第220話 遺された呪詛
「メルヴィ……わかっていると思うけど。あたしはクレスの味方だよ。もし、クレスが苦しむようなことをするつもりなら……」
メルヴィの宣言に、レリィは水晶棍を強く握り締めて身構える。宝石の丘における事情をレリィがまだ知らないのなら、メルヴィの発言に敵愾心を抱くのも当然だ。
だが、これは俺が正面から向き合わなければならない問題である。
俺は身構えるレリィを制して、メルヴィに尋ねる。
「メルヴィ……その弾劾とやらの前に確認しておきたい。お前は、いったい何者だ?」
俺の質問に対して妖艶に微笑むメルヴィ。
「そうね、まずそのことは教えておいた方が混乱もないわねぇ」
質問に答える気はないか。そう思ったところで、意外にもメルヴィは自分の素性を語り出した。
「私の正体、別に大して特別なものでもないかしら。私は、氷炎術士メルヴィオーサの
死んだはずのメルヴィオーサ。同じ容姿をした人物。それはメルヴィオーサが遺した
「お姉様は私を愛してくれた。言葉や計算、術式の扱いも教えてくれた……。本当に、素敵なお姉様だったわ……」
複製体は大抵、自身の体が著しく欠損した時に移植する生体部品の保険として作られることが主だ。だが、メルヴィに限っては、実際のところ妹のような扱いを受けて育てられたらしい。メルヴィオーサがどういうつもりだったかは知れないが、メルヴィの話を聞く限りでは、少なくとも人間らしい教育を受けて、愛情を持って育てられたのは確かなようだった。
そんなメルヴィが俺の前に現れて、宝石の丘で起きた最後の真実を知る。
――弾劾。それも当然のことだ。
あの旅路で俺が責められるとするなら、唯一、あれだけは罪を認めるしかない。
「さあ、そろそろ幕引きにしましょうか。宝石の丘への旅路、その最終章をもって……ね」
そして、最後の戦いの結末が録場機によって映し出される。
極彩色の岩塊が寄り集まった身体に、濁りきった巨大な水晶を生やした醜悪なる怪物。
宝石の丘の守護者、
息を整え、目を見開き、俺は宝石喰らいと対峙するべく、それまで隠れていた大岩の陰から飛び出した。
目前には宝石喰らいが巨体をさらしている。まだこちらの動きは察知していない。攻撃を仕掛けるには絶好の機会だった。だが、俺は一瞬、動きを止めた。
宝石喰らいのすぐ傍に、足を挫いたのか地面に座り込んだメルヴィオーサの姿が目に入ったからだ。
攻撃を躊躇ってしまった俺と、足手まといを自覚したメルヴィオーサの悲しげな視線が交錯する。
長いようでいて一瞬の判断を迫られた俺は、覚悟を決めて宝石喰らいを睨み据える。メルヴィオーサの姿は敢えて視界から外した。
『呪うなら呪え!!』
俺はメルヴィオーサを見捨てる覚悟を決め、如何なる存在をも無に帰す、絶対死の禁呪を発動する。
『現出せよ、
宝石喰らいの足元に暗い影が広がった。光を遮って作られた影ではない。光さえも呑み込む異界の門が宝石喰らいの直下に開かれたのだ。
ぉごごぉおおおおおおおおお――!!
宝石喰らいが、怨嗟に満ちたおぞましい叫びを上げた。闇が宝石喰らいの岩の体を侵食して、真っ黒に染め上げていく。
原初奈落、その闇に引きずり込まれれば、如何なる存在も絶対の死から逃れることはできない。宝石喰らいの巨体は闇と同化しながら、開かれた異界の門へと徐々に沈んでいった。
その傍らに、足を崩して座り込むメルヴィオーサがいた。呪術に巻き込まれた彼女もまた、ゆっくり闇と同化されつつあった。
メルヴィオーサは俺を見て穏やかに微笑し、全てを諦めた表情で闇に沈んでいった。
誰も言葉を発しない長い沈黙のあと、俺は自ら口火を切った。
「俺が犯した唯一つの明らかな罪は、氷炎術士メルヴィオーサ、彼女を殺したことだ。それだけは責められても仕方のないこと。俺はその罪から逃げはしない」
俺の独白に、メルヴィが一歩、前へと進み出て口を開いた。
「罪を認めているわりには、クレスお兄さん後悔はしていないみたいだけど?」
「あの場において最善の手段を取った結果、そうする他なかったと断言できるからだ」
「ふ~ん……。開き直っちゃってるんだ」
「呪うなら呪え。俺にはその覚悟がある」
メルヴィがまた一歩、俺との距離を詰める。レリィが息を呑み、やや腰を落としたのが気配で伝わってきた。
「呪うなら呪え、かぁ……。その覚悟があるなら、お姉様の最後の呪詛を身に受けてくれる?」
「メルヴィオーサの、呪詛?」
「お姉様は、死の間際に送還術で私へ遺言を飛ばしてくれたの。でもそれは私に向けた言葉ではなくて、本来はあなたに向けられた呪詛だった」
メルヴィオーサがメルヴィに残した遺言。それが彼女を殺した俺に対する呪詛だと言うなら、甘んじて受けるほかない。
「どういう意味かわからなかったけど、録場機が記録した宝石の丘への旅路、その真相を得て私にもようやく理解できた」
メルヴィの細い腕が俺の顎へと伸びて、冴え冴えとした瞳が真っ直ぐに見据えてくる。
「伝えるわ、お姉さまの呪詛。一言一句、そのままに」
艶やかな紫色の唇が笑みの形を刻み、血のように赤い舌が過去からの呪詛を紡ぎだす。
『お馬鹿さん。だって、仕方ないじゃない。罪の意識なんて背負う必要ないのよ』
聞き間違いかと思った。
これは何の呪詛だと言うのか。
それは許しの言葉ではないのか。
「お姉様の最期の表情を見ればわかるわ。最期の最後で、好きな男の泣きそうな顔を見て、一言遺さずに安心しては逝けなかったのねぇ……」
――俺は、あの時どんな顔をしていたのだろうか。自らの手で、メルヴィオーサを闇に葬ったとき。
泣きそうだったのか。泣いていたのか。録場機には俺の表情までは映されていなかった。
「クレス……泣いているの?」
「誰が――」
ぽつりと呟かれたレリィの言葉に反論しようとして、俺は顎を伝っていく雫の感触に気がついた。
メルヴィの腕が動き、頬に流れた水の跡を拭う。それでもまた、雫が一つ二つと流れ落ちていく。
そうか――あの時、俺は泣いていたのか。
覚悟は決めても、平気であったはずがない。
旅の同行者と割り切ってはいても、宝石の丘まで共に旅した仲間だ。
自らの手で殺めることになって、どうして平静でいられるというのか。
『そうよ、きっとそうなのよ』
メルヴィの胸元から妖精人形のミランダが這い出してきた。
『あなた、泣いていたのよ。涙を流していたのよ。あの宝石の丘で』
ミランダが俺の肩に飛び乗り、小さな手で目尻の辺りをつつく。布で作られた人形の手は、俺の涙をよく吸い取った。
『宝石の丘の旅路、素直にさらけ出してしまえば良かったのよ。そうしたら、誰もあなたを責めようなんて思わなかったでしょうに。一人で抱え込んで、本当にお馬鹿ね』
俺はずっと許されたかった。
だけれど、宝石の丘に辿り着いた者達は皆、死んでしまった。
そうなってしまっては、いったい誰が俺を許してくれるというのか。
誰もいなかったのだ、許しを与えてくれる者など。
今の今まで、いなかったのだ。
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