第238話 お友達の剣


「ねえ、ねえ。編入生の人、ちょっとボクに付き合ってくれない?」

 軟派な口説き文句がレリィにかけられたのは、兵論学科における午前の講義が終わったあとのことだった。

 午前中は座学の講義であったが、数人の小隊で行動するときの基本などレリィにとっては初めて学ぶ新鮮な学習内容で、理解には苦労したが頭を使った軽い疲労感と引き換えに大きな達成感もあり、体を動かしてもいないのにとてもお腹が空いていた。そんな昼時のことである。

「あたし、これからお昼の食事をするから後にしてくれないかな」

「その食事に付き合ってほしいんだよ!」

 半ば強引にレリィを食事に誘うのは、肩ほどまで伸びた髪を後ろで短く一括りにした、黒髪の艶やかな女の子であった。兵論学科に所属する学士で、学科の中でも活発な言動と強引な印象が目立つ、男勝りの性格をした女学生だ。


(……困ったな。どう対応すればいいんだろ。クレスにはあまり目立つことはするなって言われているし、静かに過ごしたいんだけど……)

 同年代の女子の『乗り』というやつがわからないレリィは、編入生ということもあって兵論学科では浮いていた。周囲の学士から興味を持たれているのは常日頃からの視線で感じているが、興味はあるけど積極的に関わるのは怖い、という雰囲気も感じ取っていた。なにしろ戦技学科の青年を軽々と殴り飛ばしてしまったのだ。あれでは引かれてしまってもおかしくない。

 だが、どこにでも例外とはいるもので、しつこく食事に誘ってくる目の前の女学生のように好奇心優先で物怖じしない人間もいるのだ。


「まあ、一緒に食事するくらいなら別に構わないけど」

 クレストフは運動学部とは離れた場所の研究棟で昼食を取るようにしている。ムンディ教授の研究室だ。だから、レリィが講義に出るようになってから昼食は別々に取るようになっていた。

 クレストフとしては少しでもアリエルの指導に割ける時間を増やそうという考えらしいのだが、当のアリエル本人はわざわざ研究室から離れた別の場所で食事を取ろうと逃げ出す始末。普段アリエルは講義がなければ研究室にいるし、これまでも昼食は近くの購買で買った食料を研究室に持ち込んで食べていた。

 それをあえて曲げてまでアリエルは逃げ出すというのだから、クレストフの嫌われようにレリィとしては複雑な気持ちだ。呆れ、同情、安堵、不満、色んな中途半端な感情が混ざってしまい一言では言い表せないが、相変わらず不器用だなと思ってしまう。


 結局クレストフはムンディ教授とアリエルの教育方針を話し合うという、男臭い昼飯時を過ごしているようだ。あの二人に関しては何かと気が合うらしく、男の友情的な何かが芽生え始めているようだと、ゲストハウスに遊びに来てくれたナタニアから聞いている。ナタニアも彼女は彼女でクレストフとアリエルの板挟みになっているらしく微妙な立場だったが、互いの距離感は近付きつつあるというのがナタニアの見解であった。


 そうした観点からすれば、レリィとて女友達の二、三人作ったところで問題ないはずだ。ナタニアと、アリエル……は怪しいが、一応は友達と言って良い関係にあると思っている。クレストフ風に言わせるなら、少なくとも学友であるとは言えるだろう。

 当然、自分が所属する学科の人間と友達になるのも自然なことだ。むしろ相手から声をかけてくれるのだから拒む理由はないはずだった。その人間が、明らかな問題児でなければ。

「ねえ、編入生の人はさー。どうして今更、アカデメイアに編入なんてしたの? 職業騎士の資格持ちだって聞いているし、アカデメイアで勉強しなくても立派にやっていけるよね?」

「まあ、半分はそのお仕事だからね。あ、それとあたしの名前はレリィだから。編入生の人って言い方は、あまり好きじゃないかな」

「じゃあレリィって呼べばいいんだね。よろしく、レリィ! ボクのことはねー、リスカって呼んで」

 リスカは兵論学科の中では武闘派寄りで、兵論の講義でも知恵を使った戦術より力押しの主張が目立つ。講義内容が難しくてわからないときや、自主研究に行き詰まったりすると、「息が詰まる~!」と言いながら飛び出し、運動学部の訓練場にゴム剣を担いで戦技学科の授業に乱入するなど問題行動が多い学士なのだ。


(……あたしも既にシュナイド教授に目を付けられているし、二人そろって余計に怒らせることにならないかな……)

 レリィが心配しているのはあくまでもアカデメイアで波風立てず平穏に過ごせるかどうかの一点に尽きる。自分一人の問題なら気にもしないのだが、クレストフが大事な用で滞在している今、足を引っ張るようなことはしたくない。彼がとてつもなく重い覚悟を決めてここに来ているのはレリィもわかっているのだ。

 それもただ一人の女の子のために、あのクレストフが動いているのだ。どれほど大切にしていたのか、生き別れてしまった悲嘆の深さは想像もできない。


「レリィ、どしたの? ぼけっとして食事の手、止まってる」

「んあ、考え事してた。はむ、むぐ、うん。学食の食事もそれなりだね。ちょっと脂っぽい感じはするけど」

「そう? これくらい、どっしりべったりじゃないとお腹が満たされないよ。ボク的には量に不満があるねー」

 リスカは皿一杯に山盛りした白身魚の揚げ物にたっぷりとマヨネーズを塗りたくり、葉物野菜と薄切りのパンで包んで次々とかぶりついている。大食らいのレリィでもここまでしつこい食事は胃が受け付けないだろう。ちゃんと噛んでいるのか疑わしい勢いで食べきると、水を一杯ぐいっと飲み干して席から立ち上がる。

「じゃあ早速、食後の運動に行こう!」

「食べたばっかりなのに!?」

「戦いはいつ如何なる時も待ってくれない!」

 もっともらしいことを言いながら、食事を食べ終えたばかりのレリィを急かすようにして椅子から引っ張り上げる。


「ねえ、午前も午後も講義や訓練あるのに、お昼休みくらいゆっくりしたら?」

「ボクはね、ガチムチの魔導剣士を目指してるんだ! ガチムチ! 少しでも時間があれば鍛錬をしているんだよ。目指せ! 最強ガチムチ魔導剣士!!」

「まったく聞く耳ないんだね……。やる気はすごいと思うけど……」


 食堂から近い位置にある屋内訓練場にレリィを引きずり込んだリスカは、慣れた様子で用具室を漁ると二本のゴム剣を引っ張り出してくる。訓練場は昼食時ということもあってか、二人の他には誰もおらず、広々とした空間を占有することができた。

「これで打ち合いをしよう! レリィは剣の使い方、得意だよね、ガチムチ騎士だし!」

「棒術以外はあんまり……。でもまあ、こういうのも練習しておくと役に立つのかな」

 思えばクレストフなどは剣、槍、斧など多彩な武器を状況に合わせて使いこなしていた。クレストフ本人は一つのものを極められるのは立派な才能だと言って、自分は凡庸だったから『多才』によってごまかしているだけだと謙遜なのか自嘲なのかよくわからないことを言っていた。武器を選ばない、というのはやはり才能だとレリィは思うだけに、今この機会に新しい技能を身に着けるのは良いことかもしれないと思った。


「よーし、それじゃあ行っくよ~!! せぇいっ!!」

「わ!? もう、いきなりだなぁっ……!」

 構えもなしにリスカがゴム剣を片手に打ちかかってくる。踏み込み鋭く上段から素早く放たれた一撃を、レリィは不格好な体勢ながら自らのゴム剣で受け止めて見せる。

 頭上で止めたリスカの剣は、防がれたとわかった瞬間にはもう引き戻されて、今度は斜め下段から掬い上げるようにレリィの脇腹を襲う。リスカの攻撃に動体視力と反射神経で反応し、剣を脇腹の前に差し入れてこれを防ぐ。

 リスカは防がれることを想定していたように、レリィの剣に自分の剣を滑らせて即座に膝下へと狙いを切り替えてきた。

(――なんて滑らかな動き。力も速度も驚くほどではないけど、攻撃に無駄がなくて、繋がってる!)

 何度も反復して訓練されたのであろう、洗練された一連の動き。

 剣では防ぎきれないと判断したレリィは思わず後方へと飛び、足元を刈りにきたリスカの剣をかわした。その動きを見たリスカが興奮したようにゴム剣を振り回して叫ぶ。


「すごっ!? レリィ、すごっ!! 不意打ちの連撃だったのに! なんで防いで、かわせるの!? 剣の扱いとかどう見ても素人なのに!! やっぱガチムチだから!?」

「ガチムチって言い方やめて! う~ん、でも剣が素人なのは否定できないかも」

「うはーっ!! がぜん燃えてきたー! 絶対、レリィから一本取ってやる!!」

 息つく暇も惜しいと感じるかのように、リスカは怒涛の攻撃を繰り出してくる。それをレリィは危なっかしい剣捌きでどうにかこうにか、昼休みが終了する予鈴が鳴るまでリスカの猛攻をしのぎ続けたのだった。


 誰もいない静かな訓練場で、先ほどまで響いていた鈍い打撃音は鳴り止み、深く荒い息づかいの音だけが聞こえていた。

「はーっ……。まいった、まいった! やっぱ、ガチムチは正義だね。レリィの筋肉は鍛え方の格が違うな!」

「筋肉馬鹿みたいに言わないでよ! 剣捌きじゃ、あたしの方が終始押されっぱなしだったじゃない」

 リスカは全身汗だくになりながら、訓練場の床に大の字で寝転がっている。対してレリィは軽く息は上がっているが、さほど汗はかいていなかった。ではレリィの方に余裕があったかと言うとそうでもなく、単純に運動量の違いであった。リスカの猛攻に対して、レリィは迂闊に動くことができず、最小限の動きで防戦に回るしかなかったのだ。

(……これがクレスの言っていた、戦い方を学ぶってこと? 確かに、自分の棒術だけ訓練していたらわからないことだらけだ。他の武器を扱ってみて、例えば剣がどういう動きをするものなのか、本当の意味で初めてわかった気がする……)

 慣れた武器で戦えばレリィの圧勝だったろう。いまだ闘気すら発していない段階でも、余裕を持ってリスカを退けられたはずだ。しかし、得物を変えて戦ってみた感想は、安易な勝利などよりも遥かに意味のある経験ができたという実感がある。


「ねぇ、リスカ。もし、よかったらだけど……」

「ぷふ~ぅ……ん? 何?」

「また、手合わせお願いできるかな?」

「!? レリィ!!」

 がばり、と寝そべっていた床から起き上がると、リスカはすかさずレリィの手を取って握りしめる。

「それってつまり、ボクと付き合ってくれるってこと!?」

「う、うん、まあその、訓練に付き合うってことだよ? わかっているよね?」

「うんうん!! 嬉しいなぁ、レリィがその気になってくれて!」

 リスカはよほど嬉しかったのか、レリィに両腕と両足で飛びつくように抱き着いてきた。汗だくの体が密着して、筋張ったリスカの手足がレリィの胸と太股をがっちりと締め上げてくる。


「うへぇ、リスカちょっと汗臭いよ……」

「気にしない、気にしな~い! それじゃあ、よろしくね次の授業でも!」

「ああ、うん。次?」

「次の授業、ここの訓練場で剣術の稽古だから。レリィも出るんだよね?」

「…………ああ~。そうだった……かも」

 体力が尽きたわけではない。だが、ごっそりと気力を削り取られ、疲労感は極めて強い。リスカはガチムチを目指しているだけあって、気力も体力も精強な様子だ。そんな彼女に昼休みから午後の訓練まで付き合うというのは――。

 彼女に訓練の相手を頼んだのは、少しばかり早計だったかもしれないとレリィは早くも後悔してしまうのだった。




 午後の剣術の授業は戦技学科と兵論学科の合同訓練であった。この二つの学科は何かと同じ訓練項目を一緒にやる機会が多い。

 実際には戦技学科が主体で行われている訓練に、兵論学科が加わっているというのが正しい構図だ。大抵の場合において戦技学科の学士の方が実技は優秀であり、日頃からの鍛錬が足りない兵論学科を笑って見物しているような光景がままある。

 だが、ここ最近は必ずしもそうとは言い切れない状況が生まれていた。


「さあさあ、ボクを倒せる人はレリィ以外にいないのかな? 戦技学科の人も遠慮しないでかかってきてよ!」

「調子に乗るなよ、兵論学科のくせに! 次は俺が相手だ!」

 額に汗を浮かべたリスカが、挑発まがいの言葉を振りまき訓練相手を募っている。少し離れた場所ではレリィと、戦技学科のアレクサンドロが向かい合っていた。


「レリィ君! この間は油断して不覚を取ったが、今回は本気で相手をしよう。剣術は力任せなだけでは上手くいかないぞ!」

「へぇ、アレクサンドロは剣術も得意なんだ。なかなか構えもさまになってる。あたしも参考にさせてもらおうかな」

 ぴしりと整った構えを見せるアレクサンドロを真似て、レリィもゴム剣を構えて見せる。お互いに正眼の構えで剣先を触れさせて、互いの合図で打ち合いを始める。

「行くぞ!」

「いつでもいいよ!」


 ゴム剣を振りかぶりながら突撃するアレクサンドロに対して、レリィは左から右へまっすぐ剣を振りぬいた。

「えい!」

「剣筋が丸わかりだ! 余裕でかわせるぞ!」

 アレクサンドロは突進を止めて紙一重でレリィの剣を避ける。お返しとばかりに上段からの一撃を放つが、これはレリィが頭上に掲げた剣で受け止められる。レリィは受けると同時に相手の剣を弾き、再び左から右へ横振りの一閃を放つ。アレクサンドロはレリィの剣筋を目で正確に追って、幾分か余裕を持って防御姿勢に入っていた。

「受け流して、切り返す――」

「やあ!」

「ぶほっ……!?」

 横殴りに放たれたレリィの一撃は、受け流すことを許さずにアレクサンドロの防御の上から彼の胴体を水平に打ち抜いた。

 アレクサンドロはまるで自ら側転でもしたかのように勢いよく転がっていき、柔らかい緩衝材が貼られた訓練場の壁に思い切りよく激突する。


「うわぁ……技も何も関係ねぇな……。単純に力負けしてるよ」

「これが本物の騎士の実力かー。萎えるわ、こりゃ」

「見た目はあんなに可愛いのになぁ……」

 訓練場のあちこちから、二人の打ち合いを見た感想が漏れる。傍から見ていると棒立ちのレリィにアレクサンドロが突っ込んでいって、レリィの大雑把な横薙ぎになすすべなく殴り飛ばされるといった様子に映ったことだろう。

 実際、騎士とそれ以外の戦士とでは隔絶した実力差が存在する。地力が違いすぎるのだ。しかし、それを前提として力量の差を埋めようとするのが戦技の研究であり、魔導による武闘術の追及なのである。


「むむむ~! レリィはやっぱり強いなぁ! ボクも負けてられないな!」

 レリィの活躍に奮起するリスカは更に稽古相手を捕まえては、相手が疲れ果てるまでゴム剣を振るい続けた。しなやかな体の動きで、自分より体格の大きな相手の剣を掻い潜り、隙を見ては的確に急所へ打ち込んでいく。

 ゴム剣とは言え、打撃が急所に入れば大きく体力を削る。リスカと打ち合いを続けていた戦技学科の学士は徐々に動きが鈍っていき、やがて攻守は完全に入れ替わってリスカによる一方的な打ち込みになっていく。

「ま、参った! ここまでだ!」

「お! おっ? もう終わり? ボクはまだやれるけど」

「限界だ! 腕が上がらない……」

 まともに腕が回らなくなってきたところで降参の声が上がる。元気いっぱいのリスカはまだ物足りないのか、ゴム剣を肩に担ぎながら軽快に跳ねている。


「しょうがないなぁ……。レリィ~! 一緒にやろう!」

「えぇ? ちょっと待って、あたし今、三人相手にしてるから……」

「うわなにそれ!? 三人同時に捌いてるし!! すごっ! レリィすごっ!!」

 もはや、一対一では勝ち目なしと諦めた戦技学科の学士達が、やけくそぎみに三人がかりでレリィに挑みかかっていた。それらをレリィは拙い剣捌きながらも、身体能力の高さと持ち前の反射神経で回避と防御により受け流していた。

 連続で打ちかかってくる剣を次々と弾き、同時に切り込まれる三本の剣を受け、避け、切り返す。三人の猛攻にさすがのレリィも余裕はない。しかし、追い詰められたレリィの動きからは徐々に無駄がなくなり、打ち込んでくる学士達から効率的な剣の使い方を学び取って、剣の扱いも鋭く進化し迷いが消えていく。


「ほい。ほいっ、ほいっ!」

 底なしの体力も相まって、数分後には動きの鈍くなった三人の学士を次々と叩き伏せていく。

「ふぅ~っ! さーすがに疲れたね、これ」

 ほつれた髪が幾束か額に張り付き、肌に吸い付いた胴着はレリィのボディラインを扇情的に浮き上がらせていた。白磁のように真っ白な肌と緑柱石エメラルドのように透き通った翠の瞳、深い緑色をした豊かな髪を有する容姿はまるで森の妖精のごとく美しい。

 訓練場でレリィに注目する学士達は、それまでとは違った意味で目が離せなくなっていた。濡れた髪をかき上げる仕草は、同性である兵論学科の女学生達でさえ息を呑むほど。


 微妙な空気を感じ取り、我に返った女学生の幾人かが慌ててレリィの周りに立ちはだかり、戦技学科の野郎どもの視線を遮った。

「ね、ねぇ、レリィさん。だいぶ汗もかいたし、シャワーを浴びに行きましょう! 着替えはあるかしら!?」

「あ、でもまだ授業中じゃないの?」

「もうすぐ終わりだし! シュナイド先生! レリィさん、今日はちょっと過剰なくらい訓練したと思うので、早めに休憩させて構いませんか!? 構いませんよね!?」

「まだ授業時間は終了していない。勝手に抜けることは……」

 訓練の監督に当たっていたシュナイド教授は授業時間を厳守させようとしたが、女学生達の無言の圧力と、だらしなく弛緩した青年学士達の姿を見て、言いかけた言葉を飲み込む。

「仕方がない……。本日の訓練はここまでとする。次からは各自、力量に見合った無理のない訓練を行うように。以上、解散である」


 シュナイド教授が苦々しく解散を告げると、兵論学科の女学生達はさらにレリィの周りを固め、彼女を連れて移動を始めた。

「レリィさん、すごかったわー! じゃ、早くシャワー室へ行きましょう」

「あたし、着替え持ってきてないんだけど。シャワーならゲストハウスの方でも浴びられるからそっちで……」

「駄目よ!! そんな恰好で外をうろつくなんて!! あなたなら襲われても大丈夫だろうけど!」

「そうよ、そうよ! この姿を男どもの前にさらすとかありえない! レリィさんが汚される!」

「じゃあ、ボク、レリィの着替えを取ってくるよ!」

 レリィと同じく汗だくの恰好をしたリスカが着替えを取りに行くと名乗りを上げる。一瞬、他の女学生達は汗だくのリスカを見てレリィ同様に止めようとしたが、平坦な胸に肉付きの薄い尻、厚手の布地で縫われた紺色の地味な体操服姿を見て頷く。

「頼んだわ、リスカ」

「ええ、あなたなら平気ね」

「行け! リスカ!」

「行ってきまーす!」


 了解を取るやすぐさま飛び出していくリスカ。

「あ! リスカ、手間取らせてごめんね! 今日はゲストハウスにクレスがいるはずだから、着替えはあの人から受け取って――」

「あいあいー!」

 本当にわかったのか微妙な返事をしながら、リスカは飛び出していく。シャワーを浴びるだけなのに妙なことになったな、とレリィが周囲を見回すと、そこには何か聞きたそうな表情の女学生達がいた。

「レリィさん……ゲストハウスではクレストフ先生と一緒の部屋にいるの?」

「うん、そうだけど?」

「その……着替えの衣類の場所、お互いに知っているとか?」

「荷物はそんなに持ってきてないし、汚れた服はいつもクレスが洗ってくれるからね」

『――――!!』


 訓練場の空気が一気に熱を帯びる。

「き、聞いた? 服を洗ってもらっているって……」

「下着も? 下着もなの?」

「そんな……教師と教え子の間で……禁断の恋……」

「クレストフ先生、意外と嫁力、高いのかぁ……」

 妙な誤解が生まれているような気がしたので、レリィは慌てて弁解をする。

「待って! おかしな想像されているみたいだけど、あたしはクレスの専属騎士だから! 一緒に行動するのが当たり前なの! 洗濯も、そういう術式があって、あたしがやるより綺麗に仕上がるから!」

 レリィの説明にざわついていた女学生達が沈黙する。そして、今度は熱が冷めたような表情で、うんうんと納得を始めた。


「まあ、そもそもそういう関係なら不思議はないわね」

「確かに。考えてみれば二人とも大人の関係なわけだ」

「私らもいい歳だしね~」

「男子ども~、残念だったわねー」

「レリィさんは、クレストフ先生の専用ですってよ」

「はぁー、私もむさ苦しい戦技学科の男じゃなくて、クレストフ先生みたいに知的でお金持ちな男性とお付き合いしたいわー。魔導学部に将来有望な術士とかいないかしらー」

「魔導学部とか女ばっかりじゃない。優良物件はとっくに唾つけられているわよ」

「体力的には術士のクレストフ先生より、騎士のレリィさんが上。つまり、夜の営みでも主導権はたぶん……」

 まだ少し誤解もあるようだったが納得はされたらしい。女学生達はもう好き勝手に自分達の好ましい男性の話をするのに夢中となっていた。そして見向きもされずハエのように追い払われた戦技学科の男達は、レリィの魅力的な姿をそれ以上は拝むことはできず、渋々と引き上げていくのだった。



 しばらくして訓練場へ戻ってきたリスカは、レリィに着替えの胴着と下着を渡してくれた。その下着が布面積の少ないものだったことで女学生達は再び盛り上がったが、下着を受け取ったレリィの反応があまりに堂々としていたため、なんだか初心を晒してしまったような気まずさを感じて静かにシャワールームへと向かう。

「レリィってさ。意外とガチムチ……って感じでもないね。あんなに強いのに、腕とか腰も思ったほど太くない」

 シャワーを浴びている最中に、隣にいたリスカがレリィの体を見ながらそんなことを口走る。シャワールームにいた他の女子達も騎士であるレリィの身体に興味があるのか、シャワーを浴びながらチラチラと視線を向けていた。

「えーっと、まあ力抜いているときはね。お腹に力を込めればもう少し締まるかな」

 そう言ってレリィがお腹に力を入れると、薄っすらと腹筋が割れて引き締まる。

「……ガっ!? ガチムチだーっ!! 隠れガチムチ~!!」


 叫ぶリスカがすかさずレリィのお腹に手を当てた。

「か、固い! なにこれ、どうなってるの!? 鉄みたい! 鉄のお腹!」

「鉄のお腹って……その表現はなんか傷つく……」

「ひょ、ひょっとして、胸も!? 胸筋もガチムチなの!?」

「ひゃぁあっ!? や、やめ! やめて、リスカ!」

 そこは脂肪の塊だ。いくら鍛えていると言っても、胸の脂肪がすべて筋肉になるような鍛え方はしていない。そこまで鍛えなくても闘気を発すれば身体は強化されるからだ。レリィの身体は全体的に筋肉質ではあるが、それは皮下脂肪の下に隠されているといったものである。長時間の戦闘を続けるには、筋肉だけでなく燃焼できる脂肪もそれなりに必要とされるからだ。


「はぁ~、レリィさん羨ましい~。私達なんて、座学と実技半々程度で、そこまで鍛え込んでいるわけでもないのに身体が筋肉質になって……」

「シュナイド先生、むだに厳しすぎるんだよね。男共と同じ訓練やらされたら、ガチムチになっちゃうわ」

「ほんと、力も入れてないのに腹筋割れてるとか。はは……泣きたくなってきた、女として」

 それぞれに文句を垂れながら、自分の胸や腹をつまんでは悲しげな表情になる兵論学科の女子一同。

 自分の女性としての魅力に疎いレリィからすると、戦いに明け暮れている自分などよりも彼女達の方こそ女性的な魅力は多分にあると感じてしまうのだが、とてもそれを口にできる雰囲気ではなかった。




 シャワーを浴びてさっぱりしたレリィは、今日はもう講義の予定もなかったのでゲストハウスへと戻ることにした。そこで、何故かリスカが一緒に付いてきた。

「リスカ、どうしてあたしと一緒に来てるの? こっちはゲストハウスしかないけど……」

「うん! 問題なーい。ボクもゲストハウスで待ち合わせしているんだ」

「待ち合わせ? ゲストハウスで?」

「そーそー。知り合いに頼んでいたブツがね、届くのだよ!」

「その受け渡しがゲストハウス? なんでそうなるのかなぁ」

 不可解な行動をするリスカに眉をひそめながらも、別に彼女がゲストハウスへ向かうのを禁じる権利もないので、レリィはひとまずリスカの同行を黙認することにした。


 そして、疑問はすぐに氷解する。ゲストハウスへ到着してみれば、玄関口にクレストフともう一人、見知った人物が立っていたのだ。

「あ、レリィさん。お疲れ様です」

「あー……ナタニア。どうしてここに――」

「やあやあ、ナタニア先輩ちぃーっす! 頼んでいたブツできましたー?」

「……リスカ、そういう怪しげな言い方はやめて。ちゃんとできているから、ほら」

 ナタニアが腰に下げたバッグから布に包まれた細長い物体を取り出す。ちょうど肘から指先までの長さぐらいだろうか。

 布を取り去れば姿を現したのは一本の短剣。それも柄から刀身の刃先に至るまで微細な魔導回路が刻み込まれ、要所に透き通った緑色の宝石が嵌め込まれている。


「おぉ~! すごい、格好いい! さすがナタニア先輩、ボク尊敬しちゃう!」

「へぇ。綺麗な短剣だね。なんかクレスが好きそうなやつ」

「否定はしないが、気に障る言い回しだな」

 レリィとしては普段から宝石類を身に着けているクレストフと、目の前の宝石を嵌め込んだ短剣とを短絡的に連想してしまっただけだ。それでも、やはり関係があるのではないかと思わせるのは、リスカとナタニアの待ち合わせ場所がゲストハウスであり、その場にクレストフまでもが居合わせたことだ。


「で、クレスは何してるの?」

「俺か? 俺はナタニアが魔導剣を見てほしいと言うから、ここで評価試験をしていたところだ」

 リスカが受け取った短剣を指差して、クレストフは面白くもなさそうに事実を告げる。

「それで、どうだったのかな! クレストフ先生的には、ボクの手にした魔導剣は!?」

「まあ、学士の創作品としては悪くない。嵌め込んだ鮮緑電気石グリーントルマリンは魔導因子の一時貯蔵媒体としては標準的、剣の材質は魔導回路の基板としての性質より強度を重視した高強度魔導鋼が使用されている。実戦向きだな。魔導回路の質は高いから、あとは使い手次第でちょっとした猛獣の相手くらいはできるだろう。等級評価で言えば狩猟級魔導剣、B-ってところだな」

「はは……手厳しいですね……」

 クレストフの細かい評価に創作者であるナタニアは苦笑している。

「この程度の低品位素材でまともに機能する魔導剣を創れているんだ。悲観することはない」

 そして、けなしているのか褒めているのかよくわからない言葉でクレストフが締める。


「魔導剣かぁ……。ねえ、その魔導剣どんな効果があるの?」

「あぁ、こいつは――」

「ダメっ!! クレストフ先生それ言っちゃダメ!! ボクがお披露目する楽しみがなくなっちゃうよ!」

 クレストフがレリィに説明しようとするのをリスカが慌てて遮った。そうして、レリィに向き直って薄い胸を精一杯に張って自慢げに魔導剣を掲げて見せる。

「ふっふっふっ~。知りたい? 魔導剣の効果、知りたい?」

「えーっと、それほど知りたいってわけじゃあ……」

 レリィが興味を失いかけたような言葉を発すると涙目になって、見るからにしょんぼりとするリスカ。


「ううん、知りたい! とっても知りたいかな!」

 ひどく悪いことをしているような気分になってしまい、思わずリスカの手を取って魔導剣ごと握りしめる。その反応にようやく気を持ち直したのか、リスカは指で鼻下をこすりながら、改めて魔導剣を目の前に掲げる。

「んっん~、しょうがないなぁ。そんなにレリィが知りたいなら教えてあげる。ただし! ここじゃ、派手に魔導剣を振り回せないから、明日また場所を変えてね!」

「えぇ~……ここまで引っ張っておいて明日なのー……」

 リスカのペースに振り回されてしまい、結局、明日まで魔導剣の秘密はお預けになってしまった。もちろん、クレストフもリスカに固く口止めされている。


「あ、そうそう。明日と言えばリスカ、魔導剣の報酬代わりのお仕事、お願いしたからね」

「任せて! 魔導剣の試し切りついでに、ぱぱっと済ませてきちゃうから!」

「ついでじゃなくて。しっかりやって来てね?」

 手に入れた魔導剣に浮かれた様子のリスカに、ナタニアは不安そうな表情で念を押した。

「魔導剣を創ってやる代わりに頼み事か? 対価もそれなりに大きいだろう?」

「ええ、ですから明日リスカには、合成獣キメラ実験森林に色々と貴重な素材の採取に行ってもらうんです。ちょうど増えすぎた実験生物の駆除もするという話だったので」

「きめら実験森林?」

「アカデメイアの南門から外に広がっている、たくさんの合成獣キメラがうろつく森のことだ。元々はアカデメイアの外に広がる普通の森だったんだが、いつ頃からかアカデメイアで創られた実験生物が逃げ込み、自然定着してしまったらしい。あまり増えすぎると生態系が壊れかねないから、森を管理するアカデメイアの職員と武闘派の学士が定期的に狩っているんだ」


 合成獣実験森林について説明していたクレストフは、不意に顎へ手をやって考え事を始める。ふと、思いついたかのようにレリィへ向けて指を差し、

「レリィ、確か午後の講義はなかったな? お前も明日、森へ行ってこい。リスカに魔導剣を見せてもらうにしても、狩猟の訓練をするにしても都合がいい。対人訓練も重要だが、猛獣との戦闘もまた経験が必要だ」

「おぉー! それいい! レリィと一緒に森で狩りかー! 楽しそーっ!!」

「いいの? 正直、あたしからすると森での狩猟は遊びみたいなものだけど。訓練になるかな?」

「え? レリィさん、狩りも得意なんですか?」

「そういえばお前は山奥の出身だったな……。まあ、勘が鈍らない程度に森を駆け回るのもいいだろう。息抜きだと思って行ってこい」

 つくづく野生児なレリィにナタニアは驚きを隠せない様子だったが、そうとわかると「余裕があったら……」などと採取の依頼を話し出す。うっかりしていたクレストフも口にしてしまった手前、撤回するのも気まずいのかレリィが実験森林に向かうことをそのまま許可した。


 久しぶりの森での狩りに、レリィは狩猟者としての本能がうずくのを感じていた。

 人と争うよりは、獣を狩る方が気分は楽なものだな、と今更ながらに思うのだった。

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