第243話 広く静かに手を広げ
その日の講義が終わった後、俺は学士ブリジットから奇妙な相談を受けていた。セミロングの金髪を指に絡め、毛先を弄りながら深刻な表情で彼女は悩みを口にする。
「私、どうも皆さんから意図的に避けられていますの」
相談内容を初めて聞いたとき、俺には一つ心当たりがあったので深く考えずにこう返した。
「お前、それはな。あんなことがあったら、声をかけづらいだろうよ。事実、俺もどう声をかけたものか困っていた」
「クレストフ先生もですの!?」
「まあ……本人が気にしていないなら、俺も遠慮する必要はないわけだが」
「気にしています! 私の裸を見た責任は取ってくださいまし!」
「うるさい! お前こそ、お前がしでかした事の責任を取ってから、そういうことは言え!」
実のところ先頃のブリジットが召喚した
幸いにも全裸に剥かれたのはブリジットくらいなもので、被害は数人の女学生が服の一部を溶かされた程度に終わっている。騒ぎを聞きつけたレリィがすっ飛んできて闘気を込めた一撃をくらわせ、怯んだところで俺が銀鎖の術式で縛り上げ、ナタニアとアリエルの二人が触手茸を元居た場所へと送還したのだ。
被害こそ軽微だったものの、女学生達に与えた心理的苦痛は大きく、監督責任がどうのこうのと学内警備担当のシュナイド教授にネチネチ小言を言われてしまった。
「こ、こほん。それはさておきまして……」
わざとらしい咳払いで論点を逸らしながら、ブリジットは話を続けた。
「あなたのように、こうして私から声をかけて返答くださる分には問題ないのです。しかし、私が声をかけても見向きすらしないのは、さすがに悪質だとは思いませんか?」
「あからさまに無視されている、と?」
学内での人間関係に口出しするのは面倒なのだが、原因がもし前回の講義で起きた事故にあるのだとしたら、俺としても放っておくわけにはいかない。確かにブリジットは大きな失敗をしたが、それは学習と経験を積んでいくなかでの重要な失敗だった。失敗しても大丈夫なように俺が監督し、学士には高い目標をもって挑戦させたい狙いがある。
だというのに、失敗を周囲が必要以上に責めるような環境では、学士の成長を妨げてしまうだろう。それは望ましくない。
「とりあえず相談内容はわかった。かと言って、俺が直接あれこれ口出しするのも角が立つだろうから、状況を見てそれとなく是正するように誘導してやる」
「感謝しますわ。本当に、困っていましたの……」
いつになく深刻そうなブリジットの表情を見ながらも、俺はまだこの事を気軽に考えていた。つまらないことで学友を爪弾きにする連中など、ブリジットの方から無視してやればいいのだと。それで済むのだと。
問題の現場を見かけたのは、まさに翌日のことだった。昼前の講義が終わって、皆が昼食へと向かおうとする時、ブリジットが近くの席にいた二人の女学生に声をかけたのだ。
「お二人とも昼食をご一緒にいかが? 今日の講義でわかりにくかったところなど、ついでに復習しませんこと?」
随分と真面目腐った声のかけ方である。昼時くらい勉学から離れて、年相応に女子同士の会話でも楽しんだらどうかと思うのだが。ブリジットが仲間外れにされるのも、こうした真面目過ぎる態度を嫌ってのことではないか、と俺は勘ぐってしまう。
だが、事態はそんな可愛げのある話ではないのだと、その場の光景を見て理解させられた。
「ねぇ、お昼どうする? 食堂で食べる?」
「うーん、今日は購買で済ませない? 講義の復習もしたいから、何か適当につまみながら……」
ブリジットに正面から話しかけられた二人の女学生は、彼女の食事の誘いに返答するどころか、一切目も合わせずにその場を去り教室を出ていく。
ブリジットはその後も何人か他の学士に声をかけていたが、一言も言葉を返されることなく無視されていた。そして皆が皆、教室から出ていき、後には悲しげに目を伏せて教室の椅子に座り込むブリジットだけが残されていた。
(……なんだ、今のは? 全員でブリジットのことを無視? 意図的にしてもあからさますぎるだろ……)
その光景にはさすがの俺も不快感が込み上げてきた。何故ここまで徹底的に無視されなければならないのか。そこまでの落ち度がブリジットにあったとは思えない。これはもはや避けているとかいう水準ではなく、完全に個人攻撃となっている。
どうしてこんなことになったのか、俺は先ほど教室を出て行った女学生を引き留めて直接に事情を聴くことにした。さりげなく誘導を……などと言っていられる事態ではない。おしゃべりしながら、ゆっくりと廊下を歩いていた二人組に俺は声をかけた。
「おい、君たち、少しいいか?」
「え? あ、クレストフ先生! まだ教室に残っていらしたんですか、珍しいですね」
「ねー、いつもは講義が終わるとすぐに姿を消しちゃうのに。そうだ、私達、講義の内容でもっと知りたいところがあって。お話を聞きたいので、ご一緒にお昼はどうですか?」
あまりの態度に俺は一瞬、言葉を失った。ブリジットのことは堂々と無視しておいて、俺のことは昼食に誘うのか?
「講義の復習がしたいなら、ブリジットと一緒に昼食を取ればよかったんじゃないか? お前たちに声をかけていただろう」
少しばかり怒気の混じった声で、俺は二人の女学生に言い含めた。しかし、それに対する女学生達は何やら不思議そうな顔をして――
「ブリジットが……? すみません、私達気が付きませんでした。お喋りに夢中になっていたかしら……」
「私も気が付かなかった……。最近、ブリジットってば付き合い悪いのよね。そういえば、講義でも見かけた覚えがないけど、どうしたのかな?」
――何を言っているんだ、こいつらは。
「まあ、実習であんなこともあったから、顔を出しづらいのはわかるけど……」
「気にしなくていいのにね、女子ばっかりなんだから。あの時もガストロの馬鹿は気絶してたし、クレストフ先生くらいでしょ? 裸、見られたの」
悪意などなく、ただ純粋に学友を心配する様子。そして、ちょっとした冗談くらいの言い回しで、にやにやと遠回しに俺をからかう女学生達。
「ブリジットなら、今日も講義には出席していたぞ」
「そうだったんですか? 後ろの席にいたのかしら……」
「いつもはクレストフ先生に質問ばかりして目立つのに、大人しくしていたのかな?」
おかしい。明らかに不自然だ。
ブリジットは今日も講義に出席していたし、講義中に何度も質問をしていた。
彼女達の隣の席で。
この二人組が、ブリジットを意図的に無視して、彼女をいないものとして扱っているのだとしたら大した肝の据わりようだ。しかし、違う気がする。他の連中も含めて、異常だ。
「君達、済まないが一緒に教室へ戻ってもらえるか。忘れ物を取りに戻ったあとでなら、昼食を御馳走しよう」
「わ! 先生のおごりですか!?」
「やったね、言ってみるもんだわ~」
俺の誘いに無邪気に喜ぶ二人を連れて、教室へと戻る。
ブリジットはまだ教室で、机に突っ伏したままで居た。
彼女の元へと向かい、改めて一緒に連れてきた二人の女学生に向き直る。
「クレストフ先生? 忘れ物は見つかりました?」
「早くお昼に行きましょーよー!」
彼女達の目には映っているはずだ、ブリジットの姿が。
「……あ? クレストフ先生?」
目の周りを赤く腫らしたブリジットが、顔を上げて辺りを見回す。そして、無邪気に笑っている学友二人を見て、びくりと肩を竦ませた。
確認しなければならない、今ここで。
「なあ、君達。これは重要な質問だから、真面目に答えてほしい。この教室には今、何人の人間がいる?」
俺の質問の意図が読めなかったのだろう。女学生二人は戸惑った様子で互いに見合っている。
「深く考えなくていい。裏を読む必要もない。思うままを言ってくれ。正直に答えてくれれば、今日の昼食にデザートとしてケーキを付けてもいい。君達も含めて、この教室には何人の人間がいる?」
「えーと……これ何かの引っかけ問答ですか? 先生のことだから何か裏がありそうだけど……三人、ですよね?」
「教室内に誰かが隠れている様子もないし。三人でしょ? 私らと先生だけ」
「――え?」
俺と、彼女ら二人と、ブリジット。それが三人だと言う。
自分の目の前ではっきりとそう言われたブリジットは、もはや何がどうなっているのかわからないといった表情だ。そして、俺にはなんとなく原因がわかった。
左耳にある
(――見透かせ――)
『天の慧眼!!』
ブリジットを透視の術式で観察すると、彼女が持つ鞄の周辺に奇妙な魔導因子の揺らぎが見える。
俺はブリジットの鞄を取り上げると、中身を机の上に全てぶちまける。
「ちょっと、何をしますの!?」
悲鳴にも似た声でブリジットが叫ぶ。それでもまだ、二人の女学生はブリジットの存在に気が付いた様子がない。
鞄の中から飛び出してきた筆記用具と何冊かの参考書。そのうち一冊の本が俺の目に留まる。厚手の紙で作られた
俺はその書皮を本から剥ぎ取り、一息に引き裂く。
ブリジットの金切り声と、二人の女学生の悲鳴が連続して上がる。
「ブリジット!? もう! いきなり大声上げて驚かさないで!」
「やだもう、何の術式? ブリジットってばどこに隠れていたのよ。あー、もう! クレストフ先生にはめられた!」
「え? なに? どういうことですの?」
突然、今の今まで無視されていた自分が認識されたことにブリジットは混乱していた。
無理もないだろう、ブリジットは全く気が付いていなかったのだ。自分が『呪詛』をかけられていたことに。
『認識阻害の呪詛』とでも言うべき呪いをブリジットに対して振りまいていたのは、彼女が持つ参考書の書皮だった。
ある程度、呪詛に抵抗力のある教師陣や、大抵の呪詛を無効化できるほどに防衛術式を身にまとった俺には効果がなかったのだが、呪詛に抵抗する力を持たない学士達にはブリジットを認識できなくなる効果を発揮していた。
これだけ見え透いた呪詛の効果に気づくのが遅れた原因としては、まず俺も含めた教師陣からすると気にするまでもなく弱い呪詛の効力で見逃していた点。逆に、呪詛に耐性のない学士達には、違和感すら感じ取れないほど巧妙に効果を発揮していたこと。能力格差のわずかな間隙を縫って、絶妙に調整されたとしか思えない呪詛が、ブリジットの持つ書皮に刻まれた魔導回路から発せられていたのだ。
この書皮の魔導回路は、ブリジットが手で触れるたびに魔導因子を少しずつ奪い、呪詛発動の原動力としていた。
「ブリジット、聞くがこの書皮はどこで手に入れた?」
「どこもなにも、普通に学院内で参考書を買ったときのままですわ。表紙も、量産印刷されたそれですし……」
「だとすると、誰かにすり替えられたか……」
「私への嫌がらせでしょうか?」
「そうとも限らん。嫌がらせにしては中途半端なくせに、組み込まれた魔導回路は妙に手が込んでいる。正直、目的が見えない」
ただの嫌がらせ目的なら、もっと簡単で効果的な呪詛がいくらでもある。学士同士のいざこざなら、子供だましの、しかし直接に効果のある呪詛を使うだろう。実力的にもそれが限界だ。
「この魔導回路は実力的に三級術士ぐらいでないと製作は難しい。もっとも製作者と利用者が同じとは限らないし、間違いでお前の手に渡った可能性も捨てきれない」
「間違いで?」
「この魔導回路は本来、自分の存在を他人から隠すために使う術式のはずだ。自分で使うつもりが、何かの拍子に購買の本と入れ替わってしまったとか……」
「そうだとしたら迷惑な話ですわ」
「全くその通りだな。ともかくこれで、お前が無視されることはなくなるだろう。問題は解決だ」
「ええ、どうやらそのようですわね。今回はありがとうございました、クレストフ先生」
しおらしく頭を下げたブリジットは、心底から安堵したのか、これまで見たこともない笑顔を見せて学友達の輪の中へと戻っていった。
「……事故や過失、ではないんだろうけどな」
今回のことはベアード学院長を通して、アカデメイアの教師陣にさり気なく連絡を回した。もし心当たりがあれば、罰則などの類はないので名乗り出てほしい、と。
しかし、数日経った今でも、誰からも魔導回路の紛失報告は出されていなかった。
そればかりか、同様の事件がその後も何件か起きて、全く同じ魔導回路が複数、回収されることになるのだった。
目的は不明だが、名乗り出られない邪な理由で誰かが作った魔導回路、そんな可能性が高まっていた。
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