第217話 騎士殺し

 ――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・最終節』――


 広がる地平は輝く絶景、この世のものとは思えぬ黄金郷

 カンラン石の砂利道に、翡翠の大岩鎮座して

 赤碧玉ジャスパーが巨岩の丘を作りなし、窪地の泉に沈むは無数の石英クォーツ

 丘の上には森があり、緑柱石エメラルドの樹海の中で、

 銀の蔦に絡まれて、薔薇輝石ロードナイトの花が咲く

 樹海を抜ければ聳え立つ、紫水晶アメシストの大晶洞

 これぞまさしく宝石の丘ジュエルズヒルズ、伝説秘境に辿り着く


 果たしてその地で何があり、何処へ行ったか英雄達の帰路知れず

 凱旋するは唯一人、錬金術士のクレストフ

 並び立つ者なき富める人、宝石王のクレストフ


──────────


 一級術士クレストフと一流騎士セドリック、両者が本気となった戦いは壮絶な殺し合いの様相となっていた。


 俺はセドリックへの先制攻撃として、右手人差し指の指輪に嵌めた尖晶石スピネルの術式を発動させる。

(――焼き尽くせ――)

『八面烈火!!』

 拳大の火球が八発、セドリックに向かって放たれる。セドリックは群青色の闘気をまとって、これを正面から盾で防ぎながら突進してくる。迷いのない突進は、並みの術士であれば次の術式を放つ前に斬り伏せてしまう勢いだ。

 しかし、そこは一級術士である俺に隙などありはしない。即座に、今度は右手薬指の指輪に嵌めた苦礬柘榴石パイロープから術式を発動する。

『十二劫火!!』

 合計十二発もの火球がセドリックの構える盾を迂回しながら、四方八方より襲い掛かる。


「くっ――!?」

 間を置かずに、先程よりも強力な術式で攻撃されるとは思っていなかったのか、セドリックは火球の直撃を受けて小さく呻き声を上げる。だが闘気をまとう騎士には軽い火傷程度の痛手しかなく、構わず突っ込んでくる。

「馬鹿正直に突っ込んでくると思ったさ」

 俺は懐から水晶の群晶クラスターを取り出して、目前の地面に投げつける。

(――壁となれ――)

『白の群晶!!』

 結晶中に魔導因子を内包した魔蔵結晶は、術式発動の楔の名キーネームを受けて瞬時に辺り一帯へ水晶の壁を形成する。


 新支部の中庭を埋め尽くすほどに水晶が出現して、セドリックの突進を止めて行く手を阻む。

「立て続けに術式を!?」

 通常は一つの術式を使ったなら、次の術式を放つまでに魔導因子の生成で必ず時間がかかってしまう。例えば精霊の力を借りれば擬似的に連続で術式を放つこともできるだろう。けれどそれはあくまでも精霊の力を借りているだけで、自力では連続で術式を行使できないことを意味する。

 それが三連続で強力な術式を扱うというのは、間違いなく現代の術士にはできないことだ。一級術士、クレストフ・フォン・ベルヌウェレを除いて。


 あらかじめ魔導因子を貯蔵してある魔導回路を刻み込んだ結晶、すなわち魔蔵結晶による絶対的な優位性こそ、この間断なく術式を使い続けることのできる特性。それゆえの圧倒的火力と防衛力である。

(――貫け――)

『海魔の氷槍!!』

 水柱石アクアマリンの魔蔵結晶を惜しみなく使い、青く澄んだ無数の結晶槍を空中に生み出す。鋼よりも硬度の高い水柱石の槍が、セドリック目掛けて雨の如く降り注ぐ。

「――無尽蔵の魔力だとでも言うのか!? おのれ!!」

 周囲を水晶の壁に取り囲まれた状態で降り注ぐ結晶の槍に対して、セドリックはできうる限りの回避行動と、盾で受けずに剣による切り払いで槍を弾き返している。

 この場の対応としては、憎らしいほどに的確な判断だ。舐めて盾で受けるなりしてくれれば、そのまま盾と鎧ごと貫き通して終わりだったのだが。術式に込められた威力を察知して、闘気でも防ぎきれないと見切ったか。

 水柱石アクアマリンの魔蔵結晶は、超越種を相手にしても通用するほどの貫通力を持つ。非常に高価で、作るのにもそこそこ時間がかかるため、決め手の一つとして使ったのだが、セドリックには上手く捌かれてしまっている。


 セドリックは強い。若輩といえども、その実力は間違いなく一流騎士の領域にある。それ故に生半可な攻撃など出せるものではなかった。出し惜しみなしの全力でありったけの呪詛をぶつけてやるのが最善だ。手を抜けば、一瞬で斬り伏せられるかもしれない。

(――斬り伏せられる。そうだな、奴は騎士だ。必ず、接近戦で勝負を決めにくる……)

 そう思った矢先、水柱石の槍が打ち止めになった瞬間、セドリックは大きく飛び上がって水晶の壁を越え、大上段に剣を振りかざし斬りかかって来た。


(――貫け――)

『輝く楔!!』

 楔石チタナイトの魔蔵結晶で、鋭い楔状をした黄緑色の結晶を生み出しセドリックに向けて撃ち出す。セドリックはこれを盾で受けると、半ばまで貫かれたところで放り捨て、両手で剣を握り締めて全力の一撃を放ってきた。群青色の闘気が刀身に集中し、風を切り裂きながら迫る。

 これは生半可な術式で防ぐのは難しい。ならば――。


(――組み成せ――)

『金剛杖!!』

 迷わず金剛石ダイヤモンドの魔蔵結晶を発動させると、金剛石で形成された一本の杖を生み出し、セドリックの一撃を斜め下段から掬い上げるように打ち返す。

 凄まじい衝撃が腕に走り、剣にまとわれた群青の闘気が金剛杖の放つ白い輝きで吹き散らされる。

「くぅっ!! 接近戦で攻めきれないとは……!! 君は本当に術士なのか!?」

「術士は近接戦闘を苦手とする……そんな常識はもう古いんだよ。近距離での術式行使に磨きをかければ格闘戦さえ可能になる」

 セドリックの闘気を込めた一撃と、金剛杖の魔力を帯びた一撃はこちらに軍配が上がったようだ。とは言え、金剛杖を持つ俺の腕の方には少なからず負担がかかっていた。

(……このまま連撃を受けきる自信はないな。腕の方がもたない。強化が必要か……)


 俺は敢えて積極的にセドリックへと打ちかかり、金剛杖による攻撃をセドリックが受けて一歩下がった隙に、次の術式を発動させる。

 懐から取り出した、大粒の紅玉ルビー

(――置き換えろ――)

『……鮮血紅化せんけつこうか……』

 大粒の紅玉ルビーは術式発動と同時に溶融し、俺の手の平へと癒着していく。すると手の平を起点として、皮膚表面に血液が滲み出すように紅玉ルビーの六角板結晶が全身を覆っていった。目の前が真っ赤に染まっていく。眼球さえも紅玉の結晶で保護された証だ。

 禁呪『金剛黒化』に準じる新たに編み出した補助系の術式、『鮮血紅化』。一度使えば完全解除に時間のかかる禁呪を使用するのはリスクが高すぎる。それ故に、使い勝手と効果の高さを兼ね備えた術式の開発を進めてきたのだ。『鮮血紅化』の術式は一日もあれば効果が消えて、元の身体に戻る。半魔人と化すような禁呪ではないので、術式の効果は多少劣るが後のことを気兼ねせずに使用できる利点があった。


 変貌していく俺の姿を見てセドリックが目を剥く。

「……禍々しい姿だな。まさに血塗れの魔人といったところか。いったいどんな呪詛を自分にかけた……?」

 爪の先まで真っ赤に染まった自身の体を観察し、俺は術式の完全な発動を確認した。こうなればもう、俺には一切の隙もない。

「騎士の闘気はほとんど全ての呪詛を寄せ付けない。例えそれが三流であっても、術士が騎士の闘気を打ち破るのは至難の業だ」

 ぎらぎらと白い輝きを放つ金剛杖を両手に握りなおし、俺はセドリックに対して真っ向から接近戦の構えを取る。剣を構えて相対するセドリックに、小さくない動揺が見て取れた。

「だが、十級の位からなる術士の中でも『一級術士』だけは別格。もはや計りきることのできない天井知らずの究極形。それが『第一級』というものだ。故に、例え相手が一流の騎士であったとしても勝てない道理はない。それが例えば――」


 言葉の続き、その解答は行動で示した。

 皮膚に貼りついた紅玉の結晶が赤く明滅すると、爆発的な推進力が生まれてセドリックとの間合いを一挙に詰める。

「速い!?」

 予想外の機動力に焦るセドリック。だが、それはまだ認識が甘い。速いだけではないのだ。

 横手から振り抜いた金剛杖を剣で受けたセドリックであったが、打撃の瞬間に俺の全身が赤く明滅して、さらに金剛杖が白い閃光を放つ。魔力の発現、それによる瞬発力と衝撃力が打撃に上乗せされる。

「うっ!!」

 セドリックの剣を包む群青色の闘気が霧散し、金剛杖の一撃で大きく弾かれた。

「……近接戦闘においても、究極的に高められた術式は騎士を圧倒することができる。魔導とは本来、それだけの潜在性ポテンシャルを持ちうるもの」


 剣を弾いてできた隙に、金剛杖を突き入れてセドリックの鳩尾みぞおちを強かに打つ。

 セドリックは軽く呻き声を上げるが、剣を弾かれた時点で闘気を身体の防御に回していたのか、思ったほどの痛手は与えられていない様子だった。さすがに一流の騎士だけあって防御は固い。

 歯を食い縛りながら再び闘気を全身に漲らせ、群青色の光を剣にまとわせると今度はセドリックの方から攻撃に向かってくる。

「僕とてまだ、全力ではない!!」

 先程よりも迷いがなく速い動き。剣一本の技を磨き上げてきた騎士らしく、多彩な剣捌きで俺に斬りつけてきた。金剛杖とまともに打ち合えば力負けすると考えたのか、剣の切り返しを多用することで、俺が渾身の力を込めた一撃を出せないように翻弄してくる。足元を切り払い、頭部を狙って突き、本命は腕を薙ぐ斬撃。


「取った!!」

 セドリックの剣が、金剛杖の防御をかいくぐり俺の腕を斬った。紅色の火花が散り、腕の表層を覆っていた紅玉の結晶に浅く傷が入る。一瞬だけ俺の腕が赤く光ると、傷はすぐさま新たな結晶で埋められた。

「ぐっ……なんてでたらめな硬さだ……!!」

「紅玉の結晶板に斬撃で傷を付けるか……」

 苦々しい声を出すセドリックとは対照的に、俺は傷を付けられたことを冷静に分析していた。斬撃で傷が付くということは、俺の防御も完璧ではないということだ。


 セドリックは剣を肩の高さに構え突きの姿勢を取る。群青色の闘気が、光り輝くほどに剣の先端に集中していく。戦士としての直感であろうか、斬撃では俺の防御を突破できないと感じて、刺突による一点集中で貫こうという考えに至ったようだ。

(……あれをまともに受けて、無傷でいられるかは賭けになるな……)

 地を蹴ってセドリックが走り出す。真っ向勝負を受けるか否か。

 術士の常識ならばここは距離をおくところだが――。


 俺は全速力で前へと突っ込んだ。どの道、鮮血紅化の呪詛をまとっている間は、他の術式を使うことなどできない。試されるのは紅玉の結晶板による防御の硬さと金剛杖の威力、そして俺自身の武技である。

「ふふっ……はははっ!!」

「何がおかしい、クレストフ――!!」

 おかしいのではない。楽しいのだ。セドリックは復讐のために剣を取ったのだろうが、俺からすればただの逆恨みで迷惑ごとでしかなかった。

 だが、ものは考えようだ。これはいい機会なのだ。

(逃げる必要はない。騎士を超える力を得るために、これまでの研鑽があったのだから。ならば今こそ、それを証明するとき)


「かかって来い、セドリック!! 騎士風情が俺に敵うのか試してやる!!」

「気でも違ったか!? なら望みどおり、貴様は僕が倒す!!」

 群青色の鋭い剣先が目前に迫る。このまま真っ直ぐ突き出されれば俺の胸を貫くだろう。

 その切っ先を俺は空いた左手で掴み取った。セドリックから驚きの声が上がる。

「馬鹿な――!?」

 剣の先端が手の平に突き刺さる。いかに鋼より硬い紅玉の結晶板といえども、一流騎士の闘気で強化された剣を完全に止める事はできなかった。

 しかし、刺さったのは手の平浅く。深く突き刺さる前に俺の指が剣の腹を握りこみ、刀身に爪を立てて穴を穿うがった。


 剣を封じられて動きの止まったセドリックを、右腕に持った金剛杖で殴りつける。

 殴打の瞬間に白い閃光が炸裂する。魔力の衝撃波と打撃力でもってセドリックの左腕をへし折り、勢いのままに金剛杖を振りぬいた。

「――がぁっ!?」

 中庭を全身鎧の騎士がまるで鞠玉まりだまのように転がっていく。

 かなりの距離を吹き飛ばされて地面に摩擦痕を残し、うつ伏せに倒れこんだセドリックの姿を眺めながら確信した。


 ――俺は今、騎士を超えた。


 真っ向勝負、力と力のぶつかり合いで、騎士に打ち勝ったのだ。

「くくくっ!! あはははっ!! 楽しいなぁ、おい!! 圧倒的な力で敵を倒す、これが騎士の優越感か? いや、その騎士を倒したのだから、それ以上の心持ちということか!」

 宝石の丘より帰還して一級術士として大成した俺は、有り余る財力と魔導素材の天然宝石を惜しみなく使った研究で、騎士を超える力を手にしていた。ただこれまではその力を試す機会がなかった。だが、今まさにその機会が訪れて、俺は証明して見せたのだ。

(――心が満たされていく。今まで犠牲にしてきた全てが報われる思いだ――)

 機会に恵まれなかったとはいえ、何故もっと早く試してみなかったのか。考えもしなかった自分が恨めしい。


「この高揚感、本当に気分がいい。夢の実現……これもまた幸福というものの一つの形か」

 自分自身の中で淀み、歪んだ感情となっていた騎士への劣等感。それが今、克服されたことにより全く別の感情へと昇華された。

 優越感、高揚感、そして達成感。『硝子の砂漠』でレリィと共に『救済の光』を凌いだ時と似たような心地よさがある。だとすれば俺は今、きっと幸福なのだろう。

「感謝するよ、セドリック。俺はまた一つ、さいわいを見つけられた」

 場違いなほど清々しい俺の声に、セドリックは血反吐を吐きながらも殺意のこもった視線を送ってくる。無事な片腕で、上半身だけどうにか起き上がれるかといった状態にも関わらず、彼の戦意は衰えていなかった。


「クレストフ……貴様のような人間に幸福を得る権利はない。贖い切れぬ己の罪を認めろ……」

 滴る血は口からだけではなく、折れた左腕からも流れていた。金剛杖の一撃で複雑骨折でもしたのか、左腕の肘から赤く染まった突起物が飛び出している。

 腕は折れても、まだ心は折れていないか。立ち上がるセドリックに俺はやや気分を害された。敗者は素直に地面で這いつくばっていればいいものを。

「罪……か。お前が、俺の罪について語れるだけのことを知っているとでも?」

「自覚がないとは言わせないぞ!! 過去を捨てられると思うな。過去の罪はどこまでも貴様を追っていく!」

「知ったふうな口をきくな。その口、つぐむがいい!!」

 例え死に体であったとしても、これ以上の腹立たしい戯れ言を吐くようなら二度と口が利けないように全力で叩き潰す。


 容赦なしの一撃だった。俺の全身が赤く発光し、十分に魔力の乗った金剛杖の一振りが炸裂する。

 その金剛杖の一撃を、セドリックは折れた左腕で受け止めた。予想外の抵抗に俺は眉をひそめる。もはやセドリックに抗えるだけの力は残されていなかったはずだ。

 傷口から飛び出した赤い突起物。折れて飛び出した骨かと思われたそれは、骨ではなかった。

 ――それは『血』だった。凝結し、腕から生える一本の剣と化した血である。


「……僕もね、君が並の騎士では太刀打ちできない、戦闘に長けた一級術士だと理解していた。だからこそ騎士の誇りを捨てて、呪わしい力にも頼ることにした」


 呪わしき力。

 セドリックの左腕から生える血に濡れた剣。

 ――否、血そのもので創り上げられた血刀。

 尋常のものではない魔力の波動を発する血刀からは、赤黒い靄が漏れ出していた。


「セドリック、お前……魔剣に手を出したのか!?」

「これが……僕の復讐にかけた覚悟だ……!!」

 雄叫びを上げるセドリックの身体を、内側から突き破るようにして血が噴出した。

 悪意に満ちた赤黒い靄と憎悪を含んだ群青色の闘気が混じり合い、粘ついた血の流れが黒紫色に輝きながらセドリックの全身を包んでいく。


 剣奴セドリック、魔剣に呑まれた復讐者が誕生した。

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