第250話 森の中に一人で
「サライヤ教授、体の負担は平気か?」
「ええ! クレストフ先生の治癒術のおかげで、体調は万全です。まだまだ飛べますよ」
飛行術式で空を飛ぶサライヤ教授に両脇を抱えられながら、俺は破壊された南門、
サライヤ教授は足を後方へ伸ばした水平姿勢を維持し、俺の背に胸を押し付ける形で腕を回しこちらの身体を支えている。術式の効果範囲に俺を含めるためにはかなり密着しないといけないらしく、なんとも気恥ずかしさを感じる姿勢であった。革のツナギ越しにサライヤ教授の体温と心臓の鼓動が伝わってくる。
実のところ俺自身は最初、サライヤ教授に抱えられることをあまり気にしていなかった。だが、先ほど改めて飛び立とうという時にサライヤ教授がまるで生娘の如く恥じらいながら「……き、緊急事態ですから……。し、失礼します!」などと言いつつ抱き着いてくる状況では、どうしても意識せざるをえない。
心なしか、並行してもう一人の飛行術士に抱えられながら飛んでいるレリィの視線が冷ややかだ。不可抗力だというのに。
(……まさかサライヤ教授は処女なのか……?)
ゲスな詮索だと思いつつ、飛行中の暇にかまけて邪な想像をしてしまう。まあ、だからどうだということもないのだが、ふと、考えてしまった。
「気が緩んでいるな、集中しなければ……」
周囲への警戒は『魚の広角眼』の術式により全方位へ向けて常に行っているが、今のところ魔獣が襲ってくる気配はない。どういうわけか南門へ近づくにつれて、地上の魔獣も数を減らしている。
「随分と魔獣の数が少ないですね、こちらは」
「確かに、妙だ。森からも、ずっと魔獣が侵入し続けているのだとばかり思っていた。しかし、好機でもある。さっさと南門を塞いでしまうとしよう」
魔獣が辺りに見当たらない場所へと静かに着地する。
「ありがとうね、ここまで」
「い、いえ! レリィさんのお役に立てて嬉しいです!!」
レリィが自分を運んでくれた飛行術士に礼を言っている。サライヤ教授の研究室に所属する女学生で、博士課程の学士であるらしい。魔獣が溢れかえる最前線で緊張しているのか、頬を紅潮させながら精一杯に気を張っている様子がうかがえる。
「さて、早速、破壊された南門の封鎖にかかるとしよう。周囲の警戒は任せたぞ、レリィ」
「うん、でも……なんか変だね……なんだろ?」
レリィもこの付近の異常を察知しているのか、しきりに首を傾げている。
南門は合成獣実験森林に面していることからも、これまで強固な金属製の扉で閉ざされていた。だが今はその扉が大きくひしゃげて、地面に倒れかかっていた。
「……それにしても、これほど分厚い扉をどうやってぶち破ったんだ? 仮に魔獣の仕業だとして、そいつは今どこに――」
壊れた扉に近づいた途端、森の中から黒い影が飛び出してくる。
「――っ!?
一瞬前まで気配はなかった。おそらく、俺が南門に近づくまで藪の中に潜伏していたのだろう。隠れ潜み、不意打ちを行う程度の知恵が働く魔獣とは、少し厄介だった。
『八面烈火!!』
俺はとっさに右手人差し指にはめた尖晶石の指輪を突き出し、
「クレス!! 森の中だよ! たくさんいる!!」
「ちぃっ……魔獣の姿が見えないと思ったら、隠れていやがったのか!」
破壊された扉の向こう、森の奥で無数の闇が
その闇の正体は
(――とんでもない数の魔獣だが、南門をくぐってしか来られないのであれば――!!)
俺は一瞬で対処の策を練り、実行に移す。懐から取り出したのは一欠けの水晶、汎用性のある召喚用魔蔵結晶だ。
(――世界座標、『欲深き坑道』に指定完了――)
『彼方より此方へ、愚者の金塊!』
水晶が砕け散り、大量の光の粒が宙に舞う。すると、壊れた南門の手前側空中に黄金色の金属塊が出現する。
押し寄せる狼魔獣の波が南門を突破する瞬間に、召喚された黄鉄鉱の巨塊が落下してきて、魔獣の群れを圧し潰す。黄鉄鉱の塊は一つだけではない。立て続けに落ちてくる黄金色の岩石が魔獣を潰しながら南門の完全封鎖をしてのける。
「さすがクレス!! 取りこぼしは任せてよ!」
先行した数匹の狼魔獣が黄鉄鉱の落石から逃れ、すり抜けるようにしてこちらへ向かってきていた。しかしそれもレリィがすぐさま水晶棍で叩き伏せ、確実に絶命させていく。
「は、速いっ!」
「格好いい……」
流れるようなレリィの動きに、サライヤ教授と飛行術士の女学生が感嘆の声を上げた。
(――壁となれ――)
『硬質群晶!!』
間髪入れずに
「よし、封鎖完了だ! いかに魔獣でもこの壁は破れない! 長居は無用だ、次へ行くぞ!!」
森に蠢く魔獣どもは気にかかるが、一々アカデメイアの敷地外の魔獣まで相手にしていたら日が暮れてしまう。すぐに踵を返して、アカデメイアの中でも魔獣が最も集中している中央研究棟に向かおうとサライヤ教授に声をかける。
「あ、あの……クレストフ先生。空に……」
サライヤ教授が上空を指差す。彼女が指し示す先には、空を飛び交う無数の鷲型魔獣の姿があった。
「いつの間に!?」
「ねぇっ、地上にも魔獣が溢れているんだけど!」
今度はレリィの焦った声に視線を下に戻せば、アカデメイアの敷地内、ちょうど南門を背にした俺達を囲うように多種多様な魔獣の群れが集まって来ていた。この場にいる魔獣は全て森の獣を素体としているのか、首のない魔獣は見当たらなかった。幸いなことに、魔導兵装を身に着けた魔獣もいなかったが、それでも数えきれないほどの魔獣に囲まれた現状は楽観視できるものではない。
(――この狙ったかのような動き。誰かに統率されている?)
明らかに連係された動きだ。司令塔となる存在がいなければ、こうも巧みに包囲網を作り上げることはできないだろう。
「この魔獣達を操っている者がいるな!! どこのどいつだ! 姿を現せ!」
レリィ達に注意を喚起する意味でも、俺はあえて大声を張り上げた。それで魔獣の統率者が姿を現すとは思っていなかったのだが、意外にもそれらしき存在が魔獣の群れを割って進み出てきた。
獣の
考えるまでもない。魔獣が溢れるこの場にこの人がいて、何かの術式を使用しているのならば、それは十中八九、魔獣を統率するための操獣術を行使しているのだ。
「魔獣を操っていたのは、あんたか……三級術士モリン」
「モリンさん……? 嘘でしょ?」
「モリン先生……
レリィの困惑と、サライヤ教授の疑問。どちらも、俺が抱く気持ちと同じだ。信じがたい、何故なのか。背景が全く読めない動機。
「わざわざ姿を現したんだ。言いたいことがあるんじゃないのか?」
ただ俺達を殺したいだけなら、自分は安全な場所に隠れて魔獣だけをけしかければいい。それが姿を見せたということは、何かしらの意思表示があってのことだと思ったのだが。
「私はずっと一人でした。森の管理者として独り、危険に向き合いながら戦っていたんです」
脈絡のない語り口。俺はその口調に嫌な予感を抱いていた。
「でも、アカデメイアは私の貢献を認めてくれなかった。私の実力は過小評価され、森の管理人という肩書きも、閑職を意味するものとして見られていました」
この手の言動をする狂人には、過去にも何度か会ったことがある。
「私一人が、面倒ごとを押し付けられて。何かあれば私の責任。どうにかしても、私の評価には繋がらない。私一人だけ森の中――」
ざわり、とモリンの体から黒い靄が立ち昇る。もはや疑う余地はなかった。魔獣の群れに囲まれた彼女がどうしてまともな人間のままでいると考えられるだろうか。既に、彼女も堕ちていたのだ、魔性に。
「モ、モリン先生、いったい何を言って……」
「どうしちゃったの、モリンさん。変だよ……!」
サライヤ教授はおそらく事情が呑み込めていない。レリィは気が付いているはずだ、本能的に。彼女がどういった状態にあるのか。ただ、認めたくはないに違いない。それでも認めなければならないが。
「三級術士モリン。どこで拾ったのか知らんが、幻想種に憑依されたな」
「幻想種……? ま、まさか、そうなのですか? モリン先生が、幻想種に憑依されたなんて!」
動揺するサライヤ教授。レリィは、やはり魔性の気配を感じ取ってはいたのか、唇を強く噛みしめるように表情を歪ませていた。
――幻想種。魔導因子の渦と定義される不定形の異界存在。しばしば自我の弱い獣などに憑依して、混じりあうことで魔獣と化す。通常、自我の強い人間に憑依することは稀だが、心に付け入る隙があると憑依を許してしまうこともある。体細胞レベルで人と幻想種が混じりあうことはめったにないが、もしも憑依の段階を超えて融合してしまったのなら、もう二度と人間に戻ることはない。魔人と化すのだ。
モリンに憑依した幻想種が、どこまで彼女と混じりあっているのかは不明だ。単純な憑依ならば、幻想種と彼女を切り離すことができるかもしれない。もっとも――
「私の力を見せてあげます。この魔獣を操る力をもって――」
好戦的な状態のモリンを取り押さえて、幻想種を祓うなどという余裕が果たしてあるのか。最悪、殺してでも止めなければならなくなる。魔人を世に解き放つことだけは、あってはならないのだから。
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