第249話 届く凶報


「助かりました、クレストフ先生。今日、首都から戻られたのですね。本当に偶然とは思えない幸運です。クレストフ先生が来られなければ、どうなっていたことか……」

 黒い革のツナギに身を包んだ小麦肌の女性、サライヤ教授が感謝の言葉を述べる。彼女もまた相当な長時間、魔獣と戦い続けていたのだろう。彼女の短めの髪は飛行術式で風に乱されたのか、あちこち跳ねていた。そして、革のツナギも所々が破れ、全身に細かい傷を負っていた。


 ひとまずは時計塔直近の講義棟へ一時的に避難して落ち着いたものの、教師陣は魔獣との戦闘で負傷した者が大勢いた。死者が出ていなかったのは不幸中の幸いであったが、それも時計塔広場に限ってしか把握はできていない。アカデメイアの敷地全体でどれだけの魔獣が発生しているのか、他の場所でも戦闘が行われているのか、詳しい情報はサライヤ教授や他の教師も掴めていなかった。

「……教師陣の奮戦、称賛する。よく踏ん張ったものだ。すぐに治癒の術式を施そう」

 俺はその場の教師陣に労いの言葉をかけると、傷を癒す術式の準備を始める。ちょうどこの場にいる全員が恩恵を受けられるように、部屋の隅に水晶の魔蔵結晶を配置して治癒の儀式呪法を発動させる。


(――正常なる心身を取り戻せ――)

 発動の意思を込めれば、設置した水晶の陣が仄かに光を灯す。元より大量の魔導因子を含んだ結晶だ。時間をかけて魔導因子を注ぐ必要もなく、意識制御と楔の名キーネームによって術式は発動する。

『癒しの揺りかご!!』

 白く柔らかな光が部屋全体を包み込み、身体の傷と精神の疲労を急速に癒していく。

「おぉ……傷が、塞がっていく!」

「それになんでしょう、この暖かな感覚は……。疲れが消え去っていきます……」

 床にへたり込んでいた教師達が次々に活力を取り戻し、立ち上がっていく。長時間の戦闘で精神的疲労も大きかっただろうが、回復して活動再開する気力を取り戻していた。

「まぁ……なんて素晴らしい! クレストフ先生は治癒術にも通じているのですか!?」

「本職の医療術士には及ばないが、人の自然治癒力を活性化させるくらいは容易いことだ」

「とんでもない! 医療術士顔負けですよ、これは……!」


 サライヤ教授は誉めてくれるが実のところ、俺は治癒系の術式が得意ではない。そもそも一般に治癒系の術式は難易度が高く、医療術士も術士としては数が少ない貴重な人材である。だが、冒険などで度重なる危機を経験して、絶対的な防御力だけでは万一の時に取り返しがつかない事態もあると考え始めていた俺は、対費用効果コストパフォーマンスは無視して、とにかく効果の高い治癒術の開発を行っていたのだ。安定して高い効果の望める術式が完成したのは、わりと最近だったりする。

「しかし、情報が少なすぎるな。魔獣があとどれだけの数いるのか。他にも銀板魔導回路アルジェントゥム・タブレットが仕掛けられているのか……」

「今なら飛行系魔獣も少ないですし、私が偵察してきましょうか?」

「可能なのか? 危険に思えるが……」

「危険ではありますが、戦闘にならないよう一回りだけして帰ってくれば大丈夫だと思います。最大速力で飛べば、例え大鷲魔獣であっても私を捕捉することはできません」

 力強く胸を叩き、自分で盛大にむせてしまうサライヤ教授。些か不安はあるが、彼女に見回りをしてもらえれば現状把握が格段に進む。

「よし、やってくれ。魔獣の出現状況がおおまかにでもわかればいい。そこから召喚陣の設置場所に見当をつけたい」

「ええ、任せてください!」

 再度、軽く胸を叩いて請け合うと、サライヤ教授は空へと飛び立っていく。


「さて、俺達は今ある情報を元に、議論できるところを話し合っておくか」

「情報が少なすぎると、あなたが言ったばかりですが?」

「それでも、可能性としてなら現状を説明することはできる」

 議論に意味があるのか問うアリエルに、俺はあくまで可能性の話だがと断って、アカデメイアの置かれた状況について仮定を挙げてみせる。


「まずこの事態は、人為的な仕掛けによって引き起こされたと見て間違いない」

 人為的、という言葉に教師陣から驚きの声が上がる。無理もないだろう。これまで平穏に過ごしてきたアカデメイアで、何者かが魔獣を操って害をなしている。その正体もわからなければ、目的も不明なのだ。

「犯人の目的は不明だが、これほどの規模の騒ぎを起こすのには、術士として相当な力量が必要になる。単独なら準一級術士以上の実力者、複数なら三級術士以上が三人は最低でも必要だろう」

「三級術士以上となると、アカデメイア内部の人間であれば教師陣の誰かしら、ということになってしまうね」

 軽い口調で爆弾発言を放つムンディ教授。彼の言葉に、この場にいた教師陣から動揺の気配が伝わってくる。

「あぁ、残念ながら外部犯の可能性は低い。あれだけ手の込んだ魔獣召喚陣では、設置にも時間がかかる。時計塔の屋上などなおさら、目立たないように設置するのは非常に難しい。アカデメイアの内部事情に詳しい人間が、人気が少なく、見回りも来ない時間帯を見計らって行動していたはずだ。そこで確認しておきたいのが、行方のわかっていない教員、それから博士課程以上の学士に関する情報だ。他にも教員・学士問わず術士等級の高い者、特徴的な能力を有する者……わかる限り全て、情報提供をお願いしたい」


 俺の呼びかけに従って、教師陣が行方不明者の一覧表を作成し始める。全ての人間を把握するのは難しいが、そもそも今日アカデメイアに来ていそうか、講義日程などからも絞ることで、アカデメイアに居るはずだが安否確認ができていない人間を幾らか挙げることができた。

 そして、行方不明者一覧表の中には俺の知る名前も幾つか入っていた。


 シュナイド教授、学士ナタニア、それに、ベアード学院長の安否も確認できていないという。他に特徴的な能力を有する者の名簿に、行方不明者として学士リスカが挙げられている。レリィと共に森の調査に出ていた経緯もあって、魔獣との戦闘経験ありというのが特筆すべきところか。ナタニアとの仲も良かったので、もしかしたら二人は今も一緒にいるのかもしれない。


「ナタニア……あの子は少し鈍いところがあります。逃げ遅れたのかもしれませんね……まったく、手間がかかります」

「シュナイド教授も依然として行方不明であるか。本来なら事態収拾の陣頭指揮に当たってもらいたかったのだが……ううむ」

 アリエルは親友のナタニアが行方不明と聞いて、落ち着きなく歩き回っていた。カルネム博士は警備部隊の代表でもあるシュナイド教授が行方不明とあって、渋い表情をして唸っている。リスカのことは、あえてレリィには伝えなかった。この非常事態に、万が一にもリスカを探すと言い出されては困るからだ。今は足並みを揃え、協力して動かなければいけない。


 特にシュナイド教授の不在は学院の治安維持において痛手であり、警備部隊として事態収拾にあたる戦技学科はカルネム博士の指示でどうにか動いている状況だった。

 それでも飛行術式の扱いに長けたサライヤ教授が学院の敷地を上空から観察して、おおまかな状況把握ができるのは非常に助かった。

 偵察から帰ってきたサライヤ教授の報告によると、学院内では人の多い主要施設が優先して多数の魔獣に襲われていることがわかった。おそらく、今も襲撃を受けている場所には建物内に人が居たりするのだろう。

 魔獣の発生分布からすると、どうもアカデメイア内の実験農場で飼われていた家畜や実験生物に幻想種が憑依したものがほとんどらしい。それらが一斉に学院内へ散らばったようだ。

 後は要所の施設付近で不自然に魔獣が固まって存在することから、時計塔の例のように、そこにも魔獣召喚陣が設置されているものと見られた。他にも南門が破壊されており、森から魔獣が侵入したらしい形跡もあったとか。

「聞けば聞くほど面倒な事態だな。南門は速やかに封鎖する必要があるし、魔獣発生の中心地点である農学部近辺も調査して、発生源を突き止めなければ。後は各所に設置されているだろう魔獣召喚陣の破壊も……えぇいっ! やることが多すぎる! 順に潰していくしかないが、優先順位はどうするか……」


 考えている間にも新たな魔獣が召喚されているかもしれない。動くなら早い方がいいだろう。

「あまりのんびり休憩もしていられないな。レリィ、行くぞ。取り敢えず手近なところで、魔獣の発生源とみられる農学部の調査だ」

 そう言ってレリィを伴い農学部施設へ向かおうとする俺だったが、どういうわけかレリィの腰が重く、動こうとしない。

「むー……。気に食わな~い」

「お前、何をわがまま言いだして……」

「だって、あたしは言われた通りにやったのにー、クレス怒るんだもの!」

 膨れっ面でレリィが抗議をしてくる。この忙しいときに面倒なことだ。

「まだ、さっきのことを引きずっているのか? 確かに銀板を潰せとは言ったが、時計塔を破壊するような攻撃するやつがあるか。怒るに決まっているだろう」

「そんなの槍一本しかなくて、どれくらい頑丈な物かもわからないのに! 手加減なんてできるわけないじゃない! なのに、なのに!! 怒るって理不尽でしょ!?」


 いっそのことリスカのことを話して発奮させようかと思ったが、それも激情に任せてどう転ぶかわからないと考え直し、努めて冷静にレリィの説得にかかる。

「あー……わかった、わかった。今回は俺の指示が曖昧だった。幸い、時計塔も内部機構に深刻な損傷はないようだから、誰もお前を責めたりしないし、怒ったのも俺が悪かった。謝罪として何かお前の望む報酬をやるから」

「物で釣ろうって言うの? うーん、どうやらクレスは反省が足りないみたいだね。謝罪に心がこもってない!!」

 思わず頬が引き攣る。この非常事態に、こいつはどうして厄介なわがままを言い出したのか。

「……あんまり度が過ぎる言いがかりは俺も我慢できんぞ?」

「そうじゃないの! そういうことじゃない! あたしは、ただ正当な評価、当たり前の称賛が欲しい! それだけでいいの!」

 頭に血が上り始めていた俺は、怒鳴りつけてやろうかとレリィと目を合わせたところで、ぎりぎり踏みとどまる。膨れっ面をしたレリィは、翡翠色の瞳をわずかに潤ませていた。何故、そこまで感情を昂らせている?

 よくよく思い返せば、ここ最近のレリィは様子がおかしかった。がらにもなく気弱なところを見せて、まるで甘えるかのように――。


 ふと、黒髪の少女ビーチェのことが頭を過ぎる。彼女は感情表現が下手くそで、そのくせ時には苛烈に俺を求める言動に振り回されたものだ。

 レリィはビーチェよりもっと大人であるし、自立した人間であると俺は評価していた。ただ、常にどんな時でもそうだと言い切れるのだろうか? レリィもまた、俺に何かを求めている。彼女の不平不満には、そういうものがあるのではないか?


「はぁ……。お前、わかりにくいやつだな……。つまり、こういうことか?」

 レリィの頭に軽く手を置き、髪を梳くように撫でてやる。

「お前はよくやったさ。俺は理想が高いから、つい要求も厳しくなるが、騎士の仕事としては文句のつけようもない。結果を見れば多くの魔獣を倒し、元凶である召喚陣を速やかに破壊できた。被害は最小限で、迅速に問題は解決された。お前がいてこその成果だ、ありがとう」

「あ、え……? どういたしまして……」

 真っ白に透き通った磁器のような肌に朱が差し、険しかったレリィの表情は柔らかく崩れた。


 俺にはよくわからない。こんなことでいいのか、これで本当に満足なのか。

 働きに見合う報酬は、充分な給金として与えている。特別報酬だって考える、と言ってやった。だがそれでは満足できないとレリィは言うのだ。

 そうかと思えばこんな言葉一つで、どうしてそんな満足そうな顔をするのだ。何も与えていないではないか。

 それが重要なのだろうか。これまで俺がないがしろにしてきた行為、それがレリィにとって――あるいはビーチェにとって――黄金だとでも言うのだろうか。

 もしかしたらそうなのかもしれない。そこに気が付けなければ、俺はまた大切なものを取りこぼしてしまうのかもしれない。


(――反省、だな。俺も――)


「レリィ、落ち着いて聞け。アカデメイアの行方不明者として、ナタニアの他にお前と仲の良かったリスカも挙げられている」

「リスカが……!?」

「すぐにでも探しに行きたいだろうが、リスカ一人を探し出すのは難しい。それよりも先に解決しなければいけない問題が山積みだ。そして結果的には、その問題解決がリスカを救うことにもなるだろう。理解できるな?」

「うん……それは、あたしもわかっているから。クレスが、最善の方法を考えてくれるんだよね?」

「そうだ。だから、力を貸してくれ、レリィ。俺の指示を信じて、動いてほしい。お前なら上手くやってくれると、俺もお前を信じているから」

「…………クレスも、あたしを信じてくれる?」

「二度も言わせるな。……いや、そうだな。何度でも言おう。俺はお前を信じている。だから、お前も俺を信じて力を貸してくれ」

「わかった。あたしもクレスを信じて戦う」

 決然とした表情でレリィは立ち上がる。彼女のご機嫌取りはもう十分だろう。後は行動に移すのみ。

「まずは魔獣の発生源として規模が一番大きい農学部近辺を調査する。戦える者はなるべく同行してくれ。戦力を集中させて一気に制圧する」

 レリィを始めとしてアリエル、ムンディ教授、そしてその場にいた教師陣と戦技学科の学士達まで含めて、意志ある者たちが一斉に頷き立ち上がる。




 爆音が立て続けに響き、攻勢術式が空を飛び交う。遠距離からの術式攻撃が炸裂した後に続いて、レリィが闘気をまといながら魔獣の群れに突っ込んでいく。

 近接戦闘が得意な魔導具で武装した武闘術士達が、こちらの先制攻撃で怯んだ魔獣に挑みかかり次々と撃破していった。

「思っていたよりも苦戦しないで済みそうだな。これならば制圧は時間の問題か」

 高速で撃ち出される結晶の礫が、押し寄せる猛牛型魔獣を狙い撃つ。一発の着弾で魔獣の身体が弾け飛び、灰となって崩れていく。俺は複数の攻勢術式を間断なく放ちながら、着実に農学部周辺の施設を魔獣の脅威から解放していった。

「クレストフ先生がいなければ、こうも簡単に魔獣の排除は進まなかったと思いますけど……」

 空を飛び回り、飛行魔獣を数体撃破したサライヤ教授が、休憩のため地面へ降り立ちながら微妙な半笑いで俺に声をかけてくる。ぎこちない笑顔だが、笑える余裕ができたことは好ましい状況と言える。戦況は圧倒的にこちらが有利ということだ。後は魔獣の発生源を突き止めて破壊するだけである。


「錬金術士殿!! 建物の中にも魔獣が!!」

 カルネム博士から緊迫した声が上がる。建物の中に魔獣がいるのは事前に予測されていたことだ。焦る必要はどこにもないはずだが、カルネム博士の声に呼ばれて建物の中へと突入した俺は、一目で状況を理解した。

「……こいつは厄介だな」

 建物の中にいた魔獣は、それまでの魔獣とは一線を画していた。ぱっと見では馬型の魔獣と大差なく見えたのだが、そいつの姿形は人馬といった方が正確であった。しかも、魔獣のくせに大きな突撃槍と軽装鎧、面兜フルヘルムを装備している。さらには、その魔獣のすぐ後ろには怯えてうずくまる女学生が一人いた。逃げ遅れた戦闘能力のない学士だろう。


 しかし、様子がおかしい。魔獣はこちらを正面に捉えており、気が付いているはずなのだが一向に襲い掛かってくる気配がない。かと言って、全く動かないというわけでもなく、怯えた女学生が俺達に気が付き、助けを求めようと体を動かせば魔獣が行く手を遮り邪魔をする。

「あれはいったいどういう意図あっての挙動であろうか、錬金術士殿?」

「魔獣に何か特別な命令が与えられているのかもしれないな。人間を人質に取って時間を稼げ、とかな」

「ぬぅ……卑劣な!!」

 だが、それは想像でしかない。果たして、魔獣が人質を取りながら戦うなど器用な真似をできるだろうか。何者かに操られているにしても、魔獣の運用としては回りくどく手間ばかりかかる。

「仕掛けて見れば、わかるか!」

 予備動作なしで術式『二四弾塊』を発動。床石を砕きながら湧き出た二十四面体の結晶が、魔獣へ向けて高速で放たれる。不意打ちの結晶弾は魔獣の鎧に食い込むように着弾し、うち数発は防御の薄い部位へも直撃する。途端、人馬魔獣が槍を振りかざし突進してくる。


(……人質を活用しない!? ならば、捕らえた学士をあえて生かしておく意味は何だったんだ!?)

 今のは完全に、攻撃を受けたら反撃をする、といった命令を受けての行動としか思えない。ならばなぜ――という思考は、魔獣の突進によって中断を余儀なくされた。

 目前に迫った人馬魔獣の槍が突如、淡い光を帯びる。

「魔導回路だと!?」

 魔獣の槍に灯った光は間違いなく、魔導回路の軌跡を描いていた。ただ避けるだけでは、どんな追加攻撃に襲われるかわかったものではない。防御は確実にこなす必要がある。

『白の群晶!!』

 あらかじめ世界座標を『宝石の丘ジュエルズヒルズ』の近辺にある『水晶渓谷』に指定した魔蔵結晶を発動し、水晶群晶クラスターの巨大な壁を召喚する。

 魔獣の槍が水晶の壁に激突し、火花を散らすと同時に大きく炎を噴出した。『火吹き』の効果を付与した魔導槍といったところか。直接には打ち合いたくない特性である。


 水晶の壁に激突し、動きを止めた魔獣に反撃を仕掛ける。

『双晶の剣!!』

 壁となった群晶から、剣のように鋭い水晶の刃が二本飛び出して魔獣を貫く。水晶の刃はさらに数を増やし、人馬魔獣の身体を鎧ごと貫き通していく。

 防御からの一転攻勢。これも魔蔵結晶にあらかじめ魔導因子を貯蔵してあるからこそ、間を空けずに術式の連続使用ができるのだった。

「かぁああーっ!!」

 人馬魔獣の背後からカルネム博士の拳打が炸裂し、押し込まれた魔獣に水晶の剣が深々と突き刺さる。魔獣は一度、体を大きく震わせた後で灰となって消滅する。後には穴だらけになった鎧の残骸と面兜、そして魔導槍が残された。


「妙な命令を受けた魔獣に魔導兵装か……随分と物騒になってきな」

 救出された学士に事情を聴くと、魔獣にさらわれた後は建物の中に監禁されていたらしい。逃げようとすれば魔獣に阻まれるが、何もしなければ魔獣は危害を加えてくることもないので、ただひたすら恐怖に耐えてじっとしていたらしい。そういえば、少し前に救出した学士も事情を詳しく聞けば似たようなことを話していた。魔獣は、人間をさらっては場所を移動し、個別に建物の中へ閉じ込めている。

 一方で、魔獣に攻撃をしかければ容赦ない反撃が襲ってきた。それもこちらを殺す勢いでだ。戦意のない学士を捕らえて監禁する一方で、抵抗する人間には容赦がない。このちぐはぐとした魔獣の動きは理解に苦しむ。あるいは、すべて意味があっての行動なのか。

「クレス~。とりあえずこの辺にあった銀色のやつは全部、壊したよー。探索術の使える先生が、もう近くに魔獣の召喚陣はないだろうって」

「そうか、ひとまずこれで農学部近辺は制圧完了だな」


 元々、農学部関連の施設では多数の実験動物が飼育されていた。それらに幻想種を憑依させて魔獣化する召喚陣が設置されており、かなりの数の魔獣がここからアカデメイア敷地内に拡散してしまったようだ。

 農学部付近に留まっていた魔獣を一掃した後には、飼育動物が軒並みいなくなり閑散とした施設が残されていた。ここが事件の起点になったのかと考察し、完全にもぬけの殻となった施設内を徹底的に調べるが、学院内に散らばった魔獣を操作している魔導回路の本体と術者は見当たらなかった。


「この銀板魔導回路アルジェントゥム・タブレット、見慣れない魔導回路が刻まれていますね」

「気づいたかアリエル。こいつはたぶん古代魔導技術の回路構成を転写しているな」

 既にレリィによって破壊された、幻想種召喚の銀板魔導回路アルジェントゥム・タブレットは、詳しく調べて見たところ古代魔導技術の回路構成を転写したものとみられた。その仕組みは謎が多く、いまだに解析しきれていないが、必要な機能の部分だけ丸ごと転写して魔導回路を起動させることはそう難しいことでもない。

「へぇえ、確かにこれは珍しい構成の回路だね。けれどそうすると、お手本となる魔導回路の遺物があるのかな。考古学科でそんな遺物を発見したという研究発表はされていなかったと思うけど」

「ムンディ教授も心当たりがありませんか……。それだと隠れている術者の特定には繋がらないな。召喚陣も完全に独立起動の形式だったし、逆探知も不可能……参ったな。こうなると虱潰しに当たるしかないか」


 手間はかかるが魔獣の発生している場所を一つずつ制圧していくしかない。行動方針を決めて皆に伝えようと俺が口を開きかけたところで、アリエルが突然の報せを告げる。

「ナタニアから手紙が! 送還されてきました!」

 アリエルの手元に突如として、送還の光と共に出現したのは一枚の紙きれだった。手近な紙を破いて、急いで書き殴ったのか、紙きれに書かれた文字は雑だったが、アリエルは迷わずそれがナタニア本人からの手紙であると認めたようだ。

「なんてこと……最悪ですね」

「嫌な反応だな。どんな報せが送られてきた?」

「読み上げますよ……」


『アリエル、それに先輩、すみません。私は動けない状況にいます。問題への対処をお願いします。アカデメイアの敷地内には、複数の魔獣召喚陣が存在しています。銀板魔導回路アルジェントゥム・タブレットの回路構成について情報を送ります。召喚された魔獣はある特定動作を刷り込まれており、人間をさらって分断し小部屋に閉じ込めるという習性を持っています。一度、人をさらうと自分の獲物と決めたように監禁と監視を始めます。五限の鐘が鳴るまでに全ての銀板を破壊して、魔獣の掃討を。時間になればすべての魔獣が動き出してしまいます。そうなれば捕まった人間は一斉に殺されます。シュナイド先生と合流してください。詳細は彼から確認を』


 アリエルが読み上げたナタニアからの手紙。その内容は、半分ほどは既にこちらでも把握していたことだが、残りの情報は俺達も知らない、そして最悪な内容であった。

「一度、捕らえておきながら時間が来たら一斉に殺す……。まさか、生贄を用いた儀式呪法でもやるつもりか……!?」

「もし儀式が成立したら多数の人命が犠牲になります。そればかりか、儀式呪法の種類によっては更なる災厄もありえますね。この文面からすると、ナタニアも魔獣に捕まっているということでしょうか……」

 これまでの魔獣の動きが不自然だったことにも、理由らしきものが見えてきた。しかし、想定されるのはより悪い事態への発展。アリエルもナタニアの安否が気がかりなのか半泣きの顔だ。

「五限の鐘、それが呪法発動の刻限だとすれば、悠長に一つ一つ魔獣の発生場所を潰して回る猶予はない。危険だが、戦力を分散してでも早急に全ての召喚陣の破壊と、魔獣の掃討に当たる必要がある。だが……やれるのか?」


「迷っている暇なんてない。やるしかないよ、クレス」

「そうだねぇ、僕ら教師陣も手分けして魔獣を掃討するよ。ただ、あまり戦力分散しすぎると逆に魔獣を倒す効率が落ちるかもしれない。よく編成を考えた方がいいかな……」

「ムンディ教授! もちろん我々、戦技学科の学士もご協力するのである!」

 レリィは一人でもやる気だ。ムンディ教授は冷静に教師陣と学士達の実力も考えて、カルネム博士と共に最適な部隊編成を組み始める。


「ああ、そうだクレストフ君。とりあえず僕は魔獣討伐に有用なものを取りに自分の研究室へ戻ってみるよ。ついでに周辺の魔獣掃討と、召喚陣などが設置されていないかも調べてこよう」

「ムンディ教授の研究室というと、アカデメイアの敷地でも外れの方にある第十三実験棟……。サライヤ教授の情報によると少ない数とは言え魔獣がそちらから流れて来ているという話も……」

「第十三実験棟の周辺は僕の庭みたいなものだから、あそこへは僕一人で向かうのでも構わないかな」

 ムンディ教授は何の気なしに言っているが、今後、宝石の丘へ一緒に向かってもらわねばいけない身の上。一人で向かわせて万が一のことがあっては困るのだが、本人は至って気楽な様子だ。武闘派ではないと言っていたが、アカデメイアに溢れている程度の魔獣相手ならば退ける自信はあるのか。

「おそらく人目につきにくいことも手伝って、魔獣召喚陣の設置もしやすかったとみられます。幾つか隠されているかもしれません。破壊をお願いできますか」

「うん、任せてもらおう」

「では十分に気を付けて。無理はせず、厳しければ近場の仲間に協力要請を」


 編成が次々に決められていくなか、その部隊編成に加わらず、動こうとする者もいた。

「私は……ナタニアを探します。魔獣のいるところ、一つでも多く回って、助け出さないと」

「一人では危険です! 私もお供しますわ!」

「そっすよぉ、アリエル先輩! 俺も一緒に行くっす、ナタニア先輩の救出作戦、燃えるぜぇ!」

 思い詰めた様子のアリエルに、ブリジットとガストロが協力を申し出る。学士だけの編成となるがそこそこの戦闘能力を持つ三人であるし、遊撃班として考えれば別段問題はなさそうだ。


「全員、臆することなし、か。いいだろう。俺とレリィはそれぞれ、魔獣の多い場所から順次攻略していく。他の者は無理せず、担当場所を制圧。余裕がある場合のみ、他の区画の援護へ移ってくれ。サライヤ教授!」

「は、はい! なんでしょう?」

「あなたは俺と一緒に来てほしい。まず破壊された南門を塞ぎに行って、それから学院長室のある中央研究棟へ移動だ。その後は戦闘ではなく、連絡係として動いてくれ。言うまでもなく飛行系の魔獣が飛び交っている。そいつらは他の飛行術士が対処しつつ、サライヤ教授に情報を集約。各区画で魔獣を掃討し、魔獣召喚陣を破壊したら空に向かって合図を送る。そうしたら、サライヤ教授はアカデメイアに残る魔獣の分布状況を随時、信号術式で伝えてくれ。時間があまりない。各部隊の制圧目標が無駄に重ならないよう、効率的な連携行動で魔獣を駆逐するぞ」

「せ、責任重大ですね。でも、頑張ります!」

「よし、それじゃあ、この場にいる全員に補助のため虹色水晶を配布する。魔導因子を貯蔵しただけの魔蔵結晶だが、これがあれば術式の連発も可能になる。うまく使えよ!」

 飛行術士の何人かに、ゲストハウスの金庫へ取りに行かせていた虹色水晶を全員に大盤振る舞いする。大きな出費ではあるが、非常事態ゆえに出し惜しみはなしだ。それに、全て解決したらアカデメイアに請求すればいいことである。


「準備はいいか! これよりアカデメイアに大量発生した魔獣の掃討作戦を開始する! 刻限となる、五限の鐘が鳴るまでに作戦を完遂させるんだ!」

『おおぉーー!!』

 誰からともなく大きな喚声を上げて、拳を握り空へと突き上げた。そして各々に割り当てられた場所へ、魔獣掃討に向かうのだった。

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