第221話 語り部のリラート

 運河沿いの一般食堂にて、汽笛を鳴らしながら行き交う船を眺めながら、俺とレリィはカナリスの街で最後の昼食を済ませていた。

「この街とも、もうすぐお別れだね」

「そうだな。今度は本当の休暇で来たいものだが……」

「また来ようよ! 今度こそ、本当に、仕事なしで!!」

 仕事なし、をやたらと強調するレリィに俺は苦笑しながら頷いていた。まさに、俺も同感だった。


 新支部での戦いのあと、俺達は事後処理のためカナリスの街にしばらく滞在していた。

 魔導技術連盟カナリス新支部の支部長が、連盟本部の一級術士を暗殺しようとした事件として、カナリスの街はしばらく大騒ぎになった。

 なるべく騒ぎにならないよう情報統制を敷いたのだが、真昼に起きたカスクートの殺人姉妹による食堂襲撃や、深夜の旧支部近辺での戦闘はかなり多くの目撃者がいたようで、カナリス新支部のミルトン支部長が逮捕されたことも受けて半ば周知の事実となってしまっていた。


 カナリスの魔導技術連盟は今後、新支部と旧支部を統合してマシド支部長がまとめていくことになった。新支部に所属していた術士達は、今回の暗殺騒動には関わらないようミルトン支部長が指示を出していたようで、直接の罰を受けることになったのは俺を襲撃した狼人達、ハミルの魔導兵、虎人のティガに精霊術士のリーガンといった限られた人物だけだ。

 その中でも複雑な立場となったのはセドリックだった。一流騎士として一目置かれていた人物だけに、騎士協会はセドリックを何とか庇護しようと動いていたが、魔導技術連盟の強烈な圧力によってそれもできず、さらには魔剣に支配された経緯から『剣神教会』に身柄を引き渡されることになったのである。



 新支部での戦闘が終わって七日後のこと。何の因果か、セドリックを連行しに来た剣神教会の使者は俺の知る人物、剣聖アズーだった。

 アズーは宝石の丘の旅路で同行した人物の一人だが、旅の途中で魔剣の担い手を追ってそのまま行方知れずになっていた。

「クレストフ殿、久しいな。これも因縁というものか」

 動きやすさを重視した軽装の鎧を身に着け、立派な拵えの剣を背負ったその姿は、かつて共に旅をした時と全く同じ格好だった。腕や肩、首元など、肌の見える部分には、鮮やかな青と緑で彫り込まれた刻印が浮き上がっている。

「あんたこそ、生きていたんだな。あそこから一人で帰還したのか?」

「うむ。どうにか魔剣の担い手を倒して、な。帰還後は剣神教会に戻り、また別の任務で各地を渡り歩いていた」

 アズーが別れたのは宝石の丘にかなり近づいた地点でのことだ。案内もなしに、よく無事に戻れたものである。

「別の任務を……。しかし、そんなに早く戻れたのか? 一体、どうやって……」

「聖剣、正しき道ジュステヴィオンの導きがある。剣神教会へ帰還する道のりに限るならば、時空の歪みを避けて最短距離で戻ることもできる。それでも帰還までに二年近くかかってしまったが」

 行きの道程だけで八年かかったというのに、送還術も使わずに二年で戻れるとは。剣聖というやつはどこか人間離れしているようだ。


「此度の魔剣はクレストフ殿が破壊したと聞いているが、事実に相違ないか?」

「正確には俺の専属騎士が魔剣を破壊した。人体に潜伏する特徴を持った魔剣だったが、セドリックの体にはもう潜んでいないと思う。最終判断は専門家のいる剣神教会に任せるけどな」

「ほう……一流騎士が担う魔剣を破壊した……。それも、担い手の騎士は生かして魔剣だけ? 実に素晴らしい相方がいるのだな」

「まあな。今回の事件では一番の功労者だろうよ。ほら、そこにいる奴だ」

 レリィはと言えば、事件後は三日ほど寝て食って、ひたすら眠りこけを繰り返して体力回復に努めていた。五日目には騎士協会から事情聴取をさせてほしいと連絡があり、最寄りの騎士協会に足を運んでいた。そして七日目、アズーがセドリックを連行しに来たときには、主にセドリックの監視役として立ち会っている。


 セドリックの横に立つレリィを見て、アズーはやけに納得した顔になっていた。

「ふむ、このお嬢さんが? なるほど、不思議な闘気を帯びている。どこか、我々に近しいものを感じるな……」

 剣聖に親近感を抱かれるとはレリィも大したものだ。当の本人は、剣聖がどういう存在なのかよくわかっていないのか、曖昧に愛想笑いを浮かべて首を傾げている。


 ほどなくして、アズーはセドリックを連れてカナリスの街を出立した。

 セドリックは終始無言で、見た感じでは疲れ果てて精根尽きたような表情をしていた。同時に、何か憑き物が落ちたような、そんな印象も少しだが見られた気がする。



 メルヴィは事件後、しばらくカナリスの街でぶらぶらとしていたが、やることもなくなったのか本拠ホームに戻ると言い出した。

「そう言えば、メルヴィ。お前は普段、何をしているんだ? 本拠というが一人で暮らしているのか?」

「あららぁ、なーにお兄さん。心配してくれるの? だったらぁ、私、お兄さんのおうちに遊びに行っちゃおうかな~」

「えぇっ!?」

 いつも通りメルヴィの冗談なのだろうが、真に受けたレリィが素っ頓狂な声をあげて慌てだす。

「別に居候の一人くらい増えても構わんぞ。部屋は使いきれないほど空いているしな」

「そ、じゃあ、気が向いたときにでも遊びに行くわぁ。ひとまずは本拠に戻って、お姉様の研究を整理しなくちゃいけないから、いつになるかはわからないけどね」


 メルヴィオーサは、もしも自分の身に何かあったときには、自分の研究を引き継ぐ人間としてメルヴィを用意していたらしい。複製体クローンとは言え、一人の人間として確固たる自我を持つメルヴィは、メルヴィオーサの研究を整理したら旅に出ると言っていた。

「もし、魔導技術連盟に登録する気なら首都の本部に来るといい。メルヴィオーサの研究を引き継いだお前の能力なら、三級術士ぐらいからでも始められるだろう」

「まー、それも気が向いたらねぇ。別に出世欲があるわけでもないしぃ」

 のらりくらりと将来のことは決めずに、気の向くままに暮らしていくらしい。この図々しい性格のメルヴィならば、どうにでもうまくやっていくだろう。

「じゃあな。気が向いたら首都に遊びに来い。ミランダもな」

 相変わらずメルヴィの胸元から小さな頭を出している妖精人形のミランダにも別れの挨拶をしておく。

『そうね、機会があればそうさせてもらうわ』

 素気ない返答だけして、ミランダはメルヴィの服の中に隠れてしまった。結局、ミランダが何者なのか、はっきりとはしなかった。ただ、宝石の丘に関係する人物であるなら、一人だけ心当たりがあった。本人が敢えて素性を明かそうとはしなかったので、俺も尋ねるのは野暮だろうと聞かないことにしていたが。


「レリィお姉さんも元気でねぇ」

「うん。メルヴィも、元気でね。その……遊びに来る時は事前に連絡してよ? びっくりするから」

「あはは、そぉれがいいんじゃない! お姉さんが驚く顔、私は見てみたいから! いつか遊びに行くかもね。それじゃっ!」

 メルヴィは最後に「きらりん!」と口で効果音を発しながら、怪しげなポーズを決めて去っていった。




 カナリスの街を出る前に食事を済ませた俺とレリィは、首都近郊の港へ向かう旅客船の発着場へと向かう途中で烏人の吟遊詩人と擦れ違った。

「宝石の丘の冒険譚、その旅路の終着。この目で見届けさせて頂きました。ありがとうございます」

 真っ黒な羽毛の間に色彩豊かな飾り羽を身につけた派手な姿の烏人、街へ到着してすぐ出会った吟遊詩人、語り部のリラート。

 言い回しからすると、何かしらの方法で俺の行動を監視していたようだ。録場機の映像も見られたということか。

「宝石の丘の冒険譚、か。毎日のように、ここで詠っているらしいな」

「恐れ入ります。英雄ご本人にはお耳汚しの拙い詩ではありますが、連日、聴衆の皆様方には好評を頂いております」

 知っていた。暗殺未遂事件のあと、他にも隠れ潜んだ復讐者がいるのではないか、と街にいた疑わしい人物は一通り調べたのだ。その一人が烏人の詩人、語り部のリラート。


「冒険譚の第十六節、医療術士ミレイアの死はどうやって知った? 俺ですら詳細は把握していなかったことだ」

「私はあの場を見ておりましたゆえ」

「見ていた?」

 まさか烏人の同行者の一人だったのか。しかし、彼らは全員、道中で行方不明になっていたはず。

 自力で戻ったのか。確かに不可能ではない。俺のように体に魔導回路を刻み込んでいなければ、送還術で帰還することは可能だ。

 烏人はばさりと翼を空打ちすると、小首を傾げながら嘴を開いた。


「私の契約精霊を同胞の一団に紛れさせ、遠き地より操り、旅の様子を見ておりました」

「精霊だけを寄越して、視覚を共有していたのか。あの遠距離でそんなことが可能とは……」

 リラートは簡単に言ってのけるが、あそこまで遠距離で契約精霊を操れるというのは、精霊術士としては第一級の力量ではないのか。


「ですが道中で同胞が死に、仮宿を失ったことで私の精霊も異界に呑まれてしまいました。残念ながら、伝説の秘境を目にすること叶わず。それゆえ、冒険譚の完成には生き証人のお話を聞くか、録場機の記録を確認するほかなかったのです」

 精霊を操る術式にそこまで長けているわけではない俺としては想像の域を出ないが、あの場にいなければ知りえない事をリラートが知っている以上、彼が語っていることは真実なのだろう。他にも旅の裏話を知っているのは、冒険の生き証人、例えばこの街に来ていた剣聖アズーに話を聞いたのかもしれない。

 ただ、いずれにせよ、この烏人が少なからず宝石の丘の旅路に関わる者なら――。


「それで、お前も俺のことを恨んでいるのか?」

「恨む? 私が、貴方を? 何故?」

 黒い眼をぱちぱちと開け閉めして、首を傾げる烏人のリラート。全く同じ仕草をする烏人と、俺は過去に会っていた。

「旅の同行者にいた烏人達。その縁者なら、逆恨みをしても不思議はないだろう」

 リラートは突然、ばさり、と翼手を打って、得心したという表情を見せる。ほとんど顔の筋肉が動かないのに、納得した様子が見て取れるのは吟遊詩人ならではの表現力というものかもしれない。


「旅に同行した烏人と言いますと、黒猫商会に所属していた烏人のカグロのことでしょうか。お気にせずとも、雇い主を裏切るような不心得者、私とは縁なき者にございます」

「そうか。それなら、どうでもいいことだな」

「どうでも良うございますね。偉大なる武勲詩に裏切りは付きものですが、英雄に対抗する敵役としては力不足も甚だしい。そのような些事は捨て置くとして、宝石の丘の冒険譚、これからも詩として広めて問題ありませんかな?」

「好きにしろ。どうせ口止めしても、脚色つけて詠うつもりだろ」

「詩人ゆえに、詠うことを止めれば死んだも同然。殺されても真実の詩を歌い上げる。それが詩人の務めなれば」

 ばさり、と翼を翻して一礼すると、リラートは即興の詩を歌いながら去っていった。


 ――ああ、愚かなる弟よ

 何故、英雄と共に行かぬのか

 目先の宝に目を眩ませ、真なる宝を見誤った愚か者

 お前を詠ううたはない

 黒き瞳の烏人、かぐろなるものカグロ

 せめて冷たき結晶の、記憶の欠片に刻まれよ――


「べたべたの関係者じゃないか……」

 歌いながら去っていくリラートを眺めつつ、俺は思わず独り言をこぼしてしまった。

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