第219話 愛しき妹
植木が折れ、地面が抉れ、荒れ果てた魔導技術連盟・新支部の中庭で、セドリックは仰向けになって倒れていた。これまで戦いを傍観していたミルトン支部長が、セドリックの容態を見て治癒の術式をかけてやっている。仮に傷を塞いだとして、すぐに戦えるだけの体力は残っていないだろう。
俺もまた満身創痍の体となり、『鮮血紅化』の呪詛を解いた後はその場に膝を着いたまま、自己治癒の術式で傷を塞ぐのに手一杯だった。
「走り抜けてきた自分の道が間違っていたとは思わないが……」
魔剣に身を委ねてまで復讐に駆られたセドリックを見ながら自問自答する。
「……他人の幸福を踏みにじってきた俺に、幸せになる権利はないのかもな」
己の業が呼び寄せた災いを目の当たりにすれば、自分が決定的な過ちを犯していたのではないかと疑いたくもなる。
弱音を吐く俺のすぐそばに、寄り添うように立つ人影が一つ。
「幸せになるのに、権利も何もいらないよ。ただ、君が幸せだと感じられること。その心さえ残っていればいいと思う」
俺の独り言に付き合って、レリィが率直な言葉を伝えてくる。
この娘は別に楽天家というわけでもない。彼女自身も幾分かの不幸を背負って生きてきた。だから、レリィの言葉に嘘はないのだろう。本気でそう思っているのだ。
「ねえ、クレス。君の心は、もう死んでしまったのかな? 幸せになりたいと願う想いも失ってしまった?」
――どうなのだろうか。何だかんだと考えながら、いまだに心の救いを求めているような気がする。だとすれば俺は、幸福というやつを諦めきれていないのかもしれない。
「いいや……。俺は、どうしようもなく欲深で、恥も外聞もなく、いまだに幸福を求めている」
「……だったら、君はきっと幸せになれるよ。今だって、きっと幸せな心を持てるはず」
「この惨状を見て、それを言えるか? 全ては俺が起因となった事件だ」
レリィは荒れ果てた中庭を見渡して、倒れ伏したセドリック、諦観を見せるミルトン、そしてこの場に連れてきたリーガン、メルヴィ、ついでに地面に伸びたティガへと順繰りに視線を送り、腰に手を当てて溜め息をついた。
「わからないなら教えてあげる。私が、教えてあげるから」
こつり、と握った拳を俺の額に軽く当てる。
「だからもう、そんなに自分を不幸に貶めないで」
よくわからないことを言うだけ言って、レリィは俺の傍から離れた。メルヴィと小声で話し合い、二人で頷きあってからまた俺の元に戻ってきた。
「クレス。この人達にも、慈悲を与えてあげよう」
この人達、と指を差したのはセドリックとミルトンだ。慈悲、とはどういう意味だろう。
「この人達が望んでいたこと、それは復讐だけじゃなかったはずだよ。真実の開示、録場機の記録を見せてあげて」
「レリィ、何故お前がそのことを知って――」
メルヴィが一歩前に出ると、豊満な胸の谷間から見覚えのある棒状結晶を取り出してみせる。
「それは録場機!? だが、俺の録場機はここに……」
「ごめんねぇ~、お兄さん。実はこっそりすり替えていたの。中身は見せてもらっちゃった」
「メルヴィ……、お前の目的はそれだったのか?」
「まーねー、でもとりあえず、私の目的より先にそっちを片付けましょ~」
メルヴィが指を差した先では、意識を取り戻したセドリックが上体をようやく起こしたところだった。
「録場機……そこに、宝石の丘の旅路における真実が記録されているのかね」
セドリックの治療を終えて、録場機を目にしたミルトンの瞳に僅かながら光が差す。けれど、彼の娘であるミレイアが死んだ事実は、録場機を見ても変わらない。そして、残念ながらこの録場機にはミレイアの死に際は記録されていないはずだ。
「あんたの娘の最後までは記録されていない。ただ、旅路の途中における記録には、その姿も幾らか残されているはずだ。もし見たいと言うのなら、そこの手癖の悪い小娘に頼むんだな。俺が録場機を取り上げる前に……」
「や~ん、怖いー。お兄さんてば、か弱い少女から力づくで大事なものを奪うつもりなのぉ?」
このような状況に至っても下品な冗談をやめないメルヴィに少しばかり苛つく。
「……今すぐ取り上げてもいいんだが?」
「冗談、冗談よぉ。お願いだから、もうちょっとだけ貸して?」
媚を売るような仕草で、上目遣いの視線を向けてくるメルヴィ。それで許してしまう俺は、我ながら甘い性格と言わざるを得ない。あるいは、彼女に対して負い目を感じてしまっているのか。
そんなやり取りを黙ってみていたミルトンは、ゆっくりと首を振ると静かに口を開いた。
「よしておこう……。映像を見ても、娘のことを強く思い出してしまうばかりだ。……それに、あの子のことだ。自らの信念の元に宝石の丘を目指しただろうことは、容易に想像がつく。結局、私の復讐は独りよがりの我がままに過ぎなかったのだ」
そう言って、ミルトンは録場機の記録を見ることを拒否した。彼の中では娘の死も、そして俺への復讐にも心の整理をつけてしまったのかもしれない。
「私は……悪いけれどもう、見せてもらったわ……」
歯切れの悪い口調で、目を伏せたリーガンが呟いた。メルヴィが勝手に見せたのか。ちらりとメルヴィの方を睨むと、当の本人は嬉しそうに
「あんたも、宝石の丘の旅路に同行した誰かの縁者か?」
「ええ。精霊術士ダミアンの妹よ」
リーガンの話に俺は眉をひそめた。ダミアンのことは良く知っていたつもりだが、リーガンとは全く面識がなかったからだ。
「ダミアンのやつに妹はいなかったはずだが……」
「義理の妹よ。精霊術士としての才能を買われて、私が養子に入ったの」
なるほど。親しかったとは言え、ダミアンも家庭内の事情までわざわざ俺に話さなかったのだろう。
「ダミアン兄さんは女癖が悪くて、私にも手を出そうとしてきたわ……。そのことが一族の中で問題になったのよ。義理とは言え、兄妹で関係を持つのは世間体がよろしくないってね。ただ一方で、私が兄さんと、その、関係を深めた場合には……養子ではなくて夫婦として一族に迎え入れる、と。でも、ダミアン兄さんは浮気性だったから、大勢の女性と関係があったわ。結局、私とダミアン兄さんの関係は不確かなまま、ひとまず私が養子であることは対外的に秘密とされていたの」
「な、なるほど……」
ダミアンらしいといえばらしい。挙句の果てが、関わった女達を皆まとめて面倒見るために、宝石の丘の旅路に同行して一山当てようとしていたのだから、あいつの生き様は最初から最後までぶれることはなかったということだ。
「……聞いてもいいだろうか、クレストフ」
弱々しい声で、半身を起こしたセドリックが尋ねてくる。
「君は、セイリスの最期を見ているのか?」
セドリックの言葉に、俺の脳裏にまざまざと生真面目だった女騎士の姿が思い浮かぶ。
「騎士セイリスは……宝石の丘まで辿り着いた。最期は一流の騎士として彼の地で強大な悪魔と戦い、その命を燃やし尽くした。遺骸は結晶に封じて残してある。その経緯も、録場機に残されている」
「ここまでの事をしておいて言えた義理ではないが、見せてはもらえないだろうか? 妹の、最期を」
俺は黙って頷き、メルヴィに録場機の記録を開示するよう指示した。事ここに至って、隠し通す意味もないだろう。
メルヴィが録場機をかざすと、幻想的な風景、宝石の丘が映し出される。
緑柱石の樹海の中で、盾と剣を構え毅然と立つのは一人の女騎士。
そして、極彩色の蠢く岩の塊――
辺りに転がる紅玉の岩陰に身を潜めた俺が女騎士へと声をかけていた。
『セイリス、奴の攻撃は避けろ! 受けるんじゃない!!』
警告は一瞬遅く、結晶の弾が雨霰と降り注ぎ、女騎士の盾と鎧を打ち据える。
結晶弾の猛攻に耐えぬくセイリスは、この追い詰められた局面で一流の騎士にも匹敵する闘気を発したといえる。だが、終わりは無慈悲に訪れた。
盾を構えて結晶弾を防いでいたセイリスであったが、ついに一欠けの結晶に鎧ごと腹を貫かれて崩れ落ちる。
その場に倒れたセイリスを、結晶弾の嵐がやんだ隙に紅玉の大岩の裏へと引きずり込む。
『セイリス……! しっかりしろ、馬鹿野郎! 避けろと言ったのに……!!』
ほとんど虫の息となったセイリスは、震える腕を必死に持ち上げて俺の手を弱々しく握ってくる。
『…………師匠……私は、立派な騎士となれたのでしょうか……? ……父や兄に、誇れるだけの騎士に……』
『ああ、認めてやるとも。お前は立派な騎士だよ。誰に対してだって、誇っていい。一流の騎士だ』
『……ありがとうございました……師匠……。……私は……貴方に出会えたことが――』
握った手から完全に力が抜けて、穏やかな表情をしたままセイリスは逝った。
セドリックはふらつく足取りで立ち上がり、録場機の映像を食い入るように見ていた。やがてセイリスの最期が訪れたとき、セドリックは声を出して泣いた。
「ぅあ……あああぁ……っ!! セイリス! セイリス!! ううぅああーっ……!!」
セドリックの慟哭が響き、録場機の映像は途絶えた。
こんなものを見たかったのか。これで納得できるものだったのか。
最初から見せていればセドリックは復讐を考えなかっただろうか。それとも、復讐が失敗に終わった今だからこそ、妹であるセイリスの死を受け入れられるのか。
どちらにせよセイリスの最期は、セドリックにとって辛いものには違いない。
自分が心から大事にしていたものを失ってしまう悲しみ、絶望感。俺も、同じ感情をよく知っているはずだ。
いまだに心の奥に刺さったままの、苦い思い出。
果たしてこれがセドリックにとって、意味のあることだったのか。復讐に代わる価値があったのだろうか。俺にはわからない。
「さ、て! これで他の人の用事はぜーんぶ終わったかしら? 最後は私の用事を済ませたいんだけどぉ、いい?」
妙に明るくはしゃいだ声で、メルヴィがぽんと手を打つ。
――そう言えば、結局のところメルヴィは何者だったのか。今の今まで、俺は明確な答えを得られずにいた。
「これから行うのは、錬金術士クレストフに対する『弾劾』。私はその為に録場機を奪取した」
冷たい、感情のこもらない声で、メルヴィが『罪状』を言葉とする。
「氷炎術士メルヴィオーサの殺害、その責任の是非を問うわ」
メルヴィオーサの殺害。その言葉に俺の心は凍りついた。
ほんの一欠けの希望。都合の良い解釈。
あるいはもしかしたら、メルヴィは、メルヴィオーサが何らかの形で生き残った証ではないのか。その自分勝手な希望は打ち砕かれ、途端に不気味な存在となったメルヴィを前にして、俺は過去の罪と向き合うことになるのだった。
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