第222話 善意の喜捨

 船着場へと向かう道すがらカナリスの街並みを眺めていると、どこかで見たような、黒い修道服を着た若い女性が箱を持って何やら叫んでいた。

「恵まれない人々に愛の手をー! 明日を生きるために立ち上がる手助けをー! あなたの気持ちの余裕が、困った人を助けまーす」


 以前にも聞いた覚えのある声と台詞。珍しくもない聖霊教会の募金活動がまたしても行われていた。

「そこのお金持っていそうなあなたー! ぜひ、人助けだと思ってご協力をー……って、いつぞやの守銭奴じゃないですかー!! 今日という今日こそは、耳そろえて出すもん出してもらいますよー!! ほらほらっ!!」

 無遠慮にも人の顔にぐいぐいと募金箱を押し付けてくる。確かメグとかいう名前だった。こいつは本当に修道女なのだろうか?


「人が借金でもしているかのように言うな!」

「何を言ってるですかー! あなたのような金回りの悪い守銭奴は、それだけで社会に対して損害を与えているのですよ! それはもはや大きな借り、人生の借金と言い換えても過言ではないのですっ!」

「わけのわからん屁理屈を……。もういい、これをくれてやるから騒ぎ立てるな」

「ふあぁ?」

 街角募金には勿体ない額、金貨を一枚、メグの鼻先に突きつけてやる。募金箱に入れようとした俺の手から、慌てて金貨を奪い取ったメグは燦然と輝く金色の硬貨を天に掲げてしばし見つめると、おもむろに自分の服の懐へ金貨を潜り込ませ――。


「こらこらこらっ!! きちんと募金箱に入れろ!」

「ちっ……。こういう時だけ生真面目な守銭奴ですぅ」

 受け取った金貨を、渋々と鍵のかけられた募金箱へ入れるメグ。がちゃり、と重みのある音が箱の中で響いた。

「あ、じゃあ、あたしも少ないけど募金しようかな。はい、メグさん、どうぞ」

「え、彼女さんも募金してくれるですか?」

 レリィは銀貨を二枚。募金箱へ先に入れられた硬貨と打ち合って、がちゃがちゃと鈍い金属音が鳴った。

「募金活動、がんばってね」


「あ、あ、あぁ!? ありがとうございますー!! これできっと、大勢の困った人を助けられますー!」

 頭を地面に打ち付けそうな勢いで何度も下げ、メグは元気よくお礼の言葉を返す。たかだか金貨一枚、銀貨二枚、それで救える人の数など大したものではない。それでも、救われる者は確かにいるのだろう。

 別に知りもしないどこかの誰かのために寄付をしたところで、何かの贖罪になるなどと考えたわけではないが。


「はぁ~。これで今日はあの老いぼれ司祭に折檻されなくて済むです。助かってしまいましたー。もう今日のお勤めはおしまいですぅ。ふぅー、やれやれ……たまには早く帰って惰眠を貪るとしますかー」

 まだ昼を少し過ぎたばかりだというのに、メグは早々に募金活動を切り上げて帰り支度を始めていた。俺とレリィの善意によって、不実な修道女の仕事終わりが早まったようだ。

(……こいつを救ってやるつもりで募金したわけではないんだが。まあ、さち薄そうな奴だからいいか……)

 以前よりもいくらか、心の余裕はできた。この程度のことで俺は腹を立てたりはしない。

 何より、妙に嬉しそうにしているレリィの顔を見てしまえば、このくだらない募金活動にも意味があったのだと思うこともできる。もちろん、俺には打算的な意味合いもあっての行いだったが、そこまでレリィに伝える必要はないだろう。

 これは俺の『善意』なのだから。




 修道女メグはその日、早々に教会施設へ戻ると募金活動の成果を上役である老司祭に伝えていた。

「もう、驚きましたー。まさか、あの守銭奴が奮発して金貨を渡してくるなんて! これは天変地異の前触れかもしれません。というわけで、凶事に備えて今日は早めに休ませて――」

「メグ。募金はお金を寄付してくれた方の善意です。あなたが一日に受け取った金額の大小は、あなたが果たすべき勤めとは別です。勝手に奉仕の活動を切り上げてきた罰として、教会の床磨きと窓拭き、礼拝堂の壊れた椅子の修繕と庭の落ち葉を綺麗に清掃すること。いいですね?」

「ふぁあああっ!? 仕事、増えているです!?」

 老司祭の厳しい説教を受けた後で、メグはふらふらと教会内の清掃へ向かった。

 その間に老司祭はメグが持ち帰ってきた募金箱の鍵を開けて、中身を確認する。


 金属の擦れ合う鈍い音と共に机の上に広げられた硬貨の山。くすんだ色をした沢山の銅貨に混じって、金色に輝く貨幣が一枚、紛れ込んでいた。

「これは驚いた。本当に金貨が入っていますね……」

 金貨を摘まみ上げて本物かどうか確認し、老司祭は目を疑った。

「――こ、これは、古代ジェルマニア純金貨!?」

 通常金貨の十倍の価値はあるとされる金貨である。だが、老司祭が驚き、動揺したのは金銭的価値によるものだけではなかった。


 老司祭が慌てて金貨を放り投げた瞬間、金貨を摘まんでいた人差し指と親指の間で青い火花が散り、古代ジェルマニア純金貨から鋭く輝く青い結晶が生え出した。

「ぐぅっ!?」

 瞬間的に成長した結晶が老司祭の右腕を貫き、強烈な電撃を放つ。腕の筋肉内部から直接、強力な電撃を流された老司祭は体を仰け反らせて転倒した。


 しばらく床に伏して呻いていた老司祭であったが、やがて息を落ち着かせると床に座り込んだまま上体を起こした。

「……してやられましたね。結晶術士クレストフの仕業ですか……」

 錬金術の魔導材料としても優秀な古代ジェルマニア金貨を使った呪詛。

 電撃の熱で融けた金貨の中から、どうやって埋め込んでいたのか知れないが、金とは別の小さな金属片が飛び出していた。恐らくはそれが、呪詛発動の引き金となった媒介物。

慈悲の短剣ミゼリコルデ……の欠片かけら。短剣に深い関わりのあった者に対して、金貨に触れた際に呪詛が発動するように仕掛けていた……というところですか。わずかな接点を通して呪詛をかけてくるとは、恐ろしい男です」


 老司祭が慈悲の短剣ミゼリコルデを精霊術士リーガンに渡したことを調べ上げたのだろう。募金を装って、呪詛を込めた古代ジェルマニア金貨を老司祭の手元に届くよう仕向けたのだ。

 カナリスの街にある教会支部は小さい。ここで働いているのは老司祭とメグ、それに数人の若い修道女達だけだ。募金で集めたお金の管理などは、当然ながら若手の修道女達に任せるわけにはいかない。募金箱には鍵がかけられているし、最終的に老司祭が募金箱の中身を確認するのは必然と読んで、あの男は大胆にも呪詛を仕掛けてきた。


 これは報復であり、警告である。

 一級術士クレストフ・フォン・ベルヌウェレに害をなそうとすればどうなるのか。

 例え陰から糸を引こうとも、その細い糸を辿って報復を完遂させる。それがの男の恐ろしさである。


 老司祭が死ななかったのは、呪詛が必殺の威力ではなかったからだ。

 それでも当たり所が悪ければ死ぬ程度に強力ではあった。

 運よく生き残れば警告となり、運悪く死ねば報復となる。

 呪詛をかけた相手がどうなろうと知ったことではないという無関心。

 ただ、自分に関わるなと言う意思の表明。


「……これ以上、あの男に関わるのは教会の利益にもならない。悪魔との契約は完全に切れていると確認した、という言い訳で教会本部には納得してもらうほかありませんね。やれやれ……」

 自分の身に降りかかった呪詛を見せてやれば、規律に厳しく頭の固い連中でも我が身可愛さにクレストフへの手出しを止めるだろう。そもそも、本来なら宝石の丘の一件で区切りがついた話だったのだ。教会屈指の悪魔祓いエクソシスト、黒き聖帽の四姉妹が失敗した時点で。さらに言えば、教会が悪魔認定していた精霊・宝石喰らいジュエルイーターがクレストフとの契約を解除して姿を消した時点で。

 教会上層部のくだらない体面の為にクレストフ暗殺を完遂しようとした結果がこれだ。個人的に恨みを抱えた復讐者に、慈悲の短剣ミゼリコルデを渡しただけで手痛い反撃を受けてしまった。


「まったく、我ながら中途半端な勤めでした。これでは修道女シスターメグを叱る資格もない」

 完全なる敗北に、老司祭は日が沈むまで礼拝堂で懺悔を続けた。

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