第237話 嵐を呼ぶ編入生
召喚術の講義が終わり、俺はゲストハウスへと戻りながら今後の授業計画を考えていた。
(……今日の講義では予定の半分しか進まなかったな。次回で挽回できるといいが、この分だと当初の日程より一ヶ月は延びることも考慮すべきか……)
そこまで考えてふと、自分が本来の目的を見失っていることに気が付く。
(違うだろ? 俺の目的はアリエルをムンディ教授の後継者として指導することであって、アカデメイアの講義を完遂するのは二の次だったはず。いかんな……)
力の入れどころを間違えていた。確かに下級の学士を指導するのは、アリエルが研究室を継ぐ上で重要な技能だ。しかし、まずはアリエル本人が高い実力を身に着けねばならない。もう少しアリエルの成長に直接関わる方向へ方針転換するべきだろう。
目的を見失いかけていたことを反省しながら、新たにアリエル育成計画を考え直しているうちにゲストハウスへと辿り着く。
ゲストハウス前の空き地では、木製の長い棒を振り回してレリィが棒術の型を繰り返し確認していた。八つに結われた深緑色の髪がレリィの動きに合わせて、四方八方へ揺れ動く。久しぶりに彼女の体の動きをぼんやりと眺めていたら、なんとなくその動きに違和感を覚えてしまった。
レリィが棒を下ろして一息入れたところで、俺は彼女に近づいて全身をよく観察してみる。じっとりと汗ばんだ肌に白い胴着が張り付き、胸や腰回りまで体の線がくっきりと現れている。
「あ、クレス。今日の講義は終わったんだ? やっと、お昼か~。最近、時間の流れが遅く感じるよ。……ん? どうかした?」
疑わしい目つきで視線を送ってくるレリィに、俺は無言で近づくと彼女の腕を取る。
「え? なになに? ちょっ、待って、そんな突然とか心の準備が……!?」
「お前、アカデメイアに来てから弛んでいるんじゃないか? 腕も細くなっている気がするぞ」
レリィの二の腕を指先で揉み、筋肉量の低下を指摘する。先ほどからの違和感。腕だけでなく、体全体が小さくなったように見えたのだ。
「ええ!? で、でも鍛錬は欠かさずやっているんだけど……。ほらほら! こんなに汗かくくらい動いてるし!」
「太ったわけじゃないから、脂肪は消費されている。だが問題は、筋肉量が落ちていることだな……。負荷が足りていないのかもしれない。もっと実戦的な鍛え方でないと」
自分のことばかりでレリィのことをすっかり放置していたのはまずかった。普段なら、暇などないくらいに仕事をあてがって、時にはレリィ一人でも任務に出していたのだが、ここ最近は実戦的な活動が全くなくなっていた。
「でもその、女の子としては脂肪と筋肉が落ちるのは別段、嘆くことでもないんだけど……。闘気を使えば十分な戦闘能力が出るし……」
「闘気を使えば強いのは当たり前だろ。問題なのは地力が弱っていることだ。そうだな……せめて敵、いや相手か、相手がいた方がいいよな……」
「あのー……聞いてる? そもそも、そんなにあたしを鍛え上げて、何と戦わせるつもりなの……?」
「宝石の丘へ向かうんだ。お前にも万全の状態、どころか今以上の力を付けて挑んでもらわないと。生きて帰れるかわからんところだぞ」
「そ、そんなに? あ~、ちょぉっと、あたしも軽い気持ちでいたかなー……」
レリィにもようやく自覚が出てきたのか、自分の太股を揉みながら渋い顔をしている。
「……よし、運動学部の訓練場だ。そこなら体力の有り余った運動学部の学士達が大勢いる。そこでひたすら戦闘訓練系の授業に参加していろ」
「それって……あたしも学校で授業を受けろってこと?」
「そうだ。この際だから、色んな戦闘方法を学べ。……しかし失敗したな。アカデメイアに長居すると決まった時から、お前の強化訓練も考えに入れておくべきだった。すぐにベアード学院長へお前の学士登録を頼んでくる。騎士の資格持ちなら、四年時相当で戦技学科あたりが妥当か……」
「学校で勉強……。あたし、学校でちゃんとした勉強ができるんだ……夢みたい。ありがとうね、クレス……!」
「勉強や訓練を喜ぶとは、学士の鑑だな。ま、せっかくの機会だ。存分に学んで来い」
嬉しそうに弾んだ声、満面の笑顔。そこまで歓喜する理由が俺にはわからなかったが、とにもかくにも方針を決めた以上は彼女の入学手続きを早々に進めるのだった。
レリィの入学手続きの書類を用意して、ベアード学院長に彼女の所属先の相談をしに行ったところ、少しばかり予想外の事態になっていた。
「戦技学科が受け入れ拒否?」
「学科主任のシュナイド教授が反対していましてな。入学試験も受けず、中途半端な時期に、ましてや四年時相当での編入など前例がないと」
「……融通が利きませんね。戦技学科にとっても現役騎士を招くことができるのは有益だと思うんですが」
「シュナイド教授は規則に厳しい方ですからの」
ベアード学院長の言い回しに思わず苦笑してしまう。確かにシュナイド教授は規則に厳しい。だが、それは今回の件で問題となった部分ではないだろう。
「規則など、理由付け次第でどうにでも問題は回避できるはず。単純に推薦者が俺というのが気に食わないのでしょう?」
「はっきりと言ってくれますな。まあ、いずれにせよ学科主任がいい顔をしないのでは、あなたの騎士殿も肩身が狭い待遇となるでしょう。そこで、他学科で受け入れたいと申し出ているところがありまして、兵論学科なのですが実技講習もよくやっております。いかがですかな?」
「兵論学科ですか……」
兵論学科は戦技学科と比べてやや座学寄りの学科だが、それも選択肢としては悪くない。レリィも少しは頭を使う戦い方について勉強しておいた方がいいだろう。
「わかりました。兵論学科で受け入れをお願いします。座学も簡単な講義に限って、三割程度は取らせたいのですが」
「問題ありませんぞ。座学の方は全学年共通の講義が幾つかありますから、そちらに出席されるのをお勧めしましょう」
「手配、感謝します」
「いやなに、クレストフ殿こそ、講義の方は出席した学士達には随分と評判が良いようです。助かっているのはお互い様ということです」
当初の予定とは変わってしまったが、良い方向に話が転がってくれた。レリィも学校の授業というやつに妙な憧れを持っていたようだし、たまには机に座って勉強というのも経験になっていい。
ベアード学院長とのやり取りを済ませた俺は、ゲストハウスで待機していたレリィの元へ戻り、手続きが完了したことを教えてやる。
「そういうわけで手続きは済ませてきたから、今日から早速、兵論学科の講義に参加してこい。今からならちょうど、三時限目の開始にも間に合う」
「今から!? 別にいいけど、随分と急だね」
「既に今学期の講義は始まっているからな。これは週の日程表だ。とりあえず今日の講義は……体術訓練だな。指導教員はシュナイド教授か……。レリィ、お前一人でも問題ないよな? 場所はわかるか?」
「子供じゃないんだから平気だって。場所も大体わかるよ。学院の敷地内は一通り散歩したから」
「一通りって、アカデメイアの敷地はちょっとした町ぐらいの規模あるんだがな……。まあいい、行ってこい」
「うん! 行ってきます!」
講義の担当がシュナイド教授というのは不安だったが、そもそも兵論学科と戦技学科の講義は重なることが多い。今後もシュナイド教授が関わる講義はいくつかあるだろう。ここはレリィがうまくやることを祈って、任せることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
アカデメイアの屋外運動場で四、五十名ほどの学士が集まり、その中心に指導にあたる担当教員が三人立っていた。そのうちの一人、じっとりと湿ったような長髪を後方に撫でつけた、陰気な男の教員が学士達を見まわしながら口を開く。
「……本日の体術訓練では、衝撃吸収効果を付与した籠手と脛あて、それに胴着を着用して、実戦に近い形での打ち合いをしてもらう。戦技学科と兵論学科の合同で行う訓練ゆえ、相手の実力にも配慮したうえで打ち合うように」
陰気な男の話に半数の学士達から嘲笑とも取れる軽い笑い声が上がった。遠回しな言い方であったが、要するに戦技学科の人間は兵論学科には手加減をしてやれ、という意味合いだった。学習内容がほぼ訓練となる戦技学科と比べ、座学半分、訓練半分である兵論学科は体力と戦闘技術で明らかに劣っている。それに戦技学科は男性学士が多いのに対して、兵論学科は女性学士の比率が多い。
そもそも術士の比率として男性より女性の方が多いものなのだが、こと戦技学科に限っては武闘派の学士を養成するとあって、男性学士の比率が多くなる傾向にある。いつの時代も、多くの男は好戦的で力を誇示したいと思うものだ。
だからと言って、総合的に見ればどちらが劣っているということもないのだが、実戦重視の戦技学科からすれば兵論学科の戦闘技能というのは一笑に付す程度の実力なのである。それ故に戦技学科の学士達が勘違いの優越感に浸ることも多く、逆に兵論学科は馬鹿にされた空気に当然ながら気分を害し、陰では脳筋の彼らを頭の残念な連中と蔑んでいた。
もっとも、そんな学科対立のことなど理解していないレリィは、初めて装着する訓練用の防具を物珍し気にひっくり返しては観察していた。
「やあやあ、兵論学科のお嬢さん。ひょっとして、防具の付け方がわからないのかい?」
「え? いや、ちょっと珍しくて。大体、わかるよ付け方は。こうでしょ?」
戦技学科の学士と思しき、少し気取った感じのある青年がレリィに声をかけてきた。体格はいいが、どこか上品な印象を受ける。軍関係の貴族子息だろうか、とレリィでさえ想像がついてしまうほどに気位の高そうな雰囲気をまとっていた。
「そんな付け方では激しく動いたときに外れてしまうよ。どれ、僕が手伝ってあげよう」
言うが早いかレリィの背後に回り込み、胸と胴回りを保護する防具の後ろ紐を締めなおす。その際に紐を掴んだ固い拳が、何度かレリィのお尻に軽く当たった。紐を締める手つきでわかるが、相当に腕力がありそうだった。
「これでよし! さて、どうだろう、僕と軽く打ち合いをしてみないかい? これでも戦技学科のなかでは結構やれるほうだと思っているんだ。胸を貸すよ」
ぽん、と肩を叩いて気軽に訓練へと誘ってくる。
――随分と気安い人だな、とレリィには感じられたが、周囲に知り合いもいない現状では向こうから声をかけてくれたのは非常に助かる。なにしろ、レリィからすれば戦技学科と兵論学科の人間の区別もつかない状態だ。
(……戦技学科の人となら、いい訓練になるかな……?)
戦技学科の学士は完全な武闘派と聞いている。そうは言っても世間一般の傭兵などとは違って魔導の鍛錬も行っており、主に身体を強化したり、格闘補助の術式を使ったりして戦う武闘術士だ。
クレストフの話では、対人戦闘で騎士と直接戦うことが多いのが武闘術士なのだそうだ。大抵の場合は騎士の方が圧倒的有利に戦いを進めるのだが、複数人で連携したり、魔導具を駆使することで、騎士の戦闘能力に匹敵する武闘術士も稀にいるのだという。
「僕はアレクサンドロ、よろしく!」
「あたしはレリィだよ。それじゃ、よろしくお願いします」
「ああ、遠慮なく向かってきてくれ」
一礼を交わすと、レリィは軽く半身を引いて自然体を取る。対して、戦技学科の青年アレクサンドロはやや腰を落とすと、脇を締めて両腕を前に防御姿勢で構えて立つ。一見して無駄のない完成された構えだとレリィにもわかる。
(……そういえば、徒手空拳での戦闘ってあんまり経験なかったかも……。どうしよう、適切な間合いとかよくわからない……)
拳を握りしめて、踏み込みを迷っていると相手から声がかかる。
「相手に隙が見えなくても、恐れてはいけないよ! 打ち合いの中で体勢を崩し、隙を作って打ち込む! さあ、飛び込んできてごらん!」
レリィが踏み込みを躊躇っていることに気づいたらしい彼は、両手を広げてから胸を叩き、手招きをして見せる。
(あ――隙ができているかも――)
本能的にそんなことを一瞬だけ考え、思うより早くレリィの体は動き出していた。どん、と大地を蹴って一足飛びに間合いを詰める。体を半回転させるように踏み込んで、右拳を肘先から振り切って裏拳を繰り出す。打撃の瞬間に気合いを入れ込んだ一発が、脇を防御するアレクサンドロの腕に炸裂した。
「えい!」
「――づぁっ!?」
どぅん! と、重々しい音が辺りに響き、防御した姿勢のままアレクサンドロが宙を舞う。地から足は離れ、空を掴もうとするように吹き飛びながら必死でもがくアレクサンドロは、体勢を整えることもかなわずに近くに生えていた木立に激突する。
「げぺ」
好青年の顔立ちもどこへやら、潰れた蛙のごとく手足を投げ出して倒れ伏す。騒がしかった屋外運動場が、まるで夜のしじまのように静まり返る。
遠くから誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。知らない女の子の声と、クレストフの怒声であったような気もするが、ずっと遠くの建物から届く声は今この場にいる人達の意識を現実に引き戻すほどではなかった。
「何をしている。怪我人でも出たのかね」
「あ……シュナイド先生。その、戦技学科のアレクサンドロが……」
沈黙を破ったのは講義の担当教員、陰気な雰囲気を漂わせるシュナイド教授だった。近くにいた学士が地面に伸びきって倒れるアレクサンドロを指差すと、それでおおよそ状況が呑み込めたらしい。
「アレクサンドロの相手をしていた者は?」
「あー……あたしです」
嫌な予感がするな、と思いながらもレリィはおずおずと手を上げた。
シュナイド教授はじろじろとレリィの全身を眺めまわしてから、ねっとりとした口調で詰問をしてくる。
「見慣れない顔だ。所属と名前を言うのだ。このような事態になった経緯も詳しく」
「えーと、あたしは確か……兵隊、じゃなかった、兵法、でもなかったか。あ、兵論学科! 今日から兵論学科に入ったレリィです! レリィ・フスカ!」
「今日からの編入生……。そういうことか、どうあっても自分の騎士をねじ込んでくるとは、甚だ迷惑なことをする男だ。それで初日からこの騒ぎと……なおさらに忌々しい……」
シュナイド教授は静かに怒気を発しながらぶつぶつと文句を垂れている。レリィはひたすら気まずいながらも、気の利いた返答もできずに苦笑いを浮かべるしかない。そんなレリィの態度が気に食わなかったのか、シュナイド教授はゆっくりとレリィに歩み寄ると、上から見下すように睨みつけてくる。
「己の力を振りかざすのは、さぞ気分がいいのだろう。しかし、今は訓練の時間である。『相手の実力にも配慮したうえで打ち合うように』と、小生は初めに言ったはずだが」
「あははっ、ごめんなさい。相手の人すっごく自信満々だったから、これくらいは大丈夫かと思ったんだけど、予想以上に軽くて」
軽い、というレリィの発言に、アレクサンドロを抱き起こしていた戦技学科の学士がぎょっとした顔でレリィを見上げた。体格のいい青年男子が軽いわけがない。普通に考えて、何の術式補助もなしに腕一本で宙を舞わせるなど尋常ではないのだ。
ちなみにレリィの感覚だと、特訓の相手を時々やってくれるクレストフは『非常に重い』と感じる。クレストフの場合はいつも重量のある装備を着込んでいるのに加えて、防御に長けた動きをするので、中肉中背の見かけに反して重いと感じるのだ。
「なんにせよ講義の主旨を理解していない者に暴れられるのは迷惑である。まずは周りの学士をよく見て、己と、他人との違いをよく理解してから、実技に臨んでもらいたいものだ。レリィ・フスカ、本日の訓練では直接の打ち合いを禁じる。これは安全措置である」
「あ、はい。反省します」
素直に悪いことをした、と感じたレリィは即座に謝ったのだが、それがまた軽薄な印象に取られたのかシュナイド教授は神経質そうに頬を引きつらせた。
「訓練を再開する!!」
荒々しく訓練再開の号令を発して、シュナイド教授は指導の定位置に戻る。
講義に参加していた他の学士達もそれぞれに訓練へと戻り始めた。
レリィはとりあえず自分が殴り飛ばしてしまったアレクサンドロの元へと向かった。
「彼、大丈夫?」
「あ、ああ。たぶんな。一応、校医のところへ連れていって、体調の確認は必要だろうけど」
介抱していた別の学士は、ちょうどアレクサンドロの体を二人がかりで持ち上げようとしているところだった。
「じゃあ、あたしが責任もって連れて行くから、君たちは授業に戻ってよ。校医さんのいる場所はどこ?」
「え? 校医はすぐそこの医学研究棟の一階にいるけど……。君一人で運ぶのはいくら何でも――」
ひょい、とレリィはアレクサンドロの体を小脇に抱える。爪先は引きずってしまうが近くの建物まで運ぶ分には問題ないだろう。
「それじゃ、あたし行くから」
「おお……驚いたな、こりゃ……」
「なんて怪力だ……」
男一人を抱え上げるレリィに、戦技学科の学士二人は目を丸くして運ばれていくアレクサンドロを見送った。
こうして、レリィの学院における初日の講義は終わった。
突然襲来した嵐のような編入生の登場に、戦技学科と兵論学科の学士達は常ではない雰囲気を感じて、にわかに浮足立っていた。
その一方で、先生に怒られる、という学校ならではの経験をしたレリィは実のところ満更でもない気持ちで、明日からの講義にも全く気後れすることなく参加するのだった。
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