第246話 時の流れは乖離して
「ムンディ老師!」
「おや、アリエル君。ようやく審査が終わったのかい。君で最後だよ」
魔導技術連盟本部の一室で、学士二十名ほどと待機していたところに、等級審査の受験組、最後の一人であるアリエルが戻ってきた。
審査を終えて戻ってきた学士達はいずれもやり遂げた様子の良い表情をしており、それはアリエルも例外ではなかった。
「その様子だとうまくやれたようだね。結果が楽しみだ」
「……あまり期待をかけないでください。色々と重たいです」
自信があるように見えたのだが、やはり不安は拭い切れないのだろうか。
「今更、足掻いても仕方ないだろう。変えようのない結果を思って気分が沈むのも馬鹿らしい。学士諸君、これより審査の結果発表まで、一週間ほどの猶予がある。その間は自由行動だ! 各自、宿泊先で荷物を整えたら好きに首都を見て回って来ていいぞ!」
俺の解散宣言に学士達から歓声が沸き上がる。言うが早いか、学士達は次々に部屋を飛び出して行った。
アリエルもようやく肩の荷が下りたといった雰囲気で、密かに緩んだ表情で溜め息を吐いていた。
「さて、僕達も行こうか、クレストフ君。……アリエル君はどうする? 一級術士の邸宅を見学できる滅多にない機会だけど」
「私は疲れたので、宿で休ませてもらいます。それに、一級術士クレストフ・フォン・ベルヌウェレの邸宅と言えば、首都では観光名所の一つにもなっている宝石御殿のことでしょう? 私は興味ありません」
「ここ最近はかなり根を詰めていたからな。ゆっくり休むといい」
心底から興味なし、といったアリエルに俺は苦笑しながらも、これまでの努力を労ってやった。アリエルはのそのそと自分の荷物をまとめると、ぐったりとした猫背のまま部屋を出て、一人で宿泊先へと向かっていった。
「ではムンディ教授、例の場所へ案内します。同行をよろしくお願いします」
「うん、楽しみだ。実に興味深い。ついに僕も秘境への旅路、その一端に触れるのだね」
「……あまり面白いものではないんですがね」
自分にとっては苦い記憶の象徴だ。今なお心を苛むそれと再び向き合わねばならないことは、相応の覚悟を求められた。
「途中、騎士協会でレリィを拾ってからになりますが」
「構わないよ。彼女もまた旅の同行者になるのだから。認識は共有しておきたいね」
ついにレリィにも、真実の全てを明かすときが来た。命の危険がある宝石の丘への旅路を前にして、説明しないわけにはいかないだろう。
俺の邸宅、結晶工房の地下にある『黒猫の陣』。その真実について。
久々に首都の邸宅へと戻ってきた俺は、黒猫の陣について最近の様子を確認するため、管理を任せていた黒猫商会の商人チキータに連絡を取っておいた。俺とムンディ教授、そしてレリィが邸宅へ到着する頃には既に、門前に黒い毛並みの猫人チキータが立っていた。
「にゃ、にゃ。お久しぶりでございます、クレストフ様。実は急ぎ、お知らせしたいことがあります……」
黒いスーツに身を包んだチキータは、緊張した面持ちで開口一番に不穏な発言をする。
「何かあったのか?」
「まずは黒猫の陣を見て頂けますかにゃ……」
チキータに促されるまま、久しぶりに黒猫の陣がある地下室へと俺は向かった。
「黒猫の陣、って。食糧庫だよね、確か……ええっと、何か訳ありの……」
地下室へと向かう途中、レリィが遠慮がちに尋ねてくる。そういえば一度、レリィはあそこから食料を持ち出したことがあった。その時は理由を伝えもせずに叱責してしまったが、今思えば悪いことをしたと思う。
「お前にはきちんと話したことはなかったな。ビーチェという娘のことについて」
「あー……その子と関係あるのかー。確か、吟遊詩人の歌に名前が出てきたよね? 『魔眼のビーチェ』って呼ばれてた。あと、旅の記録をした
意外にもレリィが事情をよく知っていることに俺は驚いた。吟遊詩人というと、カナリスの街にいた語り部のリラートのことだろう。あの烏人は
それに、氷炎術士メルヴィオーサの
「……その通りだ。そして、俺はビーチェを彼の地に残したまま帰還してしまった。だが、あの娘はまだ生きている。その証拠に、宝石の丘攻略のために用意した召喚陣『黒猫の陣』から、定期的に食料が召喚され消えている。この陣から食料を召喚できるのは、俺とビーチェの二人だけ……」
「なるほど、それで生存が確実視されているわけだ、その娘は。そして、これから宝石の丘へ再挑戦するということは――」
「そのビーチェって子を探し出して、連れ戻すのが今度の旅の目的ってことだね?」
ムンディとレリィがそろって理解を示す。色々と細かい背景はあるのだが、説明せずとも理解してくれるのはありがたい。
「あぁ。今日、黒猫の陣を見に来たのも、旅立ちの前にビーチェの生存を再確認するためだったんだが……」
陣の管理を任されているチキータは、黙って黒猫の陣へと向かっている。嫌な予感がした。しばらく俺が本拠地を離れている間に、何かがあったのだろう。
それも、俺が直接に確認しなければ判断できないような何かが。
邸宅の隅にある目立たない階段を下りて、地下室への扉を開ける。
階段を下りた先は殺風景な倉庫のようになっていて、床には巨大な魔導回路が刻み込まれ、送還用の陣が敷かれている。陣の中央には水や食糧、資材が山のように積み上げられていた。ガラス瓶に小分けされた飲料水、パンや干し肉、乾燥芋に乾燥野菜、密封瓶にたっぷり詰まったジャムなど、そこに保管されている食品はどれもこれも日保ちするものばかりだ。
ここには定期的に、ビーチェが必要とするだろう食糧や資材を搬入していた。今もちょうど、黒猫商会の人員が荷物を下ろして、陣の中心へと運んでいた。
そんな作業をしている最中に、突然、食糧の入った箱が光の粒となって消失する。その光景にレリィは驚き、ムンディは興味深げに眺め、俺はほんの少し安堵した。
(……まだビーチェは健在という証。チキータは何を俺に見せたかったんだ?)
そう思って黒猫商会の面々を見ると、彼らは俺達とはまた違った反応を示していた。荷物を運んでいた人間達は一様にうんざりとした表情で、「またか……」「これで何度目だ?」などとぼやいていた。
チキータは彼らよりもさらに憔悴した様子で、消えていく物資を見つめている。
「チキータ、黒猫の陣はどういう状況に――」
俺がチキータに問い質そうとした瞬間、再び黒猫の陣から光の粒が立ち昇った。
再びの召喚が終わった直後、チキータが口を開く。
「にゃ。御覧の通りです。ここのところ、召喚が頻繁に行われているのです。その回数が日に日に増えておりまして……」
立て続けに召喚が行われたのは、今さっき召喚したものが気に入らなかったのだろうか? もしかして、ビーチェが食料品の種類に飽きてやたらと召喚しているとか? だが、俺の考えはチキータの説明によってすぐさま否定された。
「クレストフ様がアカデメイアへお出かけする前は、週に一度程度の頻度だったのですが。最近は日に二度ほど。特に水や主食のパンなど同じ物資を何度も召喚されることが多くなっていますにゃ」
「何が起こっている?」
「私には、わかりかねますにゃ。以前までは、ビーチェ様も成長期だからと考えていたのですが、食糧の消費があまりに早すぎるのです」
食糧の消費が早くなっている。それも異常なほどに。
「いつからだ……いつから、そんなに早く減り続けていた?」
「はっきりと境があったわけではなく、徐々に早くなったとしか……にゃぁ、お役に立てず申し訳ありません」
少女一人の食糧消費の速度にしては早い、ましてや時間の流れの遅い異界の狭間にいるのであれば、ありえない消費速度だ。だとしたらビーチェは、いつの間にか異界の狭間から抜け出していたのか? そして少女一人の消費と思えない、この食糧の減り方はいかなる理由なのか。
これが何を意味するのか、俺は混乱の中にあった。どうにも嫌な予感が頭を過ぎるばかりで考えがまとまらない。
ふとあることを思い立った俺は、探索用の魔導回路を取り出す。
手の平で包める程度の大きさの水晶玉。表面から内部にかけて複雑な魔導回路が刻み込まれている。水晶玉を床に置くと、その周囲を虹色水晶で囲むように配置し、滑石で床に簡易的な魔導因子の
(――求めるものを探せ――)
水晶玉に意識を集中して、魔導因子を流し込む。探査術式の対象はビーチェに預けた番号座標。探査範囲はひとまず『
「探査範囲に反応なし。そう甘くはないか……」
単純に現世へ戻って来ているというわけではないのかもしれない。
「ムンディ教授。正確な答えは求めない、可能性だけの話でいい。今、何が起こっているのだと思う?」
それまで沈黙を保っていたムンディ教授に話を振る。おそらく、研究者として正確性に欠ける迂闊な発言を控えているだけで、ムンディの頭の中では幾つもの仮説が立てられているはずだ。
ムンディは幼い少年姿には似合わない複雑な表情を浮かべながら、人差し指を顎にかけて思案しつつ慎重に言葉を発する。
「……食料の消費量が増えていることに関して、単純に食べる量が増えたというのも可能性としては考えられる。が、そうでない場合も予想される。食べる量が増えたのではなく、食べる機会が増えたという可能性だよ。一度になくなる食料の量や種類には変化がなく、召喚される頻度が上がっているとすれば、もしかすると召喚者側の時間の流れに変化があったのかもしれないね」
「時間の流れに……? 確かに異界の狭間では時間の流れが現世より遅れることもあったが、今は加速していると?」
「時の流れが加速したということは、異界の狭間から現世に近づいたか、あるいは別の異界……現世より早い時間の流れに巻き込まれた可能性がある。だとすれば一刻の猶予もないね、放っておけば異界に居る『彼女』は寿命で死んでしまうよ」
これまでは時間の流れが緩やかな異界の狭間に囚われているという確信から、少なくとも時間的な要素でビーチェが死に至る不安はなかった。だが、考えが甘かったのだ。異界において時の流れは必ずしも減速するだけではない。ビーチェが異界の狭間を移動すれば領域によって時間の流れ方は変化するし、何かの拍子に異界そのものの質が変わることさえあるかもしれない。
「すぐにも宝石の丘へ向かわなければ――」
慌てて地下室の階段を駆け上がろうとする俺の前に、腕を広げたレリィが立ち塞がる。
「クレス! 落ち着いて! 今すぐはどうしたって無理でしょ。旅の用意は必要だし、ムンディ教授だってまだ準備できてない」
「旅の荷物など後から召喚すればどうにでもなる! 状況は既に大きく変わってしまった。時間がないんだぞ!?」
「落ち着きなさーい!!」
「ぐぉっ!!」
レリィを押しのけて階段を上がろうとしたところ、後ろから首に腕を回されて引きずり倒される。そのまま後頭部を胸元に抱き寄せられ、がっちりと首元から固められてしまう。
「『風来』さんだって、今は連盟に居なかったんでしょ? 探索の
「…………あぁ、無理だな。無理だ」
知らず内に昂っていた感情を静め、俺は息を整える。ここは冷静にならなくてはいけない。選択を誤れば取り返しがつかない。
迅速に、しかし正確に、最善の選択肢を選び出していかねばならない。その為にも、『風来の才媛』とムンディ教授の協力は必須だ。
「すまないね、脅かすつもりはなかったんだけど。ひとまず、食糧の消費状況を調べてみようか。そうすれば、およその時間経過に予測がつけられるかもしれない。ま、それだって何か別の要素が混じっていれば良いか悪いかも判断はできないんだ。結論を出すのは早計だし、今は最善の道を探すのが賢明というものさ」
その後、チキータから詳しい話を聞いた限りでは、召喚の頻度は確かに増えているようだが次第に一定間隔に近づきつつあることもわかった。単純に一人分の食糧消費で換算して、ここ四ヶ月ほどで一年分の食糧が消えたらしい。直近の一週間における頻度だけで見れば、三ヶ月分が消費されていた。
一ヶ月が約一年に相当するとして、直ちにビーチェの寿命が尽きることはないが、それでも宝石の丘までの道を踏破することとビーチェ探索にかかる時間を考えれば、無駄に時間を費やすことはできなかった。
「では、等級審査の結果が出た後、アカデメイアに戻って報告が済んだら
「いいよ。アリエル君もここまで育てば文句はないし。急ぐ事情もあるからね」
「『風来の才媛』には予め協力要請を出しておきます。宝石の丘へ向かう時が来た、と」
彼女も多忙な人間だ。日程が定まらなければ、他の仕事がどんどん舞い込んできてしまう。ここらが決め所だろう。
(……ビーチェ、もうすぐだ。お前の元へ、迎えに行くぞ……)
改めて黒猫の陣を振り返り、俺は決意を新たにする。ふとレリィと目が合えば、頼もしい相棒は力強く頷いてくれる。
今度こそ、俺は俺の『幸福』を取り戻す。
七日後、術士の等級審査の結果が発表された。
結果的に学士達は全員が六級合格。ブリジットに至っては飛び級合格で五級に昇格していた。俺のような例外を除けば、八級術士から五級術士への昇格は一般的に見てかなり珍しいことだ。ブリジット本人も興奮しており、学友やアリエルにまで抱き着いて喜んでいた。
「クレストフ先生! 私、やりましたわ! これも先生のご指導のおかげです!」
さすがに俺にまで抱き着いてくることはなかったが、両手を取ってぶんぶんと振り回し、感謝の気持ちを伝えてくる。
そして今一人、アリエルも無事に四級術士へと昇格していた。
審査官からは博士課程修了時にはぜひ研究成果の論文を連盟に送ってほしいと言われたそうだ。内容次第で三級術士への昇格がありうる、と。
四級の審査で見た限りにおいて、アリエルの実力が既に三級術士と比べても遜色ない水準に見られたのだろう。
そもそも四級術士の等級審査では、独創的かつ有用性の高い術式を『扱える』ことが合格の基準となる。しかし、今回のアリエルはその上を行った。魔導因子の消費を極力抑えた、不完全召喚術式の基礎魔導回路理論の構築。また、その実践として独自の魔導回路の『作成』まで。
論文として公開するのなら、公共に広く寄与する成果として三級術士の仕事に相当する、と今回の研究は認められたのだ。
ここまではっきりと連盟から評価を受けられたのなら、博士課程を無事修了する頃には連盟から三級術士の認定を受ける可能性も高い。
「アリエル君、よく頑張ったね。クレストフ君も、期待以上の成果だよ。ありがとう」
「私が本気を出せばこの程度、造作もないことです。聞きましたか、講師クレストフ。これはもう三級昇格も約束されたようなものです。もう、あなたの指導など必要ないのです」
ない胸を張って、アリエルは精一杯に自分の成果を主張してみせた。そして、傲慢にも思える台詞とは裏腹に、どこか寂し気な様子も見て取れた。
わかっているのだろう。俺もそうだが、ムンディ教授も今日から、アリエルを導いてはくれないことを。研究室を引き継いで、一人で歩みを進めていかなければならないことを。
「……そうだな。もう俺の指導は必要ない。これから先はお前自身が考えて、好きなようにやるといい」
激励の気持ちを込めて、アリエルの小さな肩を軽く叩く。
「なんですか……気持ち悪い反応ですね。そんな、まともな教師のようなこと言って。やっぱり、タラシ男です……」
珍しく顔を赤くして反応したアリエルは、照れ隠しのつもりなのか毒を吐きながらそっぽを向く。
それでも、肩に置かれた俺の手を払うようなことはしなかった。最後の最後で教師と教え子としての信頼関係を築けたのかもしれない。
「いつまで触っているのですか、変態教師。いい加減にこの手を離しなさい。このような手管で、いったい何人の女学生を毒牙にかけてきたのですか?」
感慨に耽っていた俺の手は、アリエルに容赦なく払われる。
信頼関係が築けたと思ったのは、俺の錯覚だったのだろうか……。
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