第247話 鐘の音は二度鳴る
首都から戻る飛行船の中、窓から見る外の景色は厚い雲と霧に覆われていて視界が悪い。時折、激しい雨が窓を打ち、遠くで雷の音が鳴り響いている。
魔導飛行船は強風、豪雨、雷などの対策は万全に施されており、航行には全く支障がなかったが、空からの景色を楽しみにしていた搭乗客には残念なことだろう。
もっともアカデメイアに帰還する学士達は、術士等級が昇格したことの興奮と、首都での思い出話を互いにお喋りすることに夢中で窓の外の景色など気にしている者はいなかった。
「あ~あ、天気悪くて外の景色がつまらないね。がっかり……」
唯一の例外はレリィだが、天候が悪いおかげか静かなのは良いことである。今は一等客室で疲れて眠っているアリエルの髪を弄りながら、未練がましく窓の外をちらちらと眺めている。
「ところで、クレストフ君。『風来の才媛』とは連絡を取れたのかい?」
「ええ、彼女も多忙ではありましたが、今日から十日後であれば同行可能と回答が来ました」
俺は『風来』から送還されてきた手紙をムンディ教授に見せる。あの女らしく、手紙の内容は走り書きもいいところで、出発可能な日時ぐらいしか書いてない。だがそれでも、あの女がこうして文面で保証している以上、俺達がこの後どういう予定で動こうとも、予定通りにどこからともなく現れて旅路に同行するだろう。
「……それにしても秘境『
「いや、無理ですって。危険生物も多いですから、ムンディ教授、死にますよ」
かなり本気の調子なムンディ教授に俺は一応、釘をさしておく。この人なら本当に残ると言い出しかねない。
今回の旅路では一人の犠牲者も出さないと決めているのだ。いくら本人の意思とは言え、死地にムンディ教授を一人残してくることはできない。
(……いずれにしても、もうすぐだ。『風来』の能力があれば、かなりの高確率でビーチェを捕捉できるはず。後は、異界に呑み込まれないように注意しながら連れ戻せるか否か。きっと、取り戻して見せる――)
一度は失った幸福を取り戻す時がきたのだ。本当に大切なものは何か知ったのだから、今度こそ間違えることはない。嵐の渦中を突き進む飛行船の中で、俺は密かに決意を固めていた。
グルノーブル郊外の飛行船発着場に着いた俺は、吹き荒れる風雨の強さに顔をしかめた。
「ひどい天気だな。さすがにこのまま行くとずぶ濡れになる」
首都への長期滞在をしてきたこともあり、学士達は自前の雨具を着込んでいた。俺も召喚術で自分とレリィの分の雨具を取り寄せる。ムンディ教授も子供用の雨具を用意して着替えていた。アリエルがムンディの白衣の裾をたくし上げ、雨具の中へと収めているのが何とも微笑ましい光景だ。
「準備ができたなら行くぞ。アカデメイアへ凱旋だ」
嵐の中の帰還であったが、学士達の気分は高揚しており、「おー!」などと風雨に負けず声を張り上げていた。
天候は最悪。それでも皆の足取りは軽く、いい歳をした学士達が子供のように走り回っている。
「クレストフ先生! クレストフ先生!」
雨具のフードを目深に被った学士の一人が、はしゃぎながら大声で話しかけてくる。
「アカデメイア入学一年で六級術士になれるなんて、思ってもみなかった! 入学できたことで精一杯のつもりだったけど、まだ上があるんだって、自分も高みへ登れるんだって、わかった気がする! ありがとうございました!」
声の調子からも、どの学士かわからなかったが喜びと感謝の気持ちが素直に伝わってくる。
そんな学士を見て触発されたのか、他の学士も次々と己の気持ちをさらけ出して叫ぶ。
「術士等級もっともーっと上げて、稼ぎまくってやるー! うちの家族も楽させてやるんだからー!」
「私だって、まだまだ上を目指しますわ! いつかクレストフ先生にも並ぶ、偉大な術士になることを目標に!!」
「あー、俺もそろそろ本気出すか。いや、まじまじ。自分の可能性に目覚めた感じー?」
「やればできる! 可能性は無限大! それを私達は示したんだーっ!!」
いつもならば街中を大声で叫びながら練り歩くなど許されないが、今日ばかりは嵐に遮られて声も通らないため、彼らを注意する者はいないし俺も止めはしない。
そんな光景をレリィは楽し気に、ムンディ教授は穏やかに、アリエルは呆れた表情をしながら見守っていた。
やがて、アカデメイアの正門へと差し掛かり、学士達は意気揚々と門をくぐって帰還する。
俺とレリィ、アリエルとムンディ教授がそろって門をくぐった時、遠くから時計塔の鐘の音が聞こえてきた。今の時間帯からすると二限目の終わりを告げる鐘だろうか。風雨の音に紛れて聞こえにくいが、腹に響くような重低音が二回だけ鳴り響いた。
「…………二回?」
「二回、でしたね……」
俺が妙な違和感を覚えてぽつりと呟けば、隣にいたアリエルも不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
講義の区切りを告げる刻限の鐘ならば鳴るのは四回だ。二回で途切れるのは、アカデメイアに何らかの危険因子が入り込んだことを報せるときに限られる。
もしかしてまだ、正門の検知術式は改善されていなかったのか。聞き間違いでなければ、防衛機構が働いて
「おぉい! 学士共!! 正門の検知術式が誤作動を起こしたかもしれない! 一旦、こちらへ集まれ! 戻ってこい!」
俺の言葉に学士達は理解が追い付かないながらも、俺を中心として集まってくる。そうこうしている内に
「ねえ、クレス! あの影、空のやつ、サライヤ教授達じゃないよ! 羽とか生えているし!」
「なに?」
飛行術士かと思ったのだが、様子がおかしい。レリィの言うように不自然な姿形をしている。激しい雨でよく見えていなかったが、人間にしては確かに図体が大きいように見える。それに――。
「首がない!?」
こちらへ飛んできていたのは警備の飛行術士ではなかった。強いて言えば首から上のない蝙蝠のような、真黒い異形の存在。まともな生物ではない。体に対して随分と大きい鉤爪のついた脚が、獲物を捕らえる予備動作でもしているのか、握ったり開いたりを繰り返している。
「まずいな、あれは――。レリィ、武器を持て!」
「え!? 今、手元にないんだけど!」
「すぐに創る!」
懐から六角水晶の魔蔵結晶を取り出し、術式発動の思念を込めてレリィへと投げ渡す。
(――組み成せ――)
『六方水晶棍!!』
小指ほどの大きさだった六角水晶が、一瞬で巨大な水晶の棍棒へと変化する。先端は槍のように尖り、雨に濡れた水晶がぎらついた輝きを見せる。
レリィは空中で水晶棍を掴むと、空から迫り来る異形に向けて戦闘の構えを取った。
「クレス、あれってまさか?」
「ああ、あれはどう見ても――魔獣だ」
近づいてきた異形の怪物を見て、学士の誰かが叫んだ。
「魔獣だーっ!?」
もう少し、全員がこちらに集まってから気が付けばよかったのだが、制止する間もなく学士達の間に混乱が広がる。一部の学士は空の魔獣に気を取られて方向感覚を失い、俺がいる場所とは反対の方向へ走ってしまう。
集団からはぐれた人間をあえて狙うかのように、空飛ぶ魔獣も方向転換しながら降り立ってくる。急降下して逃げ惑う学士を背中から襲い、掴み倒して体の上にのしかかる。
「きゃぁあぁーっ!! いや、いやぁーっ!!」
魔獣に捕まった女学生が悲鳴を上げて暴れるが、がっしり腰と頭を押さえつけられて身動きを封じられてしまう。自力ではとても逃げられないだろう。
レリィがすぐさま駆け出して救出に向かっていたが、今にも潰し殺されそうな状況だ。
俺は魔導回路の刻まれた
(――削り取れ――)
遠くにいる魔獣の身体を打ち砕く思念を込めて、術式を発動する。
『
地面から湧き出た二十四面体の結晶が多数、勢いをつけて飛び出し、次々と蝙蝠魔獣の身体に激突した。魔獣の身体はかなりの強度があるようだったが、連続で衝突してくる結晶に体勢を崩し、そのまま怒涛の如く放たれる二十四面体結晶に身を削られていく。
――ギィイイイッ!!
怒りの咆哮を上げて踏ん張ろうとする魔獣であったが、途切れることのない結晶弾の嵐に怯んで硬直していた。
「やれ!!」
「やぁあああっ!!」
俺が攻撃を仕掛けているうちに間合いを詰めていたレリィが、水晶棍に闘気を込めてぶん殴る。翠色の閃光が衝撃波と共に迸り、レリィの一撃を受けた魔獣が
降りしきる雨、水煙の中で悲鳴があちこちから上がっていた。別の蝙蝠魔獣は学士の一人を捕まえると、羽をはばたかせて空へ舞い上がろうとしていた。
「浚うつもりか!? 何の目的で――!!」
あらかじめ魔導因子を貯蔵してある結晶を複数取り出し、そのうちの一つを今まさに学士を連れ去ろうとしていた魔獣に向けて放つ。
蝙蝠魔獣の胴体からどす黒い体液と蒸気があふれ出し、地面へ灰となって崩れ落ちる。
「離して! 離してよ! このっ!」
また一人、学士が蝙蝠魔獣に捕まる。レリィも応戦しているが、学士も魔獣も数が多く手が回りきらない。次から次へと魔獣が空から飛んでくると思えば、今度は地上を走り迫ってくる
既に魔獣と交戦状態にあるレリィを敵性対象とみなしてか、次々に剣と槍をもって斬りかかっていく。
学士と魔獣が入り混じった状況では、火力に任せて敵を薙ぎ払うわけにもいかない。徐々に、追い詰められていくのがわかる。
『
拳大の石が空を切り、学士を捕まえていた魔獣の腹に四つ、五つと石の弾丸を撃ち込んだ。それだけでは魔獣が倒れることはなかったが、わずかに怯んで動きが止まる。
「食らいなさい! この汚らわしき魔獣め!!」
ブリジットの攻撃は魔獣の注意を惹くことには成功していたが、威力が足りずに倒しきれないでいた。やがて、魔獣の注意は捕らえていた学士ではなくブリジットの方へと向かう。石弾を何発も受けながら、魔獣はついにブリジットへと向かって歩き出す。いくら攻撃を加えても倒れない魔獣を前に、ブリジットにも焦りの色が見え始めた。
「ブリジット、いたずらに魔獣の注意を惹くのではなく、一撃で屠ることを考えなさい」
苦戦するブリジットの横にアリエルが歩み出る。
アリエルは眉根を寄せて額に皺を作り、魔導因子を集中させながら召喚術の意識制御を行う。
(――星界座標、
額から頬にかけて刻まれた魔導回路が発光し、アリエルの両の瞳が天空に散る星々の輝きを映し出す。
『天使の
ブリジットの術式に追い打ちをかけて、アリエルによる召喚術が魔獣へ向かって放たれる。宇宙の彼方、星界にある土星輪環より召喚された氷の粒が、魔獣の身体へ吸い込まれるようにして飛んでいき無数の穴を穿つ。一瞬で穴だらけになった魔獣はその場に立ち尽くしたまま灰となり、雨に流され汚泥となって消え去った。
「アリエル君、いつの間にか戦闘技術の腕まで上げていたようだね。僕も負けていられないな」
ばしゃり、と水音を立ててムンディ教授が学士達を守るように、魔獣の前へ立ち塞がる。ムンディの手には一冊の本が開かれていた。茶色い革表紙を金枠と鋲で補強し、本の表紙から中身までびっしりと魔導回路を刻み込んだ魔導書である。雨をものともせずに弾くその本は、ページの一枚一枚が魔導加工を施された金色羊の羊皮紙だった。魔導回路の基板としての特性に優れ、術式発動による負荷に対する耐久性も高い一級品の魔道具だ。
(――異界座標、『逆転の渦』に接続開始――)
金羊毛の魔導書が黄金色に光輝き、雨滴の一粒まで照らし出す。
『異界法則、日還りの旅……』
ぼそり、とムンディ教授が術式発動の
「ふぅ~ん、なるほどね。これが素体か。魔獣と化したのも一日と遡らない時間の内とはね。これだけの数の魔獣が一日で生まれたのだとしたら、生半可な事態ではないようだ」
蝙蝠の死骸を見て、ムンディが何やら一人で納得している。俺もまた魔獣の素体となったであろう蝙蝠の死骸、そして魔獣が一日の内に生まれたというムンディの言葉に興味を惹かれたものの、迫り来る魔獣と銅人形を前にしては悠長に構えてもいられなかった。
(――見透かせ――)
『魚の広角眼!!』
右耳に着けた耳飾り、
「おらおらぁっ!! 魔獣だか何だか知らねーけどよっ!! 獣が人間に喧嘩売ってくるとか舐めてんじゃねーぞ!! 食らいやがれ俺の『鋼球弾』!!」
雨に濡れても形を崩さない鶏冠頭を怒らせて、ガストロが拳銃型の魔道具を取り出し、轟音と閃光を発して鉄の球を打ち出す。火薬を使った平凡な拳銃に比べ、球も射出力も大きいそれは蝙蝠魔獣の胸を撃ち抜き、見事に心臓を破裂させて撃墜していた。ある程度の自衛を学士ができるのなら、俺もまた攻撃に専念できるので助かる。最初こそ、急な襲撃でうろたえていた学士達だったが、何匹か魔獣が倒されると冷静になって自分なりの防衛術式で反撃に移り始めていた。
「一気に掃討するぞ! 巻き込まれたら運が悪かったと思え!!」
懐から
(――貫け――)
『血塗れの棘!!』
地面の土や石の原子組成を瞬時に組み換え、大地から赤く鋭い結晶針を無数に生やす。結晶針は地表付近にいた魔獣を下から串刺しに貫き、さらに空中を飛んでいた蝙蝠魔獣に向けて射出された。大きく広げられた羽を突き破り、魔獣が墜落したところで大地から結晶針をすかさず生やして地面に縫いとめる。
結晶針は全方位の魔獣に向けて放たれ、この一撃で視界にいた魔獣はほぼ全て殲滅されていた。幸いなことに学士を巻き込むことはなかったのだが、一部は魔獣との争いで怪我を負っていた。
銅人形の
「レリィ、ご苦労だったな」
「ごめん、人形相手に手こずっちゃった。皆は大丈夫なの?」
「とりあえず人数を確認しているところだ」
俺は警戒を厳重にしながら、ひとまず学士達の無事を確認していた。何人か軽い怪我をしてはいるが、重傷者や浚われた者はいなかったようだ。
「普通では考えられないことが起きている。アカデメイアはどうなっているんだ……?」
ムンディ教授を含めても俺の疑問に答えられる人物など、この場にいない。まずは状況を把握できているアカデメイアの人間を探して確かめなければいけない。俺たちが首都に行っている間に、いったいアカデメイアで何が起きたのかを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます