第227話 学術都市グルノーブル到着


 ラウンジから個室へと戻ると、レリィが相も変わらず窓に顔を引っ付けて騒がしく声を上げていた。

「おぉ~!! おー! おー! 何あれ、街!? 四角い!! 首都も凄かったけど、こっちも凄いなぁ」

「あれが学術都市グルノーブルだ。そろそろ着陸態勢に入るぞ。飛行船が傾くから、ちゃんと椅子に座っていろ」


 眼下に広がる樹海。その一画が大きく四角形に切り取られ、街が広がっていた。俯瞰するその光景は一見して小さく見えるが、飛行船の飛ぶ高度からするとかなり大きな街であることが想像できる。街の南部には円形に配置された壁に囲われた、周囲の街とは一線を画す建物群が見える。懐かしい、アカデメイアだ。

 広がる街からやや離れた場所、森を切り開いて出来たまっさらな着陸場に向けて、魔導飛行船が速度を抑えながら機首を下げ徐々に高度を落としていった。

 既に目的地は見えているが、速度を落とした飛行船が着陸するまでは、まだしばらくの時間がかかるはずだ。


「……そういえば、細かいこと聞いていなかったけど。アカデメイアってどういうところなの?」

「世界最古にして最高峰の学術機関、ありとあらゆる学門の記録を集約し、新たな知見を開拓していく……」

「あー、そういうのじゃなくて! ほら、あたし学校とか行ったことないからわからないんだよね。子供達が机を並べてお勉強するのが学校、くらいのことしかさー」

「なんだと……?」

 学校に通ったことがないと言い切るレリィに、俺は呆れ果ててなかなか言葉が出てこなかった。

「お前……やけに無知だと思っていたら、本当に無学だったのか……」

「あっ! あーっ! 馬鹿にしてる! あたしのこと馬鹿にしている目だ!」

「していない、していない。ただ、それならば仕方ない、と本気で思っただけだ。お前の馬鹿は」

「やっぱり馬鹿にしてるしー!!」


 拳を振り上げて軽く、いやかなり強烈に俺の肩をぼかすかと殴ってくるレリィをどうにか落ち着かせるため、一つ彼女の勘違いを訂正してやることにした。

「アカデメイアは確かに学校ではあるが、最高学府だからな。お前と大差ない歳の連中が糞真面目に研究をしているところだ。もちろん、教授による講義というのも学士向けに開かれているから、机に並んで勉強、というのも間違っていない」

 次第に興奮が治まってきたレリィの頭を押さえ、席に着かせると俺は窓の外を改めて見た。

 レリィと話をしているうちにも飛行船は高度を下げており、グルノーブルの街全体を見渡すことはできなくなっている。その分、街の細部が見えるようになり、懐かしさが込み上げてくる。

 その懐古の念には、俺自身が驚いていた。当時は必要な知識をひとしきり得たら、さっさと卒業することしか頭になかったのだが、こうして戻ってみれば故郷のような感慨深さがある。

(……船内のラウンジでアカデメイアの女学生を見かけたからかもな。今の今まで忘れていた学院の生活が、記憶として蘇ってきたのかもしれない……)

 最近はほとんど思い出すこともなくなっていたが、アカデメイアに到着すれば色々と思い出すことも多いだろう。それゆえの懐古の念か。

「クレス……なんだかボケたお爺さんみたいな表情になってるよ?」

「ほっとけ!!」



「ふぁ~、やぁーっと着いた! んん~、もう体が固くなっちゃうよ」

 大きく背を反らして胸を張り、レリィはこれ見よがしに腰を叩いて見せる。着陸前、席に縛り付けられたことを根に持っているのだろう。着陸寸前に突然はしゃぎ出したレリィを文字通り、俺が物理的に縛り付けたのだ。俺の術式、『銀の呪縛』はレリィが闘気を発して暴れでもしなければ、容易に解けるものではない。

(……無駄なことに魔蔵結晶を消費してしまったな……)

 しばらくの滞在となることもあって、魔導回路を刻んだ手持ちの結晶は多くある。既に魔導因子を充填させてある魔蔵結晶も相当数、アカデメイアに直送してあるし、手持ちもかなり多めに持って来てはいるのだが、あまりにくだらないことで術式を使ってしまい軽く後悔した。


 グルノーブル郊外の飛行船着陸場に降り立った俺は、レリィから目を逸らすついでに何気なく周囲を見回したところで、見知った顔と目が合った。

 縁なしレンズの鼻眼鏡をかけた女学生、大きなトランクを持ち、小脇に花柄の本を抱えている。飛行船のラウンジであったアカデメイアの学士だ。こちらの視線に気が付いた女学生は軽く会釈をすると、小走りでこちらに駆けてきた。荷物が重いのか、よたよたと左右に揺れているのが少し不安にさせる。

「あの! 先程はどうも! 長旅、お疲れ様です」

「あぁ、君こそ荷物が重いだろうに、そんな駆けて来なくても」

「いえ、もう一度、お話をしたいと思って探していたんです。でも、飛行船から中々出て来られなかったので……」

「まあ、ちょっとな。『荷物』を降ろすのに手間取っていたんだ」

「お荷物……ですか?」

 ちなみに俺は手荷物を黒い鞄一つしか持っていない。彼女が首を傾げるのも当然だろう。そして、俺が言っている荷物というのは当然、レリィのことだ。

 銀の呪縛で縛り上げたまま着陸し、レリィが落ち着くまで待ってから解呪したので、飛行船を降りるのが遅れただけである。


「あれ? その子、誰? クレスの知り合い?」

 ここでようやくレリィが女学生の存在に気が付く。一応、レリィは俺の護衛的立場なのだから、知らない人物が駆け寄ってきたら真っ先に警戒すべきなのだが……。まあ、危険な気配がなかったから、反応しなかっただけと信じたい。

 のんびりとした調子のレリィに反して、女学生の方は明らかに動揺した様子を見せる。

「え? あ! お連れの方、いらしたんですか? す、すいません、一人旅かと思って気安く声をかけてしまって……私も独りぼっちだったものだからつい……お邪魔なら私――」

「気にしなくていい。確かに連れではあるが、気を使う必要のある奴じゃない」

「そうそう、別にあたしに気を使う必要はないよ。クレスはもうちょっと気づかいがあってもいいけどね」

「余計なことは言わんでいい」


 俺とレリィの掛け合いに緩い空気を感じ取ったのか、女学生はほっとした様子で息を吐いた。

「そうですか。それなら気にしませんが……。改めて自己紹介させてください。私はナタニア。アカデメイアに通う博士課程ドクターコースの学士です。専門は魔導素材の研究です」

「俺はクレストフ、こっちのはレリィだ。それにしても博士課程の学士だったとは驚いたな、学部生かと思っていた。……魔導素材研究が専門ということは、魔導学部の魔導素材学科卒か?」

「はい、魔導剣の回路耐久性についての研究で卒論を出しています」

「そうか、だとすれば俺の後輩だな。俺も魔導素材学科卒だ。修士課程マスターコースで早々と修了して、アカデメイアは出てしまったが」

「うわ、学科の先輩だったんですね! それにクレストフってお名前、もしかしてベルヌウェレ先輩ですか?」

「ああ、そうだ」

 軽い肯定。それに対するナタニアの反応は劇的なものだった。


「わ! 本当に!? 私、先輩の論文、何度も読んで参考にしました! 魔導回路における基板の集積効率に関する研究、ものすごく役に立っています!」

「あの論文か、懐かしいな。もう時代遅れの内容だろう?」

「そんなことないです! 学部生にとっては、講義で配られる教本よりわかりやすくて好評ですから! あれを十年以上前に、しかも二学年飛び級で十五歳の学士が書いたって聞いたときは、自分の才能のなさに絶望しかけたほどです!」

 それは果たして誇っていい評価なのか?

 飛び級に関しても、普通は四年かけて取る講義を無理に詰め込み二年で取り切っただけだ。アカデメイアに入学年齢の制限はないからと、試しに受けた試験に十四歳で合格してしまい、当時は魔導技術連盟とアカデメイア、二足のわらじで忙しくしていた。もっとも連盟の方は特に義務などないため、所属だけしておいて、たまに小遣い稼ぎの仕事を請け負っていた。あとは定期的にアカデメイアでの研究成果を報告していたら、勝手に昇級していたのである。


「まあ、言われてみれば学部生向けの教本はわかりにくくて、むかついて自分がわかるようにまとめた結果があの論文だからな。我ながら基礎理論を綺麗にまとめられたとは思うな、うん」

「魔導素材学科の学士にとっては一番の愛読書バイブルになっていますから」

 そこまで言われると俺も鼻が高い。当時はいかに強力な魔導回路を構築するか、躍起になって模索していた頃だ。騎士を超えたいという一念から、ありとあらゆる素材を基板にして研究した集大成は、今の俺の魔導技術を支えるいしずえでもある。それが後輩の役にも立っていたなら、なお嬉しいことだ。


「……話が複雑過ぎて、ついていけない……」

 俺とナタニアが論文の話で盛り上がるなか、レリィは一人、頭を抱えてうずくまっていた。

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