第218話 魔剣・溶血花

 黒紫色に輝く涙を流しながら、セドリックが剣を振るう。

 泥のような血の飛沫が鋭いやじりと化して飛び、俺の身体を覆う紅玉の結晶板に深く突き立つ。

「ちぃっ……!!」

 貫通こそしていないが、飛ばした血の飛沫に過ぎないものが防御を破って、俺の皮膚を浅く傷つける。大した速度でもなく、飛んできたものが突き刺さるということは、元となるセドリックの左腕から生えた血刀ならば紅玉の結晶板すら難なく切り裂くかもしれない。


 一流騎士と魔剣の組み合わせは超越種並みに危険で厄介な存在だ。伝説級の悪名高い魔剣は必ずと言っていいほど一流の騎士に憑く。ただでさえ一騎当千の騎士が魔剣によって強化されると、それはもはや魔人と言い換えても過言ではない。

 しかも、彼らのほとんどが街中などの人が多い場所に潜伏して、多大な被害を及ぼすのである。今はまだ自我のあるセドリックも、魔剣に完全に支配されてしまえば俺への恨みや執着も忘れて暴れ出すことだろう。


「魔剣は奴の身体と融合しているのか……。だとすれば、セドリック諸共に魔剣を完全破壊するしかないな」

 正直、今の状況は芳しくない。結晶板の防御が魔剣には通用しないとなると、術式が行使できない分だけ不利になる。

(……金剛杖で何とか戦うしかないか。魔剣相手に真正面から勝負は挑みたくないんだがな……)

 先程までの高揚感もどこへやら、黒紫色に輝く血を垂らすセドリックを前にして、俺は貧乏くじを引かされた気分で構えを新たにした。


「引導を渡してやる、セドリック!!」

『オォォオオオーッ!! クレスト、フ……!!』

 半ば自我を失いながら、血刀を振り上げて襲い掛かってくるセドリック。

 紅玉の結晶板すら切り裂く血刀を、金剛杖はしっかりと受け止めた。

(……金剛杖はひとまず、いける!)

 金剛杖による突きの連撃をセドリックに浴びせ、おまけに側頭部めがけて横殴りの一撃をくらわせる。

 衝撃波が何度も炸裂して、セドリックは体を大きく仰け反らせるが、黒紫色の血で塗り固められた身には決定的な痛手を与えた様子はない。


 それに対してこちらはセドリックの魔剣と打ち合う度に、飛び散る黒紫色の血飛沫が鋭い刃となって、結晶の防御が徐々に刻まれていく。

 次第に結晶の防御を突破して、身体に幾つも浅い傷が付き始めた。

 紅玉の赤と、血の赤が混ざり合い、俺の全身はますます鮮烈に色づけられる。

 戦いは激しい消耗戦となっていた。


 戦闘の最中、突然セドリックが両腕を広げて立ち止まった。

 隙だらけの状態ではあるが、俺は追撃をしない。

 不吉な予感を察知して金剛杖を盾代わりに構えながら、大きく後ろへと飛んだ。

 セドリックが怨嗟の声を上げる。

『血を啜りし魔剣よ! 我が身を貫き狂い咲け! 溶血花エモリージス・フロス!!』

 セドリックの左腕、そして傷ついた体のあちこちから血が噴出す。

 勢いのついた血刀の破片が爆散し、俺の全身に深々と突き刺さる。


「ぐぅうっ!! 魔剣の特性か!?」

 防御の体勢を取って後ろへ下がっていなければ、至近距離で血刀の破片が全弾直撃していたところだ。

 血に混じる黒紫色の泥のようなもの。これこそがおそらくは、魔剣の本体。


 ――魔剣・溶血花エモリージス・フロス――。

 体内の血液の中にその存在を溶け込ませる魔剣。

 宿主が危機に陥ったときには、宿主の皮膚を破って血の刃となり飛び出してくる。

 溶血花の刀身はいつも宿主の血液の中にあるので、鞘は必要がない。人の体、そのものがこの魔剣の鞘となっているのだ。


 四方八方に勢いをつけて飛んだ血飛沫が周囲のものを貫き、血の花を咲かせて咽ぶような血煙を撒き散らす。

 セドリックの有り様を見るに、体への負担と苦痛は想像を絶するものだろう。

 呪術的な力を込められた血刀が、宿主も含めたあらゆるものを切り裂く。担い手を血に染めて破滅させる、まさに魔剣らしい魔剣である。


 黒紫色の血刀と金剛石の杖が激突し、血を跳ね飛ばしながら互いの身を削っていく。

 もはや剣技や武技を競う争いではなく、血で血を洗う獣同士の死闘と成り果てる。

 俺の体はずたずたに、腕や脚を動かすたびに裂傷が空気にさらされて痛みを訴えてくる。

 セドリックもまた体はぼろぼろで、息は荒く、時折、血の塊が喉や鼻を塞いで呻き声となり漏れ出す。


 このまま戦い続ければ双方共に助からない。

 いや、そもそも自分だけが助かろうなどと考えて戦ってもいなかった。

 ただ相手を殺す。理由も何も必要なく、殺意と殺意の純粋なぶつかりあい。

『クレストフっ!! 殺す、殺す! 貴様を殺す!!』

 血痰を吐き出しながら、人とは思えないほどにしゃがれた声でセドリックが呪詛を吐く。

「ほざけっ!! 死ぬのはお前だ!!」

 敵からの殺意を言葉でもって受け、敵への殺意を言葉でもって吐く。明確な言葉として意思が表現されたとき、俺の脳にわずかな冷静さが戻ってくる。


(……まずい。このままでは本当に死んでしまうぞ。俺も……)

 今更ながらに、自身の置かれた状況が理解される。死の瀬戸際、崖っぷちで踏み止まっているに過ぎない。

 どうにかこの戦いに終止符を打たなければと思うも、戦いの流れが確実に両者の死へと向かっている。

 焦りと恐怖が次第に心を支配し始める。弱気は体の動きを鈍らせ、防戦一方にならざるをえない。

 既にセドリックは自我を失い始めて、自分の身を省みない攻撃姿勢となっている。

「糞がっ!! お前と心中する気はないんだよ!!」

 迫り来る死を跳ね除けようと言葉は強く出るが、腕も脚も前には出ない。

 押し込まれる黒紫色の血刀が、形状を変化させながら首筋へと伸びてくる。



 ――翠色の閃光が迸り、セドリックが突然、遠くへと吹き飛ばされた。

 目前まで迫りつつあった圧倒的なまでの死の予感が霧散する。



「助太刀するよ!」

 威勢の良い声と共に姿を現したのは、白の胴着をずぶ濡れにした格好のレリィだった。

 八つ結いにされていた深緑色の長い髪は、全ての束縛を解かれて振り乱され、その髪色は輝く翠に染まっていた。髪に貯蔵した魔導因子を闘気へと変換する、その力が全力で解放されていた。

「ちょっと……! クレスってば、ずたぼろじゃないの!」

「ほっとけ……。だが、いいところで来てくれた。後は、お前に任せていいか?」

「本当に、君は私がいないと駄目だね!」

 叱咤するような、しかしどこか嬉しげなレリィの声。俺を背に庇いながら振り向きはしなかったが、辛うじて見える横顔、その口元は確かに笑みを形作っていた。


「セドリック……どうしちゃったの? 君は復讐に駆られても、騎士らしくある人だと思っていたんだけど」

「無駄だ。魔剣に呑まれてしまった。あれにはもう自我など残されていない」

「魔剣……そう。セドリック、魔剣にまで手を出していたんだね」

 悲しげに呟くレリィ。それでも、感傷に浸るのは一瞬だけのことだった。

「だったら、あたしがぶん殴って目を覚まさせる」

 静かだが、強い決意を含んだ言葉。言うが早いか、今も怨嗟の声を上げながら血刀を闇雲に振り回しているセドリックに突っ込んでいく。

 

「たぁああーっ!!」

 全身全霊、闘気を惜しみなく爆発させて、翠色の光をまとわせた水晶棍でセドリックを思い切りぶん殴る。

 もうまともな構えすら取れないセドリックは、レリィの一撃でまたしても大きく弾き飛ばされた。

 一切、容赦のない殴打の嵐。セドリックが弱っていようが、狂っていようがお構いなしに、レリィの連撃は続く。レリィは闘気の発散を制限していなかった。見る間に髪の色が翠から真紅へと染まり、枯れ果てていく。

「おい!? 飛ばしすぎだぞ。レリィ!」

 案の定、レリィは早々に闘気を発散し尽くして、髪色はすっかり赤く染まりきってしまった。しかし、どこから力を絞り出しているのか、レリィの猛攻撃は止まらない。

 セドリックはがむしゃらに反撃をするが、鏃と化した黒紫色の血飛沫はレリィの体に届く前に硬度を失い、ただの血液となって地面に落ちる。

(魔剣の力が打ち消されている……? そうか、魔剣は幻想種が宿った武器であったはず。それ故に、魔剣の力の源は魔導因子に他ならない。どれほど特殊な現象に見えても、呪術に過ぎないのならレリィの特異性の前には無力――)


 髪に貯めた魔導因子を使い果たした後に発現する、レリィの魔導因子収奪能力。それはあらゆる術士と幻想種の天敵たりうる力だ。

 レリィの攻撃が加えられるたびに、セドリックの体を包んでいた黒紫色の泥が垂れ落ちていく。

『ぐ……うぅっ……。僕は……復讐を果たさなければ……』

 セドリックにわずかではあるが自我が戻り始めていた。レリィの攻撃は緩むことなく、次々にセドリックの体を打ち据えた。

「魔剣に頼って、自分の意志で戦えもしないのなら! 復讐なんてやめなさい!!」

 それまでで一番強烈な、レリィの会心の一撃がセドリックの頭に直撃する。翠の閃光が炸裂して、セドリックの体から黒紫色の泥が全て剥がれ落ちた。

 地面にべったりとへばりついた泥からは、赤黒い靄が発生して天に昇っていく。

「消えてしまえーっ!!」

 振るった水晶棍から、闘気を含んだ烈風とでも言うべき力の奔流が放たれ、赤黒い靄を一気に吹き散らした。


 ――ォォォオォ……


 人のものではない、何か異質な存在の恨みがましい声が風に乗り、消えていった。

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