第216話 悲劇は結晶に包まれて
――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第二十節』――
貴き石の精霊、故郷に引かれ、宝石の丘へと飛び去った
貴き石の精霊、追いかけて、金色魔眼のビーチェが消えた
離脱、裏切り、姿を消して、残るは少なき人ばかり
騎士隊長ベルガル率いる国選騎士団
学級長レーニャ率いるハミル魔導兵団
傭兵隊長タバルは傭兵団で唯一人
騎士セイリス、氷炎術士メルヴィオーサ、猟師エシュリー
錬金術士クレストフ、皆々まとめて進み行く
残りわずかの旅人達、水晶小路を歩み行き、宝石の丘へと辿り着く
──────────
棒状結晶の録場機から白い霧と淡い光が溢れ出し、おぼろげな過去の映像を浮かび上がらせる。目の前に展開される光景を、レリィもリーガンもただ黙って見つめていた。
メルヴィの胸元に隠れていた妖精人形のミランダも、もぞもぞと谷間の奥から顔を出して、円らな瞳に映像を捉えている。
「全部見ているといつまで経っても終わらないから、要所だけ映していくわよぉ~」
投影される過去の記録。最初に映し出されたのは、『底なしの洞窟』の最下層で集結した猛者達が、送還の門をくぐって『地獄の参道』へと挑む姿であった。
過酷な道行きに、旅の始まりから次々と脱落者が出る。それは凄惨な死であったり、地味な失踪であったり、いずれにせよその場においては人の命があまりに軽く失われていた。
「う……嘘でしょう、これ……。こんな地獄を歩いて、宝石の丘まで行ったっていうの……? 正気じゃないわ……」
ついには古代の神獣、超越種・
このような旅路である。唯一人、クレストフだけでも帰ってこられたことが奇跡だったのだ。
「クレス……君はやっぱりすごいよ……」
レリィは素直に感動していた。これほどの修羅場をくぐって生き抜いてきたのだ。性格が悪いとか、金に汚いとか、そんな負の要素を差し引いても、一級術士クレストフは間違いなく崇敬されるべき人物であった。この映像が世間に公表されていれば、クレストフの表向きの印象や評価もまた大きく変わったことだろう。
「あ……ダミアン兄さん……」
映像の端々に映る青頭巾の一団、その中に敬愛する義兄の姿を見てリーガンは思わず声を漏らした。彼もまた超越種との死闘に参加していた。
だが、その戦いのあと彼らの姿が映ることはなかった。
「メルヴィ! メルヴィ、どういうこと!? ダミアン兄さんは!? どこへ行ってしまったの!?」
「……私に聞かれても困っちゃうわぁ。この映像は、クレスお兄さんを中心にして記録されたものだから。ん~、この辺で既に行方がわからなくなっているみたいねぇ」
クレストフの与り知らぬ所で姿を消したダミアン。彼がいなくなる前後の会話が、映像と共に録場機から流れてくる。
――
『どうもおかしいな。いつの間にか人数が減っている……』
『あの、クレストフさん……ダミアンさんが見当たらないのですが。他の幻想術士団の人達も……』
ハミル魔導兵団のレーニャが心配そうにクレストフへ報告している。その場に、黒い修道服に身を包んだ四人の修道女が現れる。
『幻想術士団の方々なら、先にいかれましたよ』
『何? 先に行った? どういうことだ、それは』
『ええ……少し先の様子を見てくる、と。お引き止めしたのですが』
『……らしくないな。ここまで来て焦ったのか? どうして勝手に動いた、ダミアン……』
先の様子を見に、クレストフはお供に
『ダミアン……まさかこれを見て先を急いだのか?』
クレストフが疑問を口にした瞬間、突如として映像と音声が乱れる。
映像が持ち直すと、そこには四人の修道女に囲まれたクレストフの姿があった。
『聖霊教会の伝道者が、暗殺を企てるとはどういう了見だ?』
『心当たりがあるだろう?』
『その戦闘能力の高さ、異端審問官か? だが、お前の棍棒術は神官戦士の形に近いな。何者だ?』
『私達が何者か……あなたがそれを知る意味があるとは思えませんが……。せめてもの礼儀としてお教えしましょう。私達は悪魔祓い。独自の権限と戦力でもって、主に仇なす悪魔を祓うが務め』
『悪魔祓いが何故――』
『あわ、あわわわぁ……聖霊教会の、悪魔祓い~……!』
突然、慌てふためき始める
『罪深き幻想種、あなたの罪状を今一度、読み上げましょう』
聖霊教会の悪魔祓いは懐から古びた羊皮紙を取り出すと、丸まったそれを広げて見せた。
『かつて聖霊教会の権威の象徴として形作られた『教皇の
羊皮紙には罪状文が長々と書かれ、そこには聖霊教会の最高権力者である教皇の直筆と思われる署名がされていた。
『……さらには、浄化を思いとどまった教皇様の慈悲を仇で返す、『魂の監獄』からの脱獄。もはや情状酌量の余地はありません』
罪状文を丁寧に懐へしまい込むと、戦鎚を軽く振るって戦闘の構えを見せる。
『邪まなる悪魔、
そうして、悪魔祓いとの激しい戦闘が繰り広げられる――。
映像に見入っていたリーガンは、悪魔祓い、という単語にはっとする。
彼らが如何なる務めを果たす者達か、精霊術士であるリーガンはよく知っていた。
聖霊教会が定義する『悪魔』とは、人に仇なす『幻想種』すなわち妖精や精霊の類であり、悪魔祓いは幻想種の中でも特に悪質な存在を抹殺する使命を帯びている。
真っ当な精霊術士ならば悪魔祓いと関わることはないだろう。聖霊教会とて全ての幻想種を敵視しているわけではないのだ。しかし、精霊をその性質や経歴問わずに契約している精霊術士は、彼ら聖霊教会からの暗殺を警戒することになる。
もし過去に大罪を犯しているような精霊と契約してしまえば、精霊ごと契約者も抹殺されてしまうのだ。
実際に、録場機の映像ではクレストフが、過去に大罪を犯した
そして、リーガンの義兄ダミアンは腕の良い精霊術士であり、『三日月湖の水妖』と呼ばれたかなり危険な精霊を手懐けていた。元々は、遊泳中の子供を湖の底に引き込んで殺害するなど悪質な精霊として知られており、ダミアンが精霊討伐の依頼を受けた。その際に、捕まえた三日月湖の水妖を自分の契約精霊としたのだ。周囲の者はあまり良い顔をしなかったが、三日月湖の水妖は確かに力ある精霊であり、制御できるなら極めて有用ではあった。
「まさか……ダミアン兄さんも聖霊教会の粛清対象になっていたの? 旅先で行方不明になったのは……」
恐ろしい想像が、頭の中で具体的な形を成していく。
今は運河に沈み、先ほどレリィへ向けて突き立てようとしていた『
聖霊教会は錬金術士クレストフを、禁忌を犯した悪魔との契約者として現在も抹殺対象と見ていた。一級術士という肩書きを持った彼を害するのは表向き教会としても角が立つため、リーガンの復讐に手を貸す形で抹殺を試みたのだろうが――。
「わ、私……ダミアン兄さんの仇が本当は誰なのかも知らず……手を、貸していたというの……?」
復讐に手を貸していたのはリーガンだった。それも、本来なら彼女が復讐すべき相手に、間抜けにも手を貸していたのだ。
茫然自失となったリーガンは、力なくその場に座り込んだ。後に流れる録場機の映像など、もはや彼女にとっては何の意味も持たなかった。
視線を外した先には、録場機の映像を眺め続けるレリィの姿が目に入る。
「それでも……、復讐は……まだ――!」
整理しきれない思いのまま、レリィを害そうと立ち上がりかけたリーガンの肩に手がかけられる。
「そこまでにしておきな、リーガン。あんたの復讐は終わったんだ」
「あ……マシド支部長……」
こげ茶の外套に身を包んだ筋骨隆々の老婆、旧支部のマシド支部長がいつの間にかリーガンの傍らに立っていた。
「罪の償い方は一緒に考えてやるさ。だからもう、みっともない足掻きはするんじゃないよ」
「はい……すいません……マシド支部長……ごめんなさい……」
がっくりと膝をついたリーガンは声を詰まらせながら泣いた。
マシドはリーガンの復讐心に気がついていながら、ずっと見逃してきた。ただ、旧支部とカナリスの街を巻き込んで復讐を果たそうとするミルトン支部長の暴走だけは止めようと、水面下では必死に新支部の動きを牽制していた。
結果的に旧支部の方が経営的にも追い詰められ、復讐劇も止まらなかったが、不幸中の幸かカナリスの街や無関係な術士達が大きな被害を受けることは避けられた。
深夜で人通りがないとは言え、これほど派手に戦闘が行われても一般人が通りに現れなかったのは、マシド支部長による根回しで市街に屋内退避の警告が出されていたからである。
「こっちは勝手に収まった。あとは自分で何とかするんだねぇ、錬金術士の小僧……」
今まさに、新支部で起きているだろうもう一つの復讐戦にマシドは健闘を祈るのだった。
――録場機の映像は切り替わり、美しい幻想的な風景広がる宝石の丘が映し出されていた。
秘境到達に喜び湧き立つクレストフ一行の前に、突如として出現する怪物。
極彩色の岩塊が寄り集まった身体に、濁りきった巨大な水晶を生やした醜悪なる怪物。
それはさながら、大岩を積み上げて油絵の具を無秩序に塗りたくったような、そんな乱暴な造形だ。
宝石の丘の守護者、
『……我らが栄光を失うわけにはいかん! あの怪物を討ち果たせ! 国選騎士団の最後の意地を見せよ!!』
盾を構え、闘気を集中して防御を固めながら、数人の騎士が宝石喰らいへと突貫していく。
数え切れないほど撃ち出された輝く結晶弾に、暗く鈍い紫紺の輝きを秘めた結晶が幾つか混じる。
それまでどうにか結晶弾を防いでいた騎士の盾に亀裂が走り、紫紺の結晶が楔となって一気に破壊が進む。
盾を砕かれた騎士達は結晶弾の嵐へまともに身をさらすことになり、次々と宝石の丘の大地に倒れ伏していく。
『ぐぅっ……宝石の丘……ここが私の死に場所だというのか…………』
最後まで生き残っていた騎士隊長ベルガルもまた、宝石喰らいの足元にさえ辿り着けぬまま力尽きた――。
録場機が映し出すベルガルの死に際を見て、メルヴィの胸元から身を乗り出す妖精人形のミランダ。その作り物の瞳はどこか遠くを眺めるように、懐かしむように、ずっとベルガルの戦う姿から目を離さなかった。
『……ベルガル、よく宝石の丘まで辿り着いたわね。よくやったわ……。ええ、十分によくやったわよ……』
「ミランダ。満足した?」
メルヴィが優しげにミランダへ問いかける。ミランダは小さな頭を後ろへ回し、メルヴィに向き直った。
『……もういいわ。感傷に浸るのはここまで。協力してくれてありがとう、メルヴィ』
「どういたしまして、ミラおば様」
『……その呼び方はやめなさい……』
ミランダに向けて小さく舌を出しながら、メルヴィは可愛らしく笑った。
メルヴィはひとまず録場機の映像を一時停止すると、満面の笑顔でレリィの方へ振り返った。
「さて……上映会は残すところ後少し! それで、どうかしらぁ、レリィお姉さん? この後が最大の見せ場、クレスお兄さんの『罪』を暴くことになるんだけど、見る?」
「クレスの罪?」
「えぇ、そうよ。だって、私はその罪を暴くためにこそ、この録場機を奪ったのだもの」
「――メルヴィ、あなた――」
にこにこと笑みを浮かべながら、クレストフの罪を暴くと言い放つメルヴィ。
まだ闘気の回復も不十分な状態で、それでもメルヴィが敵対するかもしれないと感じたレリィは、どうにか水晶棍を持ち上げて戦闘態勢を取る。
「いやぁ~ん、怖い顔しないでぇ。ここでお姉さんと争うつもりはないんだから。聞いたでしょ、クレスお兄さんの罪を見るのか、って。その過去を知って、それでもまだ彼の騎士としてやっていく自信はある?」
「……そうだね。体力が回復するまでの間なら付き合ってもいいよ。でもね、メルヴィ。あたしはどちらにせよ、クレスのところへ戻るよ。だってあたしは……何があってもクレスの騎士であり続けるって、決めているから」
迷いのないレリィの言葉に、メルヴィは嬉しそうに微笑んだ。
「そっか。……じゃあ、今すぐクレスお兄さんのところへ向かおうか。続きはね、新支部に到着してから見ればいいと思う。うん、レリィお姉さんならきっと平気って、私も信じているから」
メルヴィはレリィに近づくと、優しく抱き寄せて頬に口づけする。
「――んなっ!? なにするの!?」
「え? 魔導因子の受け渡し! ぶっちゅうぅぅ~!!」
今度はさらに強く、太股を絡ませながら首筋に唇を押し付けて舌を這わせる。レリィは鳥肌を立てながら震え上がるが、同時に赤く枯れ果てていた髪の毛に翠の色素が戻り始めていく。首筋への口づけは、レリィの髪の毛へ直接に魔導因子を送り込む手段に過ぎなかった。
「あ……すごい。力が戻っていく」
「ああぁん、お姉さんすっごい吸引力……私、体中から色々と出ちゃいそう……はぁはぁ」
メルヴィは意味もなく自分の胸を揉みしだきながら、顔を赤らめて変態的な台詞を口にする。
「卑猥な表現やめてっ!!」
「あらぁ、照れることないのに」
もう十分とばかりにメルヴィを引き剥がしたレリィは、小走りに新支部への道を戻り始めた。
手の中で録場機の棒状結晶を弄びながら、肩をすくめてメルヴィも後に続いて走り出す。
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