色の結晶斧が横薙ぎに振るわれ、蜥蜴人の脇腹にめり込んだ。同時に斧刃から焦げ茶色の光が迸り、蜥蜴人の腹部を衝撃波で吹き飛ばす。

「キシィイイイーッ!!」

 蜥蜴人はたまらず悲鳴を上げてレリィとの鍔迫つばぜり合いを振りほどき、真っ赤な目を怒りに染め上げながら俺へと襲い掛かってくる。蜥蜴人が力任せに切り付けてきた魔導剣を『黄土の盾』で受けて見せる。魔導剣から衝撃波が発生するが、それらは黄土の盾によってほとんど威力を削がれていた。

「あたしとの斬り合いの最中によそ見とか、警戒する相手を間違えているんじゃない?」

 愚かにも感情に支配された蜥蜴人は、レリィに背を向けて俺へと攻撃を仕掛けてきたのだ。その決定的な隙を見逃すレリィではない。


 ぞふり、と肉を深く穿つ音が鳴る。

 淡く翡翠色の闘気に包まれた六方水晶棍の先端が蜥蜴人の胸を貫き、確実に心臓を潰していた。

 この攻撃が止めとなり、蜥蜴人魔獣は大きく身を仰け反らせながら、灰となって崩れ落ちていった。灰の中に、暗赤色の結晶が一つ転がり落ちる。以前にも見た覚えのある魔核結晶だ。回収して調べたいところだが、あいにくとまだ戦闘は終わっていない。


「あとはモリンだけか――」

 サライヤ教授と術の応酬を繰り広げているモリンに注意を向ける。幻想種に操られている可能性が高い以上、無闇に高火力な術式や闘気による攻撃は選択できない。捕縛系の呪詛でもって彼女の行動を封じ込める必要がある。

 俺は首から下げた鬼蔦の葉を模した銀の首飾りに手を添えて、意識を集中させながら魔導因子を注ぎ込んでいった。


(――組み成せ、あざなえる縄の如く――)

銀鎖ぎんさの鞭!』

 数本に枝分かれした銀の鎖が地を這うように伸びて、急加速しながらモリンへと襲い掛かる。

「――――!?」

 迫り来る銀の鎖に気が付いたモリンは俺の呪術を脅威と感じ取ったか、サライヤ教授の放った『空弾エア・ブレット』の直撃をあえて受けながら、こちらへの迎撃を優先しようと向き直った。『空弾エア・ブレット』の直撃を受けたモリンの体が大きく揺れるが、黒い靄に包まれた彼女の体は常人よりもはるかに頑強な耐力をみせて踏みとどまる。

「直撃したのに!?」

 サライヤ教授の驚愕の声が上がる。モリンはサライヤ教授を無視して新たな術式を放ってくる。


氷結ジェリードゥ!!』

 氷結呪術が銀の鎖に向けて炸裂し、辺りに広く霜が降りる。幻想種の憑依によって魔力を底上げされた呪術の威力は、初級の共有呪術シャレ・マギカでさえ中級呪術並みの威力へと引き上げていた。

「それでもこの程度。なら、止められはしない」

 凍り付いた銀鎖は霜を付着させたまま、うねり狂ってモリンの手足へと絡みつく。

「……私は、この程度で終わりは、しない――」

「終わりだ」

 モリンに絡みついた銀の鎖に、追加の命令を下す。

(――縛り上げろ――)

『銀の呪縛!!』

 モリンの手足を大地から生えた鎖で繋ぎ止め、鎖から変化した銀の蔓が腹、胸、肩、頭まで巻き付いて完全に拘束する。


 もがき苦しむようにモリンの体から黒い靄が沸き立った。幻想種が宿主の危機を察知して抗っているのだ。モリンが幻想種と完全に混じりあって魔人と化す前であるなら、幻想種だけを滅ぼすことも可能なはず。だが、もう一押し足りない。幻想種をどうにかモリンから引き剥がさないことには、彼女の体も呪術で巻き込んでしまうのだ。

(……手段は他にもある。だが、果たして上手くいくか……?)

 宿主を傷つけずに幻想種だけを滅ぼす手段。その方法は数少ないが、少なくとも二つ、幻想種だけを滅ぼすことのできる方法を俺は知っている。ちらりとレリィに目を向けた俺は、八つ結いの髪に封じた闘気を二つまで解放した姿を見て、方法の一つを破棄した。今ここでレリィに全力を出させてしまうのは、この後の戦闘に支障が出てしまう。選択を誤れば、多くの学士の命が失われるだろう。


 ここまで追い詰められても、モリンの体から幻想種が離れる気配はなかった。不幸なことに、よほど親和性が高かったのか。このままいつまでも拘束しておけるものでもなく、無為に時間だけが経過してしまう。

(……ぶっつけ本番だが、試してみるか……。好きにはなれない呪法だが……!)

 先のことを考えれば、選択の余地はない。それこそモリンの命を考慮しないのであれば、幻想種もろともに消し飛ばしてしまうのが最も効率的なのだ。その方法を選択しなかったのは、ただ合理的であるよりも、価値ある幸福を得んとするため。ここで、モリン一人を救うこともできずに、彼の地でさまようあの娘を救い出すことなど到底できはしない。


 拘束されたモリンを四方から囲むように、呪詛を込めた苦礬柘榴石パイロープの結晶を四つ投げ落とす。

(――異界座標、『煉獄』に指定完了――)

『異界よりきたことわりを、異界へと戻せ……』

 やってみなければ成否はわからない。それでもやるしかない。

因子還元いんしかんげん祓霊浄火ふつれいじょうか!!』

 銀の呪縛に捕らわれたモリンを、まばゆい閃光を放つ炎が包み込む。


 キィイイィィアァァァー――!!


 白目を剥いたモリンの口から、心胆にまで響き渡る怨嗟の声が上がり、真っ黒な靄が火柱に呑まれながら蒸発していく。

 凄まじい光度の炎に、思わずその場にいた全員が目を伏せる。

「ちょっと!? あれ、モリンさん死んじゃうよ!!」

「黙って見ていろ!!」

 レリィが非難の声を上げるが、「大丈夫だ」などと気休めの言葉は口にできない。俺にもこの術式が成功したかどうかは、浄化の炎が消え去るまで判断できないからだ。

 かつて、聖霊教会の悪魔祓いエクソシストが俺の目前で行使してみせた、異界の炎を現世に呼び込む儀式呪法『祓霊浄火ふつれいじょうか』。あの呪法を俺なりに再現できるまでには長い時間を要したが、ここ最近では五分五分の確率で成功するようになっていた。失敗すれば、幻想種だけを焼き滅ぼすはずの炎が、物理的な火力を持って対象を消し炭にしてしまう。修正に修正を加えて、今度こそ完璧な再現となっているはずだが――。


 やがて眩い光が収束し、モリンを包んでいた炎がふっと消え去る。

 ひとまず見た目にはモリンが燃え尽きた様子はなかった。火傷らしきものも見えない。

 モリンが手にする黒檀の杖が音を立てて裂け、装飾された虹色水晶がことごとく砕け散る。元々、出来の良い魔導杖ではなかったのか、魔獣を行使する術式の負荷と浄化の炎に耐えられず脆くも壊れてしまった。


 杖の支えを失ったモリンはその場で静かに膝を着き、前のめりになって倒れ伏した。

 レリィが警戒しながら彼女に近づき、様子を窺う。しばらく意識と呼吸の有無を確かめていたレリィは、勢いよく顔を上げて朗らかに笑った。

「モリンさん、ちゃんと生きてる! 意識はないけど、呼吸もしてる!」

 サライヤ教授が安堵の溜め息を吐き、俺もまた内心ではほっとしていた。正直なところ、うまくいくかは賭けだった。

 だいぶ時間はかかってしまったが、助けられる人間を助けられた。その事実は俺にとって大きな自信にも繋がっていた。

「……後は、アカデメイア内の魔獣掃討か。時間との勝負だな……」

 日は既に傾き始め、刻限の鐘が鳴る時刻にゆっくりと近づいていた。

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